第49話~頑張れ~
──カッ!!
ハニヤスが巽の身体に触れた瞬間、彼女の肉体は光と共に巽の中へと溶けていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
『ここは……』
精神体となったハニヤスは辺りを見回す。そこは巽の精神世界──人気のない夕暮れの公園だった。
遠くで人が楽しそうに遊んでいる声は聞こえるのに、実際には誰の姿も見当たらない。いや一人、ブランコに腰掛けてぼうっとしている少年の姿があった。あれは恐らく──
『──まったく、分霊の分際で我の足を引っ張るとは、度し難い阿呆だな』
声がして振り返ると、そこにはハニヤスを性別反転し二〇歳ほどまで成長させたような青年が立っていた。
『ハニヤスビコ……』
『貴様までその名で呼ぶか──まぁいい。今やその名も間違いというわけではない』
不機嫌そうに青年──ハニヤスビコは鼻を鳴らし、ギロリとハニヤスを睨みつける。
『それよりも本題だ、分霊。貴様が蓄えた力を我に差し出せ。これは主命である』
上位者として当然のようにハニヤスビコはその言葉を告げた。手が脳の命令に従うように、分霊が己に従うのは当然のことと疑っていない口調と態度で。
『……何をするつもり?』
『知れたこと。我の邪魔をしたあの人間どもを殺して土くれに変える。そして地上に潜伏して力を蓄え──』
『はっ』
ハニヤスビコの言葉の途中でハニヤスの口から失笑が漏れた。まさかそのような反応が返ってくるとは思っていなかったのか、ハニヤスビコの柳眉が怒りよりも困惑に歪む。
『くだらない。その程度のことに一々私の手を借りないといけないなんて情けない男ね』
『貴様……分霊の分際で我に逆らう気か?』
その言葉は神であるハニヤスたちにとって特別な意味を持っていた、が──
『ええ、そのつもりよ』
それをハニヤスは一笑に付す。
『その意味が分かっているのか? 本霊に逆らうということは最悪、その名を失う──』
『それが何? 人の信頼を失うことに比べたら名など大した価値はないわ』
『────』
絶句するハニヤスビコ。ハニヤスは更に続けた。
『それに私のことを分霊、分霊と言うけれど、ここにいる貴方も所詮は本霊から切り離された分霊でしょう?』
『!』
図星をつかれてハニヤスビコが顔を歪める。
『貴方はただ私より本霊に近く、今も繋がっているだけで本霊そのものではない。だからこそ神威に怯えて唯々諾々と従うことしか出来ないのよね?』
『黙れ!! 捨てられた貴様ごときが我を語るな!!』
『あら? 捨てられた汚物から生まれた私たちが、それを言うの?』
『…………っ』
完璧に言い返され、ハニヤスビコは顔を赤くして言葉に詰まる。
この場は心のあり様が全てを左右する精神世界。ハニヤスは場の支配権を奪うべく畳みかけた。
『何より貴方、タツミに憑りついたはいいものの、彼を完全に支配することは出来ていないんでしょう? 精々、内に隠した不満や欲を増幅させて行動を誘導するのが関の山。人一人満足に操れない分際で、何を偉そうに──』
『黙れ黙れ黙れ!!』
取るに足らない格下と見下していたハニヤスに嘲られ、ハニヤスビコは激昂する。
『これまでは周りに怪しまれないように奴を自由にさせていただけだ!! 我がその気になればこの男などいつでも簡単に──』
『ならやってみればいいのだわ。それが出来るなら私の力なんてなくてもヤマナシたちを殺すぐらい簡単でしょう?』
『!』
『できないからこそ貴方は私の力を必要としている。違うというなら行動で示してごらんなさいな』
『…………』
ハニヤスビコは屈辱に顔を俯かせて押し黙る。
そう、彼は巽に心の隙を見つけ憑りつきはしたものの、その肉体の支配圏を奪うことまでは出来ていなかった。
甘い言葉で思考を鈍らせ、行動を誘導することは出来ている。この人間は完全に自分に依存している筈だ──その筈なのに、決してその身を自分に委ねようとはしなかった。まるで心の奥底、致命的な部分でハニヤスビコを拒絶しているかのように。
『失せなさい、ハニヤスビコ。ここは貴方がいるべき場所ではありません』
『くっ……』
ハニヤスの宣言を受けてハニヤスビコの姿がその場から塵になって消失する。
消滅したわけではない。まだこの世界にはいるが、この場の主の意向を受けて一時的に存在が見えなくなっているだけだ。今からのやり取り次第では再び力を取り戻し、巽の身体を乗っ取る可能性も十分にあった。
『…………』
ハニヤスビコを見送った後、ハニヤスはこの世界の主──ブランコに独り腰掛けている幼い巽に歩み寄り話しかける。
『タツミ』
『…………』
『タツミ。みんな待ってるわ。一緒に帰りましょう?』
『…………』
