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第6話『放課後の悪魔』

【前回のあらすじ】


冬美と五十嵐が抱き合う姿を目にして、衝撃を受けた誠。

平静を装いながらも、心の中には嫉妬と自己嫌悪が渦巻いていた。


心のざわつきを隠せぬまま、映画を見ても、会話をしても

頭に浮かぶのは、冬美の笑顔と、五十嵐の存在ばかり。


冬美への恋心を自覚した誠は、夜、自室で“放課後の悪魔”について調べる。


『悪魔は人を騙すけど、“嘘”はつかへんよ』


掲示板に残された不気味な書き込みと、最後の関西弁。


誠は、明日の放課後が怖くなり——

一睡もできないまま、朝を迎えた。








『俺の妹が難病で、病気を治してほしくて』


『“放課後の悪魔”に願いを叶えてもらった』


『妹の病気は治った。』


『家族も泣いて喜んだ…本当によかった。』


『兄が、死んだ。対価が“命”だったから』


『日記が残っていた。』


『悪魔は兄に』


『“お兄さんが協力してくれれば妹は助かる”と言って兄の命を奪った』


『兄は“妹が助かるなら”って、笑ってたらしい』


『鏡の前に立って悪魔の声が聞こえても、無視をして』


『絶対に、騙されてはダメ』


『兄は騙された。悪魔は嘘つきだ!!』






『悪魔は人を騙すけど、“嘘”はつかへんよ』




 昨日の夜、放課後の悪魔を調べて怖いスレを見たせいで——


「…ねむい」


 全然、寝れなかった。


 学校に到着するまでが限界だった。

 席に座ると同時に僕は机の上に突っ伏した。


「小林?…大丈夫か?」


 後ろの席、友達とアニメの話をしていた丸山が声をかけながら僕の肩を軽く揺らした。


「あぁ、丸山…たぶん…だいじょうぶ」


「いや、それダメなやつの答え方だろ」


 無理すんなよ。そう言って丸山は僕に背を向けて友達とアニメの話を再開する。


 ゲーム仲間だし「声くらいかけてやるか」と言った感じだろう。

 丸山たちは僕に深く関わることはない。


 「ゲームやろうぜ」と軽く声をかけて断られても気にしない。


 それくらい軽い仲なんだ。


 これが孝志なら「なんかあったのか?」と心配してくれる。


 だけど、今の僕には丸山くらいが丁度いい。


 眠い、とにかく…眠いのに、考えることがいっぱいだ。

 

(僕は透明人間なりたい。誰も話しかけないで、しばらく放っておいて欲しい。)

 

 —と、そんな願いは空しく。


「誠、ちょっといいか」


「…五十嵐くん」


 自分の席で昨日見た映画の原作小説を読んでいた五十嵐くんが、僕の目の前に立っていた。


 (なんで、よりによって…五十嵐くんなんだ。)


 昨日の光景が頭にチラついてしまう。

 いつもみたいに五十嵐くんの顔を見ることができない。


「冬美なんだけど…今日から一か月くらい学校休むって」


「え…!?なんで?だって昨日はあんなに…元気に、映画見てたじゃん」


「…昨日、俺の家…珍しく早く母親が帰ってきたんだよ。俺も母さんも朝までいればいいって言ったんだけど」


「…母親」


 (も、もう母親、公認なのか!?)


 正直に言ってしまえば、これ以上話を聞きたくなかった。


(なんか、僕って、女々しい奴だな)


 僕の身勝手な、心の葛藤など知りもしない彼は淡々と話を続ける。


「アイツさ、へんに遠慮して帰ったんだ。

 帰宅したら偶然…母親の愛人に会ったみたいで…」


「えっ…」


 五十嵐くんの話を聞いて、嫌な予感しかしなかった。


「ソイツ、すげぇ酒入ってて、出会い頭に冬美を殴ったんだってさ」


「冬美が、殴られた…!?」


「うん。…殴られて、吹っ飛ばされた時に

 当たりどころが悪かったみたいで…



 手首の骨が折れたって。


 それで入院することになった」


「病院って…なんで、冬美が…っ」


 五十嵐くんの話にさっきまで頭を占めていた映像も感情も―


 すべて吹き飛んだ。


「…骨折って、大丈夫なの?」


 (どうして、冬美が…)


