13 アールヴヘイムの女王
「……なんと、お主が天界から転生した精霊じゃったとは。とても信じられることではないが……」
リオは半信半疑の表情で、エルを見つめている。
顎の辺りに手を当て、考え込んできる様子だったが……ポンと手を打つと、エルに付いてくるよう言った。
「それじゃあ、信じてもらえたんだね?」
「ああ。エル、お主は悪い人間には見えないのでな」
エルはホッと息を吐く。艶やかな緑髪を掻き上げ、彼女は笑った。
一方、エルとともに『アールヴの森』までやって来たナミは沈んだ表情だった。リオに拒絶され、意外と繊細な彼女は少なからず心に傷を負ってしまったようである。
そんなナミの腰の辺りをエルは優しく叩いて声をかける。
「ナミはここで待っていてくれ。私が、エルフ達を説得してみせるからね」
「ううっ。お願いします、エルさん……」
リオはナミから少し距離を置いて二人の様子を見ていたが、エルがこちらを向いてきてぷいと目を逸らす。
森の中へ歩んでいくリオの後を、エルはナミに言葉を残して続いていった。
「行ってくるね。もし私に何かがあったら、私など気にせず谷に真っ直ぐ帰ってくれよ」
その言葉を受け取ったナミは、大変不安そうな顔色で精霊の少女を送り出したのだった。
「エルさん、大丈夫かしら……」
* * *
『アールヴの森』は静まりかえっている。
森に住むエルフ達は騒ぐこともなく、静かに穏やかに暮らしているのだ。
その静寂が満ちる森の中を、種族の違う少女二人が歩いていた。エルとリオは、エルフ族長の住まう天幕を目指して進んでいる。
「はあ、はあ……まだ着かないのかい?」
「何じゃ、情けないのう。それくらいで力尽きるようでは、森では生きて行けぬぞ」
歩き出してから約30分。
最近馬車に乗ってばかりでろくに歩いていなかったエルは、早くも足が動かなくなってしまっていた。
怠惰故に体力のない元精霊の少女に、リオは嘆息する。
「はぁ、待つのも面倒じゃ。私がお主をおぶっていく。私の背に乗れ」
地面にへたりこんでしまったエルを呆れて半眼で見やり、彼女の前に屈んで背中に体を預けるよう促す。
「ありがとう、助かるよ」
「まったく……」
リオの背に乗り、ありがたくエルは彼女に体重を預けた。
その軽さに、リオは心の中で驚く。 エルを綿のように軽々と背負うことが出来て、彼女は若干拍子抜けした。
女の自分には、人ひとり背負って森の奥の天幕に辿り着くことなど難しいと考えていたのに。
どうしてこんなに軽いのだろう。何か特別な魔力でもはたらいているのだろうか。
「駆けるぞ、振り落とされぬよう」
リオは背のエルに告げ、軽々とした動きで風のように木々の間を走り出す。
人ひとり背負っていて両腕が塞がっているのに関わらず、木にぶつかったり失速したりすることなく駆け抜けていった。
リオの背中で彼女の動きを直に見ているエルには、その動きはとてもエルフのものとは思えない。
エルフは魔法能力に優れる種族だ。その性質故に魔法に頼りきり、体を鍛えることを怠ってしまうことも多いと聞く。
だが、自分を背負って走るこのエルフは、しっかりと体を鍛えている。鍛えていなければ、人を背負ってこれだけの速度で駆けることなど出来る筈もない。
それに、彼女は己に付与魔法もかけているようだ。
リオが爆発的なスピードを出せているのは、その魔法の補助もあって可能となっている。
「すごいね、まるで風のようだ」
「ふふっ、そうか。これでも私はエルフ王族の末裔じゃ。それなりの強さはある」
エルが素直に褒めると、リオは口端を緩めた。
右に一回転して目の前の大樹を避け、二人はようやく目的地に辿り着く。
リオは足を踏ん張ってブレーキをかけ、なんとか天幕に突撃してしまう前に踏みとどまった。
「ハァ、ハァッ……。つ、着いたのか……?」
急ブレーキの反動でリオの背から吹っ飛ばされたエルは、雪と茂みの中に突っ込んで逆さまになる。
上下逆転した視界に映るのは、汗を滝のように流すリオの姿だった。
「はぁ、はぁ、はぁ……。ふふ、どうじゃ、エル。私の最高速の走りは」
苦しそうに笑みを浮かべるリオ。
彼女は服の袖で頬を伝う汗を拭い、天幕の方に顔を向けた。
エルは茂みから起き上がって辺りを見回す。
と、その時。近くからリオの名を呼ぶ男の声が聞こえてきた。
「リオ! ここにいたのか、会いたかったぞ!」
「ディン、しつこいぞ。私がお主と付き合う気など、更々ないということが何故わからぬのじゃ!? とっとと私の前から消え失せてくれ!」
顔は秀麗であるはずなのに、この男が笑うと憎たらしくしか見えない。
リオに付きまとうエルフ族一の優男、ディンにリオもつい声を荒らげる。
