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2番目の魔法少女[3]汚した手の価値  作者: 秋乃 透歌
第一章 汚した手の価値
6/16

06

【玖郎】



 これは、最悪の状況だ。

 僕は、直感的にそう判断し、瞬間的に確信する。

 してしまう。

 飯尾山展望台は、簡単なコンクリート造りの建物で、休憩スペースと自動販売機が設置された一階と、硬貨を投入して利用する双眼鏡などの展望設備を備えた二階がある。

 その二階に上がるための階段の陰から、その男は現れたのだ。

 気配を消して身を潜めていたに違いない、その唐突な登場が雄弁に物語っていた。

 ――男の害意を。

 その男は、どこにでもありそうな赤黒いシャツとズボンの上に灰色のコートを羽織った姿で、一見しただけでは無害なサラリーマンにも見える。

 人混みに紛れれば、顔立ちや特徴などを思い浮かべることは困難だろう。そんなことを連想させる、無個性な普通。

 もしも、意図してその普通を作り出し、身に纏っているのだとすれば、その人物は、そのような普通が必要になる類いの存在だということになる。

 それが意味するところは――。

 おそらく。

 これは、幾度となく想定してきた、『あの』最悪の状況だ。

 幾千もの思考と想定を繰り返し、幾万もの再思考と失敗を重ね続けた――。

 あの状況だ。

「――」

 呼吸一つにも満たないわずかな時間を使って、事前の想定を現実の状況で補正し、境界条件を確定する。

 この現実において、この瞬間において意味をなさない手段は、枝葉に至らない幹のうちに刈り取る。

 意味をなす可能性がわずかでもある手段は、あらゆる角度から検証し、評価し、優先順位を付与する。

 第一に必要な思考は、状況の整理だ――。



 僕たちは休日を利用して、飯尾山へハイキングに来ていた。

 足早に過ぎ去ってしまう秋を惜しむ言葉を、誰ともなく言い出したことがきっかけだった。

 王位継承試験で地平世界からこの世界――地球世界へ来ている瑠璃達には、また来年楽しめば良い、という発想が許されていない。A県B市で過ごす秋は、これが最後なのだ。

 わざわざ確認した訳ではないが、そういう覚悟で〈女王候補〉(プリンセス)達は、この試験に望んでいるはずだ。

 ともかく。

 僕たちは天候にも恵まれて、飯尾山のハイキングコースを散策することができていた。

 参加メンバーは、小学四年生から大学生まで、男女合わせて八名。

 火の〈魔法少女〉(プリンセス)〈騎士〉(ナイト)である、灯火・バーミリオン・茜と灯火・バーミリオン・珊瑚。

 土の〈魔法少女〉(プリンセス)〈騎士〉(ナイト)である、土地・ライムライト・向日葵と飯島翔。

 風の〈魔法少女〉(プリンセス)〈騎士〉(ナイト)である、風見・ビリジアン・常磐と武者小路綾乃。

 そして、水の〈魔法少女〉(プリンセス)である清水・セルリアン・瑠璃と、その協力者である僕――小泉玖郎。

 以上のメンバーは、全員が王位継承試験の関係者である。

 参加予定だった、霧島朝美と金谷薫子先生は、ともに急用で欠席。天童香苗さんには誘った段階で断られ、武者小路家の滝沢さんは同行せずに登山口で待機している。

 瑠璃も気が付いたように、この状況は作為的であり意図的だ。

 つまり、誰かの作為や意図が働いた結果であり――その誰かと言うのは、この王位継承試験の審判である〈精霊〉オリジン・ジャッジメントである。

 そして、その意図というのは、このハイキングで関係者全員が集まったタイミングで、王位継承試験の課題である〈試練〉(トライアル)を始めようというものであった。

 紅葉シーズンで混雑しているはずのハイキングコースが無人だという不自然さを証拠として挙げるまでもなく、ジャッジメントはその開始を宣言した。

 それは、『協力型』の〈試練〉(トライアル)だった。

 これまでに実施されていた『単独型』とも『競争型』とも異なるその形式では、いかに皆の成果に貢献したか、協力できたかが評価のポイントだという。

 協力する課題は、ハイキングコースを利用したスタンプラリーのようなものだった。

 道中にある『絵筆岩』、『爺泣き洞窟』、『叡知稲荷神社』、そして『飯尾山展望台』に置かれた、あるいは隠されたターゲットジュエルを全て回収することが、課題の概要だった。

