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悪魔のシェアハウス  作者: ユキマル02
【シェアハウス編】

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10/40

第10話『ようこそ!悪魔のシェアハウスへ!』☆

【前回のあらすじ】


儀式の翌日、五十嵐は何事もなかったかのように振る舞っていた。

安心したのもつかの間、彼は「ありがとう」と女子たちお礼を言っていた。

変わらなさの中に突然現れた、“違和感”。


そして、藤沢先輩によって

五十嵐が再び「鍵を借りていた」という証言が出てきて──


「あの日」彼は何を見て、何を隠しているのか。


しかし、関係が崩れることを恐れた誠は疑念を残したまま

五十嵐を問い詰めることなく卒業式を迎えた



それが、間違いだと気付いたときには


もう遅かった…











 ――高校の卒業式が終わった夜のことだった。




「誠とついに、酒が飲めるようになるのかぁ」


「も~気が早いわよお父さん!」


「二十歳なんてあっという間さ!誠と飲むために少し高いお酒買っておこうかな~」



「……」



 地元を離れる不安で、寝ることができない僕の耳に聞こえてきたのは、そんな酔っ払いたちの会話だった。


「まだ小さいって思ってたのに……男の子って本当に成長が早くて、寂しくなるわね」


 廊下に差し込む柔らかな光に混ざって母さんの寂しげな声が聞こえる。


「少し離れるだけだよ。永遠の別れってわけじゃない」


「そうね……」

 

 

 いつもは少しうるさく感じるその声が、今夜はなんだか心に染みた——。



 将来は、不安なことのほうが多い。


 だけど、大人になったからこそ出来ることもいっぱいある。


 今までお世話になった両親に恩返しできるのも、大人だからできることだ。


 お酒が飲めるようになって、自分の稼いだお金で車を買えば、好きな時に好きな場所へ行ける。


(ふ、冬美をドライブに誘うことだってできる)


 好きなモノを好きなだけ買って、食べたいものを食べる。家族を旅行に連れて行くことだってできる。


(なんだ、大人になるのも悪くないじゃん)


 酔っ払いたちのおかげで、少しだけ前向きな気持ちになれた。


 僕は柔らかな光がこぼれるリビングの扉に背を向けてトイレに向かう。


 トイレを済ませて部屋に戻ると、目を瞑っても訪れることのなかった眠気が急激に来た。


「ふわぁ…ねむ」


 僕はそれに抗うことなく前向きな気持ちのまま、明日を迎えるためにベッドに入った。


 眠る前にあった不安な気持ちは、なくなっていた……





 それなのに…













 




「っどうして、五十嵐くん」


 前も後ろも、広さも距離すらわからない真っ白な空間で僕たちは友達同士なのに、敵対するように向かい合っていた。


「五十嵐……腕、だ、大丈夫なのか?」


 恐る恐る孝志が近づく。その小さな背中を見て、僕は高校生だった彼との差を思い出す。


 栄養が十分に取れてない頃の孝志は僕より背が高いと言っても、高校生の五十嵐くんと比べたら、小さい方だった。


「痛くないのか?」


 小さくなっても孝志は変わらなかった。どんな時も友達想いの優しいやつだ。


「ま、誠くん」


 弱い力でパーカーが引っ張られる。


 小さくなった冬美が僕の後ろに隠れて、五十嵐くんを心配そうに見ていた。


「だ、大丈夫だよ。冬美」


 なにがあっても冬美だけは逃がせるように、僕は後ろ手で冬美の手を握った。


 冬美も不安なんだ。


 でも……冬美の手って、 こんなに小さかったっけ?



