第40話~波邇夜須(ハニヤス)~
ハニヤスに会って、僕もその神話については調べてみたことがある。
鶏が先が卵が先かという議論はあるにせよ、神話伝承は荒唐無稽な御伽噺ではなく、実在するクリーチャーと密接に結びついているというのは今や通説だ。その神話を知らぬまま神の相手をすることはできない。
ハニヤスとはイザナミがカグツチを産んで火傷をし死に至る際、苦悶の中まき散らした大便から化生した神だ。この時、嘔吐からは鉱山の神カナヤマヒコが、小便からは水の神ミヅハノメが誕生している。
イザナミの直系というと重要な神にも思えるが、古事記などではこうした誕生の経緯が語られるのみで、その後の動向については何も記載がない。
「ハニ」とは古代語で粘土を示す言葉であり、ハニヤスは一般に土壌や肥料、農業の神として知られる他、陶芸や土木工事、あるいは便所の神としても祀られている。
ちなみにハニヤスは初めて会った時「ハニヤスヒメノミコト」と名乗ったが、ハニヤスは古事記においてハニヤスビコとハニヤスヒメの男女一対の神として描かれており、男女でそれぞれ独立した神とするか、男女一対で一柱の神とするかで解釈が分かれているらしい。
人にとって善神であるとも悪神であるとも語られていない自然の神。
それはある意味、真っ白なキャンバスのようなものではあるまいか?
木月さんからハニヤスの処分をほのめかされた時、僕は直ぐに頷けなかった。
何故だろうとそのことについて自問自答する。
ハニヤスに同情している?──いや、全くないとは言わないが、見た目が可愛らしいだけの敵に同情するほど僕は性格が良くない。その自覚があった。
ではハニヤスに感情移入していた巽や真木さん、羽佐間さんたちを気にして?──それもない。あの三人を利用すると決めておきながら、今更彼らを理由に行動を躊躇うなど恥知らずにもほどがあるだろう。
もう一つの目的?──それはあるかもしれないが、アレは可能性としては低い実験的な試みだ。リターンこそ大きいが、過度なリスクを負ってまですることではない、と思う。
ではいったい何故?
考えて、自問して、最後に残ったのは酷く馬鹿馬鹿しくて子供っぽい、感情的な理由だった。
自分で決めたい。そうするしかないからするというのは、まるで大きな力に答えを選ばされているようで気に食わない。だからそれを裏切ってやりたい。口にするのも恥ずかしい反骨心だ。
そのことを自覚して思わず苦笑──馬鹿馬鹿しくはあるが、それこそが自分の本質なのだろうと開き直る。元々僕は優等生でありたいとも、正しくて立派なことしたいとも思っていない。
やりたくないことは正しくてもやらない。
やりたいことのために理屈をこねて道理を捻じ曲げる──それが、月見里廻という人間だった。
「木月さん。さっきのお話なんですけど、ハニヤスの件を動かすなら早い方がいいと思います」
沈黙を破り唐突に口を開いた僕に、木月さんは佐々木室長との会話を止めて問い返す。
「……どうしてそう思うんだ?」
「イギリスへの支援の話が動き出す前に足元を固めておいた方がいいというのが一つ。ハニヤスの目的やバックボーンが見えない今の状況で決断を先延ばしにすると、いざという時対処に手間取って支援の方に影響がでる可能性があります」
木月さんはその指摘に顎に手を当て天井を仰ぐ。
「……あり得るな。一つというと、他の理由もあるのか?」
「はい。あまり時間を置くと、この混乱に乗じてハニヤスが動く可能性もあるかと」
「……まさか、イギリスの騒動とハニヤスの件が連動してると考えてるのか?」
声の調子がワントーン上がった木月さんに、僕はかぶりを横に振って返した。
「流石にそこまでは。そりゃ絶対にないとは言い切れませんけど、そんな可能性まで考えてたらキリがないでしょう。僕が言ってるのは単純に、この状況がハニヤスに伝われば、それを好機と見て彼女が何か行動に出る可能性があるかもしれない、って話です。彼女の目的が何であれ行動の主導権を握られるのはうまくない」
