連鎖の炎
さて、日露開戦直前です!!
長々と引っ張ります!
あと1話分ぐらい引っ張ります!
それでも、飽きずについてきてくださる方、大変ありがとうございます!!
次回は、海人と春雪の再開&日露開戦のお話です!!
開戦に備え、日本国内で準備が進められる一方で、ロシア国内は平穏そのものだった。ロシア皇帝ニコライ2世をはじめ、多くの重臣たちが日本との戦争は起こりえないと思っていからだ。
そもそも、日本のような小国がロシアのような大国とケンカしようというのが土台無理な話なのだから、ロシアの考えの方が道理にかなっている。
また、仮に戦争が起きたとしても、それはかなり些末な事でありロシア帝国の権威を妨げるものではないとされていた。
巨大な象が道を歩く時、足元にアリがいるからと言ってその歩みを止めることはない。構わず踏み潰し、何事もなかったかのように前へと進む。
日露の関係は、言わばこの象とアリの関係であり、別の見方をすれば、捕食者と被捕食者の関係とも言える。自然の摂理から言えば、小国日本は大国ロシアに飲み込まれるしかない。
だが、「窮鼠猫を噛む」と言う言葉があるように、捕食される側も常に食われてばかりではない。自分と仲間を守るために果敢に戦い、時にはそれらを撃退することもある。
何より日本は、すでに大きな実績を持っている。10年前の日清戦争で大国清を打ち破り、世界の考えを大きく覆した。
さらには、何処とも交わることを良しとしなかったイギリスを味方に付けその勢いは今だ止まるところを知らない。
ニコライ2世は、大いに悩んだ。彼はかつて親日家として有名だった。
20年ほど前の大津事件で負傷してからは態度を硬化させているが、それ以前は日本の文化や日本人そのものにも大変関心を持っていた。
そして、そんな彼だからこそ日本人の気質と言うものをそれなりに知っていた。天皇(皇帝)への忠義にあふれ、国を守るためには国民1人1人が死を恐れない屈強な戦士である。
もし彼らと戦えば、ロシアの敗北はあり得ないにしてもその国力が大幅に減少するであろうことは大倉大臣のヴィッテから進言されていただけに、どうにもいい予感がしない。
もし、ロシアのような大国が日本のような小国にてこずる事態になれば、それだけで世界の笑ものだし、抑圧している周辺諸国に示しがつかない。
かといって、ロシアが圧倒的な国力差を示してもイギリスとの関係が悪くなりかねない。
イギリスほどの大国が、日本との同盟にどの程度本気かはわからないが、せっかく手に入れた「欧州の平穏」に少なからずの亀裂を生むのは間違いないだろう。
この戦争はどちらに転んでも、ロシア側に利はない。現在逼迫した両国関係を何とかするには、日本側の要求を呑むのが一番手っ取り早いことだった。
その上で、改めて両国の意思表示を行い、日本との関係を回復すれば、伝統的に続く南下政策もより円滑に行える。
皇帝は聖断を下し、急ぎ電報を打った。宛先は、旅順要塞にいる極東軍総督エヴゲーニイ・アレクセーエフ海軍大将だった。
「総督、皇帝陛下から電報です…」
「寄越せ…」
アレクセーエフは、士官が持ってきた電報用紙を受け取るとその内容を確認した。
「なんだこれはっ!?」
「!?」
いきなり叫んだアレクセーエフに士官はびくりとなった。
電報には、「日本の提案を受け入れ、戦争回避に尽力せよ」と書かれていた。この内容は、朝鮮半島の利権や莫大な戦費着服などを考えていた彼には到底受け入れられないことだった。
「貴様、電報の内容は見たか?」
アレクセーエフは今にも破裂しそうなほど血管を浮き上がらせながら、士官に問い詰める。あまりの恐ろしさに、士官はぶんぶんと首を横に振った。
「これを受信した通信兵はすぐに始末しろ…それから、貴様もすぐにこのことは忘れることだ…我々はこのような電報は受け取っていない…そうだな?」
「は、はい!!」
士官は、勢いよく返事すると駆け足で部屋を出て行った。それを見届けたアレクセーエフは、電報用紙を破き、灰皿に入れてそこに火のついたマッチを放り込んだ。