「ははっ、ここで俺のこと心配するの孝志らしいなぁ。腕は平気、痛くないよ」


 孝志の言葉に彼は一瞬、キョトンとした表情を浮かべると、次の瞬間には『いつもと変わらない』優しい笑みを浮かべていた。


 そして、自分の腰くらいの位置にいる孝志の頭を右手で優しく撫でる。


「そこは、おじさんがちゃあんと処置しとるから、安心したってや!」


「うわっ!?」


 一瞬の静寂を破ってきたのは、五十嵐くんの隣に立っていた『関西弁』を喋る男だった。


 背は五十嵐くんよりも高い。黒縁眼鏡に細身の白地のストライプのスーツ、短い赤毛は襟足のところで外にぴょんっと跳ね上がっている。


 驚いて尻もちをつく孝志を見下ろす瞳は『血のように赤い』


 (日本人、じゃないよね?)


「あらら?犬飼孝志クン、大丈夫か~?手、貸そか?」


 男の何気ない一言に僕は内心驚いた。


 なんで苗字だけじゃなくて、『名前』まで知っているんだ!?


「た、孝志っ、こっち」


 得体の知れない恐怖に駆られて、咄嗟に孝志の服の裾を引っ張りこちらに引き寄せる。


 ここがどこかもわからない以上は知ってる者同士固まっていた方がいいと判断したからだ。


 それに、見た目は小学生だけど、僕はもう高校を卒業した社会人一歩手前の人間だ……精神まで引っ張られたくない。


「だ、誰だよアンタ。五十嵐の知り合いか?」


 孝志も自分が今の姿に精神が引っ張られてることに気づいたのか、体勢を立て直すと僕と冬美をかばうように、両手を広げて二人を睨みつけた。


 孝志の対応に男はニヤッと笑って、五十嵐くんは顔を背けて少し悲しい表情をした。


「あらら~。おじさんたち、ずいぶんと嫌われてしもたなぁ『ご主人様』」


「黙れ。嫌われて当然のことやってんだ。今更、やめる気はねぇよ」


 男を見向きもせずに五十嵐くんが吐き捨てるように言うと、男は楽しげな表情を浮かべると五十嵐くんの肩に馴れ馴れしく手を回した。


「おじさんは全然かまへんよ~?五十嵐クンはおじさんと契約を交わしたご主人様やし~?」


「放課後の悪魔至上最高の『対価』を渡してくれたVIPやからね!なんでもしたるよぉ?」


「ど、どういうことなの、五十嵐くん」


「誠……さっきも言っただろ。ずっと一緒にいるために放課後の悪魔と『契約』した」


「それは、もう聞いたよ」


 ということは、やっぱり目の前にいる関西弁を喋る男が……――放課後の悪魔なんだ。



「ここは金に困らない。食べ物も…欲しいものも、望めばなんでも手に入る」


 五十嵐くんは地面に向けていた顔を上げると、僕たちを真っ直ぐ見据えた。


「冬美が男の暴力に怯えることもない。孝志が父親に殴られない……誠が地元を離れる必要もない……安全な場所だ」


「安全な、場所」


 五十嵐くんの言葉に後ろに隠れていた冬美が反応を示した。


 僕の服を掴む冬美の手が離れていくのを肌で感じて、言いようのない焦りに駆られた僕は冬美の手を握りなおした。そして、言うつもりのなかった言葉を吐き出してしまう。



「や、やっぱり、あの日……キミは悪魔に会ってたんだね」


「えっ、やっぱりって。どういうことだよ、誠」


 僕の言葉に孝志が後ろを振り返った。


「藤沢先輩から聞いたんだろ?」


 五十嵐くんは最初からわかっていたのか、僕が説明する前に声を重ねてきた。


「本当は、藤沢先輩の記憶も悪魔に消してもらう予定だった。……でも、こいつは油断すると俺の願いに『余計なもん』つけるから」


「え~、そんなことおじさんせぇへんよ?」


「するだろ、絶対。だから消さなかった。あぁ、いや、違うな……お前はさ、優しいから俺を問い詰めないって確信があったんだ」


「っ今は、キミに問い詰めなかったこと後悔してるよ」