「あ、お金は?冬美の…っあの母親が…っ冬美のためにお金を出すなんて思えないよ!」


(なんで、いつも冬美ばかりが…っ)


 つい大きくなった声に僕を中心に周りの目が寄せられる。


「落ち着けよ」そう言って立ち上がりかけた僕の肩を五十嵐くんが椅子にそっと押し戻した。


 声は淡々としているのに、意外にも彼の表情は真剣だった。

 僕はその顔を見て、少しだけ平常心を取り戻した。


「…話は、まだ終わってない。…母親に相談したらさ意外と親身に話聞いてくれて、アイツの家のことも話したんだ。そしたら、知り合いの病院紹介してくれるって」


「五十嵐くんのお母さんが?」


「正直俺も驚いた。…まともな会話なんてしたことなかったから」


「そっか、良かったね。…じゃあ、お金はお母さんが?」


「金は、ほら…俺の”餌代“覚えてるだろ?

 それ、毎日残ったぶん貯めてたんだよ。

 金はそこから出して母さんに渡した」


「えっ!?あのお金、毎日ずっと貯めてたの?」


 (小学6年から、い、今までずっと…?)


 金額が、僕には想像もできない。


「す、すごいな。五十嵐くん…」


 僕が感心した声をあげると、五十嵐くんは苦笑いを浮かべた。


「飯代って名目だけど、毎日3万だぞ?

 俺と冬美の飯代なんて、たかだか3千円ちょいだ。使いきれるかよ」


「た、確かに。余っても、毎日3万が追加されるなら、貯金に回した方がいいね」


(毎日3万が渡される生活が僕には想像できない。


 でも、五十嵐くんがお金の話をしても“嫌味”に感じないのは


 お金を自分のために使わないからだ。)


 高校生になった今でも五十嵐くんはお金は貰ってる。

 それはつまり、今も彼は毎日貯金をしてるということになる。


 しかも、その貯金は自分のためじゃない…


 (きっと、冬美のための貯金なんだ)


 五十嵐くんは当たり前のように、それができる。

 冬美が、五十嵐くんを好きになっても不思議じゃない。



「正直言ってもっと早く貯金してればよかったって後悔してるよ。

 不労所得みたいなもんだろ、アレ」


「不労所得って…まぁ、確かにそうだね」


「子供の頃はあんま考えなかったけどさ…

 金ってのは、あればあるだけ“選択肢が増える”からな」


「…五十嵐くん」


「まぁ、そういうわけだ。冬美のことは随時、俺がお前らに報告する」


「うん。わかったよ、冬美のことよろしくね」


「了解!あ、そうだ。どうせ今日の昼休みにまた”あの煩い奴ら”来るんだろ?

 俺の条件、しっかり伝えといてくれ」


「えっ、う、うん…わかった」


「…目、隈酷いからな。あんま夜にゲームやり過ぎんなよ」


「!…う、うん、気を付ける」


 彼は流れるように人差し指で僕の目元を撫でるとふっと軽く笑って、自分の席に戻って行った。


 その背中が、僕はとても大きく見えた。



 僕が持っていないものを五十嵐くんはたくさん持ってる。


 それが、ちょっと悔しかった。

  

 冬美のために何もできない自分が—―




 情けなかった。




「…僕が、できたことなんて」

 


 おにぎりくらいで…








『誠が、俺たちのこと大切にしてくれるうちは…

 

 —生きようって、思えたんだよなぁ…』



 ( …ちがう)



 確かに僕が出来ることは少ない。

 全面的に冬美を支えているのは五十嵐くんだ。


 でも、僕があのおにぎりを一時の嫉妬心だけで否定するのは、孝志が好きになってくれたおにぎりを”否定“することになる。



 それは、絶対にしちゃいけないことなんだ。


 僕は、孝志の言葉が本当に嬉しかったから。


 五十嵐くんと、比べるものじゃない。

 比べなくて、いいんだ。


 

「…憧れるけど、”なろうとしなくていい”んだ…」


 僕は気づくのがいつも遅い。絆創膏のときもそうだった。


 でも、それでも…

 気づけたならまだ間に合うって思いたい。



 僕は、僕なりのやり方を探して冬美を助けるんだ。




 そして、今日、放課後の悪魔の実証が終わったら—









 2人に”付き合っているのか“ちゃんと聞こう…



 (…怖いけど、ちゃんと聞かなきゃ)



