第8話~ゲップ~
『!?』
突然ダンジョン内に響き渡った大鳴動。
それを聞いた僕たちの反応は大きく二つに分かれた──即ち、戸惑いと恐怖。
「何だ──」
「今すぐ外に出るわよ!!」
困惑して辺りを見回す僕に、真木さんが顔を引き攣らせて叫ぶ。
「え? でも……」
状況も把握できないまま動くのは却って危険なのでは──?
目を瞬かせて固まる僕に、真木さんは苛立ちに奥歯を噛みしめ、言い聞かせるように続けた。
「今のはゲップよ!! ダンジョン内がかき混ぜられて、最悪の場合はクリーチャーが外に溢れ出すわ!!」
「!?」
ゲップ──医学用語で噯気。
胃に溜まった空気やガスが食道を逆流し口から排出される生理現象のことを指す言葉だが、ここで言うソレはあくまで神を人体に見立てた便宜上の呼称だ。
神の胃もたれによる本格的な嘔吐ではなく、極々軽いダンジョン内の氾濫を指す用語。
ダンジョン内の階層や外界とを隔てる障壁に一時的に綻びが生じ、クリーチャーがダンジョン外に溢れてしまう現象だ。
その影響は嘔吐と比較すればまだ限定的だが、反面『巫女』による事前予測が困難で備えることが難しい、という厄介な特徴があった。
「俺らもダンジョンの外で迎撃に参加するってことか!?」
合流地点へと走る椎野の後ろを追随しながら、巽が緊張した様子で問いかける。
「最悪の場合はそうなるけど、多分あっちは迎撃用の設備が整ってるから大丈夫!」
「なら何で──」
こういう時こそ落ち着いて周囲を警戒しながら動くべきではないのか?
そんな巽の疑問を遮り、椎野は走りながら叫んだ。
「クリーチャーがダンジョンの外に溢れるってことは、ダンジョンの中の秩序も一時的に崩れるってこと!」
「分かりやすく!」
「私たちじゃ手も足も出ない下層の化け物が、ここに出てくるかもしれないってことよ!!」
「!?」
ようやく巽の瞳に理解の光が宿る。
そして彼が生唾を飲み込み、口を開くより早く──
『──キャァァァァッ!!?』
進行方向──合流地点から少女の悲鳴が響き渡った。
「鶫!?」
合流地点で椎野さんパーティーの三人目、時東さんが四足歩行の怪物に襲われている光景を目撃し、真木さんが悲鳴を上げる。
まだ距離があるのでハッキリと視認はできないが、時東さんは怪物に圧し掛かられ一刻の猶予もないように見えた。
このままでは間に合わない──そう判断した僕は、一応の備えとして持ってきていた警備隊製のライフル銃を構え、引き金を引く。
勿論、僕の未熟な技量ではこの距離で正確に敵を射抜くことは難しいし、誤射のリスクも高い。故に狙ったのは怪物ではなく、そこから少し離れた地面。
──パァンッ!!
『!?』
地面を抉る魔力の弾丸に驚いた怪物は時東さんを襲う手を止め、こちらに視線を向ける。不気味な猿面で睨みつけられ、僕の心臓は握りしめられたようにギュッと縮み上がった。
「そうよ! こっちを見なさい!!」
──パンッ、パァンッ!!
僕の狙いに気づいて、真木さんが同じように銃弾を放って怪物を牽制する。
直接当たったわけではないが、攻撃されながらでは獲物を喰らうどころではないと判断したのだろう。怪物は僕らの方に身体を向け──
──パァンッ!!
