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2番目の魔法少女[3]汚した手の価値  作者: 秋乃 透歌
序章 罪を重ねる思考の果てに
2/16

02

「嫌だ! た、助けて!」

 唐突に上げた僕の声が、古びた洋館に響いた。

 同時に駆けだそうとするが、足をもつれさせて僕は転倒してしまう。

 埃の積もった廃屋の、その廊下に転がり、勢い余って壁に衝突する。

 慌てて顔を上げた視線の先で、その男が銃口をこちらに向けていた。

 よし。

 かろうじて、第一段階はクリアだ。

 瑠璃に向けられていた銃口を、突然の大声と動作で僕へと向けることに成功した。さらに、動き出した次の瞬間に転倒して動作を止めることで、引き金を引かせないことにも成功した。

 空中に張られた細い綱を渡るような、かなり危険な心理的駆け引きだったが、辛くも状況を操作できた。

 視線を動かし、その先にある階段を見る。

 これが演技ではなく、拳銃を向ける男から逃げ出そうとしているのならば、一階に駆け降りるための階段までには、途方もなく遠い距離が存在していることになる。

 そこで、引きつるような痛みを感じた。

 僕の右腕から、少なくない量の血が流れていた。

 尖った木片が、傷んだ廊下の床から飛び出していたのだ。転倒した拍子に、小さくない裂傷を作ってしまった。

 流れる赤い血を見て、ますます僕は冷静さを失う。

「あああ、血、血が! 待って、待って! 僕は関係ないんだ。王位継承試験なんて知らない、〈騎士〉(ナイト)じゃないんだ、僕は、僕だけは違う! ころ、殺さないで」

 ――そういう演技だ。

 僕の言葉の内容を全く意に介さず、男の親指が、慣れた動作で拳銃の安全装置を解除した。

 男の行動は、予想通りのものだった。

 しかし、それは良い情報ではない。予想通り、最悪の状況が続くということなのだから。

「お前達八人の子どもの命を奪う。全員の死体を確認したら金が入る。そう言う依頼で、そう言う契約だ。悪く思うな」

 男の言葉が、容赦なく僕たちの末路を告げる。

 そして。

 僕の期待通りに――。

 瑠璃の声が、男の声に紛れるように、魔法を唱えた。

 僕は、第二段階の完了を確認して、行動を次の段階へと移す。

 よし、演技の時間はここまでだ。

「――ふん」

 僕は、息をつくと立ち上がった。

 おどおどとした雰囲気を演じるのも止めにして、いつも通りに胸を張って立つ。

 突然、冷静に立ち上がった僕に、瑠璃はともかく、茜をはじめとした他の〈魔法少女〉(プリンセス)達は戸惑っているようだった。

 無理もない。取り乱して、一人逃げ出そうとした僕が、次の瞬間には普段の調子を取り戻しているのだから。

 少し、経緯を整理しよう。

 例によって行動を共にしていた僕達八人の王位継承試験の関係者は、突然の夕立に追われて、椎名町のはずれにあるこの洋館に雨宿りをすることにした。

 長年無人だったはずのこの廃屋には、驚くべきことに〈闇の魔法少女〉クロミが待ち構えていた。

 どのようにして僕達の行動を先読みしたのか。その点については考察の余地があるが、差し当たっての優先順位は低い。

 遊びの時間は終わった――一方的にそう告げ、こちらの反応を待たずに立ち去ったクロミと入れ替わるように、洋館に現れたのは、長い髪と無精髭が目立つ男だった。

 そして、男は雨に濡れたコートの内側から、拳銃を取り出し――。

 瑠璃へと向けたのだった。

 こういった状況は――目の前の男のように、地球世界の人間が、明確な害意や殺意を持って、〈魔法少女〉(プリンセス)〈騎士〉(ナイト)の前に現れる――最悪の状況は、十分に想定された状況だった。

