第2話『3人目の友達』
【前回のあらすじ】
小学生の姿で目覚めた誠・冬美・孝志の3人。
そこは、“何もない真っ白な空間”だった。
やがて現れたのは、左腕を失い「悪魔と契約した」と語る五十嵐。
衝撃的な光景に誠の脳裏にあの日、五十嵐と出会った“夜の公園”の記憶が蘇る…
「子供が出歩く時間じゃない。早く家に帰れよ」
「子供って…俺ら同い年じゃん」
孝志が呆れたように言い返すと五十嵐くんはマスクの中、ふっと鼻で笑った。
五十嵐くんは無口で、不愛想。頭も良くて顔も整っている。
医者の家系で、実家はかなりのお金持ちらしい。
五十嵐くんは転校初日から女子の注目の的だった。
僕も何度か廊下で女子に彼が告白されている場面を見た。
五十嵐くんは、誰ともつるまない。一匹狼みたいな存在だ。
正直、卒業するまで会話することは無いと思っていたから
話しかけられて、内心驚いている。
「…あぁ、なるほど。“噂”って本当だったんだな」
彼の視線が、僕たちとベンチに広げられた薬や冷えピタ。
そして、冬美の足の傷をざっと見越していく。
納得したように五十嵐くんはスッと切れ長の目を細めた。
マスクで口元は見えない。
きっと、口元には皮肉気な笑みを浮かべているのだろう。
(馬鹿にしてる…?)
きっと五十嵐くんが言っている“噂”というのは、冬美と孝志のことだ。
2人の体を見れば家庭環境が良くないことなんてすぐにわかる。
医者の家系に生まれた彼なら余計に気づきやすいのかもしれない。
学校でも、二人のことはよく噂されていた。
話題に困った生徒たちが友達同士の間で軽く話すための—―
“ネタ”として。
だから、五十嵐くんが知っているのは当然だ。
だけど、彼のその無遠慮な態度と視線が、
まるで二人を「見下している」ようで気分が悪い。
孝志も同じように感じたのか、
「お前に関係ないだろ。放っておけよ」と、
彼にしては珍しく、目を鋭くして五十嵐くんを睨みつけていた。
——と、そのとき
ぐうううううううう~~…
「…」
「……」
「………」
3人の間に、場違いで“間抜けな音”が響いた。
音のした方に目を向けると
冬美が顔を真っ赤にして俯いている。
「…ごめん誠くん。おにぎり、足りなかったみたい…」
お腹空きました…小さな声で、冬美が言った。
「足りないって・・・」
困った。僕のお小遣いは薬を買うのに
使ってしまってほとんど残っていない。
残ってても10円くらいだ。
…10円ではパンも買えない。
「…あー、あのさ…」
沈黙を破るように、五十嵐くんが遠慮がちに声をかける。
「俺の家に、特上寿司余ってんだよね……食う?」
「と、とくじょう…」
「寿司…」
(さ、流石お金持ち。夕飯がお寿司なんて贅沢過ぎる…!)