 これまでに、三ヶ所目までのターゲットジュエルを、それぞれ、向日葵の〈操作〉(オペレート)、瑠璃の〈開門〉(オープンゲート)による召喚、常磐の〈開門〉(オープンゲート)による召喚で入手したのだった。

 そして、僕たちは、最後のチェックポイントであるハイキングコースの到達点――飯尾山展望台に到達したのだった。

 しかし。

 そこで僕たちを待ち受けていたのは、クロミだった。

 クロミ。自ら〈闇の魔法少女〉と名乗る者。

 彼女が、いつもと変わらぬ姿で、現れたのだ。

 背中まで届く長い黒髪と、〈魔法少女〉(プリンセス)の衣装と同じく非現実的な気配を発する、革製の甲冑じみた衣装をまとった姿。衣装の各所を飾る金属の鎖と、彼女自身が身に着けている首や手首の金属の輪が、冷たく光を反射している。

 顔の上半分を覆う、黒色の金属でできた仮面と、笑みに固定されたような口元。

 クロミは、狡猾なフェイントを多段に用いて攻撃を仕掛けてきた。

 僕たちは、それを回避し、あるいは無効化することに成功した。紙一重の結果。それでも、無数の思考と判断と行動が勝ち取った結果だった。

 訪れたわずかな均衡状態において――。

 クロミが茜へと訪ねた。

 女王になりたい理由を、もう一度教えろ、と。

 その問いに対する、茜の答えは、真っ直ぐに自分の理想を語るものだった。

 すなわち――。

 今の地平世界よりもっと、みんなが笑顔でいられる世界を作りたい、と。

 それに対するクロミの反応は――。

 激昂だった。

 苛烈に過ぎる怒りの爆発。

 クロミと茜の断片的なやりとりから推察するしかないが、二人が前回戦闘になった際に、茜が女王を目指す理由をクロミが知ったのだろう。

 そして、それが〈闇の魔法少女〉の逆鱗に触れた。

 僕たちと同年代に見える身で、地平世界に革命を起こそうなどと考えるクロミにとって、今の地平世界を肯定する茜の理想は許せなかったのだろう。

 とすれば――。

 その時から、クロミは本気であり、ここで終わらせるつもりで、ここに現れたことになる。

 そして。

 男が現れる。

 飯尾山展望台この二階へ上がる階段の陰から、その男は現れたのだ。

 気配を消して身を潜めていたに違いない、その唐突な登場が、男の害意を雄弁に物語っていた。

 それが意味するところは――。

 これが、幾度となく想定してきた、『あの』最悪の状況だということだ。

 幾千もの思考と想定を繰り返し、幾万もの再思考と失敗を重ね続けた――。

 あの状況だ。

「――」

 ここで、思考が現実に追い付いた。

 瞬き一つに満たない時間の思考。

 そして。

 状況の再確認で得られた情報は、どれだけ楽観的に見ても、この状況を改善するものではなかった。

 この状況が、あの最悪の状況であると裏付けるものばかりだ。

 僕の直感的な判断を――間違いであれば良いのに――状況が補強して行く。あらゆる状況が、これがあの『最悪の状況』だという考えを肯定する材料になってしまう。

「この八人で間違いないな?」

「そうよ。一人残らず、殺して」

 男とクロミのやりとりが、僕の思考に割り込む。

 それすら、この状況が、想定していた――恐れていた『最悪の状況』であることの根拠となる。

 なってしまう。

 いや、最早、逃避的な思考に興じている場合ではない。

 覚悟しろ。

 これは――。

 あの『最悪の状況』だ。

 そして――。

 その決定的な証拠が、次の瞬間、現実となって僕の目の前に現れた。



 男が、慣れを感じさせる自然な動作でコートの内側に右手を入れ――。

