戦乱の中で
今回は義和団事変が飛行機開発に関わってくるお話です。因みに、作中の無線機は三六式無線機のように大層なモノではなく、火花式無線機と言う、コイルと電鍵を組み合わせた簡素なものです。使うとかなりうるさいうえにところ構わず電波を飛ばすそうですが、当時は無線機自体がかなり珍しいから使う分には問題ないだろうと思い採用に至りました。今やるとケータイやテレビなどに無差別に障害を与えるそうなので絶対にやらないでくださいね。
あと、この話で出てくる飛行機は近々CG画像をpxivにUPします。ご参考までにどうぞ。
それにしても、プロローグ以降全然主人公出てこねぇ…多分次話かその次位には出るはず!!たぶん…
この作品はpixvでも投稿しています
初飛行の後、山本から開発続行の命を受けた開発陣は、休む暇なく次なる飛行機の製作の取りかかった。
今回は飛ぶことだけが目的だった玉虫型飛行機とは違い、これまでのデータや経験を踏まえて、より実用的な機体を目指し様々な変更が加えられた。
前回の実験成功が開発陣に心の余裕を産み、設計・製作は順調に進んでいた。だが、責任者の真之とっては、今のままの少数精鋭はあまり好ましくなかった。彼は、陸軍などにも研究を公開して共同で事に当たるのが妥当だと考えていたからだ。
国から正式に予算や物資、人員が集まれば、研究は飛躍的に進み、生産体制も整えやすい。なにより創設以来歩調がずれ気味な両軍の仲を取り持つこともできる。
しかし、この研究の発端が山本の陸軍への対抗意識がきっかけである以上、それをさせるには〝よほど″のきっかけが必要だった。
真之は、「自分がそのきっかけを作るべきでは?」と知恵を巡らせたが、なかなかいい答えが浮かばず苦労していた。何より、山本が研究を後押しするように陸軍への対抗意識を強めさせたのは他でもない真之自身なのだ。その彼が何を言っても山本は聞かないだろうし、下手をすれば人事異動や計画の進行にも関わりかねない。
真之が頭を抱えていた頃、アジアの大国清で大きな動きが起こり始めていた。
日清戦争後、列強の干渉が強まる中、清国山東省でこの土地の自警団が地元住民と対立していたカトリック信者や神父の殺害・暴行、協会の破壊などを行うという事件が起きた。当時、この辺りに進出していたドイツは清国政府に抗議を行ったが、地方官達はこれに消極的でむしろ正規の自警団とする動きすらあった。これは列強からの批判を産み、地方官達は更迭され、代わりに猛将袁世凱がこの討伐にあたった。
先の動き以降、義和団と呼ばれるようになった彼らは、山東省から追い出されるや北京~天津間に根城を移し、そこで急速に巨大化していった。これは、この地域に難民が多かったこともあるが義和団のスローガンが「扶清滅洋(清を扶け洋を滅する)」(他にもバリエーションがある)と言う清朝よりのモノであり、山東省同様多くの高官が同情を覚え、徹底した弾圧に至らなかったためである。
義和団は、中国人クリスチャンや外国人はもとより、舶来品を扱う店や電柱、鉄道などおよそ西洋と結びつきのあるものを次々と攻撃対象にし、次々と襲った。
列強は事態の収束を清国政府に求めたが、やはり対処は延々として進まなかった。事態が深刻化しつつある現状に危険を感じた北京の各国大使館はすぐに軍の派遣を要請した。
そして列強は義和団対処遅延の代償として大沽砲台の引き渡しを要求してきた。この砲台は、天津・北京へ遡上する艦船へ睨みを利かせる重要な施設であり、いわば国防の要である。
当然清国側はこれを拒否したが、その直後、派遣されてきた連合軍によって攻め落とされた。これが最大の引き金となり、清は列強8ヶ国(日、英、米、露、独、仏、伊、墺)に宣戦布告を行った。
だが、すでに弱体化を迎えている清国にとってこの行動はあまりにも無謀だった。清国側は、義和団、正規兵を問わず士気はすこぶる高く、戦力も圧倒的だったが(連合軍2万弱に対し義和団だけで20万)、これだけの部隊を組織的に運用する術を持っていなかった。また、銃砲などの近代火器を持つものは少なく、これらの扱いにも慣れていなかった。それゆえ清国側の被害は甚大で、連合軍との各戦場跡には数千人単位の清国兵の遺体が並んだ。
8ヶ国の混成軍とだけあって、その足並みはなかなか揃わなかったが、8月14日には北京攻略を開始。翌15日に陥落させた。ここから連合軍は1年間駐留することになる。
この駐留期間、各国は清での権益拡大の為に鎮圧時よりも軍を増強させた。これに最も積極的だったのが不凍港を求めて南下してきた帝政ロシアと、それに脅威を感じ牽制の為に部隊を送り出した日本だった。この事件は、身長滅亡の遠因であると共に、日露戦争の引き金ともなったのである。
ただ、この出兵は日清戦争後間もない日本にとっては財政的に厳しいものがあった。実際、北京などで起きた金品の略奪は日本が最も多かったと言われている。そんな中で、最近海軍の使途不明金が急増しているという議題が帝国議会に上がり、責任者である山本が議会に足を運ぶこととなった。この話を聞いた真之は、これが最後のチャンスだと、議会出頭前の山本の元を訪ねた。
「山本大臣!飛行機開発費の事で議会から追及を受けたと聞きましたが…」
「ああ…まあ安心しろ、この命に代えても機密は一言たりとも洩らさん!!」