「あ、あの!お、大トロはありますか!」
お腹を押さえながら冬美が右手を大きく上げる。
「冬美!?何言ってんの?」
「だ、だって、私大トロ食べたことないから。食べたい!!」
「そ、そんなの、僕だってないよ!」
(なんなら、食べてみたい。)
「…大トロ…俺も、食ったことねぇや」
ポツリと、孝志も呟くように言った。
「っははは!!」
僕らのやり取りを見ていた五十嵐くんが、耐え切れないとばかりに声を上げて笑う。
(…五十嵐くんって笑うんだ)
失礼な話かもしれないけど、僕は彼を“笑わない子供”だと思っていた。
今、目の前に立って笑う五十嵐くんの姿は普段の大人びた印象と打って変わって、“年相応”に見えた。
「ははっ、ごめんごめん。大トロも中トロもあるよ」
「本当!?」
「ほんと、ほんと…んじゃ、3人とも俺んち来いよ。
こっからそんな遠くねぇし……親もいないから」
ひとしきり笑うと五十嵐くんが僕たちに背を向けて歩き出す。
僕たち3人は互いに顔を見合わせると、五十嵐くんの背中を追いかけた。
「あ!」
公園の街灯を過ぎたあたりで、僕は母さんとの約束を思い出した。
3人の足が前に進む中、僕の足だけがピタリと止まる。
「…ごめん。僕…夕飯には帰ってこいって母さんに言われてて」
「あ、そっか…もうこんなに時間経ってたんだね」
「…うん」
…本当はみんなと一緒にお寿司が食べたい。
でも、母さんと夕飯までには帰ってくるって約束したから。
これ以上、母さんに迷惑かけることをしたくなかった。
「…小林、お前。母親の番号分かる?」
「えっ…?」
「連絡すりゃいいだろ。友達の家でご飯食べて帰るって」
五十嵐くんはパーカーのポケットからスマホを取り出す。
そして、ゆっくりとした足取りで僕に近づいてきた。
「番号わかんの?わかんねーの、どっち?」
「あ、母さんのなら知ってる」
「んじゃ、教えて。俺が電話かけっから」
「!あ、ありがと」
「ん」
僕は五十嵐くんに母親の番号を伝えると、五十嵐くんは軽快なタップを鳴らしながら番号を打っていく。
「非通知だけど……出たな。俺から説明しとく。
先に行ってて…大丈夫、ちゃんと許可もらってから行くから」
五十嵐くんは電話の向こうの母さんと会話しながら、僕の背中を二人が待つ公園の外へと押し出した。
◇◇◇
五十嵐くんが言ったように、彼の自宅は公園から近い位置にあった。
公園をまっすぐ進んだ曲がり角の先、見上げてもてっぺんの先が見えない高層マンションを僕たちは、ポカーンと口を開けて首が痛くなるほど見上げていた。
マンションの入り口には警備員が立っていた。
「ここ…僕たちなんかが入ってもいいのかな?」
「警察、よばれたりしないよね?」
「五十嵐に招待されてんだから、そ、それは…ないだろ」
「でも、あの警備員さんの顔コワイよ?」
「わ!冬美!?指差しちゃダメだよ!?
怒ってこっちに来たらどうするんだ!」
「その時は孝志くんを盾にするから大丈夫だよ!」
「俺が大丈夫じゃねーわ!!」
「……お前らなに漫才やってんだよ。早く来い」
「え、あ、お邪魔します!」
「小林…まだ玄関にすら入ってねぇよ」
マンションの入り口の手前で綺麗にお辞儀をする僕を五十嵐くんが呆れたように見下ろしていた。
緊張しながら五十嵐くんの後ろについて玄関に入る。
広いホールのような場所を抜けると、銀色に輝く大きなエレベーターの扉が見えた。
広いエレベーターの中、僕と同じように孝志の腕を不安そうに掴む冬美が小声で「まんざいってなに?」と孝志に聞いて、孝志を困らせていた。
冬美の家にはテレビが無い。
彼女の家は母親にとって『寝る場所』でしかないからだ。
(あと、漫才って小学生が言葉で説明するのは難しいよね…)
よく行くデパートのエレベーターよりも広い空間。
あまりにも自分たちが場違い過ぎて
エレベーターの隅っこ、孝志を真ん中に
身を寄せ合うようにして到着するのを待った。