 取り出したその手には、拳銃があった。

 すっ、と無駄のない動作でそれをこちらへと向けてくる。

 照準は――瑠璃だ。

 見慣れない黒色の固まりだが、重厚感のある金属の質感と、一種の機能美を持つその形状が、自身が拳銃であると主張している。

 この状況では、拳銃が本物でない可能性は低い。

 いや、例えそれがモデルガンや本物を模造したエアガンであっても、状況は改善されない。僕たちを殺傷するという目的を達成できるなら同じなのだ。目の前の脅威に代わりはない。

 この期に及んでは、男から無造作に放たれ、こちらへと吹き付けてくる殺気を疑うことに意味はない。

 男は、僕たちを殺すつもりだ。

 冗談の類ではない。

 もしも僕の次の一手が、引きつった笑みを浮かべて、冗談ですよね? などと言葉を発するようなものならば――男は、僕の言葉の最中に引き金を引き終えているだろう。

 考えろ。

 この最悪の状況を打開しろ。

 考えろ。

 生存につながる一手を思考しろ。

 考えろ。

 全員無事に、ここから帰るために――。

 思考を加速させる。

 しかし。

 それを拒むかのように、粘度の高い焦燥感がまとわりついて邪魔をする。

 少しでも気を緩めれば、瞬間に満たない刹那に思考を止めてしまいそうになる。

 だめだ。

 このままでは――。

 停止と停滞へと至るベクトルは、全てひとつの感情から発生している。

 その発生源は、諦めだ。

 これまでいくら考えても、どれだけ吟味したとしても、思考の中においてさえ打開できなかった最悪の状況だ。

 今回も。

 この現実においても。

 最悪の状況に対抗できるのは――最悪の一手だけ。

 無限に引き伸ばされる時間の中、僕のあらゆる思考が赤色灯を回転させ、警鐘を打ち鳴らす。

 これは、最悪の状況だ。

 『あの』最悪の状況だ。

 だとするならば、必要なことはたった一つ。

 さあ――覚悟を決めろ。

 この男を――。

「終わったら例の方法で、連絡して。――それじゃあ、ばいばい」

 クロミの言葉の後半は、僕たちに向けられたものだ。

 無機質な仮面の奥に隠された瞳で、僕たちを順番に見回すように視線が動いた。

 そして。

 ふわり、とクロミが宙に浮かび上がり――。

 そのまま、飛び去ってしまった。

「魔法というのは冗談ではなかったのか。まあ、それはどうでも良いことだ」

 男の呟きが耳に入った。

 こちらに語りかけるというよりも、自分自身の思考に没頭するタイプの独り言だ。

 状況を、より悪い方へ認識しなおす。この男には言葉が通じないつもりで行動する必要がある。

 男の眼光が、僕たちを捕らえた。それは、鋭いくせに無機質な視線だった。

 睨みつける訳ではないのに、僕達になど興味がないように見えるのに、それでいて間違いなく僕達に狙いを定めているような――。

「悪く思うなよ」

 先程同様、独り言のようにそう言って――。

 右手の親指の一動作で、拳銃の安全装置を解除した。

「――っ!?」

 僕は、その光景をなす術もなく見送ってしまった。

 その事実が、計り知れない衝撃となって僕を襲った。

 実際には、息を飲む時間もなかったはずだ。

 僕は、貴重な一瞬を無駄に、無為に、有効な手段も思考もできなかっただけでなく――指先一つ動かすことなく過ごしてしまった。

 男は胸元から拳銃を取り出していたのだ。安全装置が解除されていたとは考えにくい。そうであれば、銃弾を放つための前動作として、安全装置を解除する動きが必要なはずで――その一瞬は、僕たちが生き残るために絶対に無駄にできない時間だったのに。

