下手の考え休むに似たり
「ね、フリーになったんだって? 私も今フリーなんだー。試しに付き合ってみない?」
「今はまだ恋愛する気になれなくて。しばらくフリーでいるよ」
「あ、あの……ず、ずっと好きでした!」
「ごめん、応えられない。でも気持ちは嬉しいよ。ありがとう」
「前からちょっといいなって思ってて」
「悪い。当分は誰とも付き合うつもりは無いんだ」
クリスマスを目前に怒涛の告白ラッシュ。学期末テストが終わり、なぜかとうとつに人生初のモテ期がやってきた。さっきの子で五人目である。いったい何事だ、これは。
一番わからんのは、全て反射的にNOを返している俺自身だけどな。
軽目な口調とは裏腹に足がふるふる振るえていた子は、抱きしめたくなった。真っ赤な顔で俯き加減だった子は思いっ切り甘やかしてやりたくなったし、クールっぽいのに涙目で上目使いの子は少し意地悪してみたくなった。
ほら、魅力的な子ばかりじゃないか。何が不満なんだよ自分。いやまあ、不満を持てるほど相手のこと知らないんで、持ちようがないんだけどさ。
いいなって思った子はいた。だけどダメなんだ。直接的にしろ間接的にしろ誰かに好意を向けられると、先日の恋人との別れが頭を過ぎる。俺と付き合ったのは親友に近づくためだった、初めから好きでも何でもなかったと言われた瞬間が。
その記憶が邪魔をして、踏み込みたいのに踏み込めない。
元恋人へお前のせいでと恨みを向けるべきか、人間不信までいかなくてよかったと胸を撫で下ろすべきか。
どちらにしようか。
※ ※ ※ ※ ※
「……どう、だった?」
俺に跨がった先輩が乱れた呼吸の合間に聞いてきた。
「すっげえいいっス。マジ最高!」
「そう。ならよかった」
「また今度、お願いしてもいいスか?」
「ふふ……気が向いたら、ね」
手早く身嗜みを整え、しばらくここで休んでいくという先輩をおいてこの場を後にした。すでに人がまばらな静かな校内を教室に向かって歩く。
恋愛的な好意を向けられなければ何も問題無いようだ。行為は普通に出来るし、話していても何も思い出したりしない。普段通りだ。
ネックなのはやはり、向けられる恋愛感情らしい。
はぁぁ、と大きな溜め息が口をついて出た。
いかんいかん。背が丸くなってる。しゃきっとせねば。
背筋を木の幹に見立てて柔軟かつ真っすぐに保つ。重心移動は流れるように。
よし、これでいつもの俺だ。
携帯で時間を確認するとバイトの時間まではまだまだあった。
図書室に行って冬休みの課題でも片付けるか。
そいつは教室に程近い廊下の壁にもたれ掛かっていた。俺に気付くと壁から背を離し、軽く手をあげる。
「よっ」
「おう。こんな所でどうしたよ?」
「お前を待ってた。話がある」
顎をしゃくって階段を示した。場所をかえようといいたいらしい。
冗談じゃない。コイツを含む三人で別れ話をしてから一ヶ月も経っていない。人目を避けたいような込み入った話なんぞ、する気にはなれん。
「ここで済ませばいいだろ」
「ここでは、ちょっとな」
「あっそ」
階段へと一歩を踏み出したそいつの後ろをスタスタと通り過ぎた。
廊下を少し進んだ所で腕を掴まれる。
「待てって。話があるっつってんだろ」
不快感を隠さず振り返れば、そいつも俺に負けず劣らず不機嫌そうにしていた。
「お前の話に付き合う義理はない。つか腕はなせ」
「はなしたら逃げるだろ」
振りほどこうと腕を引くが、よりいっそう力を込められただけだった。放す気は無いらしい。ちっ仕方ない。
「……わかった」
「まあ、時間は取らせねーから」
そう言って階段へ向かう。俺の腕を掴んだままで。
「おい、腕!」
ずんずん歩くそいつに向かって抗議の声を上げるが、返答は無し。
シカトかよ!
