猫の番になりまして~運命の方は12年遅刻したうえに窓から来ました~
――そなたは普通には結婚はできないだろう。
わたし、ミリア・エルフォードが12歳の誕生日を迎えた月、老聖女シビュラさまはわたしの顔をじっと見て、そう言いました。
たしかシビュラさまは当時、御年102歳でした。
人の〝さだめ〟を視る。神眼を持つ聖女として、長きにわたって12歳の誕生日を迎えたこの国の男女のさだめを視てきたのです。
といっても、ほとんどの人は「良き人生を送るだろう」などと抽象的で優しい言葉をかけられるだけ。
国に大きな影響を与える人物、特殊な力を持つ者、そういったさだめを持つ者だけに別の言葉をかける。長らくそのようなしきたりとなっていました。
そんなシビュラさまが、わたしを見るなり、「普通には結婚できない」と言ったのです。
「え、聖女さま、わたしは結婚できないのですか?」
シビュラさまに話しかけるのは禁止なのに、わたしは思わず聞き返してしまいました。
それくらい12歳のわたしにとっては結婚できないというのはすごくショックなことだったのです。
それにエルフォード男爵家の娘としても、結婚できないということは問題のはず……。
「いや、『普通には』と言ったはずじゃ。ある種の結婚はできる。そなたは〝運命の番〟となるさだめ」
――運命の番。
それは獣人や竜の血統の方々のある種の直感に基づく結婚のことでした。
人間と違い、自分の運命のパートナーを本能で察知し、その者と一生添い遂げるのだということでした。
「その方がわたしに会いに来てくれるということですか?」
「さよう。運命の番は、必ずそなたの前に現れる。運命の時を待つがいい」
シビュラさまはそう言って優しく微笑んでいらしたのですが……
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◆
それから12年の月日が流れ、わたしは24歳になった。
驚いたことに、24歳になった時点でも、運命の人はいまだ現れていなかった!
さすがにわたしは待ちくたびれていた。そして焦っていた。
この国における貴族令嬢の結婚適齢期は十代後半だ。
20歳を超えて結婚していない令嬢は稀、婚約すらしていないとなると極めて珍しかったのだ。
「お義姉さま、待ち人がなかなか来ないわね。心配しちゃうわ」
わたしにいつもそう声をかけるのは義妹のカテリーナだった。
その言葉に反して、まったく心配している様子はない。
カテリーナはわたしの五つ下で当時は19歳、父の再婚相手の娘で、すでに婚約相手がいて、近く結婚式を挙げる予定だった。
結婚のお相手はダルトン・ガルドス。
ガルドス子爵家の子息、再婚で年齢はカテリーナよりかなり年上の30歳だった。
「ほら、私、三か月後には結婚式でしょ。そのとき、お義姉さまが恥ずかしい思いをしないといいなって思ってるの」
カテリーナはいつもわたしを心配しているとの建前で話すが、毎回その話の内容は自慢と嫌味だった。
「5歳も離れた義妹の結婚式に独り身で出席って、とっても恥ずかしいじゃない。だから、そんな目に遭わせて、申し訳ないなって。だから、もしアレだったら欠席したっていいのよ」
カテリーナは幼い頃からわたしといろいろと張り合い、勝つのが大好きだった。
事細かに小さなことで勝っては、義母に褒められるそれを好んでいた。
だからわたしよりも早く結婚し、わたしよりも高い家格の家に嫁ぎ、わたしよりも豊かに暮らす。それを望んでいた。
だからあえて離婚歴があることに目をつむって、財産があり、家格が上のダルトンを選んだのだ。
でも、わたしが結婚しない限り、完全な決着はつかない。完全勝利を望むがゆえカテリーナはこうして心配しているフリでわたしに結婚を急かすのだろう。
「運命の番さんはもう来ないんじゃないですか? 諦めて、別の方を選んでみては?」
カテリーナはことさら親しげに柔らかい口調で言葉を続けた。
「お姉さまなら、かなり行き遅れとはいえ、もらってくれる人もいるのではないですか? 男爵家や、爵位がなくても、商人の方とか、えり好みしなければ間に合いますわ」
「心配ありがとう。でも、わたしはシビュラさまの言葉を信じるから」
「あの聖女さまもずいぶんとお歳だから、間違われたんじゃないかしら。だって、1000歳を超えてたんでしょ。神眼も曇りますわよ。もしかしたら次の人と間違えて視ちゃったとか」
クスクスと笑うカテリーナ。話すうちに、だんだんわたしを見下した態度を隠さなくなってきた。
