第10話~生還~
とても大きな何かが、そこにいた。
いやそれは本来大きいとさえ認識できない、人智を超えたナニかだ。
けれどこの時僕は確かに、その存在をとても身近に感じていた。
「──……」
ぼんやりと意識が覚醒する。
白い天井。消毒液の臭い。規則的で淀みのない秒針の音。
僕はそれらを五感に収め、自分が目覚めたことにも気づかぬまましばしボーッと時間を過ごす。
「お。目が覚めた?」
頭の上から降ってきた女性の声に、ようやく僕は自分がどこかで眠っていて、たった今目覚めたのだということを理解した。
横になったまま首だけを動かし、声の主に視線をやる──と。
「大分強く頭を打ってたみたいだけど、自分の名前は分かる?」
ピンクに染めた髪をロングモヒカンにした白衣の女性が視界に飛び込んできた。
「────」
びっくらポン、ってやつだ。
いや、一応弁解させてもらうとこのご時世ファッションは自由だし、僕も女性はかくあるべしなんてつまらないことを言うつもりはない。ただ寝起きにいきなりこんなファンキーな見た目の女性が目の前に現れたら、大抵の人は僕と同じように反応に困る筈だ。
「────」
「お~い。起きてるよね? 問題があるようなら開頭して脳みそ調べないといけないんだけど──」
「っ!? は、はい! 月見里廻隊員、元気であります!!」
恐ろしい言葉が聞こえ、慌ててベッドから上半身を起こして敬礼。この答えが正しいかは分からなかったし、流石に開頭は冗談だと思いたいが、女性の見た目が見た目だけに僕の寝惚けた脳みそは言葉の真偽を判断することができなかった。
「よしよし、元気なのはいいことだね。でも君、死にかけてたんだからいきなり動いちゃ駄目だよ? まだ横になっててね」
そう言ってモヒカンの女性は僕の肩を軽く押して寝かしつける。
そして彼女は僕の首に手を当てて脈をとり、ペンライトを当てて瞳孔を観察した後、僕の顔の前に指を一本立てて質問を口にした。
「これ、何本?」
「一本です」
「自分の誕生日は言える?」
「……一月一日」
「日本の大統領は?」
「た──いや、いません」
「よし、大丈夫そうだね」
そう言って女性は僕から身体を離し、ポケットから棒付きの飴を取り出し口に咥える。
そしてスマホでどこかに通話。
「──あ、室長? 例の子、目が覚めたよ。……うん、大丈夫そう。うん、うん……はいはい、じゃあね」
通話が終わったのを見計らって、僕は女性に声をかける。
「あの──」
「ん? ああ、ごめんごめん。目が覚めていきなりこれじゃ驚くよね」
女性はそのファンキーな見た目とは裏腹に、愛想の良い笑みを浮かべ、こちらの言葉を待つことなく一方的にまくし立てた。
「ここは警備隊本部の医務室。あたしは医者の冲方カリン。君はダンジョンに潜ってる最中に運悪くダンジョンがゲップを起こして、強めのクリーチャーに半殺しにされてここに運び込まれてきた患者ってわけ」
「!」
そう言われて、僕は自分が意識を失う前の出来事を思い出す。
二匹の鵺に挟み撃ちにされ、相討ち覚悟で特攻するも簡単にあしらわれ、もう駄目だと諦めたところで誰かが現れて──鵺に押し潰されて目の前が真っ暗になった。最後は何が起きたかよく分からなかったが、恐らく異常を察した誰かがやってきて僕らを救出してくれたのだろう。
そこでようやくあることに思い至る。
「! あの──」
「君と一緒にいた子たちなら無事だよ。一人重傷の子はいたけど、命に別状はなし。他は全員無傷」
「──そうですか……」
僕の質問に先回りして答えた冲方先生の言葉に、僕はホッと胸を撫で下ろす。ともかく最悪の事態は避けられたらしい。
しかしそんな僕の反応に冲方先生は何故か呆れた様子で溜め息を吐く。
「他の子の心配するのもいいけど、一番ヤバかったのは君だからね?」
「……分かってます。僕も少し無茶をし過ぎたとは──」
「いや、行動がどうとかじゃなくて。君、ここに運び込まれてきた時、普通に死にかけてたから」
「──へ?」
アッサリと告げられた冲方先生の言葉に、僕は思わず目を瞬かせる。
「首の骨が折れてるわ、頭蓋骨にも罅が入って目玉は片っぽ飛び出してるわでガチスプラッタ。勿論全身の骨もバッキバキで内臓にもダメージが入ってて、ホント良く即死してなかったな~、って感じだったんだよ、君」
「…………」
内容とは裏腹に軽い調子で伝えられたその内容に、僕は思わず自分の身体をあちこち触って状態を確認する──多少の引き攣りや違和感はあるが、骨が折れていたり目が飛び出しているような気配はない。
「……え? 冗談ですよね?」
「いやいや、マジ」
「でも、そんな大怪我した感じはありませんよ?」
「そりゃ治療したからね」
治療と言われても、本当に全身骨折で目玉が飛び出るような重傷を負っていたならこんなすぐに治る筈が──
「──ひょっとして僕、何年も寝たきりだったりします?」
「ブハッ!」
僕のそれなりに真面目な予想を、しかし冲方先生は噴き出し、笑いながら否定する。
「違う違う。君が怪我をしたのは昨日の話。知らない間に同級生が大人になってて片思いの子が結婚してたりとかそんな展開はないから安心なさいな」
生憎そんな青春エピソードに縁のある人生は送っていないのだが……