議会からの出頭命令を受けているにも拘らず、山本はひどく落ち着いていた。
「いいえ、むしろここでこの研究に関する情報を開示すべきです!!」
「なんだと?」
真之からの言葉に、山本は眉を顰め明らかに不機嫌なオーラを出す。その勢いに、さすがの真之も一瞬たじろいだが、負けじと自分の意見を出した。
「もはや現状のままでの開発や生産は、我が海軍の規模や人員配置の面からも不可能です…何よりこれ以上の情報秘匿は我が海軍の立ち位置を劣悪なものとします…ロシアとの戦争を見据える上でも、陸軍との協力体制を確立するのは重要です…」
「フム…貴様の言い分は理解した…飛行機の件もあることだし、貴様の意見を採用しよう…」
「ありがとうございます!!」
真之は生きおい良く頭を下げた。確かに研究開始は陸軍への対抗意識があった訳だが、山本は決して感情だけで動く愚かな男ではない。現実はしっかりと見据えている。実際、海軍の予算だけではこれ以上の開発は難航することは彼自身も分かっていた。
「所で秋山…先だっての実験以降に製作を始めたという、新型機はどの程度進んでおる?」
山本は、話題を現在の開発状況の話に切り替えた。4月の実験以来、ゴタゴタが続き状況を把握できずにいたのだ。
「はい、現在機体設計を終え組み立てに入っております…早ければ8月の終わりか、9月の頭には実験飛行ができるものと考えます…」
「フム…エンジンの方はどうか?」
「機関部との打ち合わせで現在用意できるのは30馬力が最大だそうです…しかしながら、現在国内外での研究・開発が進んでおり、将来性は十分とのことです…」
「実用性はどの程度だ?」
「はい…計画段階でありますが、操縦員と着弾観測などの除去う把握を行う搭乗員をもう1名乗せ、無線機により陸上との通信を確保します…現在考えられる限りでは、最良と思われます」
「了解した…ならば陸軍などへのお披露目はそいつ使おう…」
「分かりました…他の者にもそう伝えます…」
真之は、山本に敬礼し海軍省を後にした。彼の話した新型機は前回の玉虫型から操縦性を一新し、視界の確保や尾翼を上下させる機構(昇降舵)などを備えている。これでも後年の航空機に比べれば運動性は劣悪だが、この頃はまず敵となる戦闘機から逃げる必要がないので飛ぶのに支障がなければ問題とはならない。
形式は、複葉複座単発でエンジン出力は30馬力。外見的特徴は牽引式(機体の前方にエンジンがある)と根元付近で折れ曲がったガル翼で、先に述べたとおり日本機(正確には忠八系列)の特徴となっている。彼が設計した翼は、一度は製作困難などの理由から打ち捨てられたが新設計の機体では、翼の位置が絶妙でパイロットの視界を奪う危険が生まれたためその解決策としてこのような外見となった。
因みに、当時は上下の翼が鳥の羽ばたく動作に見えることからFlap Wing(フラップ翼:羽ばたく翼)と呼ばれていた。現在では、フラップと言う単語は操縦機構の1つに使われるようになったため混同しない様に後年ガル翼に改められた。もちろん、この頃はまだ空力的性能はよく解っていなかったので、彼らがこの形を採用したのは単なる偶然である。
エンジン配置が変更(玉虫型は機体後部にエンジンとプロペラをつけた。これを推進式と言う)になったのは、搭乗員同士の会話をしやすくするためと、機体の強度を確保するためである。
新型飛行機は、縁起が良く勇猛なイメージがある鷹から名前をもらい若鷹型飛行機と呼ばれた。若鷹型飛行機は、予定通り8月中に製作を終え、9月からは飛行試験が行われた。パイロットは前回同様忠八が勤め、最初は忠八だけが乗り込み上々の成果を残した。次に後部座席に真之を乗せて再び大空を舞った。さすがに2人乗せると先ほどよりも動きが重くなったが、飛行試験は問題なく終了した。
その後日、実験飛行場には内閣総理大臣の山形有朋をはじめ、内閣を形成する各大臣が集まった。また、忠八自身の希望で陸軍の大島中将と正岡大佐も呼ばれた。この2人は忠八が飛行機開発を持ちかけた相手だったが、忠八自身の売り込み不足や飛行機自体の確信が持てなかったこと、持ち出した時期が日清戦争の最中だったことなどの理由で協力を拒否していた。
飛行場に来た面々は、その真ん中にある飛行機に目を丸くした。今まで見たこともないものを見せられたのだから、当然である。飛行機の存在に仰天する面々に対し、開発陣は慣れた手つきで飛行準備を進める。
多くの人々が見守る中、忠八が若鷹型飛行機に乗り込みエンジンを始動させる。機体が少しずつ動き出し、ある程度滑走すると何の苦も無く大空へと舞い上がった。その光景を見たほとんどのものが目の前の光景を見て唖然とした。
10分程度上空をグルグル回ると、忠八は飛行機を着陸させ観覧者全員に向かって言葉を放った。
「どうですか?これが飛行機と言う乗り物です!!これはまだまだ余力を残しておりますが、私だけが空の旅を楽しむのは申し訳ないので希望する方はどうぞ後席へお座りください!!」
この言葉に、興味を持った数人が順次乗り込み遊覧飛行を楽しんだ。そして、この研究を国家規模で行う旨が即日その場で決定された。因みに、大島と長岡は忠八に対して丁寧に謝罪し以後は開発に積極的に協力することを約束してくれた。
飛行機の開発は、ここから一気に躍進していくこととなる。
ご意見・ご感想をお待ちしています