 〈保護魔法〉(プロテクト)で守られた地球世界の人間に対して、魔法は無力だ。文字通り手も足もでないまま、ただ脅威に襲われるのを待つしかない。

 だからこそ、僕は瑠璃の〈騎士〉(ナイト)にならなかった。

 〈契約〉(コントラクト)することなく、このような最悪の状況に対して、唯一対抗できるように、千の思考を巡らし、万の対策を用意していた。

 いや、そのような良いものではない。

 結局、僕にできるのは――。

 最悪の状況に対して、最悪の一手を使うための――覚悟を決めることだけなのだから。

 腕が痛い。

 だが、これは必要な痛みだった。

 なにしろ、展開が急すぎて、瑠璃はペットボトルの水を用意する時間もなかったのだから――。

 このような状況が想定される以上、瑠璃とも最低限の打合せを済ませてある。

 こういった状況になってしまった場合、僕がどう行動し、どのようなサポートを頼むのか。最も核心の部分は黙ったままだが、その直前までは瑠璃の力を借りることができる。

 打合せ済みなのだ。

 だから――。

「僕達を殺す、か。本当にそんなことができると思うなら、試してみたらどうだ?」

 無造作に男へと一歩を踏み出しながら、僕はそう告げる。

 カチン、と音が響いた。

 男が、引き金を引いたのだ。

 これも予想通りだった。

 この男は、子どもの命すら顔色一つ変えずに奪える。そういう職業が実在するならば、プロの殺し屋というものなのだろう。

 僕の変わり身に疑問も浮かべず、必要最低限の動作を選択した。

 つまり、引き金を引いたのだ。

 そして。

 発砲音はなかった。

 当然、銃弾も発射されなかった。

 そう。

 事前の打合せ通りだ。

 瑠璃の〈操作〉(オペレート)

 あらゆる『水』を意のままに操る彼女の魔法が、流れ出た僕の血液を銃口へと運び、内側で氷結させたのだ。

 本来であれば、氷の塊が銃口に詰まった状態で引き金を引けば、銃弾は拳銃内で暴発し男を傷つけただろう。

 しかし、〈保護魔法〉(プロテクト)がある以上、魔法の氷が作用した結果としての暴発は起こらない。男が、あらゆる魔法によって傷つくことから守られているからだ。

 一方で、〈保護魔法〉(プロテクト)が作用して瑠璃の魔法が解除され、銃弾が発射されるという事態にもならない。

 銃弾が発射されれば、間違いなく僕が傷つく。

 〈保護魔法〉(プロテクト)は、〈保護魔法〉(プロテクト)が作用した結果として人が傷つくことを許さない。

 つまり――。

 〈保護魔法〉(プロテクト)は、こう発現する。

 男と僕とを魔法から守った結果――拳銃から銃弾は発射されない。

 そのように作用するはずだ。

 瑠璃との特訓の合間に、あらゆる状況を想定し、何度も思考と試行を繰り返して、〈保護魔法〉(プロテクト)の発現条件や作用範囲を可能な限り見極めた結果が、このギリギリのラインだった。

 結果として、僕の狙い通りに〈保護魔法〉(プロテクト)は作用した。

 第二段階も無事に完了。

 そして――。

 次の一手から先は、瑠璃にも告げていない。



 例え拳銃を無効化しても、目の前に殺し屋が存在するという状況に変わりはない。

 別の拳銃を持っていることも想定されるし、あるいは殺傷力のある刃渡りを備えたナイフを取り出すことも想像に難くない。

 さらに、〈保護魔法〉(プロテクト)を利用して作り出した状況であるため、僕以外の誰かに――例えば向日葵や翔に――銃口を向けて引き金を引けば、あっけなく銃弾は発射されてしまうだろう。

 どのみち、この『女』をなんとかするしかないのだ。

 だから。

 僕は、身に着けていたウィンドブレーカーのポケットから、準備しておいた『それ』を取り出した。

 外見は、どこにでもある小型の懐中電灯だ。なにしろ、僕がそれを自作するにあたり、外装として懐中電灯そのものを利用したのだから。

 と言っても、豆電球やLEDライト、容量の大きい電池が入っている訳ではない。

 中身を取り出し、簡単な電気回路による安全装置と起爆装置を組み、特別に調合した火薬と、物理的に致傷力を発揮するための金属編を詰め込んだ――最悪の一手に至るための『武器』なのだから。