そんな僕たちの姿を五十嵐くんは羨ましそうな目線を送りながら「お前らってほんと仲良しな」と言って少し寂しそうな笑みを浮かべて見ていた。
「寿司は入ってまっすぐ進んだとこ。リビングに置いてあるから」
家に到着するなりそう言って五十嵐くんは
長い廊下の向こうに消えて行く。
五十嵐くんの背中を見送った僕たちは言われた通り、広い廊下をダンゴムシのように一列に固まって進んで行き、明るいリビングへとたどり着いた。
「わ~」
冬美が小さく声を上げる。
僕と孝志も目の前の光景に言葉を失っていた。
広い室内、高い天井、はじめて見るオープンキッチン。
理科の実験室にある机くらい大きなテーブルの上には、見たことのないサイズの桶に入ったお寿司が置かれている。
高級なお寿司がリビングの照明に照らされ、キラキラと輝いていた。
「…お、お皿ってどこかな?」
興奮を隠しきれない様子で冬美が僕たちの顔を見る。
僕たちは顔を見合わせ入口の扉の近くに背負っていたランドセルを置いた。
――探索開始だ。
オープンキッチンは使われた形跡がほとんどない。
高そうな木で作られた戸棚には皿が積みあがっている。
…絶対高い、割ってしまうのが怖くて取り出せない。
「高いお寿司って…手で、食べたらダメだよね?」
「えっ、たぶん…やっぱり箸とか使って食べるんじゃない?」
「この家、箸すら見当たらねぇぞ」
「割り箸なら、桶の隣にあったよ!」
「えっ、高いお寿司だよ?割り箸なんかで食べたらダメだって!」
「それだと、手づかみしかないよ?」
「…高級なお寿司を食べれる素手ってなんだ?」
「あっ、それ以前に僕たち、手、洗ってないよ?」
「…あ、確かに」
「わ、私たち、食べる資格すらなかったの?」
「あはは!お前らの会話って ほんと聞いてて飽きねぇわ」
「い、五十嵐くん!」
「好きに食えばいいんだよ。手づかみでも、なんでも。お前らが食べやすい方法で食べろ、俺は気にしねぇよ」
室内着に着替えた五十嵐くんがソファーに座りながら僕たちの方を見て、クスクスと笑っている。
お腹がペコペコだったこともあって、
僕たちは五十嵐くんの言葉に甘えることにした。
3人で急いで手を洗って席に着く。
冬美は手づかみ、僕と孝志は割り箸を使って桶の中の寿司を平らげていった。
「うまっ!」
「おいひぃ~!!」
「美味しい!!」
はじめて食べる特上寿司は文句なく美味しかった。
大トロは、魚とは思えないくらい、脂がのっててトロトロで最高においしい。
「ふ~、もう僕はお腹いっぱい」
小食の僕は寿司8貫食べてギブアップだ。
2人は黙々と残りの寿司を食べている。
その姿を見て、申し訳ない気持ちになる。
(今日のおにぎりは母さんが握ったからか、
いつもより小さかったもんな…)
二人のおにぎりは、いつも僕が握っていた。
綺麗とは程遠い、中身の具が飛び出した野球ボールみたいに“丸い”おにぎり。
(だけど、明日から僕はもう…
二人におにぎりを渡せなくなってしまった)
子供の僕に選択肢なんてない。
母さんが「ダメ」と言ったなら、僕はもうそれに従うしかないんだ…。
「小林。そこに突っ立ってないで、隣座れば?」
ソファーに座る五十嵐くんから声をかけられる。
「えっ、いいいの?」
「うん。目の前で立ってられるほうが、なんか気になるし」
「あ、ありがと」
五十嵐くんに言われて僕は少し間をあけて、スマホをいじる五十嵐くんの隣に座る。
「あのさ、五十嵐くんは…あの時間どうして外にいたの?」
「……買い物」
僕の質問に彼は目線をスマホに向けたまま、そっけなく答えた。
「そうなんだ…」
(こんな夜遅くに…?買い物?)
腹が満たされると公園では感じなかった違和感に気づく。
リビングで見たお寿司は中身がほとんど残っていた。
リビングを探索した時、開いた冷蔵庫には食べ物は無くても飲み物は水にジュースと、完備されていた。
冬美がお菓子の詰まった引き出しも発見している。
(この家には必要なモノが揃ってる。それなのに、どうしてこんな夜遅くに五十嵐くんはご飯も食べずに出かけていたんだ?)