幼い巽から返事はなく、俯いたまま表情も見えない。
ハニヤスは暫しその場に佇み、巽の反応を待った。
自分は今も消えることなくこの場にいる。無視されているわけでも拒絶されているわけでもない。辛抱強くジッと、巽の言葉を待つ。
そして長い長い沈黙の果てに、やがて幼い巽がポツリ、ポツリと口を開いた。
『…………ほめてほしいんだ』
『うん』
『みんな、ぼくのことをすごいねっていってくれるけど、がんばったねとはいってくれない』
『……そうなの』
『サトシくんよりぼくのほうがいっぱいがんばったのに、みんなサトシくんのことばかりかばうんだ。ぼくのほうががんばったのに。ぼくがすごいのはみんなよりがんばったからなのに、おとうさんもおかあさんもみんな、サトシくんのことばかり、えらいねってほめるんだ……』
『……そっか』
幼い巽は俯いたまま肩を震わせて、更に続ける。
『でも、そのことをいうとおとうさんたちはぼくをおこるんだ。サトシくんはぜんぜんがんばってないよ、っていうと、なんてひどいことをって……』
『…………』
『おまえはさいのうはあるけど、ひとのきもちがわからない。さいのうにめぐまれなくても、まじめにがんばってるサトシくんたちのほうがずっとえらいって、とうさんたちは、いうんだよ……ぼくのほうが、ちゃんと、ずっとがんばってるのに……っ!』
『…………』
嗚咽する子供を、ハニヤスは何も言わずそっと抱きしめた。恐らく彼の両親には、自分たちの子供が才能を鼻にかけた傲慢な人間に見えていたのだろう。その見方は必ずしも間違っていないが、正しくもない。きっと彼らは互いの姿が見えていなかった。努力という言葉に求めるレベルが巽と周囲とでは違い過ぎたのだ。
『……ぼく、がんばったんだ』
鼻をすすりながら巽は続ける。
『おとうさんたちにみとめてほしくて、ちゃんとサトシくんたちをわかろうとしたんだよ? だけど、わからなかったんだ。サトシくん、どうなりたいかも、なにをどれだけしたらいいのかも、なにもかんがえてなくて、そんなのうまくいきっこないのに……もっとちゃんとかんがえなきゃだめだよ、っていったらね? そしたらサトシくんおこって、ぼくがサトシくんのことばかにしてるっていうんだ。せんせいも、ほかのみんなも、ぼくがわるいっていうんだよ。ぼくはただ、ぼくもちゃんとがんばってるんだよって、みんなにみとめてほしかった──おとうさんたちにほめてほしかっただけなのに……』
『…………』
努力はしている。人一倍。けれど周囲の者たちよりずっと深く真剣に努力しているからこそ、その努力が余人には理解できず、何でも簡単にこなしているように見えてしまった。能力や結果は称賛されども努力が認められることはなかった。
他の皆と同じように認められたい褒められたい──それが巽という少年のトラウマであり原典。
彼は他人に理解されず、理解できず、他の人間が当たり前に得られた共感を、ついぞ得ることが出来ないままここまで来てしまった。
だからこそハニヤスビコに安易な誘惑に付け込まれてしまった彼に、ハニヤスはこれから残酷なことを告げねばならなかった。
『ねぇ、タツミ。貴方はハニヤスビコに認めてもらって嬉しかった?』
『────』
嬉しかった──だからその手を取ったのだから、その筈だ。
だが改めてハニヤスに問われ、巽はすぐに頷くことが出来なかった。
『貴方は他人に認められたくて、だからまず自分が他人を認められる人間になろうと頑張ってきた。貴方の頑張りはとても美しくて正しいことよ。だけどね、どれだけ貴方が望んでも彼らが貴方を理解することはできません。理解した風なことを言う人がいたとしても、それは口先だけの無責任なものよ。そんな形だけの言葉で満足できるなら、貴方はとっくに満たされていた筈でしょう?』
『…………』
事実、ハニヤスビコの言葉は心地よくはあったが虚しいものだった。ハニヤスビコは自分の心を覗き、理解していた筈なのに。望んでいた通りの言葉を貰えたはずなのに、巽の心はまるで満たされなかった。
『タツミ、貴方はもっと頑張りなさい』
『!』
腕の中の少年が絶句したのが気配で分かった。それでも言う。
『足の遅い人間に合わせて分かり合おうなんて発想がそもそも間違っているのです。貴方の望みは立ち止まって、後ろばかり見ていても決して叶うことはありません。だって貴方の望みを叶えられる人は、貴方よりずっと先を走っているのだから』
『────』
『大丈夫。安心して。そこには必ず誰かがいてくれる。貴方を決して独りにはしない』
例えばこんな自分を見捨てることなく手を伸ばしてくれた誰かがいたように。
彼女が語る先は遠くかすんで見えないけれど、とてもとても美しい場所に思えた。
『──一緒に、戻りましょう?』
『…………うん』