 怖くて、逃げたままでいるほうが

 もっとつらい気がするから。












 —―昼休み。



 案の定、あの女子グループが僕の机を囲む。


「小林!放課後の悪魔、どう?五十嵐くん来てくれる?」


「…本人に聞けばいいだろ」


 五十嵐くんは窓際の一番先頭の席に座って小説を読んでいる。

 僕の席とそこまで離れてない”目と鼻の先”だ。


「無理!かっこよすぎて緊張して喋れないから」


「……僕と、孝志も一緒ならいいって」


「小林と、たかし?孝志って、犬飼のこと?不良の?」


 女の子たちの言い方に僕は少しムカついてしまう。


(孝志のこと、見た目で決めつけるなよ)


 きっと、僕よりも目の前にいる煩い集団よりも優しいんだよ、僕たちの孝志は。


「…孝志は不良じゃないよ」


「でもアイツ、学校来てないじゃん。」


「バイトが、好きなんだよ」


「ふーん…アイツ、学校来るんだ」


「昨日、約束したからね」


「じゃあー小林と犬飼が一緒なら放課後来てくれるってことでいい?」


「だから、最初からそう言ってるだろ」


「よっしゃ!今日の放課後、楽しみにしてるからね!」


「…うん」


 僕の中に渦巻く、複雑でめんどうな感情など知らない女子たちは互いに喜び、手を取り合うと騒がしい声を出しながら教室を出て行った。






 ――はしゃぐ彼女たちの声がやけに遠くに感じた。








◇◇◇




 学校が終わって、B組の教室から出てきた孝志と合流する。


「約束通り、バイト休んだぞー」


「ありがと、孝志。このまま放課後まで待てばいいのかな?」


「いや、巡回の先生に見つかるだろ。近くに店あるから、飯食いながら待ってようぜ」


「つーか、女子たちは?」


「知らね」


「…五十嵐くんがさっき言ってた店にもう行ってるってさ」


 (本当は、五十嵐くんを見るだけで緊張するから先に行ってる…なんて、言えないよなぁ。)


 

「とにかく行こうか、2人は何食べるの?」



 こうして、僕たち”放課後の悪魔に会いたい集団“は、学校から徒歩3分の位置にあるカフェで時間潰しすることになった…











「…なぁ…誠。最初に聞いた情報と人数が、合ってねぇような気がすんだけど」


 僕のすぐ隣に座ってイチゴスノウクリームを飲んでいる孝志が顔を寄せて小さな声でそう言った。


「…うん、僕も思ってた…男子、いるね」


 少し離れたテーブル席、いつもの煩い女子グループの他に知らない男子生徒数人が女子たちと楽しそうに談笑している。


 そこから一つ席を開けたところには、ふくよかな体型をした男子生徒がストローで抹茶ミルクを飲みながらスマホを見ていた。


 僕のクラスメイトじゃない。


 たぶん女子たちと同じクラスの人たちだ。


 それをカウンターの席から眺めていると孝志の隣に座る五十嵐くんが野菜のキッシュをゆっくりと味わいながら、興味なさそうに集団を横目で見た。


「少し席離れたとこに座ってんのが都市伝説オタクの先輩。

 あとの数人は女子目当てだろ、彼女作りて~って雰囲気すげぇ出てる」



 五十嵐くんが何気なく言った言葉に、僕の鼓動が早くなる。



 (い、今じゃないか?聞くなら、今しかないんじゃないか?)



「……い、五十嵐くんは、彼女、欲しいとか、思わないの?」


 なるべく不自然にならないように僕は、飲み終わったグラスに目を向けながら五十嵐くんに聞いた。


 (この流れで”冬美と付き合ってるよ”って言ってくれ…!)


