14 終章 別れの知らせ
【瑠璃】
季節は巡り、惜しまれた秋は足早に立ち去って、寒い冬が訪れていました。
空気が澄んでいるのか、星の光が瞬きが綺麗に見えます。地平世界でも見た、冬の大三角はあの三つの星でしょうか。
それにしても、着込んだコートの襟口をぐっと合わせてみても、冷気が体に染み込んでくるかのようです。
そんな寒さの中を――。
私は、玖郎くんと並んで歩いています。
ああ、ここはいつもの帰り道ですね。
玖郎くんの家から、私の家へと向かう、その途中です。
今日も、〈試練〉か〈仕事〉に忙しく走り回り、なんとかそれを解決したのでした。
いつものように琴子さんの好意に甘えて、夕御飯をごちそうになったのでした。
メニューは、熱々のお鍋でした。
冬は寒くて苦手ですが、美味しくて、体の芯から温まるような食べ物がたくさんあるので、なかなか嫌いになれません。
特に、鍋料理は最高です。
熱々で、ふーふーと息を吹き掛けながら忙しく食べるところも。お野菜がたくさんとれるところも。お肉やお魚の出汁がしっかり溶け出したスープも。最後にご飯や麺を入れて食べるのも。
どれもとても魅力的なのです。
何より――。
お鍋は、食卓についたみんなでご飯を食べている感じを、とても強く感じられます。
そこが、何より気に入っているのです。
ええ。
最近少し、感傷的になりやすいのかもしれません。
なぜなら、私は、来年の冬どころか、次の春にはこの場所にはいないのですから。
こうやって。
玖郎くんと歩く時間すら、たまらなく愛しくて――胸が苦しくなってしまうほどなのです。
「どうした? さっきから黙っているが、考えごとか?」
私のそんな様子に、玖郎くんが心配して声をかけてくれました。
玖郎くんは、時々こうして、ふっと優しさを見せてくれるのです。
いつも遥か遠くを見据えて思考を巡らしているのに。
すぐ隣にいる私のことを、ちゃんと気にかけてくれているのです。
本当に。
玖郎くんはずるいです。
「考えごと、かもしれません。少しとりとめもないことを考えていました」
「そうか」
玖郎くんは簡単に答えました。
そんな反応にも私は慣れっこです。
それは、決して冷たい訳ではなく、きっと私と同じことを玖郎くんも考えてくれているのです。だから、気持ちは分かると、そう伝えてくれるものなのです。
ふふ。
客観的にみれば、ずいぶんそっけなく見えてしまうのかもしれません。
なにしろ、玖郎くんと来たら、歩くペース一つ変えないのですから。
でも、私には分かっています。
そのペースは、最初から私の歩きやすい歩調に合わせてくれたものだ、と。
「あ、考えごとと言えば」
と、私は口を開きました。
不意に頭に浮かんだ疑問を、投げ掛けてみることにしました。
「前々から気になっていたのですが」
そう前置きしてから。
「玖郎くん。クロミの正体を知っているのですか?」
「――」
あ。
珍しく、玖郎くんの回答までに間ができました。
質問が不意打ちすぎたでしょうか?
いいえ、多少の不意打ちで玖郎くんの思考速度をどうにかできるはずはありません。とすると、この反応は?
「ああ。知っている」
えっと?
時間がかかった割りには、ごく普通の回答ですね。
ああ、でも、さすがは玖郎くんですね。
私がさんざん考えても分からないクロミの正体を、既に知っていましたか。
「誰なんです? 私の知っている人らしい、ということは本人から聞いたのですが」
正確には、私が救ったことのある人らしい、ですが。でも、私は特別なことをしたとは思っていないかも、とも言っていました。
とすると、私が気づかないうちに――?
そんな風に考え出すと、頭がぐるぐると回ってしまうのです。
そもそも、地平世界で革命を起こそうなどと考える人たちと、基本的に水の領主の城から出ない私との間に、接点が生まれるようなタイミング自体がほとんど思い付かないのです。
と言うことで、秋の終わり以降もやもやと考えていた疑問を、玖郎くんに聞いてしまおうと――そんなズルを思い付いてしまったのでした。
「――それは、言えない」
……。
言えない、というのは――?
