おばあちゃんと砂時計
私は昔からおばあちゃんの家に遊びに行くのが好きだった。
長く伸ばした真っ白なふわふわの髪をゆるく結って、ゆったりとした服を着、口元にはいつも微笑みを浮かべているおばあちゃん。
私はこのおばあちゃんに『お話』を聞くのが大好きだった。
思わずくすりと笑ってしまいそうになる童話やおとぎ話、おばあちゃんが訪ねた遠い国の話。
おばあちゃんはたくさんの『お話』を知っていて、私が願えばいつでもそれを私に聞かせてくれるのだ。
そしてまた私は、おばあちゃんの家を探検するのも好きだった。
おばあちゃんの部屋、かつてのおじいちゃんの部屋――そう、おばあちゃんは独り暮らしなのだ――、書斎、リビング、廊下、玄関、裏庭、それに続く森。幼い私にとってワクワクするものがそこにはたくさんあった。私はあちこちを歩き回り、こっそり入ってそこにあるものに触れたりして楽しんでいた。おばあちゃんは笑ってその様子を眺めていたが、唯一、裏庭にある物置小屋にだけは、なぜか入れてくれなかった。
とにかく、私はおばあちゃんとおばあちゃんの家が大好きだった。夏休みや冬休みになると、早くおばあちゃんの家に遊びに行きたくてたまらなかった。特に夏休みは、夏祭りや七夕など楽しいことがたくさんあるから、いつも心待ちにしていた記憶がある。
ある夏の夜。なかなか眠れなくておばあちゃんに『お話し』をねだった私に、おばあちゃんは少し考えたあと、
「うーん、そうねぇ、だったらとっておきの『お話』をしてあげるわ」
「とっておき?」
「うん、とっておき。遠い昔の話よ。」
昔々、ある男の子と女の子がいました。男の子の名前はトシオ、女の子の名前はサヨ。ふたりはとても仲が良く、いつも一緒でした。悲しいときも辛いときも、嬉しいときも、トシオとサヨは一緒です。
ふたりは星を見るのが好きでした。夜になると、ふたりはこっそり家を抜け出して、一緒に星を見に行きます。トシオは星のお話をとてもよく知っていました。そしてサヨは、きらきらとした瞳で星の話をするトシオを見るのが好きでした。
ふたりは心の中で、この幸せな時間が長く続くことを祈っていました。
ある年の七夕の夜のことです。トシオはサヨに話し出しました。
「サヨちゃん、今日は七夕だね。織姫と彦星は会えたかな」
「うん、そうね、会えたと思うわ。だってあんなに星が綺麗。天の川も空に流れているわ」
「そうだね。今日が雨じゃなくて本当によかった。ちゃんとふたりは会えたよね」
その日のトシオは変でした。いつもみたいにきらきらした瞳で星の話をしません。目をうろうろさせながら、サヨをときどきちらっと見るのです。サヨは首を傾げました。
トシオはわざとらしく咳払いすると、
「サヨちゃん。これ、あげる」
ちょっと大きな包みをサヨに渡しました。開けてみるとそれには、星を詰め込んだ砂時計が入っていました。サヨはびっくりしました。一体トシオはどうやって、空に輝く星たちをこの中に閉じ込めたのでしょうか。詰め込まれた星たちは、傾いた砂時計にしたがってさらさらと流れていきます。
トシオはサヨを見つめながら話し出しました。
「ずっとサヨちゃんのことが好きだった。毎日笑顔を見るだけで幸せだった。こうやって星の話をして、一緒にいるのが何より楽しいよ」
サヨはますますびっくりしました。トシオが言ったのと同じことを、サヨも考えていたのです。サヨはすっかり嬉しくなって、『私もよ』と続けようとしました。私もトシオくんが好き。一緒にいられるだけで楽しいよ。そう返そうとしました。
「トシオくん、私も、」
「でもね、もう一緒にいられないかもしれないんだ」
「…………え?」
「遠い国に行かなきゃならないんだ。いつ帰ってくるのか、帰ってこれるのかも分からない」
「……それはいつなの?」
「明日、なんだ」
そんな、とサヨは驚きのあまり黙ってしまいました。トシオはサヨをじっと見つめたままです。
「帰ってこれるのかは分からない。またこうして、ふたりで星を見れるかも分からない。……それでも好きなんだ。こうやって星を見て、一緒に話してるだけで、そばにサヨちゃんがいるだけで幸せなんだ」
サヨは気づきました。トシオの顔は真っ赤になっていました。そしてサヨの頬もまた、熱くなり赤くなっています。サヨはそっとトシオの瞳をのぞき込みました。暗闇のなかでその瞳は星のように瞬き、そのなかで自分が頬を染めているのです。きらきらしたその瞳を、綺麗、とサヨは思いました。サヨはトシオが大好きであることを、離ればなれになったとしても、ずっと一緒にいたいことを、素直にトシオに伝えたいと思いました。
「私もトシオくんが好きだよ。ずっと一緒にいたい」
トシオは目を少し見開いたあと、とても嬉しそうに笑いました。サヨも笑いました。
ふたりにはそれで十分でした。
「必ず戻ってくるよ、サヨちゃん」
「待ってるわ、トシオくん」