こうして、日露双方の最後の希望は焼き払われた。その炎はあまりにも弱弱しく、まるで今の日本のように見えた。
だが、己の身勝手でつけたその小さな炎が、やがて300年に渡って栄え続けたロマノフ王朝を焼き尽くし、世界大戦と言う巨大な炎となることを、彼はおろか世界の誰も知ることはなかった。
1904年2月4日、日露開戦を決定する御前会議が招集された。実は前日、芝罘領事から「旅順艦隊出港、行方不明」と言う電報が入っており、前日に元老会議が招集されていた。
結果、会議は日露の関係決裂は決定的と判断した。
明治帝は何としても開戦を阻止できぬものかと、これまでの会議でも猶予を持たせていた。
しかし、今回ばかりは大臣たちも背に腹は代えられぬ状況だった。何としても開戦を決意してもらわねば時機を逸してしまう。各大臣が、今の日露の状況を奏上していく。
「ロシアがシベリア鉄道を完成させますと、ヨーロッパ方面からの、兵力輸送が容易となり我々には大いに不利になります」
「財政は決してゆとりはありません…しかしながら、どのような強国も戦費十分に開戦することはありません」
「すでに陸海軍共に、戦闘準備は万全です…飛行機も、機体性能を向上させた2型が約60機、さらにエンジンを強力にした3型が約20機…すでに部隊配備も済ませ搭乗員の育成も終了しております…」
大臣たちは口々に、開戦の準備はできている旨を伝えた。後は明治帝が開戦命令を発するだけだと。だが、彼は何としても戦争を回避したかった。もしロシアとの戦争になれば、日本は確実に滅びる。
「伊藤よ…」
「はい…」
「ロシアとの戦は止められぬのか…?」
明治帝は、元老の1人である伊藤に意見を求めた。明治帝と伊藤は、意見を対立させることもしばしばあったが、明治帝が最も信頼する人物であり、日露との戦争回避にも尽力している。
彼の口から一言「可能です」と聞ければいい。その場にいたもの全員が、またしても開戦は絶望的だと諦めかけた。だが、伊藤の言葉は全員の期待を裏切った。
「恐れながら…不肖伊藤、これまでロシアとの戦争回避に尽力してまいりました…しかし私の力及ばず、ロシア皇帝を納得させることができず、我が国の提案は受け入れられぬものと考えます…」
伊藤は握り拳をつくり、俯きながら悔しそうに言葉を絞り出した。明治帝は、伊藤の言葉に驚きを隠せ無かったが、ただ一言「そうか…ご苦労であった」と言うと、伊藤を下がらせ、聖断を下した。
「貴公らの話を聞き、最早ロシアとの戦は避けられぬものと理解した…だが、万難を排し犠牲を少なく速やかに戦乱を収める様、努力せよ…」
『ハッ!!』
御前会議の終了とともに、全員が議場を後にして各々の部署に戻る。そんな中伊藤は、かつて共に明治憲法の起草にあたった金子賢太郎を呼び出した。
「金子君…よく来てくれた…」
「いえいえ、伊藤さんが及びとあらばどこへでも行きますよ…それで、私に頼みとは如何様なことですかな?」
「ウム…」
伊藤は、少し曇った顔になり言葉を詰まらせたが今一度決意を固めると、金子に向き直り、言葉を発した。
「今日の御前会議で、日露の開戦が決定した…」
「っ!?」
金子は驚いた。何せ日清戦争のときでも、明治帝は最後の最後まで渋った挙句、開戦を許可した後も「これは大臣たちの戦争であって、朕の戦争ではない」と非干渉を貫いていたのだ。
今回のロシアとの戦争も、明治帝は何とかして回避するように指示を指していた。何より、目の前の男がその中心であったことは、金子自身もよく知っている。
「それで金子君…君にはアメリカに渡ってもらいたい…」
「アメリカ…ですか…?」
「ああ…たしか君は、アメリカのルーズベルト大統領とハーバードでの学友だったな?」
「はい…そうですが…」
「私の考える限り、大国ロシアを講和のテーブルに着かせられるのはイギリスかアメリカだけだ…だがイギリスは、我が国と同盟を組んでいる以上中立の立場にはなれん…」