「それはあるかもしれないね」
のんびりとした様子で佐々木室長が口を挟む。
「いくら彼女を防壁に囲まれた部屋の中に閉じ込めているとはいえ、完全に魔力や精神エネルギーを遮断することは不可能だ。神の感知力がどの程度のものなのかは分からないけど、彼らの本質は精神生命体だからね。僕らが混乱してる気配みたいなものを察知して何か行動に出てもおかしくはないと思うよ」
「……なるほど」
佐々木室長の捕捉に、木月さんは暫し瞑目し考えるような素振りを見せた。そして十秒ほどの沈黙の後、彼は目を開けて僕に問いかける。
「それで、具体的にお前はどうしようと考えてるんだ?」
恐らく木月さんには木月さんで腹案があるのだ。だが内容次第では僕の提案を採用してもいい、と言っている。
僕は腹に力をこめ、これまで彼らにも伏せていた個人的な思惑も含めて、全ての計画を伝えた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「──と、今映像で見てもらった通りだ。ハニヤス、騙し討ちのようなことをして申し訳ないけど、君の言動には看過できない矛盾と疑念がある。これが解消されない限り、こちらとしてはしかるべき対応を取らざるを得ない」
「…………」
僕の言葉が聞こえていないかのように、ハニヤスは仮眠室での自分の様子が映し出された映像を食い入るように見ていた。
彼女を押し込めていた仮眠室から一週間ぶりに移動し、場所は開発中の武器のテストなどを行う簡易演習場。柔道や剣道の試合が辛うじてできる程度の狭い施設だが、頑丈で機密性が高く何かあった時には対処しやすい。
この場にいるのはハニヤスに僕と椎野さんたち四人を加えた計六人。椎野さんたち四人は目立たないように武装済。佐々木室長と木月さんは隣の部屋からモニターでこちらの様子を監視しており、何かあれば即座に木月さんが駆けつけ、佐々木室長が施設を閉鎖する段取りとなっていた。
そして突然こんな場所に連れてこられ困惑するハニヤスに、僕はたった今タブレット端末で例の映像を見せていた。
「…………ぃ」
ハニヤスはリピートされる映像を目を見開いて凝視し、わなわなと震える。
「知らない! 私こんなの知らない! 何もしてないのだわ!?」
彼女は堪え切れないといった面持ちで僕たちの方を振り返り叫んだ。その表情は真に迫っていて、とても嘘を吐いているようには見えない、が──
「──止まれ」
「!?」
自分でも驚くほど冷たい声が僕の口から出て、詰め寄ろうとしていたハニヤスの動きを止める。
「君が何を言おうとそこに映っている事実は変わらない。君は僕らに力を隠していて、敵対準備としか取れない行動をとっていた」
「ちが──っ」
否定の言葉を言いかけて、口を閉ざす。
言い訳に意味がないと悟ったのか、あるいは本気で困惑しているのか。
僕の背後で椎野さんたちが動揺している気配が伝わってきた。理性では理解していても、今この様子を見てハニヤスが演技をしているようには思えなかったのだろう。だがこの際、彼女が本気で言っているかどうかは関係ない。
「マキ! ミヤコ! 信じて! 私こんなの知らない!!」
『…………』
特に仲良くしていた真木さんと羽佐間さんに助けを求めるが、彼女たちは苦しそうな表情で視線を逸らすのみ。
「…………っ」
「あまり彼女たちを追い詰めないでくれるかな。何も知らずに君と遊んでいた時ならまだしも、彼女たちにも立場ってものがあるんだ」
「何を……?」
「元々彼女たちには本命の監視のことは伏せていたんだ。君を油断させるために、本当に君と仲良くなってもらおうと思ってね。君が僕らを騙してさえいなければそのまま仲良くしてくれて問題なかったんだけど──」
「違うっ! 私は騙してなんかない!!」
「じゃあそこに映っているのは何だい? それを見せられた彼女たちを納得させられるだけの理屈が君にはあるのかな?」
「それ、は……」
ハニヤスは悔しそうに俯き、黙り込む。
