15 罠
その殺気に気付いた時には、矢はもう射かけられていた。
飛来する鋭い矢を得意の防衛魔法で防ぎ、エルは矢が飛んできた後方を見やる。
「誰だ、私達に矢を放ったのは!?」
矢を放った射手は森に入り込んだ狩人だろうか。
だが、それにしてはおかしい気もする。
狩人が獲物を狙って射た矢にしては、殺気が私達に直接浴びせられていたような気がする。
エルは背筋に寒気を感じた。リオはそんなエルとは逆に、落ち着き払った様子で言う。
「……エル、私達はどうやら狙われているようじゃな。それも、複数の相手に」
「ああ。何故私達を狙うのか、相手は誰なのか、全くわからないけど……どうする?」
「どうする、じゃと? 戦って追い払うほかないじゃろう」
四つの鋭い目が、自分達を刺すように見る幾つもの目の主を探した。
その場に立ち止まる少女二人は、杖と木刀を構える。
「エルフ族長の娘たる私に矢を射かけるなど、恐れを知らぬ者達じゃな。姿を現したらどうじゃ?」
リオが不敵な笑みを口元にたたえ、自分達を狙う影に言い放つ。
狙撃主達は何も答えない。姿を隠したまま、リオ達を静かに狙っていた。
「ふん。まあ良い、曲者は私が手を下さずとも同胞達が討ってくれる。むろん、そうなる前に片をつけるつもりじゃがな」
リオは弓を引き絞り、曲者達が潜んでいるだろう場所に照準を合わせる。
エルと背中合わせに立ち、二人の緊張感は最高潮に達していた。
エルの杖には白い光粒が宿る。彼女に力を貸す、森の精霊達の姿だ。
「……来るよ」
精霊達のざわめきも、最高潮に。
エルは敵が動き出す事を悟り、防衛魔法を自分達の周りに張った。
瞬間、木立の中や木々の上から放たれる矢の数々。風を切ってそれらは目標を逃さず向かっていく。
エルの防衛魔法が降り注ぐ攻撃を防ぐ。敵が射った矢の攻撃は全て、エルとリオには届かなかった。
「拍子抜けするのう……。敵の実力は大したことはないようじゃな」
「でも、油断はしない方が良いよ。それにこのままここにいても、その内防衛魔法が破られる。魔力は無限じゃない」
敵を甘く見るリオに、エルは諭す。
どんな強力な魔導士でも、魔力が無ければ魔法は使えない。【神殿】で魔力切れを起こした彼女は、その事を身に染みて知っていた。
リオは頷き、小さく魔法の呪文を唱える。彼女の身体能力を強化する『付与魔法』だ。
風が渦を巻き、彼女の体を包んでいく。
矢の雨はまだ止まない。エルが防衛魔法でそれらを防ぎ弾いているものの、早くも防衛魔法にはヒビが入り始めてしまっていた。
「防衛魔法が破れた瞬間に、敵は一気に動き出すだろう。その時に勝負が決まる」
エルは額に汗を浮かべ、未だに正体を見せない謎の敵の潜む方向を睨んでいる。
リオは彼女に守ってもらいながら、木刀に風を纏わせていった。
彼女は自らの力が木刀に溜まったのを確認し、エルに囁きかける。
「……もう十分じゃ。守りを解いて良いぞ」
「わかった」
エルが杖を振り、解かれる防壁。
そのタイミングは、丁度敵が残り矢を気にして矢を射る勢いを少し弱めた時だった。
この時飛んできた矢は四本。
「はッ!」
それを、リオは木刀をしならせて全て叩き落とす。
風を纏った木刀の斬撃とぶつかった矢は、鏃を砕かれ矢羽をへし折られた。無惨にも空中でバラバラに破壊された矢は、リオ達の足元に残骸となった姿を晒す。
「今じゃ、エル! 私の背に乗れ!」
「あ、ああ! すまない!」
先だってエルが体力に自信がないことを知っているリオは、次の矢が射られるまでの間隙にエルに叫ぶ。
エルが背に飛び乗った刹那、リオはもう駆け出していた。
森を揺るがす突風となって、リオは狙撃主の射程範囲から逃れようと疾走する。
恐らくこの瞬間、狙撃主達は驚嘆に暮れていたことだろう。
前代未聞のその速さに、狙撃主達は目標を一瞬見失った。目標の姿を捉えた時には既に遅い。数人が矢を飛ばしたが、彼らの矢の射程では目標に届くことなく、結果矢を使い捨ててしまうことになった。
「た、助かったのか……?」
エルは後ろに首を向ける。敵の追撃もここまでは届くまい。
「ああ。じゃが、これで終わりとはいえぬ。奴らを捕まえなければ同胞達が傷つくことになるからな」
右に左に、木々をかわしながらリオは走っていく。
目指しているのは森の出口。彼女はエルを逃がして自分はあの曲者どもと戦うつもりだった。
「そんな、私にも戦わせて! 奴らが狙っていたのは私だったのかもしれないし」
「そうかもしれぬが……森で起こった事は森に住む者が解決するべきじゃ。これは、お主が言った事と同じことじゃぞ」
人間の問題は人間が解決する。確かにエルはそう言った。
そしてリオは、森の問題は森に住む自分達エルフが解決すると主張する。
自分の発言を引き合いに出されて、エルは強く反論出来なかった。
リオは何やらもごもごと言っているエルの意見を退ける。巨人を追い払った時と同じように、自分一人で敵を倒そうと覚悟を決めていた。
同胞達がこの襲撃に気付いてくれれば、それほど苦戦することはない筈だ。
我らエルフ一族の結束は固く、人間や巨人などの種族よりもそれは誇れるものだとリオは自負している。
走れ、走れ!!