 僕は、それを目の前の女の顔に向けた。

 動作不良を起こした自分の拳銃を握ったまま、殺し屋の女は僕を見た。殺しに慣れた濁った眼と、僕の視線が交錯する。

 その表情は、興味のなさそうな不審を示すものだった。

 無理もない。

 状況を端的に表すなら、これから殺す予定の小学生から懐中電灯を向けられただけなのだから。

 僕は――。

 ためらわず、スイッチを入れた。

 バン、と冗談のような破裂音が響いた。

 動作確認試験の時と寸分変わらぬ音量と周波数の組み合わせ。

 火薬の爆発により急激に運動エネルギーを得た無数の金属片が、懐中電灯の前方へと射出される。

 容赦なく。

 皮膚を貫き、筋肉を傷つける。

 殺すには足りない。

 偶然の助けを得て、重要な血管か神経を傷つけない限り、これによって命を失うことはないだろう。

 それでも、生身の人間の体を傷つけるには十分だ。

 顔に向ければ視力を奪い、殺戮の継続を不可能な状況にすることは可能なのだ。

 これは、そのためのもの――自作の『散弾銃』なのだから。

 次に響いた音は、女の悲鳴だった。

「ぎゃあああああっ! い、痛いいいっ! あ、アタシの顔がぁああぁ! てめえ、くそガキ、ぶっ殺してやる!」

 激痛に砂浜を転げまわる女。

 大声で叫びを上げながらも、顔面を抑えた女の両手の指はすぐに鮮血に染まる。

 ふん。

 これまで何人の命を奪ったのかは知らないが、自分の痛みはちゃんと認識できるんだな。

「っ……玖郎、くん――!」

 瑠璃のかすれた声が、波の音に紛れて届いた。

 ああ、そうか。

 ここは出井浜(でいはま)海岸だったか。

 これまでもずっと聞こえていたはずの潮騒が、ようやく認識できるようになってきた。

 止まっていた時間が動き出したかのようだ。

 でも、まだだ。

 僕は、砂浜をのた打ち回る女の動きに注意しながら、歩を進める。

 女が取り落とした拳銃を拾う。

「瑠璃。弁明も説明も後だ。あと一手残っている。瑠璃の力が必要だ。指示を出すから、とりあえず〈操作〉(オペレート)を解除してくれ」

 背後で瑠璃が息を飲む。

 彼女にも分かるはずだ。

 僕のとった手段は、褒められたようなものではない乱暴なものだ。それでも、状況がそれ以外を許さなかった。そして必要だった。

 あと一手必要だ、と。

 次の指示を出すから、と。

 そう言えば、瑠璃は思うはずだ。

 これから、平和的な解決に向かうはずだ、と。

 違う。

 そんな道は、この最悪の状況が始まった瞬間からなくなっている。

 禍根を残す訳にはいかない。

 未来の脅威を残した解決など許容できない。

 だから――。

 僕は、拾い上げた拳銃を握り、一振りした。

 瑠璃の〈操作〉(オペレート)を解かれ、拳銃の中で溶けた僕の血液が、慣性の法則に従って銃口から飛び出した。

 さあ。

 ――最終段階だ。

 一瞬でもためらえば、僕自身の心が、思考を裏切って足を止めてしまう可能性がある。

 だから。

 この瞬間だけは。

 思考も。

 考察も。

 なしだ。

 ただ、頭をからっぽにして――。

 引き金に、力を――。

 胸部に二発。

 頭部に一発。

 合計三発。

 乾いた銃声が、海辺に響き渡った。

 女の声が、止まった。

 動きも、完全に止まっていた。

 ――やがて、本当に終わったんだと、そう心から認識して――。

 僕は、倒れるように砂浜に座り込んだ。

 はは。

 膝が震えている。

 僕は、まるで自分のものでないかのように強張った指を引き離すようにして、拳銃を捨てた。

 

 

