表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黄昏英雄譚 ~アナザーワールド・クロニクル~  作者: 憂木 ヒロ
第1章  神殿オーディン攻略編
10/400

9  灯火

 風も音もない灰色の森。

 足音さえ立つ前にどこかへ吸い込まれるように消えていく中――ふと、僕は背筋に何かを感じた。

 

「……っ!?」


 咄嗟に足を止め、隣のエルの手をぎゅっと握る。

 首筋にちりつくこの感覚を僕は知っている。

 向けられる視線、潜められた息、そして容赦のない殺気。

 間違いない――狩人の眼だ。


「エル――走るよ!!」


「あ、ああ!」


 そう告げるやいなや、僕は地面を蹴りつけた。

 緊張に湿った手で離すまいとエルの手を掴み、接近してくる何者かから逃走する。

 目線はひたすら前に。獣道を辿って、無我夢中で走る、走る、走る。


「はぁ、はぁッ……!」


 足は絶対に止めない。背後から迫りくる気配と膨れ上がる殺意に脂汗を滲ませながら、僕は空いた右手で腰の【ジャックナイフ】を抜いた。

 刃渡り30センチほどのこのナイフは、今はいない父さんから貰った大切な武器だ。

 父さんが教えてくれたナイフ術――それは、この状況を切り抜けるためにある!

 

「っ、トーヤくん、もう追いつかれる!」


 エルの緊迫した叫びに、呼吸が揺れるように乱れた。

 森の狩人からいつまでも逃げていられないことくらい、分かってる。

 この遁走は心の準備をするためのもの。そしてその準備は、もう出来た。


 ――父さん、見ていて。僕が、戦うところを!


 乾いた地面を削りながら急停止。

 それからエルの手を離しながら、右足を軸に反転する。


 ――来いッ!


 ナイフを中段に構え、膝を軽く曲げる。

 体に入れる力は最小限に、敵が来た刹那に一撃を浴びせられるよう、心だけを重く据えておく。

 無音を切り裂いて表層に出てきたのは、獣の唸り声だ。

 直後――。


『オオオオオオオオオンッ!』


 割れ金のごとき咆哮と共に、視界の右から黒い体躯が飛び込んでくる。

 僕の狩りで鍛えた動体視力はその正体を正確に捉えた。

 犬……いや、狼だろうか。巨大なあぎとから覗く牙は唾液に光って鋭い。爪は長く、逆立った体毛はその凶暴さを誇示しているようだった。

 そして僕ら獲物を狙って肉薄するのは――牙。


「――エル!!」


 正直、怖い。

 得体の知れない森、初めて見る怪物みたいにでかい獣、僕らを喰らおうという圧倒的な殺意。気を抜けば失禁してしまいそうだ。

 でも、僕の後ろにはエルがいる。

 僕と出会い、使命を――光を授けてくれた彼女がそこにいる。

 だから、守る。彼女を失いたくない。何としてでも、守り抜くんだ!


「ああああああああッ!!」


 ナイフを振るう一秒に、全霊を込めて吼えた。

 構えの「静」から逆転する「動」。

 黒犬はたくましい後ろ脚で跳躍して飛びかかり、僕の首筋を噛みちぎらんとする。

 

「トーヤくんっ!!」

 

 エルの悲鳴が耳をつんざいた、その瞬間。

 僕はナイフを斜め右へ斬り上げようとする手を、ぱっと開いた。

 ひゅっ、と風を切って刃が閃き――滞空していた黒犬の無防備な腹に、突き刺さった。


「今だよ、エル!」


 痛哭を上げる黒犬の攻撃を横っ飛びに躱し、地面に落下したそいつを睨み据えたまま僕は叫んだ。

 

「ああ! ――【雷魔法トニトルス】!」


 間髪入れず放たれた青白い稲光が黒犬を襲う。

 彼女が握っていた杖代わりの枝先から迸った電流に撃たれ、悶えていた黒犬はびくんと一度大きく痙攣し、それきり動かなくなった。

 

「このモンスター、『ブラックドッグ』だね。野犬の比じゃないくらい凶暴で巨大な、獣型のモンスター……倒せたのは君のおかげだよ。ありがとう、トーヤくん」


「こちらこそだよ。エルの魔法、本当に凄かった! 一撃で怪物を仕留めてしまうなんて……」


 エルは骸となった『ブラックドッグ』を見下ろして、額の汗を拭いながら言った。

 安堵に顔を綻ばせる彼女に、僕も笑みを浮かべる。

 初めてのモンスターとの戦いだったけど、敵の攻撃を受ける前に終わらせることが出来た。上々の滑り出しといえるだろう。

 僕は屈んで怪物モンスター)の腹からナイフを引き抜き、付着した血を拭き取ろうとした。と、そこであることに気付き、目を剥く。


「え、エル! この血、緑色だよっ!?」


「ああ……それがモンスターの特徴の一つでもあるんだ。斬ってみて緑の血が出たらモンスター、覚えておくといいよ」

 

 その口ぶりからすると、エルはモンスターと戦い慣れているのだろう。淡々と言う彼女の教えをしっかりと胸に刻み込んだ僕は、血液を布で入念に拭き取るとナイフを鞘に収めた。


