きみのための小説
「それでは早速お呼びしましょう! 本日のゲストはサンダースのタケルさんと、ユウトさんです!」
「よろしくお願いしまーす!」
「よろしくお願いしまーす!」
「お忙しい中お越し頂いて、本当にありがとうございます!」
「いやこちらこそですよ。こんな早瀬先生のちゃんとしたラジオ、僕らみたいなんでいいんですか?」
「いえいえ、いつもテレビもyoutubeも拝見してます」
「ありがとうございます! 魂込めてやらせてもうてます」
「調子乗るなっ! 先生にそんな、無駄なお時間取らせてもうてなんかすいません」
「いや、私が本当に好きで観てるんです。仕事の良い息抜きにもなるんですよ」
「先生の小説、僕も大好きで、もう何回も読ませてもうてます。特に『血』とか」
「本当ですか! 嬉しいなあ」
「はい、主人公と自分がめっちゃ重なるんすよね。母子家庭で、中学から新聞配達して兄弟食わしてたっていうのなんかまるっきり主人公とリンクしちゃって。オカンに対する葛藤とかも」
「もしかして、ユウトがモデルやったりします?」
「アホ! そんなこと間違っても先生に言うなよ」
「いえいえ、大丈夫ですよ。ユウトさんがモデルって訳じゃないんですが、ああいった作品はずっと書きたいと思っていました。家族との葛藤というか。それが春太、あ、主人公の名前ですけど、の場合はたまたま貧しさが原因で」
「いやあ僕もラストは痺れました。あの、こんなん言うの失礼や言うのは分かってるんですけど、後でサイン頂けませんか? 今日ほら僕、本持ってきたんです」
「図々しいやっちゃで」
「いえいえ、全然大丈夫ですよ。番組終わったらサインして渡しに行きますね」
「やったー! もうこれで僕の仕事今日終わりみたいなもんです」
「いやユウト、この後滝行ロケやで」
「思い出さすなよ……」
「本当にお忙しいんですねえ。でもそちらもオンエア、楽しみにしています!」
番組終わり、私は預かった著書を持って楽屋を訪れた。
「失礼します」 タケルはもういなかった。先に次の現場に向かったのだろう。
「ああ、先生! ほんまにわざわざすいません!」
「いえいえ、こちらこそお待たせしてすいません。サインしましたよ」
「ああ! ありがとうございます! うわあー! 一生大切にします!」
「そんなそんな。あ、ついでと言っちゃなんですが、私もサインもらえませんか?」
「ええ! 僕の?」
「はい。本当にサンダースさんのファンなので」
「恐縮です。てかそれなら、タケルも残したら良かったですね」
「いえいえ。もし次いつかお会い出来たら、ユウトさんのサインの横に頂きます。あと実は……さっきは否定しましたが、この『血』、ちょっとユウトさん意識してるとこあるんですよね」
「え!」
「ユウトさん見てると、励まされるんです。過酷な状況から努力されて成功されて。まあ、あの話はラストあんな感じだし、勝手に意識して書かれるの気持ち悪いですよね、ごめんなさい。話し過ぎました」
「いえいえ! なんか……めっちゃ嬉しいです。まさか僕を意識して書いてくださったなんて……。正直僕もあのラストぐらいの感情になったことありますし。耐えただけで」
「そうなんですね。それでも今もお母様を大事にされてて素敵ですね」
「ありがとうございます……。あ、でもやっぱタケルのサインも欲しいですよね?」
「それはもちろん。でも本当に、いつかお会いできたときで良いんです」
「中々、畑違いで次いつお会いできるか……あ! あの、僕、良かったらタケルの分のサインも、もらっときます」
「ええ、いいんですか?」
「ええ、ええ。で、そのあの、また早瀬先生にお渡しに行きます」
「そんなお忙しいのに。申し訳無いです」
「いや、あの、なんていうか、その僕がそうしたいんです。だからその……」
「私の連絡先を?」
「……いや、そんな、失礼ですよね。ごめんなさいどこかへ郵送します、編集社さんとかですかね?」
「いえ大丈夫ですよ。連絡先、交換しましょう」
あと二週間、それでもまだ、二軒目の親戚の家に転がり込む所。携帯が鳴る。今田からだ。
「緑川さん、原稿まだっすか? とっくに〆切過ぎてるんすけど」