腕が解放されたのは屋上についてからだった。
掴まれていた所が地味に痛い。
「で、何なんだよ」
相手が話し出すのをしばらく待ってみたが、いつまでたっても口を開かないコイツに痺れを切らして、こちらから促した。
しかしドアにもたれ掛かったまま奴は動かない。
「用がないなら戻るわ。そこどけ」
目線さえ合わせようとしない事に苛立ち、何も反応しないコイツを押しのけた。ドアノブに手をかけようとした所で手首を掴まれる。
「おい」
「もうやめろよ、ああいうのは」
放せと言おうとしたら漸く口を開いた。
「やけになって馬鹿やるなんて、らしくねーよ。俺に毒吐いてる方がずっとお前らしい」
「やけって何のことだ?」
俺らしいって何だとか、手ぇ痛いんですけどとか、お前もなにげに毒吐いてるよねとか、言いたい事はあるが一番気になった所を聞いてみた。
人生初のモテ期で絶賛調子に乗っている自覚はある。アレのお誘いも軽いものは有り難く受けたし。
だが、やけを起こした覚えはない。
「さっき先輩としてたろ」
「確かにヤってたけど。近くに居たのか?」
あ、だから離れて『待ってた』んだ。終わるのを。
「お前を探してたんだよ。カバン残ってたし、校内にいるのは判ってたから。……そしたら、な。すぐに教室の方へ戻ったから、覗きの真似事はしてない」
「ん。ならいいや」
「先輩だけじゃなく、他にも何人かと関係もっただろ? 噂になってんだよ。彼女に振られてやけになってるって」
おおう。げに恐ろしきは噂話也。調子に乗りすぎて悪目立ちしてるっぽい。
「ん〜……親友に恋人寝取られましたーお前が諸悪の根源でーす、と俺が言いふらす前に口止めに来たと、そーゆー解釈で宜しいですか?」
もちろん本気で言ってるわけじゃない。ただのイヤミだ。
「違う、俺は……」
それっきり再び黙り込んだ。
あら? えっと、図星……じゃないな。コイツでも罪悪感を感じたりするんだなぁ。
普段を知っているだけに意外だった。
この空気どうすべ。さっきの発言、無かった事には……出来ないよな。仕方ないか。
「安心しろよ。誰にも何も言うつもり無いから。つか、当人同士でケリのついた話をべらべら吹聴する趣味もってない」
俺がそう言うとようやくまともに視線が合った。
これはその場凌ぎでもあるが、口から出まかせでもない。紛れもない俺の本心だ。
問題が解決していないならまだしも、すでに終わった話だ。わざわざ蒸し返して不愉快な思いはしたくない。
それに、相談と拡散は違う。共通の友人達に拡散させてコイツの評判を落とそうとするのは、嫌がらせとかイジメでしかない。
んな真似したくないよ。めんどくさい。
報告する義務や責任があるならまた話は別だろうけど、俺達の場合はそんなもん無いし。
「何処までお前は……いや、いい」
馬鹿だと言いたいんだろうがな。俺はただ、なるべく平穏に事が収まるよう、ベストな落とし所を模索するようにしているってだけだ。
許せはしなくとも、理不尽を飲み込む努力はするんだよ。そうしているのは別に俺だけじゃない。
たとえ、他人を踏みにじる事を何とも思わない人間にとって都合がいいだけの、馬鹿馬鹿しい価値観であろうとも。
「わからんだろうさ、お前には」
コイツへの嫌悪を滲ませて吐き捨てると、侮辱が伝わったのだろう眦がつり上がった。
よし、ちょっとスッキリした。手首がミシミシいってるけど、利き腕じゃないからまあいい。
ギロリと睨むだけで何も言ってこない相手を俺もじーっと見つめ返す。
世の中には、本来ならば自分こそが謝罪すべき立場であるにもかかわらず、相手を加害者に仕立て上げる。そういう厚顔無知な真似を平気でやる奴らはいる。
良心の呵責を感じて気が咎めるタイプはまだましだ。いずれは己を改めるから。だが中には、良心をもたず罪の意識を感じられないタイプも居る。
幼馴染みの中学時代の元カレに、そのタイプの元カノがいた。その女が起因のトラブルで幼馴染みは今でもパニックを起こす事があるし、一家は引っ越しを余儀なくされた。
コイツがその手の恥知らずな奴じゃなくてよかったよ。
あ、こら。溜め息つくな、溜め息を。失礼な。つかそろそろ手首放せ。
「俺が気に食わないのは判るが、お前を心配している奴らの事も考えてやれよ。お前には聞きづらいからって、何があったアイツはどうしたんだ、ってみんな俺に言ってくるんだ」
「それは……なんか、スマン」
おおう。予想外の形で迷惑をかけていたらしい。俺も何人かに詮索されたが、コイツの所にはそれ以上の人数が行ってそうだ。
「いいよ、別に。……俺が原因だから俺からは荒れるなって言えねーけど、心配してる奴らがいるとお前に伝えたかった。話ってのはそれだけだ」
やっと手首が解放された。もう行っていいって事らしい。その前にちょっと聞きたいことが。
「一つ確認したいんだけど。俺の女遊びが問題なんだよな?」
「ああ。来るもの拒まずで女子食いまくってるって聞いた。それで噂になってる。真面目でフェミニストのお前がまさかそんなって」
まじめ!? 不真面目と言われ続けた俺が、真面目。ちょ、マジでか。どうなってんだ??