「あの、お寿司ありがとう、でも…五十嵐くんのご飯は?
あのお寿司じゃなかったの?」
心にひっかかりが生まれて、僕は彼に素直に聞くことにした。
「…一貫、食ったら…吐いた」
「吐いた!?」
五十嵐くんの予想外の答えに、僕の声が思わず大きくなってしまう。
寿司を食べていた二人の手が止まり二人同時に顔を上げる。
外にいた時は気づかなかったけど、今になってようやく気付いた。
スマホをいじる五十嵐くんの顔色は青白い。
額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
寿司を食べては吐いたってことは…
相当具合が悪いってことだ。
「五十嵐、ちょっとおでこ触るぞ」
「はっ?」
さっきまで反対側にいたはずの孝志が気づけばすぐ隣にいた。
孝志はそのまま五十嵐くんの額にためらいもなく手を当てる。
そして、すぐにもう片方の手を自分の額にあてると、ゆっくり瞼を閉じた。
突然のことに五十嵐くんは目を見開き硬直していた。
数秒、孝志は手のひらに感じる熱に集中したかと思うと、大きくため息を吐いた。
「……はぁ。誠、冬美。やっぱコイツ、風邪引いてるわ」
「風邪!?」
孝志の言葉に冬美も五十嵐くんの元へ駆け寄る。そして、彼の顔をジッと見ると「わ!顔真っ赤だよ!」と言って服の袖で汗を優しく拭き取っていた。
「誠〜、五十嵐が持ってた袋の確認」
「了解!」
「…」
「冷えピタ貼った方がいいんじゃない?」
「そうだな、冷えピタもだけど…まずは薬だな」
「おかゆは?私、買ってくる?」
「た、立花は、ダメだろ…外、暗いし、危ない」
硬直から復活した五十嵐が困惑した表情のまま、なんとか声を絞り出した。
「五十嵐の言う通りだな。俺が買ってくるわ。誠〜!袋の中身、なに入ってた?」
「アクエリアス3本!」
「はぁ!?五十嵐…お前、医者の息子がアクエリって」
孝志は五十嵐くんをソファーに横たわらせながら
呆れたようにため息を吐いた。
孝志の母親がいなくなったのは小学3年の頃。
父親が風邪をひくといつも孝志が母親代わりに看病していた。
彼は“看病のスペシャリスト”だ。
僕も冬美もよく気づかないで風邪をひく。
そのたびに孝志がいつも教室で、下校ギリギリまでずっとそばで看病してくれる。
その優しさに僕と冬美は、何度救われたかわからない。
「んじゃ、薬とおかゆ、あと体温計も買ってくる」
「あ、待って孝志。アイス枕…は時間かかるね。氷とソレを入れるやつも、かな」
「確かに、冷やしてる時間ないもんな。」
「まっ、待ってくれ!」
五十嵐くんは青白い顔のまま起き上がると、リビングを出て行く。
数秒もしないうちにドタバタという足音が聞こえてくる。
戻ってきた五十嵐くんの手には黒い財布が握られていた。
「っこれ、使ってくれ。流石に、金まで世話になるのは……悪いから」
「…ありがとな、金ねぇからもともとお前から借りるつもりだった。ありがたく、使わせてもらうわ!」
「五十嵐くん、小さいタオルとかってある?」
「えっ…たぶん、風呂場にあると思う」
「私、取ってくるね!誠くんは五十嵐くんのこと寝かせといて!」
「うん、任せて!あの、五十嵐くん立てる?…部屋入っても、大丈夫かな?」
「…うん、いいよ」
「ありがと、僕が支えなくて大丈夫?」
「歩けるよ、心配ない…」
放心状態だった五十嵐くんは立ち上がる。
そして、ゆっくりとした足取りで自室に向かって歩き出した。
その歩幅に合わせるように、僕と孝志も後ろからついて行った。
「なぁ、五十嵐。あんまひでぇようならお前の両親に連絡しといたほうがいいんじゃねーの?」
孝志が後ろから声をかける。