「ええと。それは、どういう反応なんでしょう。私の知っている人ですか?」
「そうだ。……実は、本人から口止めされている」
あ。
そういうことでしたか。
本人から口止め。
ということは、玖郎くんは、私の知らないところでクロミと対決しているのですね。
ちょうど――私とクロミが対決したように。
もしかすると、まさにあの日――朝美との女同士の話し合いをした、あの時だったのかもしれません。
それにしても。
「口止め、ですか。では、ヒントはいただけますか?」
ふふ。
ヒントだなんて、クイズの解答でも探しているかのようです。
「ヒントもなしだ」
「そうですか。残念です」
と、私の思考が軽くなってしまったのは、玖郎くんが『言えない』と判断しているからなのでしょう。
つまり。
本人に口止めされていても、私にとって――例えば王位継承試験の勝敗に影響するなど――きちんとメリットがあったり、デメリットが発生することが想定されるならば、玖郎くんは私に伝えてくれるはずです。
それをせず、本人との口止めの約束を守るということは――今それを知ることに重大なメリットはなく――知らないことによるデメリットも小さい――あるいは、私がそれでも切り抜けられるだろうと、信頼してくれている、ということでしょう。
だから。
それは、知らなくても問題のないこと。
そんな風に考えてしまえるほど。
私も、玖郎くんを無条件で信頼しきってしまっているのです。
ああ、それに――。
ふふふ。
「では、これ以上は追求しません。お互い秘密を持つもの同士、ということですね」
私の余裕のある言葉が、玖郎くんは意外だったのでしょう。
思わず、私の顔を見つけて来ます。
ふふふ。なんだか照れてしまいますね。
「瑠璃にも秘密が?」
「もちろん。私も女の子ですから、秘密の一つや二つ、当然あるのです」
玖郎くんは、口を開きかけ、何も言わずに閉じてしまいました。
今、追求するほどの優先度はないとの判断ですね。
「秘密と言えば。玖郎くんが私との〈契約〉を断って、〈騎士〉にならない理由――その三つ目のメリットも、まだ秘密ですか? 私も一つ、思い付いているのですが、答え合わせはしませんか?」
玖郎くんが〈騎士〉を断った理由。
一つ目の理由は、〈保護魔法〉を利用して王位継承試験を有利に進めるというものでした。
〈騎士〉として、地平世界の人間と同じように魔法の恩恵を受けるのではなく――地球世界のただの『協力者』として、他の〈女王候補〉と〈騎士〉の魔法を無力化することを選んだのです。
二つ目の理由は、訪れることが予想された――そして、実際に私たちの目の前に立ちふさがった――地球世界の人間が明確な害意や殺意を持って現れるという『最悪の状況』に対処すること。
〈魔法少女〉と〈騎士〉の魔法は――厳密に言えば、その行動全てが――地球世界の人間を傷つけることができません。どんな悪人であろうと、地球世界の人間ならば〈保護魔法〉に守られているからです。
玖郎くんが〈騎士〉にならなければ――地球世界の者同士、傷つけ合うことができます。私たちを守るために、玖郎くんは自らの手を汚す覚悟をしていたのでした。
そして、残された三つ目のメリットは――。
私の予想では――。
「それも、秘密だ」
玖郎くんの答えは、その一言でした。
さすがに言葉が足りないと思ったのか、玖郎くんが補足をしてくれました。
「答え合わせはなしにしよう。心配しなくても、二つ目の理由のように、瑠璃が怒ったり、悲しんだりすることにはならない」
玖郎くんは、私にしっかりと視線を合わせ、嘘がないことを示すように頷いてくれました。
「ただ、僕としては――僕個人の身勝手な感情としては、このメリットは使われなければ良いと思っている。だから――」
「分かりました」
では、その話もここまでにしましょう。
というか、その反応で、なんとなく分かってしまいました。
ほぼ間違いなく、玖郎くんの秘密である三つ目のメリットと、私が思い付いているメリットは、同じものですね。
ふふふ。
さて。
それでは、瑠璃。
そろそろ覚悟を決めましょう。
もう、誤魔化すのはやめましょう。
朝美ともさんざん相談して決めたことです。
勇気を出して――。
だって、玖郎くんとすごせる時間は、本当にあとわずかなのですから。
だから――。
「その代わり、と言うのも変ですが」
私は、そう切り出しました。
大丈夫です。
緊張のあまり、声が裏返ったりはしませんでした。
「一つだけ、私の秘密を打ち明けても良いですか?」
私は、足を止めました。