エルは二人のやり取りを見て、ニヤリと意地汚く笑った。
茶化すように、リオに言ってやる。
「同性に好意を抱かれてしまうなんて、君も私と同類だな。なんか急激に親近感が湧いてきた」
「いや、私は……」
「君、何を言っているんだ? リオが同性に好かれてるだって?」
エルの無遠慮でもある台詞にリオはあわあわと頬を赤く染めて動転し、ディンは訳がわからないと困惑した。
「って、何で人間がこんな所にいるんだ? リオ、君が連れてきたのか?」
ディンの切れ長の青い目がエルを射抜く。エルフ族特有の鋭い刃物のような視線だ。
エルはディンの視線に一瞬怯みかけるも、恐れずにエルフの青年を見上げて名乗る。
「私はエル。エルフの族長さんに話がしたくてここに来たんだ」
まだ巨人族の事は出さなくていいだろう。エルはそう判断してディンにはその事を言わなかった。
それに、この男は何だか危なっかしい感じがするし……。
こんな男に好かれるリオも可哀想だな。私にはトーヤくんがいて良かった、リオと自分を比べてそう安堵するエルであった。
「そうか。リオが連れてきた者なら俺はとやかく言わないが……。人間、族長様がお前の話を聞いてくれるとは限らないぞ。あのお方は他種族には排他的だ」
ディンは無感情な目でエルを見下ろす。
感情を見せないディンと同様、エルも表面上は無表情を装っていたが、内心ではかなり緊張していた。
エルフ族長は、巨人王のように強く偉大な人物に違いない。そんな人物と相対して、果たして自分がまともに対話を挑めるのか。
トーヤくんと一緒にいるようになって、一つ彼の悪い部分が影響されてしまった。
自分より強い者が相手になった時に、必要以上に緊張して心配になる。
ここは、いつもの私でいけばいい。
エルは、ナミと約束した。エルフを必ず説得してみせると。
そう啖呵を切ったからには、やらなければならない。エルは覚悟を決めて、リオに訊ねた。
「族長様にお会いしたい。今、会わせてもらえるかな?」
「あ、ああ。私から頼めば大丈夫じゃろう」
リオはエルからは顔を背けて応える。
どうしたのだろう。エルには彼女のその様子に違和感があったが、それが何かはわからなかった。
リオが白い天幕の中に足を踏み入れていく。エルはその背中を静かに見守っていた。
その場に居合わせているディンとともに、エルはリオを待つ。
やがて族長との交渉が終わったのか、リオ一人が天幕から出てきた。表情を見るに、あまり良い返事は得られなかったのか。
「……エル、母上がお主と話しても良いとおっしゃった。ただし、天幕の中でなくこの場で行うとのことじゃ」
エルの顔が強ばる。
当然だ。天幕の中に入れてもらえない時点で、信用されてはいないのだから。
「エル、それで良いな?」
「わかったよ。それで大丈夫」
エルは無理にでも笑みを作って、族長との対話に備える。
彼女の心の準備もままならない内に、エルフ族の首長であるリヨスが天幕から姿を現した。
リヨスは厳格そうな雰囲気の女性で、リオと同じ金色の髪を肩より少し下まで伸ばしている。
顔には一切の皺はなく、十五の子を持つ母親とは思えない程若々しい。
その見た目の若さは、エルフの特権だ。エルフは長寿の種族として知られ、体の老化も遅い。
優美な微笑みをたたえるリヨスは、長い木の杖を片手に持ってエルに歩み寄ってきた。
「こんにちは、人間の少女よ。私の名前はリヨス・アルヴヘイム。かつてのエルフの王国『アールヴヘイム』の王族の末裔であり、エルフ族の長です」
丁寧な物腰だが、その裏に隠された感情は冷たい。彼女の瞳がそれを切に物語っていた。
エルは物怖じせずに、リヨスに右手を差し出す。
「私の名はエル。天界より下界に転生し精霊の一人で、神オーディンの使いです。この度は、巨人族について話をしたく参りました」
エルは唾を飲み込んだ。リヨスを見上げ、差し出した右手は微かに震えている。
そんなエルを安心させてやるように、リヨスは両手でエルの右手を包み込んだ。
微笑み、次にはエルの緑色の長髪を撫でる。
エルは正直、リヨスのその対応に面食らった。
「ふふふっ。わざわざ、天界からやって来てくれてありがとうございます。遠かったでしょう?」
リヨスの微笑みは、エルにとって嘘の仮面のように見えた。
その笑みはあのノエル・リューズが浮かべる笑顔と酷似している。
エルも笑顔を返して言った。
「ええ。ここまで来るのに、かなり疲れましたよ」
「ふふっ、それで何の用でしょうか?」
リヨスが訊いてくる。
エルはここに来た目的、巨人族の食料問題について切り出した。
「『ヨトゥン渓谷』の巨人達が、食糧に困っている。彼らを排除せず、森の恵みを少し分けてもらえないでしょうか?」