「ああ、すいません。すぐにやります」
「そう言ってもう四回目っすよ。マジでやる気あります?」
「いえ、すぐに出します、すいません」
ツーと、電話を切った機械音がする。片方のパソコンは閉じたまま。
「ごはんよ」
「まだ残業だから」
振り返らずに画面右下の時計を見たら、二十時を過ぎていた。はあ、と怒りを閉じ込めた溜息を吐いて、母は私の部屋のドアを閉める。
「最近遅すぎない? 部署が変わった訳でも無いんでしょう?」
二十二時を過ぎてやっと一階の食卓に降りた。二軒目の家を追い出された所まで書き終えてやっと一段落。
「あんまり無理しないでよね。あ、そうそう。向かいの山野さんがね、これどうかって」
目線をやらなくてもそれが何か分かる。お見合い写真と釣書だ。
「断っといて」
「まだ中身も見ずにそれは無いでしょう! すごいのよお相手、商社マンですって。もちろん初婚。お年は貴方より少しだけ上だけど、ほら、人も良さそう」
横目で母の持つ写真を見る。団子っ鼻に零れ落ちそうな程大きいギョロ目。縁日で売れ残った出目金みたい。私は切れ長の目が好きなのに。
「とにかく断っといて。今仕事が忙しいの」
「……あのね、私達もずっと生きられる訳じゃないの」
「まだお母さん六十二じゃん。お父さんも結局まだ嘱託で働いてるし」
「でももう貴方、三十五よ? それともまだ、小学校の凌君のとのこと引きずってるの?」
瞬間、壁にベチャッと、濡れた音がする。やってしまった。
「二度とその話しないで! ……それにもう、好きな人いるし」
「あらそうなの! お付き合いしてどれぐらいなの? 家に連れてらっしゃいよ」
いつか予定が合えばね、とだけ返して私はまた自分の部屋に戻る。母は余程嬉しいらしく、手作りのコロッケを壁に投げたのに何のお咎めも無かった。
《今日は香川で営業! 瀬戸内海に近い会場でランチは海鮮丼でした!》
写真には、まぐろやウニやいくらが、宝石のようなテカリを見せて輝いていた。私は暗いまま読書灯だけ点け、またパソコンへ向かう。
「オカン、タンスに入れておいた金は? 今日一日家にオカンおったんやろう?」
「知らん。泥棒が入ったんやないか?」
「ずっと家におって泥棒に入られたん分からん訳無いやろ!」
「ずっとはおらんよ。競艇行ったから」
「……そこで、まさか使ったんか?」
「倍にしようと思ったんやけどねえ」
「ふざけんなよ! 俺の稼いだ金やぞ」
「やからそれを、私も増やす気ではおったんよ」
気付けばオカンの胸ぐらを掴んでいた。目が稲妻の様に血走るのが、見なくても分かる。
「ふざけんなよ! 俺がどんだけ家族の為に必死に稼いだと思ってんねん!」
「家族の為の金なら、あたしが使っても問題ないやろ」
勢い良く放し、オカンは台所へ投げ出された。健太が泣き始める。
「お前なんかもう家族なんかやない! 俺と健太の邪魔ばっかして」
「よう血の繋がった母親にそんなん言うね。私が産んでやらなあんたらおらんて言うのに」
育てる気が無いなら、最初から産むなよ。
気付いたら俺は、近くにあった硝子の灰皿を手に取り振り下ろしていた。俺や健太と繋がっているというその血が、床に流れる。
「……健太、手伝ってくれるか」
健太は泣きじゃくり始めた。俺はそれを無視して、ズタ袋にもう生きてないそれを乱暴に入れた。
インスタライブ開始の通知がスマホの上部に表示され、思わずタップする。
「お、七十三人も! ありがとうございまーす! 今日は皆さんの質問にじゃんじゃん答えていきたいと思います!」
「『改めてだけど、今ハマってるものは?』と。なっちゃんさん、ありがとうございまーす! 今ハマってるのはねー、変わらずやけど、ラジオと読書。ラジオは芸人以外のも聴くよ。最近は作家の星泉健一さんとか。どういう思いでその作品を書いたとか、あれほど深堀されたのは無いから超貴重。やっぱ作家さんって、脳味噌異次元やと思う」
「じゃあ次。えっと、『最近読んだ本は?』と。SUN@じゃじゃ馬さん。特に良かったんは谷川まれさんの、『君のつなぐ橋』かな。これ私小説で。谷川さんの壮絶な人生が描かれてるんよね。小説って人に簡単に言えん感情が吹き込まれてて、そこに共感出来るのが良いよな。ぜひみんなにも読んでほしいです。あと文芸誌も読んでるよ。お気に入りは『月刊紺碧』。新人さんの発掘に一番力入れてる感じがする。てか俺、芸人の癖に何文化人気取って喋ってるんやろ(笑)」