 意味を与えることができないまま、過ぎ去ってしまった。

 通りすぎてしまった。

 想定していたのに。事前にいくらでも考え付いていたのに、何度もシミュレーションしていたのに。

 だめだ。

 思考が空回りしている。

 冷静さを欠いている。

 このままでは、本当に――。

 ダメだ。

 これは、最悪の状況だ。

 『あの』最悪の状況だ。

 このような状況は想定していた。

 何度も何度も、この状況への対処を思考していた。

 この状況を打開するために、百万を超える思考を繰り返し、可能な限りの事前準備も行ってきた。

 本当に最初から、こういう事態もありえるだろうと考えていた。

 そうだ。

 この状態こそが、僕が瑠璃の〈騎士〉(ナイト)になることを断り続けている理由の一つなのだから。

 瑠璃をはじめとする〈魔法少女〉(プリンセス)達にとって――いや、全ての魔法使いにとって、この状況は最悪の状況だ。

 地球世界の人間が、明らかな害意を持って、襲い掛かってくるという状況。

 そう。

 目の前の男が、明らかな悪意や殺意を持っていたとしても、〈保護魔法〉(プロテクト)に守られた地球世界の人間である以上、あらゆる魔法は男を傷つけることができない。〈女王候補〉(プリンセス)にせよ〈騎士〉(ナイト)にせよ、手も足も出せないままに、その兇刃に倒れることになる。