五十嵐くんはピタリと歩みを止めた。
そして、青白い顔のまま、瞼を少し伏せたままつぶやくように言った。
「連絡しても、たぶん来ねぇよ…あの人たちは、俺のこと風邪ひかない子供だと思ってっから…」
「は?」
五十嵐くんの言葉に僕と孝志は驚いた。
「っな、なに言ってるんだよ。風邪をひかない人間なんて、いるわけない」
大人だって風邪を引く。
まだ体が出来てない子供なら尚更だ。
少しの沈黙のあと、五十嵐くんはゆっくりとこちらを振り返らずに言った。
「…おれのために、怒ってくれてんの?小林も犬飼も、優しいやつなんだなぁ」
風邪を引いてるせいなのか、五十嵐くんの声には幼さが滲み出ていた。
(優しいって、なんだよ。風邪は、病気なんだよ。…キミの家族は、医者なのに…そんなことも知らないかよ…)
「五十嵐くん…」
再び歩き出した少し猫背になった彼の背中は…
公園の時とは違って、酷く頼りなそうに見えた…
◇◇◇
リビングほどではないけど、五十嵐くんの部屋は広い。
大型テレビの前には白いソファーが置かれていて
勉強机には難しそうな本に薄型ノートパソコン。
その側には高そうなヘッドホンが雑に置かれている
…正直言って、羨ましい。
「…わかんねぇ…なんで、そんなに…俺が、風邪引いたって…お前らが困るわけでも、ねぇのに…」
「え…?」
ベッドの中に入った五十嵐くんは唇を歪ませて片腕で両目を覆うと、そんな言葉を吐き出した。
「それ、五十嵐くんにそっくりそのまま返してあげる!」
部屋に入って来た冬美が、元気よく言葉を返す。
その手には小さいタオルが入った風呂桶があった。
「そのままって…」
「うん。そうだね…
だって冬美や孝志がお腹へっても
五十嵐くんは何も困らないだろう?
それなのにお寿司を食べさせてくれた。
…冬美の心配もしてくれた。
五十嵐くんが優しいから。
だから、僕たちだって
五十嵐くんが困ってたら…
助けたいって、思うんだ」
「…」
彼は片腕で両目を覆ったまま、静かに言葉を続けた…。
「俺…両親が、仕事忙しくて…
家にも、滅多に帰ってこないから
看病とか、されたことないんだ」
「えっ」
「両親は、俺のこと完璧な子供だと思っててさ。自分たちが面倒見なくても…“餌代”置いて死なないようにしてれば、いいって思ってんだよ…」
「餌代って…」
「餌代だろ?…普通の飯って俺はよくわかんねーから、両親がテキトーに置いた金とテキトーに置いた宅配のチラシ見て。
いつも、誰が作ったかわかんねー飯食ってたんだ…」
「五十嵐くん…」
「栄養とか、わかんねーし。でも両親に
「学校は休むな」って言われてっから。
風邪ひいても…治し方も知らねーから…無理して登校してたんだ」
「…」
僕は言葉を飲み込んだ。
何か、言わなきゃって思うのに言葉が出てこない…。
五十嵐くんの指先が小さく震えていた。
それでも、腕を避けようとしない。
でも、僕たちには、もうわかってた。
彼が今、泣きそうなのを…
初めて貰った“優しさ”にどうしていいか、わからないんだ。
「五十嵐くん」
僕は五十嵐くんのベッドにそっと近づいた。
「誰が作ったか、わかんないって言ってたけど」
「…うん」
「僕は、今日のお寿司、すっごく美味しかったよ!」
「…おれが、作ったものじゃない」
「…同情だっていいよ。五十嵐くんが僕たちを少しでも助けたいって思ってくれた、その優しい気持ちが嬉しいんだ」
「…きもち?」
そのときはじめて、五十嵐くんは腕を避けて僕をまっすぐ見た。
彼の目には、涙がにじんでいた。
「だから今度は、僕たちが返す番だよ。
早く風邪を治して、明日元気になって学校に行くんだ!」
「…っおれは、なにをすればいい?