「だろうな。お前にしては珍しく怒ってるの、わかるよ」


「なんで、こんなことしたんだっ」


 脳裏に過ぎるのは、公園で彼が言ってくれた言葉と優しい笑顔だった。


「五十嵐くんは僕が就職決まったこと喜んでくれたじゃないかっ!僕たちを閉じ込めて何がしたいんだ!?」


 音を反射する壁なんて無い。


 それなのに、僕の叫びはまるで体育館の中にいるのかと思うくらい空間に大きくこだました。


「別に……閉じ込めたくて閉じ込めたんじゃないよ――「閉じ込めなきゃダメ」だってだけ」


「閉じ込めなきゃダメって」


「悪い、理由は言えない」


「その、閉じ込めなきゃダメな理由は……お前が左腕を失うほどの理由なのかよ」


「そうだよ」


「僕たちを、こんな何もない空間に閉じ込めるために左腕を……キミの『利き手』を悪魔なんかに渡したの?」


 五十嵐くんは左利きだった。


 将来医者になって人の命を救う手が、左肩の下からごっそり消えている。


「今は、何も無いだけだ。これからココが俺たちの『家』になるんだ」


「家って……ここが?」


 五十嵐くんに言われて、僕たちはあたりを見回す。


「なんも、ねぇけど」



 どこを見ても、白…白――。



 ココが家だなんて思えなかった。



 いや、もし、ココが家だとしても僕はこんなところにいたくない。



 ――家族のところに帰りたい。




「誠クンは『自分のことしか』考えてへんな~」


「えっ」


 僕の思考を遮るように男の人はワザとらしく大きな声を出した。


「まぁ、まことに人間臭くて、騙しやすくておじさんは好きやけどね!でもなぁ、キミの生きる世界って幸せな人間より――不幸な人間の方が、圧倒的に多いんだよ?」


「!」


 さっきまでの流暢に関西弁を喋っていた男の口調が変わる。


 低い声の『標準語』のまま、男は話を続けた。



「誠くんって、本当の『地獄』見たことないでしょ?」


「地獄って」


「あぁ、地獄っていうのは比喩的な表現な。この世界には色んな地獄があるんだよ。知らないで生きてこれて良かったネ!!」


「な、なに言ってるんだよ」


「家に帰るのが怖いと思ったことある?」


「えっ?」


「ご両親が怖いと思ったことは?」


「ちょ、ちょっと…っ」


(なんだ?声が、距離があるはずなのに……耳元で囁かれてるような、感覚がして、変だ、頭が痛い)


「男が怖いと思ったことは?」


「大人になるのが怖いと思ったコトは、ある?」


「扉ガンガンッ!!って叩かれてジブンの名前が呼ばれるのって、怖いんだよ?」



「死にたいって――思ったことある?」



「!!」



 気づいたら男の顔が目と鼻の先にあった。近すぎる距離に男の顔がぼやけて見える。



 錯覚なのか、男の能力なのかわからないけど、目の前にいる男の顔がどんどん変わっていった。




 鋭い目つきの女。


 裸で笑ってる男。


 怒鳴り声を上げる中年の男。




(誰?だれなんだ……?誰の顔だよ、これ……?)



「痛っ…」



 頭の奥がズキズキと痛む――。


 声は聞こえない、でも……口の動きを見れば『怒鳴っている』のだとわかる。


 女の人は、どこか見覚えがあった。この顔、どこかで——



(……あっ、冬美、孝志はっ、なにも、されてないよね)



 ふと、後ろの二人の様子が気になって、僕は痛む頭を押さえながら振り返った――




「えっ……」




 目の前の光景に言葉を失った……



「ごめんなさい……ごめんなさい……おかあさん、ごめんなさい」


 冬美は何かから、身を守るように頭を抱えて小さく縮こまっていた。

 

 孝志はその場で、しゃがんで両手で耳を塞いでいる。


「ふ、冬美?……孝志?」


 なにが、一体どうなっているんだ…?