 僕が、これまでの王位継承試験の〈試練〉(トライアル)において、幾度も利用してきた戦略を、そのまま相手に使われた状況だ。

 正に万事休す。

 ただし。

 今の僕ならば――〈騎士〉(ナイト)〈契約〉(コントラクト)をしていない、ただの協力者である僕ならば、この状況を打開できる。

 僕ならば。

 この男に対抗できる。

 そのために、無数の思考を繰り返し、可能な限りの準備を整え――〈騎士〉(ナイト)にならずに、ここまで来たのだから。

 それでも――。

 それでも、こんな状況にはなって欲しくなかった。

 こんな状況に出会わないまま、王位継承試験には終わりを迎えて欲しかった。

 あるいは、もっと予兆や前兆があれば、回避するための策でも手立てでも、いくらでも考えたのに。

 取り返しのつかないことになる前に――。

 いや。

 そのような繰り言をする時間は過ぎ去っている。

 今、必要なのは。

 必要なのは、たった一つのこと。

 ――覚悟だ。

 こうなることは、分かっていた。

 何度も想定していた。

 そして――。

 これを切り抜ける方法は、既に探し出してある。

 考え付いている。

 必要なことは――。

 ただ一つ。

 僕は――。

 覚悟を――。

 状況は最悪だ。

 そして、唯一の解決策も最悪だ。

 それでも。

 そうだ。

 『瑠璃を守るために』。

 頭をよぎったその一言に。

 僕の思考は、優先順位を明確にした。

 迷いも恐れも、これから自分がやろうとしていることの意味も、優先度は、低い。

 なすべきこと。

 決断すべきこと。

 そんなことは、明確だ。

 僕は――。



 ――覚悟を決めた。



 この男を、この手で殺す。



「い、嫌だ! 助けて!」

 僕の唐突な叫び声が、展望台に反射して響いた。

 口の開いたペットボトルが、僕の手を離れて地面に落ち、中身をぶちまける。

 つまらなそうな表情を変えないまま、男の視線が瑠璃から僕へと移る。

 足りないか。

 ならば――。

「誰か!」

 叫び声をあげ、大きな動作になるよう心がけて、身を翻し、少しでもこの場から離れようと――。

 僕の視界の端で、男の右腕が動いた。

 銃口を向ける先を、瑠璃から僕へと――。

 十分だ。

 僕は、足をもつれさせて転倒する。

 身に付けたウィンドブレーカーが、大きな動作を受けてひるがえる。

 演技だと見抜かれないよう、手加減なく、僕の意思とは関係のない転倒だと主張するように、勢いよく地面に激突して見せる。

 同時に、僕は襲い来る痛みに備える。

 ――っ。

 数瞬の間。

 男が、僕に照準を切り替えると同時に発砲する可能性も低くはなかった。

 男の銃口から、人体の急所を庇うように転倒したつもりだったが、足や腕は撃ち抜かれても仕方ないと思っていたが――。

 恐る恐るという表情を作りながら体を起こし、振り返って、男を見上げる。

 その銃口は、間違いなくこちらを向いていた。

 よし。

 第一段階はクリアだ。

 瑠璃に向けられていた銃口を、突然の大声と動作で僕へ向けさせることに成功した。さらに、動き出した次の瞬間に転倒することで、引き金を引かせないことにも成功した。

 奈落の底へと至る穴の上に張られた細い綱を渡るような、かなりリスクの高い心理的駆け引きだったが、辛くも状況を操作できた。

 これで、想定された無数の条件の中でも、行動の制限が比較的少ないものを、なんとか確保することができたと言える。

「あ……」

 思わず、という調子で喉の奥から声を漏らす。

 視線を辺りにさ迷わせて、逃げる先も隠れる場所もないことを――当然、演技なのだが――確認する。

 これが演技ではなく、拳銃を胸元に呑んでいるような危険な男から、本当に逃げ出そうという状況であれば――途方もなく達成確率の低い無理難題だと言える。

 ……はは。

 あまりと言えばあまりの状況に、僕の胸中で笑いが誘発された。

 しかし。

 別に逃げ出そうと言う訳ではない。

 僕の選択は、行動は、その結果は、むしろ真逆なのだから。

「――っ」

 引きつるような痛みを感じて、僕は自分の手のひらを見る。

 容赦なく転倒したせいで、左右の手のひらを擦りむいたようだ。尖った小石でもあったのか、想定より多い出血がある。とは言え、銃撃による傷とは比較しようもない。

 状況は、継続中だ。

 僕は、流れる赤い血を見てさらに冷静さを失ったように、声をあげる。

「あああ、血、血が! 待って、待って! 僕は関係ないんだ。王位継承試験なんて知らない、〈騎士〉(ナイト)じゃないんだ、僕は、僕だけは違う! ころ、殺さないで」

 ――そういう演技だ。

 男は、表情一つ変えない。