「まさか、このままずっと家に残るつもりじゃないでしょうね。困るわよ」
そう言葉をつけ加えたのは、父、ハロルド・エルフォードの後妻、わたしの義母カミラだった。
「この家はセオドアが継ぐんだからね、あなたがこのまま居残っても、財産分与なんてしないわよ」
セオドアとはわたしの義理の弟だ。年齢は11歳。
義母はわたしがこの家に居座って、弟に代わって女性当主としてこの家を継ごうとしているのではと疑っていたのだ。
もちろんわたしはそんなつもりはない。
老聖女から言われた神託を信じてその時を待っているだけだった。
すっかり大人になってしまったが、胸のときめきは、12歳の少女だったあの頃のまま。変わることなくキラキラと輝いている。
まだ見ぬ初恋の相手を待ち続ける乙女の気持ち――。
「お義母さま、わたしは居座るつもりは毛頭ございませんので」
「本当に? じゃあいつまでいるつもりなの?」
「それは……その日が来るまで」
「本当に来るのかしら? そろそろ諦めてほしいんだけど」
「もう少し待っていただけると……」
「まあ、もう少しいいじゃないか。私ももう少しミリアを家に置いておきたい」
この話題になると、かばってくれたのはいつも父だった。
父に言われると、義母も反論できず、不満そうな顔で、ブツブツ文句は言うものの、しぶしぶ引き下がる。ここ数年はそんな展開がお決まりだった。
でも……。
それにもやがて限界がきて……。
◆
「どうだ、そろそろ別の縁談は」
父がそう言いだしたのはわたしが神託を受けた日から数えて12年と1か月後のことだった。
「どうしたの急に?」
「まあ、なんというか……あれだ」
父が言い難そうにしていると、義母が代わりに話しはじめた。
「ラファエルさまが婚約を発表されたのよ」
ラファエルさまとは現在の王様の甥にあたる方だった。
なるほど……。
その名前を聞いて、言わんとすることがすぐに察せられた。
現在の王族、オルティス家は竜の血を引いており、結婚相手として、運命の番を求めることがあった。
つまり父と義母は、もしわたしを運命の番だと認める者が現れるとすれば、オルティス家の誰かだろうと推察していたのだ。
しかし、時は流れて、現在オルティス家の人間で唯一のわたしと年齢的に釣り合いそうな未婚の男性だったラファエルさまが婚約を発表され、オルティス家との結婚、つまり王家の外戚になる可能性はなくなったということだった。
いつもわたしを疎んじていた義母だったが、外戚になるチャンスには賭けたかったらしく、これが理由で、もう少し待つことに同意してきたのだ。
その可能性がなくなれば、わたしはもはや邪魔者。
これではもう父も義母を説得できないだろう……。
つまり、これは間もなくわたしに縁談が持ち込まれるということを意味していた。
そして、その悪い予感が的中したことがわかるまでそれほど時間はかからなかった。
神眼の予言を受けて12年と1か月と1週間後。
「カテリーナがいい縁談を探してきてくれたのよ。あの子、いつもあなたのこと心配してるから」
父と義母、そしてカテリーナとの夕食、その最初の一皿がテーブルに届いてすぐに義母がそう言った。
「アルベルト男爵ってご存じ? 年齢は38歳でちょっとお義姉さまより年上だけど、まだ一度も結婚されてないのよ」
アルベルト男爵……。その名は知っていた。
悪い意味で。
たしか収賄の容疑で捕まったはずだった。
この年齢まで結婚していない理由も最近まで牢獄に入っていて、結婚どころじゃなかったからだった。
「ほら、悪い噂は多少ある方だけど、男爵家にしてはずいぶんとお金持ちみたいよ。それに実際にお会いすると、人当たりはいいって聞くわ」
カテリーナは必死に笑いをこらえながら言った。
「……お父さまもそれをお認めに?」
「いや、あくまで候補だ。他にもしっかりと捜すつもりだ。安心しろ」
もちろんこれはカテリーナが嫌味で探してきた縁談だった。
そんなことはわかっていた。
でも、ショックだったのは、縁談を探すこと自体には父が納得しているということだった。
もう、運命の番はあきらめる。それが大前提になっているということ。
ついにタイムリミットが来てしまった。
わたしの初恋はこれで終わり――。
わたしの心の中でずっと大切にしていた宝物。
いつか運命の人が迎えに来てくれる。このことを信じるだけで、わたしはまっすぐに生きることができた。つらいことがあっても耐えることができた。
この想いがわたしを守ってきてくれたのだ。
でも……。
もうこれを捨てないといけない。