「『もうユウトが小説書けばいいじゃん、ユウトの人生も小説みたいでしょ』って、HANAさん。そんな簡単ちゃうよー。それに俺の人生なんか、そんなおもろいもんちゃうよ。もし文章力あるよって人がいたら、俺の代わりに書いてほしいぐらい。そしたら俺も買うよ(笑)」
「『好きなタイプはー?』優LOVEさん。俺は昔から一択。女優の早瀬ひかりさん。『ただの面食いかい』って、ゆいみんまるさん、みんなそうでしょー。でももちろん中身第一よ!!」
「『うちも親がギャンブル依存症で悩んでます』かあ。サンダーっこさん、ありがとう。俺は歳の離れた妹がおったから、そいつの顔見て無理矢理踏ん張ってたかな。でも俺がバイトで稼いだ金全額その日にパチンコに使い込まれてた時には、さすがに無理やったな。もう死んでくれ、みたいな(苦笑)。俺らなんかで救いにならんかもしれんけど、テレビとかyoutube観て、上手くストレス発散してね」
「ごめんー。全然読みきれてへんけど、そろそろお時間です。明日朝早くてごめんね。例の番組のロケです。また見てなあ。じゃあおやすみー」
「おやすみー」「ロケ頑張ってー」コメントが滝の様に流れ、配信は切られた。
私の感情に元々輪郭があるとすれば、それまでは線が液体のようにぐにゃぐにゃで、形を成していなかった。それが、内側からぴったりの器を入れ込まれたぐらい、はっきりと輪郭を持った。それは「もう死んでくれ」と言った時の、彼が笑いながらも一瞬だけ見せた、冷たくて色素の薄い切れ長の目を見た瞬間だった。まさに稲妻に打たれた瞬間だった。
慌てて彼をネットで検索した。彼のウィキのページにはHANAさんが言う通り、彼の壮絶な人生が時系列で記載されていた。
それまで私小説という言葉も知らなかった。紙小説なのか死小説なのか、漢字にもすぐに変換できなかった。
その時点で彼は芸歴十七年目。ユーザ名で度々用いられていた「じゃじゃ馬」は、彼が大阪時代複数の若手でやっていた深夜のローカル番組の名前らしい。つまりコメント欄は古参達で溢れていた。誰より早く、ショートカットで、彼の一番近くに行かなくては。
元々リモートワークだった。仕事の時とは比べ物にならないほど、今は目にも止まらぬ速さで手が動く。
「この一週間メール一つも送ってないじゃないか」
催促役が後輩から上司に変わった。
「ああ、すいません。立て込んだ話も多くてCCに課長入れてませんでした。でも大丈夫です、取引先とは電話もしてますし」
「……俺は分かってるんだ。この一週間、お前のパソコンのログ。確かに朝と夜には残ってるが、朝から三時間後には毎日一度切れてる。社員はあまり知らないが、三時間操作しないと勝手に切れるようになってんだよ」
「へえ」
「何で他人事みたいに聞けるんだよ! さっきからカタカタ打ってるのも聞こえてんだよ! 仕事しないで何打ってんだよ!」
肩に挟んだスマホから、鼓膜を破るような怒声が響く。
もういいや、と思った。この会社に縋りつく理由が、今の私には何も無い。
「退職願です、今までお世話になりました、ありがとうございました」
そう言って切り、携帯の電源も切った。仕方なく会社のパソコンを立ち上げ、退職願のフォーマットをネットから拾ってコピペし課長に送りつける。この時間ですら今の私には惜しいのに。
「朱美に聞いたけど、俺のこと好きなんだって? マジきもいんだけど。ブスの癖に」
私は投げられた。ザブンと音がする。どろどろとしたものが、藻と一緒に私の心を覆っていく。それ以外の大事なものはあの時すべて流れて、私ブスなんだ、というシンプルな感情だけを肉体の中に滞留させる。
嫌な汗をかきながらも、朝起きてすぐ書店へ走った。『血』。早瀬ひかり。月刊紺碧の紙面、五回は、数十名の作品名とペンネームとを上から下まで通して目を泳がせる。
どうやって帰ったかも覚えていない。目の前の縦の物を、全部横にしようと思った。衣装ケースも、箪笥も、デスクも、何もかもすべて。