 いつも明るくて笑顔の冬美が目を見開いて、焦点の定まらない瞳でブツブツと謝罪の言葉を繰り返している。


「孝志……っ」


 指先が白くなるほど耳を塞いでいるから、僕の言葉は孝志に届かない。


「ど、どうしたんだよ、2人とも」


 二人を放っておくことなんて僕にはできない。迷いながらも、僕は一番近くにいた冬美の震える肩に手を伸ばす。



「今、その子に触ったらあかんよ~?」


「痛っ!?」


 バチンッ、と何か熱いものに手が弾かれて、僕は五十嵐くんの隣に立つ男を睨みつけた。



 「……思い出した」



 ――あの掲示板で見た『関西弁』




 『悪魔は人を騙すけど嘘はつかへんよ?』



  最後の書き込みをしたのは『放課後の悪魔』だ。


  何か魔法を使ったのか?と攻撃された手のひらに目線を落としていると「たたっ」という小さな足音を片耳が拾う。視界の端に、冬美が五十嵐くんの方に走って行く姿が見えた。



「えっ」



 ……どうして



「冬美っ!」



 慌てて手を伸ばした――けど、僕の手は冬美にギリギリ届かなかった。




 それが、どうしてか……今の僕と、冬美の距離を現してるように思えて悲しかった。




(どうして、五十嵐くんのところに行くんだ)



 五十嵐くんは小さな冬美の体を受け止めると、そのまま泣きじゃくる冬美を右腕で抱えあげた。


 唖然とした表情で二人を見ていると、五十嵐くんと目が合った。


 五十嵐くんは冬美の方に目線を落としながら、優しい眼差しで彼女の涙を指先ですくいあげていた。



「誠……お前には、悪いと思ってるよ。本当なら、お前にこの空間『は』必要ない」


「えっ?」


 必要ないって、どういうこと?


「でも……この空間『には』お前が必要なんだ」


「空間は必要ないのに、僕が、必要……?」


(五十嵐くんは何を言っているんだ?)


「ここから出る方法、教えてあげよか?」


 男――いや、放課後の悪魔が五十嵐くんの肩に肘を置いたままニヤニヤ笑ってそんなこと言った。


 (コイツは、もっと何を言ってるんだ?)


「さっきからお前なんなんだよ。話の順序を守れ」


 五十嵐くんにしては珍しく声に怒りを滲ませて隣の男を睨みつけている。


「え~、人間は話長いねん。おじさんは退屈なんや」


「知らねぇよ」


 この二人、仲がいいわけではないようだ。


 五十嵐くんは隣の悪魔を鬱陶しそうに横目で見ながらも、悪魔の発言に対しては何も言わない。


「あのっ」


 僕は緊張しながら、震える声で悪魔に話しかけた。


「帰る方法が、あるなら教えて欲しいです」


「ええよ!」


 僕の言葉に悪魔は男でも見惚れてしまうような美しい笑みを浮かべた。


 漫画や小説では悪魔は顔が整っているとよく表現されるけど、本当みたいだ。


 (なんか気さくで話しやすいなぁ。漫画に出てくる悪魔も悪い悪魔ばかりじゃないし、この人も優しい悪魔なのかもしれない……)





 

「このボク、おじさんを殺せばいい」


「は……?」



 放課後の悪魔の衝撃的な発言に、僕は耳を疑った。



「こ、殺す……?」



(コイツは何を言ってるんだ?)