「えっと、一応、告白してきた子は断ってるんだけど……」
誰彼構わずではありませんよー。てか、言うほど食ってませんから。
「だから余計に。コクる女子には手を出さないのにって。元カノに未練あるって話も広まってるから、それで」
「お前も未練あるとか思ってる?」
目ぇそらすなよ、おい。仕方ないけどさ。
女子を元カノに見立てているとか、そんな所か。こりゃかなり非難もされてそうだな。
「……判った。控えるようにする」
「そうしてくれ」
今まで硬かった表情がホッと緩んだ。
どうやらかなり迷惑をかけていたようだ。気まずいのに忠告しにくるくらいだから、恐らくは俺の知らない所でフォローもしてくれているのだろう。
ならば礼の一つもせねば。コイツに借りを作りっぱなしは嫌だし。
「ずいぶん面倒かけたみたいだな。詫びに俺からも一つ。アイツの事だけど……」
途端に険しくなった表情に思わず言葉を切った。
アイツとは、今やコイツの恋人の座に納まった俺の幼馴染みのことである。
「何か、あったのか?」
「お前にはもう関係ねーだろ。俺達のことに口だすな」
「出すつもりは無いよ。迷惑料がわりに、情報を渡そうと思っただけだ」
「…………」
「もしかして、俺にジャマされると思ってる? 逆だ、逆。お前達があっさりダメになったりしたら、大人しく身を引いた俺の立つ瀬が無いだろ」
とりあえず聞く耳はあるようなのでさっさと話していく。
「ある日、唐突に別れたいと言い出してくるよ。その時にお前がアイツに本気なら了承しない方がいい」
「なっ……何でお前がそう断言できる! いい加減な事言ってんじゃねーよ!!」
ダン!と壁を殴りつけて威嚇してきた。
そりゃ怒るよな。自分でも恋愛漫画や小説に出てくる『どうせすぐ別れるわよ。フフン』って感じのライバルキャラの台詞っぽいなって思うし。
「信じないなら信じないでいいさ。ただ、全部聞くだけ聞いとけ。いつか役に立つ情報のはずだから」
俺がそう言うと、少し逡巡する様子を見せてからチッと舌打ちをもらし、再び聞き体勢に戻る。まだまだ腹を立ててはいるようだが、話を打ち切ってこの場から立ち去ろうとはしなかった。
自己主張はしても我を押し通そうとはしない。つくづく俺とは真逆な奴だ。器の違いを見せ付けてくれる。
「男性不信のけがあるんだよ。アイツが男運が悪いのは、お前も知ってるよな? それが原因で、予防線張るようになったんじゃないかと思うんだ」
「予防線……?」
「ああ。どうせいつかは棄てられるって、初めからどこか諦めている節があるんだ。でも、遊びじゃなくて本気の恋愛してるから、別れを感じ取るまで相手に尽くす」
「感じ取る、ねぇ。……別れを言い出すのは、何らかの理由で棄てられると判断したから? だから、相手に言われる前に、自分から別れを切り出してる?」
「おそらく」
聞いた事を頭の中を整理しているのか考えを口に出すコイツに、俺は苦笑いで肯定を返した。
こっちが言う前に言われたよ。つかマジ理解が早いな。俺はそこまで考えが至るのに時間掛かったんだけど。ちょっと悔しい。
悔しいから男性恐怖症については教えてやらない。惚れっぽいのは、恐怖心からの自己防衛かもしれない事も。
こっちは幼馴染みを診たカウンセラーの見立てだけど。
「そうか、それでなのか」
そうかそうかと、何やらしきりに納得している。
情報に満足してくれたようで何よりだ。
「迷惑料には足りたようでよかったよ。じゃあな」
「ああ、またな」
今度こそドアをくぐった。
階段を降りながら携帯で時間を確認する。長く話していたと思ったが、実際はいくらも過ぎていなかった。
それにしてもあの反応、もしやすでに言われた後か? 初めから俺に相談できてりゃよかったんだろうけど。まあ、俺には話したくないわな。
アイツらはアイツらで問題を抱えているが、俺は俺で悩みは尽きない。しかし。
今一番の悩みは目下、当分は誰ともまともに恋愛できそうにないって事だけど、深刻になった所で解消できるわけじゃない。考え込むだけ時間のムダだったりする。
悩みなんてそんなもんだ。図書室に行ってさっさと課題を片付けよっと。
のんびりと教室に向けていた足を急がせて階段を駆け降りた。
俺にないモノをたくさんもっていて憧れであり目標である男。
幼い頃からずっと横にいた幼馴染み。
二人の今後が気にはなるが、すでに俺はお呼びじゃない。これ以上の介入は本当に余計なお世話でしかないだろう。
アイツらの事を考えるのもこれで終いだ。
レッツ、ストレスフリー!