 少し声が上ずった気がしたけど、五十嵐くんは特に気にした様子もなく言葉を続ける。



「あー…俺…ずっと好きなやつがいるんだよね。ソイツ以外は考えてない」


「え!?す、好きな人!?いるの…!?」


「ま、マジかよ?…俺らの知ってるやつ?」


「ん~?…ははっ、教えるわけねぇし …秘密」


 いきなりの告白に、さすがの孝志も驚いたのか「いつからだ…?」と、唖然とした表情で五十嵐くんを見つめる。


  動揺したせいか、孝志の手に持っていたスノウクリームがぐらりと傾いてピンクの液体が孝志の制服にこぼれ落ちた。


「あっ、やべっ」


「結構溢れてんじゃん。待ってろ、今ティッシュやるから」


「あぁ、悪い」


「秘密って…」


 (…秘密って、なんだよ。なんで、教えてくれないんだよ…)


 ( 好きな人って“冬美"じゃないの?)


  イケメンで、女の子にモテる五十嵐くんが好きな相手に未だに告白をしてないなんて…信じられない。


 (冬美じゃないなら…誰?)


  でも、じゃあどうして。


  好きな人がいるのに――



 





 冬美と抱き合っていたの?




「お、お前ほどモテる男が…告白もしてねぇなんて、信じられねぇ」


 僕の心を代弁するかのように、服の汚れをティッシュで拭きながら孝志が言葉を投げかける。


(…!孝志、よく言ってくれた!)


「モテるって、“顔だけ”だろ?俺はさ…顔とか医者の息子とか関係なく“俺を”見てくれるやつが好きなんだよ」


「告白は?しねぇの?」


「しない。ソイツいま、部活忙しいみたいだから…邪魔したくねぇ」


 (!?部活…!ふ、冬美じゃない!!)


 冬美は家庭のこともあって部活に入っていない。

 僕は二人の会話に、心の中で密かにガッツポーズをした。



「…そっか、まー…頑張れよ!俺は…恋愛とかよくわかんねぇから。

 でも、お前が顔だけじゃないイイ奴だってのは誰よりも知ってるから。


 あー、お前なら大丈夫だ!」


「ははっ、すげー雑な応援!でも、ありがとなぁ」


 五十嵐くんはコーヒーの最後の一口を飲み切ると僕たちの飲み終わったドリンクを回収して、静かに席を立った。


 なんで、五十嵐くんってやること全部スマートなんだろうか。


 僕たちにしか見せない五十嵐くんの笑顔を偶然見てしまったテーブル席に座る女子グループは、変な悲鳴を上げて胸を強く押さえ悶えていた。






◇◇◇




 夕陽が差し込む廊下は昼間の喧騒が嘘みたいに静かだった。

 僕たちの足音だけが、コツコツと響く。


 学校に戻る頃には、校舎の明かりはほとんど消えていた。

 残っているのは、近い大会に向けて頑張っている野球部と吹奏楽部くらいだろう。


 室内の部活はほとんど終わっているようで、校舎の中には微かに楽器の音が聞こえるだけだった。


 廊下も教室の窓は、どこも真っ暗でまるで僕たちが“迷い込んではいけない場所”に入ろうとしているようだった。


 誰もいない教室のドアが少しだけ開いている。

 

 窓も開いていないはずなのに、外から見える薄暗い教室のカーテンがほんの少しだけふわりと、揺れているように見えた。


 …まるで、誰かがそこに“いた”かのように。


(嫌だなぁ。行きたくないな…)


 そんなことを考えてたせいか。


 僕の足は、ほんの少しだけ遅くなってしまう。

 前を歩く2人がそれに気づいて、後ろを振り返った。


「誠、大丈夫か?」


「…う、うん。大丈夫だよ」


「顔色悪いな…やめるか?言いづらいなら俺が原因だし。アイツらに言っておくぞ?」


「本当に、大丈夫だから!ほ、ほら、前、遅れちゃってるよ」


「…具合悪くなったら、早く言えよ…」


「うん、ありがと孝志、五十嵐くん」


 怖くないけど、いつも当たり前に見ていた光景が、毎日見ている学校が放課後というだけで、こんなにも見え方が変わるなんて知らなかった。


 少し前を歩く女子たちは、何が楽しいのかスマホで動画の撮影をしている。

 近くにいる男子も無邪気にはしゃぎ飛び跳ねていた。


 (たぶん、本当の”目的“を忘れてるんだろうな…)


 日常では感じられない放課後の雰囲気が彼女たちを変えたのだろうか?