わたしがこれまで頑なに拒み続けたその決心をしようとした、寸前――。
「よいしょ、ちょっと失礼するよ」
――その方は突然、窓からやって来た。
すらりとした長身。端正な顔立ち。グリーンの瞳が特徴的な大きな目。そしてなにより目を引くのは、頭髪の中からひょこっと伸びる猫耳。
「やあ、お待たせ。さあ行こうか」
その方はわたしを発見するとまっすぐに歩み寄り、わたしに向かって手を差し出した。
突然の侵入者。しかも、ドアではなく窓からの堂々たるお出ましに、食堂は水を打ったような静寂に包まれた。
「な、ななな、何者だ、君は! 誰か!」
最初に我に返ったお父さまが、あわてて立ち上がって叫んでいた。
「ひぃっ、強盗!? いやよ、私の宝石は絶対に渡さないわ!」
義母が首元のネックレスを両手で隠し、悲鳴を上げていた。
無理もない。ここは宮殿ほどではないものの、それなりの規模がある男爵家の邸宅の二階。そこへ音もなく、しかも信じられないほどの美貌を持つ青年がひらりと舞い降りてきたのだから。
でも、わたしは恐怖よりも先に、胸の奥で鐘が鳴り響くような、不思議で強烈な引力を感じていた。
「……運命の、番さん、ですか?」
差し出された手を見つめたまま、無意識にそんな言葉が口を突いて出ていた。
「うん。ごめんね、ちょっと遅れちゃった」
青年は悪びれる様子もなく、ふにゃりと愛らしい笑顔を浮かべた。その頭の上で、黒い猫耳がピコッと動いた。
「ち、ちょっと遅れたって……、12年も待ってたんですよ!」
感極まるよりも先に、つい恨み言が出てしまった。
「こっちも大変だったんだよ。ボクが受けた神託、知らないでしょ? キミがシビュラさまに神託を受けた同じ頃、ボクもゼーヴェンでシビュラさまのお姉さんから神託を受けたんだ」
ゼーヴェン王国はわたしたちのオルティシア王国から南方の海を渡った別の大陸にある国だった。どうやら、随分と遠くからいらしたようで……。
「ねえ、聞いてよ、どんな神託だったか、『この世界のどこかにそなたの運命の番がいる。捜すがよい』だって、酷くない? これでも頑張って、捜し回ったんだよ」
「そんなに捜してくれたのですか?」
「船で何か国も回ったよ。ま、おかげで商会にいくつか支店ができて、儲かったけどさ」
「商会、ですか?」
「うん。あ、申し遅れたね。ボクはフェリックス。フェリックス・フォン・グランディエ。今日から君の夫になる男だよ」
フェリックスと名乗ったその猫耳の美しい青年は胸に手をあて、わたしに向かって恭しく礼をした。
その名前を聞いた瞬間、お父さまとお義母さま、そしてカテリーナが「ひっ」と息を呑むのがわかった。
「グ、グランディエって……あの、世界中の物流と金融を牛耳っている〝グランディエ大商会〟の総帥……⁉」
「たしか、オルティシア王国、ゼーヴェン王国、ポルトス帝国の三カ国で公爵位を持っていらっしゃる」
カテリーナとお義母さまの声が明らかに裏返っていた。
それもそのはず。グランディエ大商会といえば、世界最大の商会。各国の王家に莫大な資金を融資しており、国王であっても頭が上がらない、そんな存在だった。
そのトップが、こんな窓からふらりと現れる青年だなんて。
「といっても、まだ跡を継ぐ前なんだけどね。グランディエ家は運命の番を見つけて、結婚してから跡を継ぐ、そう決まってるんだ」
フェリックスは「これで国に戻って跡を継げる。ちょっと遠いけど一緒に来てくれるよね」とつけ加えると、わたしに向かって改めて手を差し出してくれた。
「わかりました」
否も応もない。
わたしはこの日をずっと待っていたのだ――。
相手がグランディエ大商会の次期総裁とは驚きはしたが、実のところ、そんなことはどうでもよかった。
諦めかけた運命の人にやっと出会えた。
そのことが嬉しくて仕方なかった。
「え……? ちょ、ちょっと待って」
それまで呆然としていたカテリーナが、ガタッと椅子を鳴らして立ち上がった。
「あのっ! フェリックスさま、ですよね? 初めまして、私は妹のカテリーナと申します!」
カテリーナは声のトーンを三段階ほど上げ、胸元を少し強調するようにフェリックスさまへすり寄った。
「こんな行き遅れの地味な姉が運命の番だなんて、何かの間違いではありませんか? 姉よりずっと若くて、あなたさまにふさわしい洗練された淑女が、ここに……っ」
上目遣いで、とびきりの色目を使ったカテリーナ。
しかし……。
「フーーーーーッ!!」
フェリックスさまはカテリーナを睨みつけると、鋭い犬歯をのぞかせ、威嚇の声を上げた!