 悪魔は僕の反応をお気に召したのか、酷く楽し気な表情を浮かべると、肩に置いてない方の手を軽く上げて――パチンッ!と指を鳴らした。



 

 その瞬間――




「!?」



 白く輝く光が、まるで潮の波が引いていくようにサーっと僕の足元を中心に集結していく。


 目が痛いほどの白い壁が消えて洋風な内装の部屋がどんどん広がっていった。


 眩しさに目を瞑っていたのが一瞬だったように、景色が変わるのも一瞬だった――



「う、うそ……っ」



 あり得ない光景に、心臓の鼓動が早くなって、鳥肌が止まらない。




「な、なんだコレ…!?嘘だろ?ここって本当に――“家”だったのか!?」




 手を伸ばしても届かない高い天井を見上げると、そこには光輝くクリスタルのシャンデリアが見えた。


 壁は深い赤茶の木目とレンガ模様で、大きな扉の隣には今は使われていない煤けた大きな暖炉があった。部屋の中央には十人がけの長テーブル。奥にはカウンターキッチンがあり、そこからはグツグツという煮込み音と焼き立てパンのような香ばしい匂いが漂ってくる。


 僕たちがさっきまで立っていたあたりには、天井まで届く本棚が並んで、棚にはぎっしりと難しそうな洋書が詰まっていた。



「……すごい」


 無意識に賞賛の言葉が吐き出される。


 僕は、口をポカンと開けて唖然とした表情で室内を見渡していた。


 本棚からキッチンの方、香ばしい匂いに釣られるように目線を部屋の中央に向けると――



「えっ!?」


 さっきまで何もなかった空間には、家具の他にも出現してる『モノ』があった。


 端正な顔つきをした複数の男性や女性が――まるではじめからそこにいたかのように立って、こちらを見ている。


「うわっ!?」


「……」


 僕のすぐ隣、腕組みをした体格のいい男の人が立っていた。


(デカい)


 背が高いどころじゃない、日本では見たことないくらいの高身長だ。顔を見ようとするだけで、首が痛くなる。


 褐色の肌に深く被った黒い帽子、金色に光るピアス。太い首からは短い銀髪が見える。光沢のある黒いワイシャツ、腰には料理人がするような白いエプロンを付けていた。

 

 帽子の影から覗く鋭い瞳はあの悪魔と同じ、血のように赤い色をしている。


 (こ、この人も、きっと悪魔だ!)