 これも、想定通りと言えた。

 もちろん、それは良い情報ではない。予想通り、最悪の状況が続くということなのだから。

 しかし。

 僕の耳は、僕の叫びの最中に響く、パンという音をとらえていた。

 当然ながら、銃声ではない。

 そう。

 これこそが待ち望んだ音だった。

 瑠璃の魔法、〈操作〉(オペレート)による――。

 僕は、第二段階の完了を確認して、行動を次の段階へと移す。

 さあ、演技の時間はここまでだ。

「お前達八人を殺す。全員の死体を確認したら金が入る。そう言う依頼で、そう言う契約だ。悪く思うな」

 男の言葉が、容赦なく僕たちの末路を告げる。

「まずは、お前からだ」

 男が、僕に視線と銃口を向けたまま、そう言った。

 いいや。

 その未来は、来ない。

 僕が拒絶してやる。

 さあ――。

 僕が次の動作のために息を吸おうとした瞬間――。

 業火が吹き上がった。

〈生成〉(クリエイト)っ!」

 破壊的な熱量が、圧倒的な光量をともなって、噴出する。瞬間の後に耳を打つ轟音の中で、茜の声が聞こえた。

〈靴〉(スピード)! 小泉、立てるか? 逃げるぞ!」

 移動の魔法を使って、珊瑚が僕の隣へ駆けつけ、声をかけた。

 なるほど。

 この状況で、そこまで動けるか。

 僕は、正直に関心してしまう。

 だが。

 逃走は、状況を改善させない。ただの問題の先送りだ。

 依頼を受けた殺し屋が、万が一逃走を許したとして、それで諦めてくれるはずなどないのだ。

 後顧の憂いを完全に絶つためには――。

 ここで決着を付ける必要がある。

 それに、おそらく茜の炎による陽動の効果は――。

「瑠璃は翔に任せた。俺の腕につかま――」

 僕は、珊瑚の言葉を最後まで待たずに、彼の腕を振り払い、突き飛ばした。

 同時に、僕の視界の端で、僕の動作を見て驚いたのか、翔が両腕に綾乃と瑠璃を抱えた体勢で動作を止めた。

 さらに、永遠に消えることなどないように思えた灼熱の炎が、〈保護魔法〉(プロテクト)の効果で嘘のように消失するのが同時だった。

 そして、殺し屋の男は、驚いて体勢を変えてしまうようなことはなく、銃口をこちらへピタリと向けたまま、瞳に焼き付いた炎の中から姿を表した。

 やはり、か。

 男は、魔法に驚かなかった。

 本来であれば起こり得ない現象だが、それを予想させる言動があった。

 空中に浮かび上がり飛び去るクロミを見て、魔法のことを伝えられている旨の独り言をつぶやいていた。

 僕たちからの魔法攻撃が、勝手に無効化されてしまうことを知っていてもおかしくはない。

 さあ。

 ここまでだ。

 最悪の一手を始めよう。

「――ふん」

 僕は、息をつくと立ち上がった。

 おどおどとした雰囲気を演じるのも止めにして、いつも通りに胸を張って立つ。

 突然、冷静に立ち上がった僕に、瑠璃はともかく、茜をはじめとした他の〈魔法少女〉(プリンセス)達は戸惑っているようだった。

 無理もない。

 僕は、一瞬前まで、取り乱して一人で逃げ出そうとしていた。

 逃走を選択した珊瑚の腕を振り払ったのも、恐怖で錯乱したせいだと思われたかもしれない。

 そんな僕が、次の瞬間には普段の調子を取り戻しているのだから。

 手のひらが痛む。

 だが、このくらいはどうということはない。

 僕がこの先直面するのは――。

「僕を、僕たちを殺す、か」

 男の注意が他へ逸れないよう、言葉を発する。

 そう。

 このような状況が想定される以上、瑠璃とも最低限の打合せを済ませてある。

 こういった状況になってしまった場合、僕がどう行動し、どのようなサポートを頼むのか。最も核心の部分は黙ったままだが、その直前までは瑠璃の力を借りることができる。

 打合せ済みなのだ。

 だから――。

「本当にそんなことができると思うなら、試してみたらどうだ?」

 僕はそう続けながら、男へ無造作に一歩、踏み出した。



 カチン、と音が響いた。



 一瞬。

 僕は、心臓が止まってしまったかのような、耐えがたく嫌悪すべき感覚を味わった。

 男が、引き金を引いたのだ。

 本来であれば、それで僕は命を落としていた。

 だが、大丈夫だ。

 まだ。

 まだ、状況は続いている。

 そうだ。

 これも想定通りだ。

 この男は、子どもの命すら顔色一つ変えずに奪える、安直に表現するなら、プロの殺し屋だ。

 だから、僕の変わり身に疑問も浮かべず、必要最低限の動作を選択した。

 つまり、引き金を引いたのだ。

 そして。

 発砲音はなかった。

 当然、銃弾も発射されなかった。

 そう。

 僕の策略通り。

 事前の打合せ通りだ。

 瑠璃の〈操作〉(オペレート)