 五十嵐くんと少しでもお近づきになりたかった女の子たちは、今や、放課後の悪魔に夢中だ。




 (悪魔は”人を魅了”するってよく言われるけど…)




 姿もない、ただの噂でも…

 悪魔は人を魅了してしまうのかもしれない…




「しーっ、静かにしてくれよ」


 先頭を歩いている、都市伝説オタク―

 いや、3年の藤沢先輩は振り返ると唇に人差し指をつけて女子たちに注意をする。


 美術部所属の部長である先輩は、部室のカギを管理しているので先生に怪しまれることなく鍵を持ち出せる。


 彼の少しふっくらした手には『美術準備室』と手書きで書かれた鍵が握られていた。


 カフェで少しだけ彼と話したからわかったことだが、彼は”本当の都市伝説“が好きなだけで五十嵐くんにも、学校七不思議にも興味はない。


 鍵が開けられるというだけで、女子たちに呼ばれた。


 所謂”巻き込まれ“というやつだ。


 放課後の悪魔が現れると言われている大鏡は、噂が広がる前は美術室の壁に飾られていたとか。


 今は、美術準備室に置かれているらしい。


 学校の七不思議に放課後の悪魔が追加されたことで、前にいた美術の先生が早々に大鏡を準備室に隠してしまったそうだ。


「あまり騒がないで”儀式“が終わったらすぐに帰れよ」


 美術室の鍵を開けながら、藤沢先輩が僕たちに向けて迷惑そうに顔を向ける。


 僕たちは望んで来たわけじゃないけど、真面目に部活をしている藤沢先輩になんだか申し訳ない気持ちになる。


 先に美術室に入った藤沢先輩が部屋の電気をつける。


 窓から差し込む夕日の光でも十分だと思っていたけど電気をつけた瞬間、パッと部屋全体が白く明るくなって”日常“に戻れたようで、少しだけ安心した。


「こっち、早く来て」


 美術室の教卓を進んだ奥の方、生徒が入ることを許されていない。

 『美術準備室』と書かれた扉の鍵を、藤沢先輩がゆっくりと回した。



「すごい!鏡だ!!本当にあった!」



 女子グループの中の一人が鏡を見つけたのだろう。

 興奮したような声を上げて部屋の奥に向けて指を差した。


 

 全員の目線が女子が指さした方に自然と向けられる。


 美術の授業に使うであろう画用紙の束

 積みあがった絵の具で汚れた木の板


 授業で使う教材を隠すようにかぶせられた

 白い布の近くの壁には、埃のかぶった――




 大きな鏡が飾られていた。



「…鏡だ」


「アンティークってやつかな?…飾りがキレイ」


「見るからに日本製じゃないな」


 大きな鏡は外国製なのか、外国映画に出てくる貴族の部屋に飾られているような豪華な装飾が施されていた。


 でも、こんな高そうな鏡—


 誰がなんのために買って美術室に飾っていたんだろう…?


 大きな鏡は準備室の窓に真正面の位置に設置されていて、窓から差し込むオレンジ色の光で、鏡の半分しか見えない。


 それなのに、鏡の前に立ち鏡に映る藤沢先輩の表情が──


 光の加減のせいか笑ってるように見えた。


 その笑みは見ているこっちを試しているような、人のものじゃない、歪んだ笑いだった。



 背筋にゾワリと、悪寒が走る。


 冬でもないのに、服の上から”鳥肌”が立つのがわかった。

 誰にも気づかれないように、両手でそっと腕をさする。


 昨日、寝る前に見た不穏なスレの書き込みのせいで、僕だけこの鏡が不気味に見えてしまっているのだろうか?