「た、孝志…っ」


 僕は弾かれたように帽子の悪魔から離れると孝志の側に走り寄ると、縋りつくように薄いパーカーの裾をぎゅっと掴む。僕が触れたことで『正気』に戻ったのだろう。


 孝志が頭に置いていた手を外して、ゆっくり僕の方を向いた虚ろな表情が、少しづつ孝志に戻っていくのがわかった。


「まもる?っ!?なんで…なんだよコレ!?部屋か?いつの間に移動したんだ⁉︎」


「わ、わかんないよ!た、たぶんこれが……あ、悪魔の力なんだと、思う」


「は?悪魔??」


「あはは~、誠クン正解やで!!」


「悪魔って、五十嵐の隣にいるやつ悪魔なのかよ!?」


「そやで~、よろしくなぁ孝志クン。放課後の悪魔っちゅー仕事やらせてもろてます~悪魔ですぅ〜」


 五十嵐くんの隣に立った放課後の悪魔がにっこりと笑ってひらひらと孝志に手を振った。


「ほ、放課後の悪魔って……そ、そうだ、冬美は!?」


 少しだけいつもの調子を取り戻した孝志が冬美の姿を探す。


 そして、五十嵐くんに抱えられている冬美を見つけると「なんでそっちにいるんだ?」と言いたげな顔で冬美に怪訝な表情を向ける。



「冬美は……ここに、残りたいよ」


 五十嵐くんの肩に顔を埋めていた冬美がゆっくりとした動作で顔を上げる。


「!」


 生気の感じられない、感情の抜けた表情……公園で見た時と同じ、あの表情だ。


「ふゆみ?」


 孝志は、はじめて見る知らない冬美の表情に戸惑いを隠せないようだった。孝志の様子など気にすることなく、冬美はあの表情のまま言葉を続ける。


「孝志くんは、男の子だからわかんないよね。冬美はね、冬美の家は……『学校』だったの」


「家が学校って」


「だって、学校には冬美を殴る人も襲う人も、いないから。それでね、冬美の『家族』は孝志くんと、五十嵐くんで……冬美の、大切な人は、誠くん」


「冬美……」


「学校の外は『地獄』なんだよ。冬美は、誠くんと孝志くんと五十嵐くん以外のね、男の人に触られるとね……体の震えが止まらなくなるの」



 喋り続ける冬美は無表情のままなのに、その瞳からは止めどなく涙があふれ出していた。



「っ冬美、もう、いいい……もうなにも、言わなくていいから」


 (僕は、冬美のこと何もわかってなかったんだ)


「卒業、したらねっ、お母さん、お店継ぐんだよ?お金持ちの人とか、お医者さんとか、政治家の人とかがお忍びで、来るんだって……それでねっえっちな接待……」


「冬美っ!もうやめろ!」


 その先の言葉を言わせたくなくて、冬美の言葉を遮るように孝志が悲痛な叫び声をあげる。

 

 冬美の胸元は、大量の涙を受け止めて濃いピンク色に変色していた。


「大人になったら、誠くんがいない世界で……外に、いっぱい男の人がいる、世界で、冬美は生きてっ……ううん。生きたくないっ」


 無表情だから、そこに感情なんてないはずなのに……僕の大好きな見慣れた笑顔よりも、その感情の無い瞳からは、彼女が押さえこんできた“感情”が強く、痛く、伝わってきた。


「もう、あんな地獄にいぎだくないっ!!いやだ、わた、ふゆみは……『外の世界』に、い゛きたくないよぉ……っ!!」


「……っ」


 冬美の鳴き声が室内に響き渡る。


 僕は冬美が笑ってる姿しか知らなかった……きっと…冬美は笑顔の下でずっと苦しんで、泣いていたんだ。


 冬美の小さな手が何度も何度も、目元をこする。擦っても涙は止まらなくて、次第に「ひっくひっく」と冬美の短く苦しい呼吸音が聞こえてきて、胸が締め付けられた。



 脳裏に過ぎるのは、悪魔の言葉だった――。



『誠クンは『自分のことしか』考えてへんな~』


 悪魔の言う通りだ……この部屋に来てから僕は『自分のことしか』考えてなかった。


 五十嵐くんが言うように、この僕たちしかいない空間は、男の人が苦手な冬美にとって天国のような場所なのかもしれない。


 