 あらゆる『水』を意のままに操る彼女の魔法が、僕が地面へとぶちまけたペットボトルから水を運び、男が構える拳銃の銃口の内側で氷結させたのだ。

 本来であれば、氷の塊が銃口に詰まった状態で引き金を引けば、銃弾は拳銃内で暴発し男を傷つけただろう。

 しかし、ここで〈保護魔法〉(プロテクト)が作用する。

 これがある以上、魔法の氷の作用では、暴発は起こらない。男が、あらゆる魔法によって傷つくことから守られているからだ。

 一方で、〈保護魔法〉(プロテクト)によって瑠璃の魔法が解除され、銃弾が発射されるという事態にもならない。

 銃弾が発射されれば、間違いなく僕が傷つく。

 〈保護魔法〉(プロテクト)は、〈保護魔法〉(プロテクト)が作用した結果として人が傷つくことを許さない。

 つまり――。

 〈保護魔法〉(プロテクト)は、こう発現する。

 男と僕とを魔法から守った結果――拳銃から銃弾は発射されない。

 そのように作用するはずだ。

 瑠璃との特訓の合間に、あらゆる状況を想定し、何度も思考と試行を繰り返して、〈保護魔法〉(プロテクト)の発現条件や作用範囲を可能な限り見極めた結果が、このギリギリのラインだった。

 結果として、僕の狙い通りに〈保護魔法〉(プロテクト)は作用した。

 よし。

 第二段階も無事に完了。

 そして――。

 次の一手から先は、瑠璃にも告げていないものだ。

 ここからが、本当の最悪だ。

 さあ――。

 例え拳銃を無効化しても、僕達の目の前に殺し屋が存在するという状況は改善されない。

 別の拳銃を所持している可能性は高いし、あるいは殺傷力のある刃渡りを備えたナイフの類いを取り出すことも想像に難くない。

 さらに、この状況――拳銃の無効化は、〈保護魔法〉(プロテクト)を利用して作り出した一種の均衡状態だ。そのため、僕以外の誰かに――例えば、向日葵や翔に――銃口を向けて引き金を引くようなことがあれば、あっけなく銃弾は発射されてしまうだろう。

 どのみち――。

 この殺し屋の男をなんとかするしか――殺すしかないのだ。

 だから。

 ――僕は、男への二歩目を踏み出した。

 僕は、身に着けていたウィンドブレーカーのポケットから、準備しておいた『それ』を取り出した。

 外見だけを観察するなら、どこにでもある小型の懐中電灯だ。

 何のことはない、懐中電灯の外装を利用して『それ』を作ったのだから、当然の話だ。

 とは言え、その中身はLED電球や容量の大きな電池ではない。

 簡単な電気回路による安全装置と起爆装置、特別に調合した火薬と、物理的に殺傷力を発揮するために詰め込んだ金属片。

 ――そう、これは、最悪の一手に至るための『武器』なのだ。 

 僕は、それを目の前に男の顔に向けた。

 動作不良を起こした自分の拳銃を握ったまま、殺し屋の男は僕を見た。

 鋭いかもしれないが、殺しに慣れきった、濁った瞳だ。

 そんな男の視線と、僕の視線が交錯する。

 男の表情は、興味の浅い不審を表したものだった。

 無理もない。

 状況を客観的に、端的に表現するなら、これから殺す予定の小学生から懐中電灯を向けられた、という程度のものでしかないのだから。

 男は油断している。

 少なくとも、目前に突き付けられた脅威を認識せず、必要な注意を払えていない。

 今しかない。

 僕は――。

 押せ。

 躊躇するな、押せ。

 この一瞬しかない、押せ――。

 ――スイッチを、渾身の力で、ねじ込むように押し込んだ。

 その、僕の指先のわずかな動作に連動して――。

 バン、と破裂音が響いた。



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