どうすれば、風邪って治るんだ?」
答えを求めるように五十嵐くんの目線が孝志に向けられる。
すると、孝志は五十嵐くんを安心させるように、優しい笑顔を浮かべた。
「五十嵐の仕事は、寝ることだ!」
寝てろ!そう言って孝志は薬を買うために玄関を出て行った。
五十嵐くんの家はオートロック式だから鍵の心配はしなくていいだろう。
残された僕と冬美の仕事は孝志が帰ってくるまでの五十嵐くんのお世話だ。
孝志の背中を3人で見送ると冬美がアクエリアスを「薬が来るまで水分補給!」と言って五十嵐くんに差し出している。
一瞬ポカンとしたあと、ふっと柔らかく微笑むと五十嵐くんは「ありがとう」そう言って、冬美からペットボトルをそっと受け取った。
「…驚いた。」
「…い、イケメンの笑顔の破壊力ってすごいんだね」
「?お前ら、なに言ってんだ??」
教室では常に無表情クールな五十嵐くんの
自然な笑顔は、僕と美人の冬美でさえ硬直させた。
「小林の母親に泊まるって連絡しとく」
目元が赤いまま、いつもの調子を取り戻した五十嵐くんはポケットからスマホを取り出すと、再び僕の母親に電話をかけた…。
◇◇◇
——深夜0時
「お、37度だ。下がってよかったね」
「あぁ、小林も遅くまでありがとうな。—それにしても」
ベットの上、頭に冷えピタを貼った五十嵐くんは自室に置かれたソファーの上に眠る二人に目を向けた。
「犬飼のやつ、寝るのが俺の仕事じゃなかったのかよ」
呆れたように笑う五十嵐くんの瞳には、公園の時とは違う柔らかな優しさが見える。
さっきまで五十嵐くんの看病をしていた孝志は早々に寝落ちしてしまった。
それに続くように使った食器を洗い終えた冬美も、
大きく欠伸をしながら孝志の膝の上にコロンっと横たわり
小さな寝息を立てて夢の世界に旅立った。
「…立花はさ、帰らなくて大丈夫なのか?」
冬美の方に目を向けながら五十嵐くんがポツリと言った。
「たぶん大丈夫、冬美のお母さんほとんど朝帰りらしいから…
恋人も、冬美を心配するような優しい心なんて持ってないよ」
「…犬飼は?」
「さっき買い物ついでに公衆電話でお父さんに連絡したって言ってたから大丈夫だと思う…。
孝志のお父さんは、お酒飲まなければ普通の人だから…」
「そっか…。小林は眠くねーの?」
「この時間は、いつも自分の部屋でゲームやってるよ」
「ははっ、小林も俺と同じ夜型か」
「五十嵐くんも?」
「うん、この時間はゲーム配信動画見てる」
「ゲームやらないの?」
「俺は見る派」
「そうなんだ…」
薬を飲んでさっきまで眠っていたからか、
五十嵐くんの会話はどこかポワッとしてる。
僕は熱を吸ってカラカラに乾いた冷えピタを新しいものに取り換えた。
「冷っ……風邪の看病って、こんな感じなんだな」
「ほとんどの家がこうだと思うよ。
あんまりひどかったから病院だけど。…軽い方でよかったね」
「…なんか、いいな…こういうの…」
「僕も。看病されるのってさ、な、なんかいいよね…」
風邪の時は体が辛い。
それでも部屋に母さんが来て
冷えピタを貼り変えてくれたり
おかゆを食べさせてくれる。
…あの時間が僕は好きだった。
「小林は…すごいよな。」
「えっ…?」
「お前がトイレ行ってる時に二人から聞いたんだよ。おにぎりのこと」
「おにぎり…」
そうだ、五十嵐くんの風邪のことですっかり忘れていた。
どうして僕たちが関わりの浅い五十嵐くんの家に来て、寿司を食べて、彼の看病をしているのか…