 僕が……我慢すれば――




『誠クンって、本当の『地獄』見たことないでしょ?』




 僕は、家に帰るのが怖いと思ったことはない。


 両親は優しくて大好きだ。


 男が怖いと思ったことすらない。


 大人になるのは不安だったけど、今はワクワクしてる。


 名前が呼ばれるのが怖いと思ったこともない。


 死にたいって、思ったことなんて、あるわけない…。




 僕が、帰りたいと思うのは……恵まれているからだ。





「……僕は、ほんとうに、自分勝手だ」




 僕が……我慢すれば、いいんだ。









「誠、しっかりしろ」




「!!」



 ドンッ、と背中に強い衝撃が走る。



「お前だけが特別『自分勝手』なわけじゃない」



 孝志が僕の背中を後ろから強く叩いていた。



「……孝志」



 孝志の行動に周りにいた複数の悪魔が軽く目を見開き、孝志の方を見た――。



「悪魔の言葉は、他の奴にもあてはまるんだよ。まずは、五十嵐が作ったこの空間だ」


「どんな理由があるにせよ お前を無視して家族から引き離してる時点で……アイツも自分勝手だ」


「………!」


「冬美は………家庭の事情があったとしても、わがまま言って“先に進もうとする”お前の邪魔をしていいってわけじゃねぇ。ほらな、みんな自分勝手なんだよ」



「孝志……」


 孝志は凄い。感情に流されないで本質をしっかり見ている。叩かれた背中にじんわりとした温かさが広がっていた。


「孝志……っ、ありがと」


「キミ、おじさんのめっちゃ嫌いなタイプやわ」


「!?」


 ゾッとするほどの低い声が、吐き捨てるように放たれた。背筋に悪寒が走って、咄嗟とっさに腕を摩ってしまう。


 声のした方に目を向けると、放課後の悪魔が嫌悪を露わにした表情で孝志を見ていた。


 だけど、それもほんの一瞬で――


「ん?どないしたん?誠クン」


 僕の視線に気づくと、放課後の悪魔はその表情を引っ込めた。


 そして、またうさんくさい笑みを浮かべてこちらに手を振る。


 (もしかして、今のが……アイツの『素』なのか?)


 「お涙頂戴の不幸物語も終わったことやし。これから、おじさんがキミたちのお世話する『悪魔』たちを紹介したるから、大人しく聞いたってな!」


「は?お世話?」



 ちょっと待って。『お世話をする悪魔』って……?



「まずは誠クンの隣にいる。寡黙で無口な悪魔は『シェフ』!」


「シェフ?」


「シェフには朝昼晩のご飯と、3時のデザートを作ってもらいます~」


「……も、もしかしてシェフって、僕の後ろにいる人?」


「正解やで!」



 やっぱり、悪魔だった……!



 『シェフ』と呼ばれた悪魔は、案の定、僕の隣に立っていた帽子の男だった。


 シェフは足元で怯える僕をチラッと横目に見ると帽子のつばに指をかけて、面倒くさそうにため息を吐いた。


「……調理に戻っていいか?」


「いいよん!」


(あ、いいんだ…)


「……」


 帽子の男は、こちらを振り返ることなく無言でキッチンに戻って行った…



「ほ、本当に、寡黙だ……」



「はいは~い、次いくで~。この美人で性格悪そうな女は『メイド』や!」


 状況についていけない僕たちなど気にせずに悪魔は、暖炉の前に立つ髪色がピンクのメイド服の美人を指差した。よく見ると、悪魔の手にはマイクが握られている。――いつの間に用意したんだ?


「今日から皆様の身の回りのお世話をさせていただきます、メイドです。性格悪いです」


 メイドは僕たちに向かって丁寧なお辞儀をする。


 この人の場合、悪魔であることを隠す気がないのだろう。白と黒のスカートから長い『悪魔の尻尾』がゆらゆらと揺れていた。……あと、本当に性格が悪いらしい。


「次~稼ぎ頭の……っあ、いま留守やったわ。パス!」


「パスって…」


「早い、早い!ちょっと話について行けないよ!」

 

「次は『清掃の悪魔』な!」


「はいはーい!」


「わっ!?」


「うわっ!?」


「あははっ、驚かせちゃった?ごめんね」


 『清掃の悪魔』と呼ばれた人はニコニコと笑顔を浮かべながら、僕たちのすぐ横に突然現れた。


 黒髪にたれ目、紫のラインが入った上下黒のジャージを着た青年。……見た目だけなら『普通の人』に見える。しかし、何もないところから現れたのを見ると、この人も悪魔なのだろう。


 雰囲気的にはシェフと呼ばれた悪魔よりこの人の方が、優しそうに見える。


「あ、僕はタダの掃除好きの悪魔だよ?僕の担当する人間、早い段階で自殺しちゃってさ~暇だから『志願』したんだ~」


 

 前言撤回。やっぱりただの悪魔だった。



「じ、じさつって…」


「……」


 清掃の悪魔はニコニコ笑顔をピタッとやめて孝志に近づくと、金色の瞳でまじまじと孝志の顔を見つめる。


「な、なんだよ。てか、ちけーし」


「ん~」


「……」


(放課後の悪魔の時から思ってたけど、悪魔って基本的に距離が近くないか?)