 息を詰めた雰囲気に、僕は顔を上げて、その場にいる全員を見回した。

 瑠璃。

 茜に珊瑚。

 向日葵に翔。

 常盤に綾乃。

 大丈夫、全員無事だ。

 やり遂げた。

 最悪の状況を――。

 最悪の方法で回避した。

 それでも。

 僕達は生きている。

 殺されることなく、生きている。

 瑠璃も、茜も、常磐も、向日葵さえも、顔色こそ無くしているものの、目をそらさずにこの状況を見ていた。

 これが、覚悟の差というものなのかもしれない。

 次の女王になり、国を率いる立場になれば、必ず背負わなくてはいけない濁業。それが、彼女達が現実から目を背けることも、逃げ出すことも許さないのかもしれない。

 一方で。

 気を失った綾乃を常盤が支えた。倒れそうになった自分の〈騎士〉(ナイト)を、抱き留める。

 翔は、よろめくように皆から離れると、廊下の端で吐き始めてしまった。

 全く、地球世界の面々は情けないな。

 いや、無理もない。

 無理もないはずだ。

 目の前に転がる、殺し屋の死体。

 未だ硝煙を上げる、捨てられた拳銃。

 震える、僕の体と心。

 通い慣れたはずの小学校が、異様な非現実感を伴って認識される。

 まるで、現実から拒絶されているようだ。

 僕は――。

 僕は、自分の震える手を見下ろした。

 引き金を引いた手。

 命を奪った手。

 どうしようもなく汚れてしまった――。



「――くん、玖郎くん」

 瑠璃が呼んでいる。

 そう認識すると同時に、僕は意識を浮上させる。

 深い思考の海に沈み、漂っていた僕は、瞬間的に周囲の状況を把握する。

 椎名小学校、五年一組の教室。

 僕と瑠璃の他に、委員長の霧島朝美(きりしまあさみ)に、担任の金谷薫子(かなやかおるこ)先生がこの場にいる。

 授業も、その後の掃除も既に終わっている。

 すっかり寒くなった気候のせいで、教室から外に出たくないと言うかのように、すっかり話し込んでしまったのだった。

 話題は今週末の予定。

 天気予報によると、寒さが和らぎ、小春日和と表現したくなるような穏やかな休日になるそうだ。

 そこで、金谷先生の引率で、いつもの留学生メンバーとその仲間達で、飯尾山のハイキングコースに行かないかという提案になったのだ。

 ――大丈夫だ。

 脅威も、害意も、ここにはない。

 最悪の状況も、最悪の解決方法も、ない。

 今は、まだ。

 大丈夫だ。

 認識の一瞬。

 それが完了すると同時に、ようやく思考が現実世界へと切り替わった僕は――。

 瑠璃と目が合っていることに気付いた。

 こちらを覗き込む彼女の黒い瞳は、真っ直ぐに僕を見ていた。彼女が瞬きをする合間のわずかな時間だけ、その瞳が青色に見えた。

 僕の住む世界――彼女達が言うところの地球世界とは違う、異世界の瞳だ。

 そう、地平世界の色彩を宿した黒い瞳だった。

「どうしたんですか? 何か考え事ですか?」

 瑠璃の声に、わずかに心配そうな色が混じる。

 僕は、軽く首を横に振って見せる。

「いや。考え込んでいるように見えた時間はどれくらいだった?」

 僕の質問に、瑠璃は首を傾げて見せる。

「ほんの一瞬ですよ」

 と、彼女は応えた。

 ――一瞬、か。

 その刹那の中で、僕は何度あの男の命を奪っただろう。

 想定される未来。

 おそらく確実に訪れる、避けられない未来。

 魔法を無効化できるという状況をまとって、殺し屋は何度も思考の中に現れた。男ではなく、女の姿のこともあったし、僕達と年齢の変わらない子どもだったこともあった。

 その度に、僕はそいつの命を奪った。

 思考の中で。

 僕は命を奪うことで――殺してしまうことで、その状況を切り抜け続けた。

 繰り返される最悪の状況。

 繰り返す、最悪の決意と、最悪の解決法。

 何度思考を繰り返しても、純粋に向けられる殺意に対して打てる手だてはない。

 『あの』最悪の状況では――あるいは、甘いことを承知でもっと僕達に有利な状況を想定したとしても。

 できることなど、ほとんどないのだ。

 だから、僕は――。

 僕は、自分の手のひらを見下ろした。

 思考の中で、数えきれないほどの命を奪った手。

 まだ、誰の命も奪っていない手。

 汚れた手。

 あるいは、いずれ汚れる手。

 僕は――。

 僕は、こんな手で、瑠璃を抱き締めることができるのだろうか。



 ――そして、その日はやってきた。




   ◆ ◆ ◆



2番目の魔法少女[3] 汚した手の価値



   ◆ ◆ ◆


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