「…………こうしてふたりは離ればなれになりました。トシオは遠い国で、サヨは日本で、ずっとお互いを想い続けました。星空を見るたびに互いを思い出し、どんなに辛いときも頑張ろうと誓いました。サヨはいつか必ず会うことを願いながら、砂時計を回し続けました。」
「……」
「そして、それから年は過ぎ。ふたりはようやくまた会うことができました。『もう離さない。ずっと一緒にいよう』トシオはサヨを抱きしめました。サヨは笑って頷きました。星降る七夕の夜、天の川の下で、恋人たちは幸せな誓いをし、ずっと幸せに過ごしました。……おしまい。はぁ、長かったかしら? でもこれはいつか話しておきたかったのよね。……あの頃は私も若かったわ。辛いこともたくさんあったけど、幸せだった。もう遠い昔のことのように感じるけれど。……あら? ふふっ、寝ちゃったかしら。長い話だったわね。聞いてくれてありがとう。……おやすみなさい」
私は眠ってしまっていた。おばあちゃんの語る昔話をうとうとと聞きながら、いつのまにか夢の世界に旅立っていった。その夢では、星空の中で、綺麗な男の子と女の子が、砂時計を中心にしてくるくると楽しそうに踊っていた。
次の日、おばあちゃんは滅多に入れてくれなかった物置小屋に初めて私を連れて行ってくれた。私が物置小屋の中を物珍しげにキョロキョロ見ていると、おばあちゃんがあるものを渡してきた。
それは砂時計だった。古いものだが大切に保管されていたようで、中には星の形をした砂がさらさらと流れている。その美しさに私は感嘆し、暫くずっとそれを眺めていた。
目にしている砂時計が、『お話』と同じ『星を詰め込んだ砂時計』であることをそのときの私は気づかなかった。
『お話』のトシオとサヨがおじいちゃんとおばあちゃんで、おじいちゃんが遠い国に行ったのは引っ越しではなく、当時の戦争で戦いに行ったからだったというのを、私はずっと後になって知ることになる。
それから毎年、おばあちゃんは夏になると私に砂時計の話をするようになった。きらきらとした瞳、どこか夢見るような表情、幸せそうな笑顔。時折、物置小屋から砂時計を持ち出し、傾け、星の砂がさらさら流れているのをじっと見つめるおばあちゃんは少女のようだった。夜になると、ふたりで外に星を見に行く。おばあちゃんは、いつかおじいちゃんにしてもらったのだろう星の話を私にたくさんしてくれた。
空の星は今も昔も変わらないものねえ、とおばあちゃんは嬉しそうに言って瞬く星を眺めていた。
そして今年も、私は大好きなおばあちゃんに会いに来ていた。もう外は暗い。空を見て、今も昔も変わらない星にほっとする。
こっそり持ち出した砂時計を、怒られるかなあ、などと思いながらおばあちゃんの前に置き、傾けた。
真っ白な星たちは、崩れることなくさらさらと下に流れていく。
静かで心地よい音を聞きながら、私はおばあちゃんに話しかけた。
「おばあちゃん、ひさしぶり」
おばあちゃんは微笑んでいる。よく来たわね、いらっしゃい、と嬉しそうに話す。
「もうすっかり夜だね。星が見えやすくなってきた」
おばあちゃんはいつも少女みたいな人だった。おしゃべりが好きで、いつも笑顔を絶やさない。
「私の住んでる所はビル工事とかが進んじゃって、スモッグとかで星空が見えにくいんだけど」
私はおばあちゃんを見つめた。きらきらと瞳の中でまたたく小さな星。……夢見る乙女だ。
「ここはいつ来ても変わらないね」
セピア色の古ぼけた写真の中で、まだ若い男性と女性が寄り添うように一緒に写っている。赤ちゃんを抱いた女性は微笑み、男性は少し緊張しているのかいやに姿勢がいい。とても幸せそうな家族だ。その横には、おばあちゃんの写真がある。手に取ってみた。真っ白な長い髪、きらきらした瞳、笑顔。何年経っても変わらない。
「ねえ、おばあちゃん。私、また来るよ。来年も再来年も、遊びに来る。星を眺めてると、あの『お話』をいつも思い出すの。もうおじいちゃんには会えたよね? 今まで離ればなれだったんだもん、やっと会えたんだからいっぱいお話ししてね。ふたりはずっと一緒なんでしょ? よかったね。……あのね、おばあちゃん、私、勝手に砂時計を持ち出しちゃった。怒るかな。でも、私、どうしてももう一回、会いたい人がいるの。また会えたら、こんどは私がその人にたくさん『お話』をしたいんだ。昔私にしてくれたみたいに、楽しい『お話』をしたいの。……私、砂時計を回し続けるよ。だから、…………ね?」
最後の方は言葉にできなかった。
私はおばあちゃんの写真を元に戻し、手を合わせた。いつのまにか砂が下に落ちて終わってしまった砂時計を、もう一度傾ける。詰め込まれた白い星たちが、また静かに流れていく。私は砂の流れるさらさらという音を聞きながらその場を去った。
今日は星を見に行こう。
モチーフ:砂時計、星の砂
本日、陰暦七夕