「つまり、講和の下準備をしろ…と言う事ですか?」
「その通りだ…」
「私などに出来るでしょうか…」
金子は不安に駆られた。何せ相手は、かつての学友とは言え一国家の指導者だ。それも日本の何十倍もの大国を纏めるほどの手腕の持ち主である。
自分が行って、どうにかなるものか。金子がふさぎ込み、回答を渋っていると、伊藤が発破をかけた。
「君は、成功不成功の懸念の為に言葉を渋るのか…今度の戦は清の時よりも過酷なものになる…当然、陸海軍も、金を出す大蔵も、政府内の誰1人として日本が勝てるなどとは露ほども思っていない…この伊藤自身も、満州で陸軍が敗れ、対馬に海軍が沈み、露軍が海陸から迫ってくれば、兵卒として鉄砲を担ぎ、命ある限り露軍を迎え撃つ覚悟だ…露軍に日本の国土を一歩たりとも踏ませたりはせぬ」
金子は強い衝撃を受けた。今まで伊藤の覚悟を知らなかったわけではなかったが、実際に言葉にされ、態度で示されると大きな違いがある。彼は、アメリカへ行くことを承諾した。
陸軍は、井上光中将指揮する福岡県小倉の第12師団に動員令を発令。さらに、民間輸送船3隻(小樽丸、大連丸、平壌丸)を徴発した。
海軍も直ちに戦時編成に移行し、横須賀・呉・舞鶴をはじめとする各軍港・要港から主力艦隊が佐世保に集結した。
―1904年(明治37年)2月4日京都府舞鶴
「東郷長官!!全艦隊に、出撃命令が出ました!!「連合艦隊各艦ハ、直チニ母港ヲ出港、佐世保ニ集結セヨ」以上です!!」
「ウム…」
通信士官の報告に、東郷平八郎中将は短く頷き、舞鶴の各隊に出撃命令を出した。
パララ、パララ、パララッラッララー
「出港ヨーイ!!」
出港用意を知らせるラッパが鳴り、水兵たちが各持ち場に着く。海人も急いで艦橋に上がる。
「抜錨!!両舷微速前進!!」
「抜錨!!両舷微速前進!!」
艦長の号令を、副長が復唱し、「三笠」の各部が動き出す。
「戦艦「三笠」、発進!!」
2本の煙突から黒煙が立ち上り、2軸のスクリューがゆっくりと回転を始める。
ボーッ
出港を知らせる警笛があちこちで鳴り、「三笠」を始めとする舞鶴艦隊は母港の山々に別れを告げながら、日本海の荒波の中へとその姿を消した。
「全艦隊、佐世保に進路を取れ!!」
「ハッ!!操舵手、とーりかーじ一杯!!」
「了解!!とーりかーじ一杯!!」
艦長からの指示を受けた航海長が、具体的な進路を指示し操舵手の松川に伝達する。伝達を受けた松川が舵輪を左に回すと、艦が右に傾きゆっくりと左へと回頭する。
「荒れるな…」
操舵艦橋から、荒れ狂う波を見ていた海人が呟いた。
日本海は、ユーラシア大陸と日本列島に囲まれた半地中海でありながら、冬場は大陸からの高気圧と太平洋側からの低気圧の影響で大陸からの強い季節風を受けて大きく荒れる。
これが、〝シベリア寒気団″と呼ばれるものであり、何百年もの間ロシアの地を守り続ける名将「冬将軍」である。
海人にとって、まるでこの強風と荒波が冬将軍が自分を試しているように思えた。
(貴様の覚悟はどの程度だ?)
(その覚悟は本物か?)
(貴様がそこにいる意味はなんだ?)
様々な問いかけが、彼の脳裏に木霊する。
「海人!!」
「三笠…」
物思いにふけっている海人に、三笠はいつも通りの明るい笑顔で話しかける。だがその顔には、僅かながらに緊張と恐怖の色が伺えた。
「ついに、始まるんだね…」
「ああ…」
「佐世保に着いたら、お姉ちゃんたちを紹介するよ!!皆かっこよくて、強くって、きれいで、ボクの憧れなんだ!!」
「そっか…楽しみにしてるよ…」
「うん!!」
そういって三笠は無邪気な笑みを見せる。僅かな時間でも、戦いへ赴く恐怖を抑えられればと、海人も笑顔で返す。その笑顔は、やはり幼馴染の少女と重なった。
艦隊は、彼女がいるであろう佐世保へと向け、荒波の中を進む。少年は、大きな選択を迫られていた。
ご意見ご感想をお待ちしております