リオは風になってどんどん加速していく。
彼女はエルを振り落としてしまう程の勢いで駆けるので、背中にしがみつくエルはうっかり落ちてしまわないかと冷や汗を流した。
「くッ……!」
間もなく、「風」が切れる。
それまでにエルを森の外に出して、リオは再び「風」を纏って襲撃者達を蹴散らしに行かねばならなかった。
「ハァ、ハァッ……!」
呼吸が苦しい。過度な動きをしたために、脚が激しく悲鳴を上げている。
魔法で無理矢理身体能力を強化した反動が、今になってリオにのしかかった。
「ぐ、ハッ……! アッ……ハァ、ハァッ……!」
「リオ、大丈夫なのかい!?」
エルの叫びも、リオの耳には届かない。
そんな言葉は、聞く必要なんてない。自分が壊れても、この少女を安全な所へ連れてやらねばならないのだから。
リオは呼吸が乱れ、胸が強く痛むことも構わずに走り続けた。
森を出るまであと100メートルもない。
これでエルは助けられる。リオの表情に笑みが浮かんだ。
走る脚が消え去りそうな……。もう感覚さえ残らない身体で、リオは前だけを見据え続ける。
「……!? リオ、止まって!!」
空気をつんざくエルの悲鳴。
リオは驚き、脚を止めようとするも、加速しすぎた脚は簡単には止まってくれない。
リオは、目の前に張り巡らされた「網」に勢いよく突っ込んでいった。
網はリオの身体に絡み付き、その動きを封じ込める。爆発的なスピードさえも、その固く重い網は封じてみせた。
「きゃあッ!!」
激しい衝撃。エルが痛みと恐怖の声を上げる。咄嗟に防衛魔法を発動し、衝撃で骨折することは何とか防いだ。
「なッ……!?」
そしてリオの口から漏れた声は、笑う女の声に掻き消される。
その女の声は、リオがよく知る人物のものだった。
「無様だな、リオ。こんな簡単な罠にかかるなんて、エルフ王族はこの程度のものなのか?」
その女は、網を張った木の影から登場した。
彼女は元々の茶色の髪を金色に染め上げ、長く伸ばしている。目は右は青色だが、左は血の赤色だ。
耳は長く尖り、彼女がエルフ族だということを証明している。
「カル……。まさか、お主が全てやったことなのか……?」
リオがカルと呼んだ少女は、リオの問いに大きく頷いてみせた。
「そうだ。あなた達に矢を浴びせかけたのも、私の指示で動いた同胞達……。リオ、あんたはもう終わりだよ」
カルは、網にかかり地面に倒れているリオを見下ろして嘲笑する。
その場にはカルだけでなく、続々とエルフ達が集まってきた。その中の誰もが、リオを敵意の目で見つめている。
リオの瞳が揺れ、声は激しく震えた。
「どういうことじゃ……!? お主ら、私はエルフ王族の末裔だぞ……」
「ハンっ、まだ分からないか? それとも、この私の口からそれを聞くのが怖いのか?」
エルは二人の間に何があったのか、それを知り得なかった。
だが、このカルという女はリオを恨むか妬むかしていて、リオともしかしたら自分も傷つけようとしていることは分かった。
今はカル達エルフの視線がリオに向けられている。
ここは森の出口に近い。外にナミがちゃんと待っていてくれていることを信じて、エルは叫んだ。
「ナミ、助けて! 戻って、助けを呼んで!!」
精一杯の声を絞り出したエルの叫びに、エルフ達の驚きの目が彼女に集中する。
「そいつを黙らせろッ! どんな手段を使ってもいい!」
カルが怒鳴り、エルフの男の一人がエルの顔面を蹴りつけた。
だが、エルは叫び続ける。彼女を蹴る足は、一本から二本に増えた。
とにかく、叫び続ける。あの巨人の少女に届くことを願って、声を振り絞って……。
それでも、何度も蹴られてエルの意識は長くは持たなかった。
黒く赤く染まっていく視界は、エルフの少女の赤い血の目を見たのを最後に、失われていった。