 僕の苦手なタイプだ。



「へぇ!珍しいね、こんなところに『宝石』がある!久しぶりに見るよ!見破れるのも納得だなぁ」


「は、はぁ?宝石?いきなり、何言ってんだよ」


 宝石?どこにもそんなものはない。


 清掃の悪魔の視線は、まっすぐ孝志に向けられたままだ。


(孝志が宝石??冬美ならわかるけど、孝志は……絶対ありえないだろ)


「あははっ、本当に綺麗だね~」


 声は明るいのに、孝志を見るその表情が恐ろしいほどに歪んでいく。


 にこやかな雰囲気からの突然の豹変――口元からは鋭い牙が見えている。


 「……っ」


 (どうしてっ、さっきから、体の震えが止まらないんだ)


 常に視線を『肌で感じる』


 こんなこと、今まで生きてきて、初めての感覚だった。



 (普通の人間相手なら、ありえない)



 変な例えかもしれないけど、『檻に入れられてる動物』って、こんな気分なのかなって思った。



 

(僕たちは、檻の外から悪魔に見られている)



「ち、近づいてくんな!」


「そんな警戒しないでよ。傷ついちゃうなぁ」


「うわっ!?痛っ……!」


「孝志!」


 後ずさり、自分の足に引っかかってしまったのか、背中を強打した孝志がうめき声を上げる。僕は孝志に慌てて駆け寄って、震える肩に手を置いた。悪魔を見上げる孝志の瞳は少し涙目になっている。



「おい。孝志から離れろ」



「……はぁい」


 怯えて動けない孝志を助けたのは、五十嵐くんだ。


 彼は冬美を片手に抱いたまま悪魔を強く睨みつけていた。


 冬美は泣きすぎてしゃっくりが止まらないみたいだけど、もう涙は流していなかった。


 (よかった……)


「ごめん、ごめん。悪魔も『宝石』には惹かれちゃうんだよ」


「宝石?」


「うんとね、宝石っていうのは」


「俺の許可なく勝手にしゃべるな。早く孝志から離れろ」


「え~、承知いたしましたぁ。ご主人様」


 驚かせちゃってごめんね。悪魔はそう言って孝志の脇に両手差し込んで立ち上がらせると、背中をひと撫でしてソファーに戻っていった。



 ……結局、宝石ってなんのことだったんだろう?


「孝志、だいじょうぶ?」


「あぁ……ちょっと、ビックリしただけ」


「次は~…あぁ…なんか…めんどくさくなってきたな」


「え~他は~『寝室担当』 『コーディネータ』 『整備士』はい!以上!説明終わり!!」


「いや、説明テキトー過ぎんだろ」


 悪魔の雑すぎる説明に孝志が呆れてツッコミを入れる。さっきから、僕もあの悪魔のテンションについて行けない。――見てるだけで疲れる。



 (僕、悪魔嫌いかも……)



 疲れた表情をする僕を見て、悪魔が眼鏡の奥の瞳を細めて楽しそうに笑った。


 そして、再び五十嵐くんの肩に馴れ馴れしく手を回すと、声高々に絶望の言葉を続ける…





「見てわかる通りこの空間にはおじさん以外にたくさんの悪魔がおってな。その悪魔の中におじさんよりめっちゃ『強い悪魔』がおるんや」


「強い悪魔?」


「悪魔一人一人、能力、契約の対価がちゃうねん」


「……対価」


「ココはな、五十嵐くんの願いを叶えるための空間であり、おじさんの『暇つぶしのゲーム』やねん」


「悪魔はな、楽しいことめっちゃ好きやねん!もし、キミらがこの空間を出たいと思うならー強い悪魔を見つけて、契約して……おじさんを殺してな~」



「!?」



 悪魔の言葉に僕は絶句した。



 そんな人間たちの様子などお構いなしに悪魔は、スポットライトが当たったステージ上にいるかのように、両手を広げてこう言ったー








「ようこそ!悪魔のシェアハウスへ!!」











最後までお読みいただきありがとうございました!

ついに『シェアハウス編』突入です!!




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