数歩先まで歩いて、玖郎くんは私を振り替えって足を止めました。
自然と、向かい合って立つことになります。
「玖郎くん。私は――あなたのことが好きです。大好きです」
ああ。
口に出すと、思った以上に自然でした。
無理して絞り出した訳でもなく、想いが勢いで暴発した訳でもなく。
ただ、存在する事実を、大切に差し出すような、そんな感じです。
「瑠璃――」
「たった一度だけ言いますから、聞いてください。一度しか、言いませんから」
聞いてください。
私の――次の女王だとか、二番目の〈魔法少女〉だとか、叶えたい理想をもつ者だとか、そんなことは全部知らない、ただの、一人の女の子――ただの清水・セルリアン・瑠璃の、本当の気持ちを。
「玖郎くんが、好きです。ずっと一緒にいたいと思ってしまうほどに。王位継承試験が永遠に終わらずに――あるいは、そんなモノは投げ出してしまって、ずっとここにいたいと思ってしまうほどに」
ああ。
ようやく言えた。
「ずっと、あなたの側に、いたいです」
ただ、聞いて欲しかったという、一方的で、勝手な告白かもしれません。
それでも。
この気持ちを知っていて欲しかった。
なかったことにしたくなかった。
私はただ――。
「あの、絶対に忘れて欲しくはないですが、何か変わって欲しいというわけではないのです。つまり、その、明日からも、今日までと同じようにしてくれれば十分で――」
あああ。
今になって、恥ずかしさが込み上げてきました。
顔が、熱いです。
鏡を確認しなくても、耳まで真っ赤になってしまっているのが分かります。
玖郎くんの顔なんて、とても見れません。
「瑠璃――」
「あの、さすがに照れ臭いので、ここでさよならにしましょう。また、明日の朝、いつのも場所で会いましょう」
玖郎くんが何か言いかけましたが、とても聞いていられません。
その言葉を遮って、一方的にそれだけ言うと、半ば目を閉じるようにして、玖郎くんの横を走り抜け――。
ぐっ、と。
私の右腕がつかまれました。
「瑠璃。僕の話も聞け」
私の腕をつかんだのは、玖郎くんでした。
走り出した勢いで、二人は離れかけ――玖郎くんの力で、ぐっと引き寄せられました。
「言い逃げするつもりか? まったく、時々見せる思いきりの良さは、僕でも対応しきれないな」
玖郎くんの声が、思いの外近くから聞こえて、私は思わず目を開けてしまいました。
すぐそこに。
本当に目と鼻の先から、玖郎くんが、私を見つめていました。
「くろっ――」
「ありがとう。嬉しかった」
今度は、私の言葉が遮られる番で――。
えっ?
今、なんて――。
「それに、悔しかった。本当は僕が先に気持ちを伝えたかったのに」
え?
それ、って――。
「瑠璃の〈騎士〉にはならない。その答えは変わらない。それでも――」
玖郎くんは、言いました。
「僕の心で良ければ、瑠璃に捧げる。受け取って欲しい」
そう言って。
玖郎くんが、近づいて――。
あ。
唇、が――。
――部屋中に鳴り響くアラームを、私はようやく止めました。
絶対に目覚めたくなかったのに。
そんな意識が働くこと自体が、夢から醒めた証拠なのです。
そう、今までの夢のような出来事は、文字通り夢だったのです。
まさかの夢オチでした。
こちらが私の現実です。
いつもの一人の部屋。
最低限の家具と調度品。
この一年でできた、思い出の数々。
今さっき停止させた目覚まし時計。
部屋の空気が、冷たくなっていて寒いです。
はぁ。
――私は、なんて夢を見るのでしょうか。
願望が現れるにもほどがあります。
それにしても、あと数秒見続けていたかったです。本当に、あとちょっとだけ――。
いいえ。
本当に、そろそろ起きないと。
顔を洗って、髪をとかして、着替えて――。
「玖郎くんに会った時、顔が赤くならないと良いのですが」
そう呟きながら、ベッドから体を起こし、床の冷たさに身震いしながら立ち上がった――まさにその時。
そうですね。
不思議な予感がありました。
ああ、そうか、と。
そして。
背後に現れた気配に――。
振り向きました。
「瑠璃姫。早い時間に失礼しますぞ」
そこには、ジャッ爺が音もなく浮かんでいました。
その口調に。
その雰囲気に。
私は――。
訪れるべき時が、来てしまったのだと。
感じ取ってしまっていました。
そして。
ジャッ爺は、厳かに告げました。
「最後の〈試練〉について、伝えにきましたぞ――」
そう。
その時は――。
その別れの瞬間は――。
もう目の前にまで、迫っていたのでした。