「はい、トーヤくん」


 立ち上がった僕にエルは水筒を手渡してくれる。それをありがたく受け取って痛いくらいに渇いた喉を潤し、まっすぐ伸びる先の見えない獣道を見据えた。

 後ろを振り返っても、入口なんて既に見えないところまで来てしまった。もう、後戻りはできない。

 薄暗い森は僕らを閉じ込める檻だ。その檻の扉の鍵があるのは、進んだ先にある【神殿】のみ。


「進もう」

 

 必要なのは、その一言だけだった。

 頷き合う僕たちはまた一歩、前進していく。




 ……森の気配は、歩いていく内にいつの間にか変わっていた。

 真っ直ぐだった道は曲がりくねり、灰色の木々は吹き付ける冷たい風にざわざわと揺れている。

 奥へ行くにつれて鬱蒼と茂る枝葉は完全に日光を遮断していた。まるで、この森だけ真夜中になっているみたいだ。

 真っ暗で道の先なんて見えやしない。エルの灯す光魔法があっても、だ。


光魔法ルミナ


 彼女が呪文を呟いて杖の光を更に強くするけど、それでも足元を照らすだけで精一杯のようだった。


「おかしい……最高出力なのに、これだけしか照らせないなんて……」


 この時、初めてエルが不安の気持ちを僕の前であらわにした。

 か細い声を漏らして俯く彼女の横顔は、とても小さなものに思えた。

 彼女の方がずっと年上なはずなのに、その姿は幼い少女にしか見えなかった。


「エル……」


 邂逅かいこうの時から常に元気だった彼女のそんな様子なんて、見たくなかった。でも、目を逸らしちゃいけない――そう思って彼女に声をかける。

 と、立ち止まったその時だった。


「っ……!?」


 風がびゅうっと、僕たちを叩きつけた。

 体温を容赦なく奪い去るそれは、あまつさえ僕とエルを引き裂こうとしているかのようで。

 僕は決して離れないように、彼女を力強く抱き寄せていた。右腕で包むように、エルと密着して歩く。


「マントを、用意しておくべきだったね」


 エルは追い詰められた小動物のように身震いしていた。

 血色の良かった頬は青白くなり、その表情に色はない。

 もしかしたら、精霊は寒さに弱いのかもしれない。

 と、そこで僕にも少し精霊の血が混じっていることを思い出した。


 ――僕も、エルと同じだ。

 同じなら、二人合わされば強くなれるはず。

 そう思い二人でくっついた。体を寄せ合い、寒さをしのぎながら先へ先へと懸命に進む。

 


 もう、どれほど経ったのかも分からなくなってきた頃。

 怪物はあれ以来、現れていない。真っ暗な道なき道を行く僕らを苛むのは、極北の風だ。 

 そんな中で僕は、幼い頃に『精霊樹の森』の奥へ妹と一緒に探検しに行き、迷子になってしまった時のことを思い起こしていた。 


(お兄ちゃん、寒いよ……怖いよ……)


(だ、大丈夫さ! きっと、帰れる! 精霊たちが僕らに気づけば、助けてくれるよ!)


 樹の根元に座り込んで動けなくなってしまった妹の手を握り、帰れる確証もないまま、ひたすらに励ましていた僕。

 あの時と、同じだ。

 いや……違う。あの時と違って、僕らに救済の手を差し伸べる存在はいない。他力本願なんて許されず、自分たちだけの力を試されている。

 英雄になるのだという夢、そして悪魔を倒す使命のために……前へ、前へ。

 でも、今の僕らは本当に前に進めているのだろうか。もう同じ道をずっと行き来している気さえしてくる。


「エル……僕達【神殿】に辿り着けるよね?」


 僕は震える声で確かめるように訊いた。


「辿り着ける、はず……」


 エルは消え入るような弱々しい声で答える。

 そして、最後の力を振り絞ってこう口にした。


「寒い……寒いよぉ」


 エルの様子は普通ではなかった。『ブラックドッグ』が現れたあとから、明らかにおかしい。

 体に触れるエルの体温はかなり下がっている。僕は彼女を温めようと、彼女を両腕でぎゅっと抱きしめた。


 今は、エルを生き延びさせることが先決だ。

 しかし……なぜ、この森はエルにだけ強く牙を剥くんだ?

 

 神様は……僕一人だけで【神殿】に辿り着け、そう言ってるのか?

 導き手である精霊は散り、たった一人の人間だけが生き残る――それが運命だっていうのか?

 そんなの、嫌だ。僕はエルと一緒に【神殿】に到達したい。二人で使命を果たしたい。彼女に、死んで欲しくない。


「神様……僕の願いは、そんなに叶えちゃいけないものなんですか。……大切な人と共に生きたい、そう願っているだけなのに」


 神様がエルを許さないのならば、僕だって同じだ。

 抗い抜くんだ。絶対に、エルは死なせない!

 彼女がいる世界で【英雄】にならないと、何の意味もないんだ。


 だって、僕は――エルのことを、この世界の誰よりも、好きになってしまったのだから。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新作ロボットSF書きました。こちらの作品もよろしくお願いいたします
『悪魔喰らいの機動天使《プシュコマキア》』
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