そのまま暫しの沈黙が流れた。重苦しいものとは違う、ピンと張り詰めた、今にも弾けそうな沈黙。
「…………ゎ」
沈黙を破り、ハニヤスが顔を上げた。瞬間、背後の椎野さんたちの緊張が一気に高まる。そして──
「私、それでも何も知らないの……」
『────』
開き直り──あるいは悪あがきとしか取れない発言。それを聞いて僕は嘆息一つ。モニター越しにやり取りを聞いていた人たちに声をかけた。
「──と、言うことらしいですけど、どうします?」
『嘘を吐いているようには、見えないね』
スピーカーから佐々木室長のノンビリした声が返ってきた。
『当人は無自覚で操られてるって可能性が高そうだけど、ここまで追い詰められて何の行動にも出ないってことは、大した力は持ってないと判断して良いんじゃないかな』
「じゃ、引き続き監視を続けるってことでいいですね?」
『うん。準備は済ませておくから戻っておいでよ』
「了解です」
プツンとスピーカーが切れ、僕はハニヤスに向き直る。
『…………』
ハニヤスは今の僕と佐々木室長のやり取りの意味が分からず、呆気に取られている。
いや、彼女だけでなく事情を知らせていなかった椎野さんたちからも同じような気配が伝わってきた。
「ということで、ハニヤス。僕らは君の言い分を信じるよ。君は僕らを騙してはいなかった。状況的に操られていただけって可能性が高い」
「は? え? い、今の、やり取りは……?」
「ああ、うん。追い詰めたら正体表して暴発するんじゃないかな~って思って──演出ってやつ? いや、驚かせてごめんね?」
「…………」
軽い感じで謝るが、ハニヤスは顎が外れたような表情で絶句。
僕が『そんな驚かなくても』と思っていると、後ろから肩をグイと掴まれ──
「え──ゲホッ!?」
──ドスッ! ボゴ! ドンッ! メキッ!
僕のボディに女性陣からのパンチ四連発。不意を打たれたこともあり、魔力で強化された拳は女性の細腕から放たれたとは思えないほど重たいものだった。
「……っ!?」
その場に膝をつき抗議するように顔を上げると、そこにあったのは女性陣の冷たい顔。代表して椎野さんが口を開く。
「……私たち、ここでハニヤスを始末するとだけ聞かされて、そのつもりで色々と覚悟きめて来たんですけど?」
「…………」
言い分はあった。伝えていたら表情に緩みが出てハニヤスに見抜かれてしまう可能性があったとか、下手に期待させない方がいいと思ったとか、色々。
『…………』
ただし、それを口にすればただではすまないことは、僕にも分かる。
「……黙ってことを進めて、すんませんでした」
『フン』
「…………」
四人の冷たい視線以上に、背中に刺さるハニヤスの同情的な視線が僕を何とも言えない気分にさせた。
お腹をさすりながら立ち上がると、いち早く気持ちを切り替えた時東さんが疑問を口にする。
「……でも、監視続行って言ってもどうするの? 本人が裏切りに無自覚だろうと、突然おかしくなって暴れ出したら危ないことに変わりはないでしょ。何か対策はあるの?」
「一応。僕らも一週間ただ監視してたわけじゃありませんから、対策ぐらいはしてますよ」
ただハニヤスがあまり強かったら使えない手だったので、こうして彼女の力がさほどでもないことを確かめさせてもらった。
訝しそうにしている時東さんたちにその内容を説明しようとし──
「あの──」
「?」
ハニヤスが僕の袖を引き、不安そうな表情で尋ねてきた。
「ずっと聞こうと思ってたのだけど……タツミは? どうして彼だけここにいないの?」
「あ~……」
そう言えばそれがあった。僕はどう説明したものか助けを求めるように椎野さんたちに視線を向けるが、彼女たちはアッサリとそれを無視して視線を逸らす。
「…………」
先ほどのこともあってか不安そうな表情を浮かべるハニヤスに、僕は精一杯言葉を選んで告げた。
「あのバカは何というか……色々あっていじけてるのか連絡が取れなくなってるんだ」