『ッ!?』
更に別方向から放たれた銃弾が怪物の身体を掠める──椎野さんたちだ。
二方向から攻撃された怪物は態勢を立て直すため、空を蹴ってその場から一時退避した。
「鶫! 生きてるわね!?」
「痛っ! 揺らさない、で……」
合流地点の地面に仰向けで倒れる時東さんに駆け寄り、真木さんが呼びかける。
時東さんの表情と声は苦しそうだったが、意識そのものはしっかりしていた。
僕はその間、震える手で碌に照準も定めず引き金を引き、怪物への牽制を続ける。
ここでようやく時東さんを襲っていた怪物の姿をハッキリと視認──猿顔に虎の手足、蛇の尻尾──鵺だ。
「鶫さんの容体は!?」
そこに少し遅れて椎野さんと巽が到着。近接専用の槍しか持ち込んでいなかった巽は、地面に転がっていた時東さんの銃を拾い上げ、鵺の牽制に加わった。
「大丈夫! 少しお腹を裂かれてるけど、内臓までは届いてない……!」
真木さんが時東さん自身の隊服を縛って傷口を圧迫し、応急手当をしながら返答。
「ただ出血が多いから早めに地上に戻らないと……鶫、動ける?」
「……無理っぽ。足、折れてる……」
「っ!」
真木さんたちが歯がみしたのが、気配で分かった。
時東さんを運んで移動すること自体は難しくない。だが鵺に対応しながらとなると──
「……あたしは、ここに置いてって」
「鶫さんっ!?」
時東さんの言葉に椎野さんが悲鳴を上げる。
「鵺は……五層に出る化け物だよ。あたし、たちじゃ、敵いっこない。あたしを囮に──」
「黙って!!」
椎野さんが言葉を遮るが、この場にいる誰もが時東さんの言葉の正しさは理解していた。
第五層──現在のダンジョン攻略におけるデッドラインであり、人類の支配が及ばぬ未開領域の入口。そこに住まうクリーチャーは正隊員が万全の状態で挑んで猶、死を覚悟しなくてはならない本物の怪物だ。
鵺は今はこちらの銃撃を警戒して距離をとり様子を窺っているが、決して捕食を諦めたわけではない。時東さんという足手まといを連れての撤退はリスクが高いし、それを抜きにしても僕たちの持つ銃は五層以下のクリーチャー相手には攻撃力不足。そのことに鵺が気づいて襲ってくれば僕たちはあっという間に全滅しかねない。
椎野さんも真木さんもメインウエポンは銃で、近接戦は不得手。巽の槍なら鵺にもダメージが通るかもしれないが、これが初めての実戦となる彼にはどう考えても荷が重い。僕は論外。
『…………』
この状況で動けない時東さんを囮に他四人が離脱することは合理的で正しい判断ではった、が──
「──巽。時東さんを運んでくれ。お前が一番体力がある」
『!?』
突然指示を出した僕に、その場にいた全員が目を丸くする。
「月見里くん!? 何を勝手な──」
「ならとっとと決めろ!! 呑気に迷ってたらどの道全滅だろうが!?」
「っ」
僕の一喝に真木さんが抗議の声を飲み込む。
例え合理的で正しい判断だとしても、彼女たちに時東さんを見捨てる決断は出来ない。ならそんな選択肢はないのと一緒だ。
「……時東さんが囮になっても、敵がそれに食いついてくれるとは限りませんよ。見たとこアレは相当頭がキレる。時東さんを見捨てた時点で、僕らの戦闘力は大したことないと見切って先に僕らに襲い掛かってくるかもしれない」
出まかせだ。彼女たちの決断を後押しするための方便。化け物の顔色を窺うような特殊技能は僕にはない。
だが同時に、全くの嘘を言ったつもりもなかった。
「──ったく、しゃーねーなぁ」
頭を掻いて巽が動き出す。
「俺とお前、役割逆じゃなくていいのか?」
「巽くん!?」
椎野の声を、僕らは無視。
「……銃の威力や弾数は魔力依存だし、どんぐりの背比べとはいえ僕のがマシだろ。いやイチかバチか槍で殴り掛かりたいって言うなら代わるけど──」
「けど?」
「──連携の訓練なんてしたことないし、最悪僕らがお前を蜂の巣にするぞ」
「鶫さんは任せろ」
巽は親指を立てて請け負い、真木さんたちの返事を待つことなく、時東さんをお姫様抱っこする──って、おい!? そこはおんぶじゃ──ああいや、傷口への負担を考えればこの方がいいのか? クソッ、時東さんも顔赤らめて、イケメンはこれだから……!
「ああ、もう勝手に……っ!」
「二人とも、帰ったら覚えてなさいよ!?」
真木さんが長い髪をかき混ぜ諦めたように、椎野さんはどこか嬉しそうに文句を言って動き出す。
今為すべきは最善の選択肢を探すことではなく、動くことだと全員が理解していた。
『ヒョォォォォォッ!!』
時東さんを連れて後退を始めた僕らに、鵺が一際甲高い不気味な鳴き声を上げて距離を詰めてくる。
銃撃を嫌がり警戒こそしているが、やはり僕らを逃がすつもりはないらしい。空中を蹴り三次元的な機動で僕らの後を追いながら虎視眈々と隙を窺っている。
このまま距離を維持したまま逃げ切れればいいのだが、そう上手くはいかないだろう。さて、どう凌いだものか……