 女子たちは藤沢先輩を押しのけて無邪気に鏡へと近づいた。

 スマホが、カシャッカシャッと音を立てる。



「なぁ、その儀式ってやつ?暗くなる前に早くやろうぜ。お前らも遅くなって親に怒られたくないだろ?」


 入り口近くまで追いやられた先輩の隣、ポケットに手を突っ込んだまま五十嵐くんがため息交じりに言った。

 

 女子たちは顔を赤らめて鏡の前からそそくさと離れて行く。


 ようやく本来の目的を思い出したようだ。


 (僕としても、この部屋には長くいたくない。なんか、入った時から、嫌な感じがするんだ…)



「で?儀式って、なにすんの?」


 自分の近くにいた女子に五十嵐くんが顔を向けて無表情のまま尋ねる。


「えっ?わ、私に、聞いてるの!?」


「…そうだけど」


 話しかけられた子は、やたらと自分の髪を何度も触って、五十嵐くんを横目に見て言葉を続けた。


「か、鏡の前に立ってね、悪魔が声をかけてくれるまで待つの…。

 あ!でも、必ず声が聞こえるわけじゃないからこれをやった先輩たちは―


 『3分』って時間決めてやってたらしいよ!」


「…3分、鏡の前で立てばいいんだな。…わかった」


 儀式の説明を聞いた五十嵐くんは迷いなく大鏡の前に立った。

 そして、鏡を見たまま「孝志、3分タイマー頼んだ」と僕の隣に立つ孝志に声をかける。


「えっ、お前が最初にやんのかよ」


「やる。俺に何もなかったら誠たち連れて帰るから」


「…りょーかい」


 文句を言いながらも孝志はスマホを取り出すとタイマーをセットした。


 五十嵐くんはなにか言いたげな女子たちの視線を無視して、ポケットに手を突っ込んだまま鏡と対峙していた。


 たぶん、女の子たちは自分たちも儀式をする気だったのだろう。


 しかし、大好きな五十嵐くんを差し置いてまで儀式をするつもはないようで、みんな無言で頷いていた。

 

 連れの男子も、鏡の放つ不穏な雰囲気に怖気づいているのか、入口から誰も動こうとしない。



 鏡の前に立つのは、五十嵐くんだけ。

 僕は鏡の前に立つ五十嵐くんから目が離せなかった。

 

 頭には掲示板で見た文字がチラつく…  

                                                                                                                        


 『悪魔は人を騙すけど”嘘”はつかへんよ』




 (…なにも、起きないでくれ)




 僕が、彼の横顔に向けて、

 そう心の中で祈ったときだった――









『すいません、何を言ってるのか聞き取れませんでした』



「!?」



『すいません、何を言ってるのか 聞き取れませんでした』


「えっ!?」


 誰かのスマホから機械的な声が流れた。

 すぐに、他のスマホもそれに続くように—


『すいません、何を言ってるのか聞き取れませんでした』


「なんでっ…」


「嘘だろ…」


『…すいません、… 聞き取れません でした』


「いやだっ、じょ、冗談やめてよ…!」


「マジで笑えないからっ!やめてって!!」


「お、おれ、なにもしてねーよ!」


『…すいません、… 聞き取れませせせせせせせ』


「嘘でしょ、誰か止めて!」


「きゃあああっ」



 僕のスマホはポケットの中だ。

 


 それなのに、どうして…




 どうして誰も喋ってないのに

 反応してるんだ!?




 鳴りやまない機械の音声。

 ついに誰かが悲鳴を上げた。


 その悲鳴をトリガーに、室内にいた生徒たちが次々と逃げるように準備室の外へと出ていった。


 突然のことに僕と孝志は動けない。


 恐怖よりも、困惑の感情のほうが大きいのかもしれない。 

 外ではパニックになった声や、泣き声が響いていた


(一体、なにがどうなっているんだ?)


「っそうだ、五十嵐くんはー」


 五十嵐くんは儀式中だ。


 でも、どう考えても今この空間で”おかしなこと”が起こっている。


 (五十嵐くんを連れて早く僕たちも外に出よう…!)


 僕は五十嵐くんに駆け寄って右手を掴んだ。



 

 その時―――


 偶然にも、本人ではなく“鏡の中の彼”と目が合った。



「…えっ」



 普段からクールで絶対に表情を崩さないはずの冷静な五十嵐くんが…



 鏡の中の五十嵐くんの顔が…











 いまにも泣きそうなほど、歪んでいた。




「…五十嵐くん?」



 なにか、見えたのだろうか?


 僕は鏡を凝視する五十嵐くんの少し後ろに立って、恐る恐る鏡の中を見た。



 鏡の中には五十嵐くんの姿が映ってるだけで—









 五十嵐くん以外、そこには















 何も映ってなかった…











最後まで読んで頂きありがとうございました!

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