「おまえ、キライ!」
「ど、どういうことです?」
「なんとなく匂いでわかるんだよな。お前、オレの大事な人にイジワルしたな」
フェリックスさまは、カテリーナに向かって鼻をひくひくさせると、もう一度、「フーッ!」
と、威嚇の声を上げた。
「あの、娘はそんなつもりではなくて、あくまでアドバイスしていただけでして。それでどうでしょうか? カテリーナも番にふさわしいと思うのですが、どうか、ご一考を――」
「おまえ、もっとキライ!」
話の途中で義母に向かって、「フシャー!」っと牙をむくフェリックスさま。
神猫の血を引くフェリックスさまには、独特の感覚があるようだった。
義母に牙をむき終えると、フェリックスさまは呆然と成り行きを見つめていたお父さまの元へと猫のようなしなやかな足取りで歩み寄り、父に一礼したのだった。
「改めて、お義父さま、ボクの運命の番、ミリアさんを妻に迎えます。これからよろしく」
それは父の許しを得る〝お願い〟ではなく、決まったことを告げる〝宣言〟だった。
もちろん、相手はグランディエ商会の次期総裁。拒否するという選択肢はないのも同じ。
しかし、不思議なことにその言葉と態度には大商会の跡取りの傲慢さは感じなかった。
むしろ、強く感じたのは番を見つけた神猫の血を引く者の強い意志。
そのグリーンの目は意思の力でキラキラと宝石のように輝き、それ以外の生き方などできないと宣言しているかのようだった。
◆
――それからわずかひと月後。
フェリックスさまとわたしの結婚式はそれはそれは大々的なものだった。
わたしとしてはこじんまりとした式を希望したのだが、グランディエ大商会の総裁となるフェリックスさまの運命の番の披露とあってはそうはいかなかった。
列席者は各国の王族を中心として、上位貴族、そして大豪商のみなさん。大きな教会の司祭長も何人もいて、神に誓い放題の状態。
もちろん、父と義母にも参加してもらった。そして妹はというと、なんと、挙式の日程を前倒しして、わたしよりも先に結婚して、ダルトン・ガルドス子爵夫人として参加したのだった。
さすがに結婚披露の宴は前倒しできず、教会での誓いだけ先に済ませたのだとか……。
わたしよりも先に結婚することは彼女の昔からの目標、それをなんとしても達成したかったのと、そして、少しでも爵位を上げたかったのだろう。
残念ながら、わたしたちの結婚式においては、元の男爵家の娘と子爵家の妻では誤差にしかすぎず、誰も気にしてくれなかったのだが。
なにせ、カテリーナのお隣の席はゼーヴェン王国の国王陛下だったのだから……。
別にわざとそうしたわけではない。席次的に親族の次の席が、列席者の中で一番高位の方になるので、必然的にそうなっただけだ。
それにしても可哀想なのはダルトンさんだった。
他国の国王陛下の隣での食事とあっては緊張で喉も通らず、ずっとナイフを持つてがぷるぷると小刻みに震えていた。
それはさておき、式はつつがなく進行した。
そして、華々しい宴の最後、フェリックスさまは席を立つと、手を引き、わたしの身体を抱き寄せた。
「これで運命の番の契りが結ばれた。この人の喜びはボクの喜び、この人の悲しみはボクの悲しみ。ボクはこの人を一生守る。それを覚えておいてくれ」
フェリックスさまはそう言うと、人目もはばからず、わたしの肩に自分の頭を寄せてぐいっとこすりつけた。
誰の目から見ても心からの愛情表現。その姿に自然に拍手が沸き起こった。
ちなみに式に参加してくれたゲストの皆さまへの贈り物、ウェディング・フェイバーなのだが、なんと段ボールの小箱だった。
段ボールとはシルクハットの内側につけるクッションとして発明されたのだが、それをフェリックスさまのグランディエ商会が運搬のための軽くて丈夫な箱として改めて開発。今後の物流を一変させる画期的な運搬用資材として披露したのだが……。
「あと、入るとめっちゃ気持ちいいぞ!」
フェリックスさまが自ら用意したピッタリサイズの特製段ボールに収まって見せ、会場は変な空気になったのだった。
そんなこともありつつ、つつがなく式は進み、式の終了をもって、わたしは正式にフェリックスさまの運命の番となったのだ。
◆
それからの日々は瞬く間に過ぎていった。
フェリックスさまは大商会の主とあって、船での移動が多いのだが、水が大の苦手で、船上での仕事はわたしがサポートする必要があった。
ちなみに、フェリックスさまの開発した段ボールは、軽くて丈夫ということで船の荷の積載量を大いに上げ、グランディエ大商会の売り上げを大きく伸ばしたのだった。
商いをしながら、一緒にいろんな国を回り、いろんな景色を見て、いろんな人に出会った。
そして、結婚して5年後には子宝にも恵まれた。
グランディエ商会の跡取り息子ということになるのだろうが、気になるのは運命の番のこと。
やはり、フェリックスさまと同じように、運命の人を捜して旅に出るのだろうか?