ただただ事情が掴めず困惑する僕に、冲方先生は少し考えるような素振りをして口を開いた。
「……まぁ、簡単に言うと警備隊にはそういう死にかけの重傷者を一晩で治せるような治療法があるってことよ」
「────」
「初耳、って顔ね? 一応、このことは警備隊内でもシークレットだから、君も知らない人に事情を聞かれたら『機密なので何も言えない』って答えておいて。ま、こんな話は何時までも隠し通せるものじゃないし、知ってる人は知ってるから今更ではあるんだけどねぇ」
冲方先生は自嘲気味に肩を竦める。だがそんなことを言われても僕は分からないことだらけだ。
「えと、そんな凄い治療法があるなら何で隠す必要があるんですか……?」
「理由はいくつかあるけど、一つはこれが外に漏れたら『この治療法を自分たちも使えるようにしろ』って騒ぐ奴が出そうだからだね。そんなことしてたら本命のダンジョン対応が手が回らなくなっちゃうでしょ?」
確かに。金持ち中心に騒ぐ奴らは一定数出てくる気がする。
「二つ目は、これを当てにしてあんまり無茶する子が出てきてもね~、って話」
それも確かに。警備隊には家族を大災厄で失って、クリーチャーに復讐できるなら何でもやるって連中が多く所属している。そんな連中に重体を一晩で快癒できる治療法があるなんて知れたら、無茶な行動が加速するのは目に見えていた。
「そして三つ目──」
冲方先生はそこで意地悪く──あるいは少しだけ同情するような視線を僕に向けて最後の理由を告げた。
「多分察してるでしょうけど、この治療法は『リング』と一緒で例の神様由来の技術よ。使い過ぎれば代償があるし、まだ他にどんな副作用があるかも分かってない」
「…………」
うん。まぁ、そうだろうね。敢えてそこから目を逸らしてはいたが、話を聞いた時から予想はしていた。
冲方先生はそこで言葉を区切って、僕の反応を窺う。
「……怒ってもいいのよ? そんな得体の知れない技術を僕に──って」
「言いませんよ。とどのつまり、そんな治療法を使わなくちゃいけないほど僕の状態はヤバかったってことでしょ? というか、そもそも代償や副作用のリスクなんて警備隊に入った時点で今更ですよ」
「そりゃそうだ」
僕の反応に冲方先生はケラケラと笑う。
「ただまぁ、治療の代償については分かってることがあるなら教えて欲しいですね。ほら、後遺症とかあるなら備えておきたいですし」
常識的に考えれば負傷した部位の動作に不具合が出るとかだが、ファンタジーの定番なら寿命が削られるとかもあり得る。ちょっとアレな話なら性欲が増すとか減るとか──
「ああ、そうだね。でも一先ずは安心して。今のところ一度の治療ですぐに日常生活や任務に支障が出るような例は確認されてないから」
「そうなんですか?」
「うん。それこそ手足が全部もげて心臓が破裂してたとかじゃない限りは大丈夫。君は死にかけてはいたけど、そこまでじゃあなかったからね」
意外と判定緩いな──というか、そのレベルの負傷でも治療自体はできちゃうってこと? それ、死者蘇生の領域に片足突っ込んでないか?
安心すればいいのか驚けばいいのか反応に困る僕に、先生は少しだけ言い淀んでから付け加えた。
「──ただ、復帰したら一度魔力量の測定はしておいた方がいいかもね」
「? ついこの間入隊式の日に測定したばかりですけど──ひょっとして魔力が減少する可能性があるとか?」
治療を受ける側の魔力が半永久的に失われるとかであれば、何となく治療の代償として吊り合っている気がする。
もし大きく減少しているようなら今後、警備隊員としての活動は難しくなるだろうし──うん? もしそうなったら学費とか生活費はどうなるんだ? 確か規約だったら労災扱いで成人までの費用は補償されたはずだけど……
そんな僕の横道に逸れた思考に気づいた風でもなく、冲方先生は曖昧に言葉を濁す。
「う~ん……減るっていうか、増えるっていうか──まぁ、魔力に変化があることが多いかな」
「?」
減るはともかく増える? それが代償? 増えるのならいいことなのでは?
彼女が何を言っているのかよく分からず、僕が疑問を口にしようとする、と──
──ウィーン
「やぁやぁ、冲方先生、任せちゃってごめんね? 打ち合わせの方が長引いちゃってさぁ──と、君が例の子だね? 体調はどう? 何か身体に違和感とかはない? おかしなモノが見えたり聞こえたり──」
「ストップストップ!」
医務室に入ってくるなり、こちらの返事も待たずまくし立てる丸々とした眼鏡の巨漢を、冲方先生が呆れた様子で制止する。
「……室長。この子、起きたばっかりなんだから、いきなりそんなこと言われても答えられないよ。少しは落ち着きなって」
「──おっと、失礼失礼。早瀬丸くんから話を聞いて、少し気が急いちゃってさぁ~」
「……はぁ」
タハハと頭を掻く巨漢に、僕は呆気にとられながら何とか言葉を絞り出す。
その男は僕の困惑を気にした様子もなく、マイペースに僕に手を差し出してこう告げた。
「それじゃ改めて──初めましてだね、月見里廻くん。僕は佐々木。君に是非協力して欲しいことがあるんだ」
これがその後長きに渡って僕が関わっていくことになる、ダンジョン警備隊開発室長・佐々木弥和との出会いだった。