——僕はもう、二人に”おにぎり“を渡せなくなったんだ。
「僕は…なにも、すごくないよ」
子供の僕にできることなんて限られている。
本当は五十嵐くんみたいに二人にもっと美味しいもの…お寿司とか、食べさせてあげたかった。
「いや、小林は凄いよ。友達のためにそこまでできるやつ、いないと思うよ」
「…五十嵐くん」
「学校の先生も、生徒も、大人も…口先ばっかのやつが多いなかで、
お前は今日までずっと…
周りが無視し続けた。
あの二人の“命を繋いで”たんだ…
お前のおにぎりが…俺に繋いでくれたのかもしれないな」
「……っ五十嵐く、ん」
五十嵐君の言葉に僕の胸は張り裂けそうになる。
顔が熱くなって、瞳からは大粒の涙があふれ出した。
僕はずっと――
この自己満でしかない行為が正しいことなのかわからなかった。
協力してくれた母さんはいつも何か言いたげな表情でおにぎりを渡すだけで、僕が「正しい」とも「間違ってる」とも言ってくれなかった。
今日初めて、僕は誰かの言葉で…
自分の行動は間違っていないのだと言われたんだ。
「ごめっ…五十嵐く、ん…いつも、不安だったから」
「…うん」
「でも、ぼくは…っふたりに、死んで欲しくなくてぇ」
「うん、そうだな。いいやつらだもんな」
「うぅ…っふたりには、しあわせに…なって、欲しんだ…っ
ぼくが、笑えるようになったのは…
二人のおかげだから…っ」
「それも聞いた。お前が虐められてるのを2人が助けてくれたんだろ?」
「そうなんだ…あのとき、二人が助けてくれたから。
…だから僕も、何があっても
あの二人を守ろうって決めたんだ」
――あの日のことは、きっと一生忘れない。
あのときも、僕は泣いていた。
「…あのさ、小林。俺からちょっと提案なんだけど。
これから、二人の夕飯…
俺が用意してもいいか?
…用意と言っても、出前なんだけどさ」
「え!?い、いいの!?」
五十嵐くんの言葉に僕は思わず大きな声を出してしまう。
ソファーで眠る二人の姿が視界に入って、慌てて口を両手で塞ぐ。
その様子を見て五十嵐くんがふっと笑った。
「うん。両親は朝にしか帰ってこねぇし。
いつも置かれてる餌代も一人分にしては多いんだよな。
金銭感覚ぶっ壊れてるからさ、
足りねぇって言えばもっとくれると思う」
「そっ、それは、僕としては嬉しいけど… ほ、本当に、いいの?」
「いいよ。
………って言いたいけど、ひとつだけ条件がある」
「条件?」
「…明日からでいいからさ
お前らのグループに入れてくんね?」
「えっ!?」
「と、友達になって欲しいんだけど。…ダメか?」
「!!」
五十嵐くんの言葉に僕は驚いた。
きっと、大きく見開いた僕の瞳には、彼の姿が映ってる。
風邪のせいもあって、顔を赤くした五十嵐くんの表情には、緊張と不安の色が見えた気がした。
僕たちがいつも3人だけなのは…
冬美と孝志の家庭事情をちゃんと知ったうえで、一緒にいてくれる人が今までいなかったからだ。
でも、目の前の五十嵐くんはうわさ話に惑わされない。
ちゃんと冬美と孝志のことを“見ようとしてくれてる”
それに、僕が渡せなくなった“おにぎり”の代わりになりたいって…!
(もう、今日がおにぎりを渡せる最後の日だと思ってた)
「…っ五十嵐くん」
僕は、不安そうな目を向ける五十嵐くんに寝てる2人が起きてもいいくらい、大きな声でこう言った…
「そんなの、もちろん!大歓迎だよ!」
最後まで読んで頂きありがとうございました!