どうなるかわからないが、きっと本人の直感に任せればいいことになるはずだ。
ちなみにわたしの実家エルフォード家はというと……。
無事に父と義母の息子セオドアが継いだ。
といっても、セオドアは商才に乏しく、紡績事業で失敗し、損失を補填する代わりに、エルフォード家の屋敷と土地、紡績工場をわたしが買い取ったのだが。
そういう意味ではセオドアはエルフォード家の当主でもあり、我がグランディエ大商会の従業員でもあった。
一方のフェリックスさまの商才は目を見張るものがあった。細かい計算は苦手なのだが、次の流行を見抜く先見の明があった。
「猫の勘は鋭いからな」
本人曰く、神猫の血を引く者は驚くほど勘が鋭く、それが代々グランディエ大商会が繁栄してきた理由なのだそうだった。
フェリックスさまもその神猫の勘でいくつかビジネスを成功させたのだが、わたしの前ではゴロゴロと喉を鳴らす甘えん坊の猫そのもの。
そんな愛しい彼との毎日は、数え切れないほどの幸福で彩られていった。
◆
――そして、25年の月日が流れました。
フェリックスさまもわたしも五十歳が近づいていました。
獣人、特に神猫の血を引く者の寿命は人間よりも少しだけ短いのです。
フェリックスさまは、一日のほとんどをうつらうつらと眠って過ごすようになりました。
よく晴れた、春の日の午後。
フェリックスさまはいつものように、テラスでわたしの膝の上に頭を乗せて、気持ちよさそうに目を細めていました。
わたしは、昔から変わらない彼のふっくらとした猫耳を、優しく撫でていました。
「……ごめんね、ミリア」
微睡みの中、フェリックスさまがぽつりとつぶやきました。
「そろそろお別れみたい」
「……」
「迎えに来るのに、あんなに待たせちゃったのに。……ボクのほうが、少しだけ早く行くことになっちゃうね」
その声はひどく弱々しく、けれど、とても穏やかでした。
視界がふわりと滲みました。わたしは涙を堪えて、彼の額にそっとキスを落としました。
「待ち合わせにはあんなに遅刻してきたのに、帰るのだけは早いんですね。自分勝手で、マイペースで……本当に、困った猫さんです」
「ふふ……っ。ミリアは、怒った顔も可愛い……」
フェリックスさまは、最後の力を振り絞るように、わたしの手首にすりりと頬を寄せました。親愛の情を示す、あのいつもの仕草で。
「猫の血を引く者はね本能が人間よりもずっと強いんだ。だから運命の番を見つけることができる。それは知っているよね」
「ええ、もちろん、こうして見つけていただけましたから」
「あの日のこと。いまでも覚えているよ。キミを見た瞬間、ボクの本能がね、語り掛けてくるんだ。『この人だよ!』って」
「わたしもはっきりと覚えてます。窓から現れてまっすぐにわたしに歩み寄って手を取ってくれたあなたを」
「うん……。それで……ね。いまも本能が語り掛けてるんだ……」
「なんとおっしゃっているのです?」
「生まれ変わっても、必ず……また一緒になる。どんなに離れた場所にいたって、……また見つけ出す……」
「その時をお待ちしてます」
わたしの返事を聞いていただけたのでしょうか?
最後にゴロゴロと、ひと際大きく喉を鳴らすと、フェリックスさまはとても満足そうな微笑みを浮かべたまま、静かに眠りにつきました。
膝に残る、確かな重みと温もり。
わたしは空を見上げ、春の陽光に向かってそっと微笑みました。
――出会うまで、12年も待たされました。
――なのに、わたしより先に逝ってしまいました。
本当に、身勝手で気まぐれな人です。
でも――。
「……とっても、素敵な時間でしたよ。フェリックスさま」
遅れてやってきたわたしの愛しい猫との日々と、彼が残してくれたこの胸の温もりは、永遠に色褪せることはないのです。
読んでいただきありがとうございました。
評価、感想などいただけると転げまわって喜びます。
どうかよろしくお願いします!