「どうしたの!」
母が切迫感を持った声で、ドアを開けた。
「ユウトに、ユウトに会わなきゃいけないのに!」
「いい加減になさい! 何があったっていうのよ!」
「ユウトに……ユウトに会うためにはこれしか無いのに……」
投げられる物はすべて投げ終わって、私は床にへたり込んだ。母が私の背中を摩る。
「落ち着いて、何があったの。ユウトって誰? 前言ってた彼氏さん?」
「ユウト、サンダースのユウト」
「……それってまさか、時々『サタデー・サン』のリポーターしてる、サンダースのこと? それが貴方の言ってた好きな人……?」
私は声を出さず静かに頷く。私が作ったカーペットの池が一瞬で乾きそうなほど、母は大きな溜息を吐いた。砂漠に吹く砂嵐のようだった。
「……サンダースの為に、貴方が何したって言うの」
「ユウトに会う為に、小説の新人賞に応募した。でも一次選考で落ちた」
「なんで芸人さんに会うのと、小説の新人賞が繋がるの」
「ユウトが読書家だから。それで私が作家になって、ラジオもやって、ユウトがゲストで来て、私の作品のファンだって言われて……」
乾いた破裂音が響く。気付けば、母に頬を打たれていた。
「貴方はなんでいつもそうなの! 余計な妄想ばかりして、ろくに普通の恋愛も出来ない。芸能人に会える訳も、貴方が作家になれる訳もないじゃない!」
「読書感想文ではいつも賞もらえたもん」
今度の砂嵐は、私ごと吹き飛ばす程大きかった。
「読書感想文で表彰されることと、プロの小説家との差も分からないの! これの前は少女漫画の春樹くんだったじゃない……」
「春樹じゃなくて春太。春太は二次元だったけど、今度はリアルだもん。今回の小説の主人公の名前、そこから取ったんだ」
春太と恋に落ちる漫画を、私は高校時代描き続けた。朝も授業中も夜も、春太の愛を一身に浴びるために。その為に留年もした。それを作家に送りつけ続きはこうしてくださいと言ったのに、結局春太は私が作った「希美」ではなく、明るいことだけが取り柄のクラスの中心にいる、朱美みたいな陽キャと結ばれて最終回を迎えた。
「ねえ、病院行きましょう? 会社辞めたのもお母さん知ってるのよ?」
母を振り切り私はスマホだけ持って家を駆け出した。夢中で近所の公園まで走る。
母は何も知らない。この前だってインスタのDMきっかけで元アイドルとファンの一般男性が結婚したネットニュースを見た。
そこで閃く。何も今の時代紙媒体に頼らなくても、ネットでバズればいいのだ。猫の何でもない写真がバズる時代、小説だってバズる可能性はある。私は慌てて小説投稿サイトを検索した。そこにスマホのメモ帳に入れておいた文章をコピペする。他の投稿を参考にして目立つように、アピール欄を埋める。
「#芸人 #血 #サスペンス #芸人小説 #サンダース #ユウト……」
ハッシュタグを勢いで二十個ぐらい付け、私はスマホを閉じた。夕日が沈みかけている。私は必ず浮上してみせる。
部屋に戻ると、原形に近い状態に戻されていた。しばらくふて寝する。
起きてスマホを開くと、ロック画面に横長の長方形が巻物のように並んでいた。さっき投稿した小説サイトだった。
「これってサンダースのユウトがモデルなんですか? 本人の許可取ってます?」
「サンダーっことして、これは見逃せません。通報します」
「ユウトが母親を殺すなんて……作り話としても酷すぎる」
「これまさかの自作自演?ww 最近サンダース人気落ち気味だもんなw」
「炎上商法としてもイタすぎる」
「ていうか話として普通につまんない」
画面上部、ネットニュースの通知。
「サンダース ユウトモデルの小説で炎上 本人投稿の可能性も」
どうして? 単純な問いしか頭に浮かばない。主人公はユウトじゃなくて春太だし、妹じゃなくて弟だし、母親がしていたのは競艇じゃなくてパチンコだ。そこまで思って、さっき勢いで付けたハッシュタグを思い出す。
でもこれで本人が投稿したことにはならないじゃないか。炎上商法なんて、ユウトがする訳ない。ユウトのことを誰も知らない。彼の苦労の裏側を想像しないで、皆表向きのユウトしか見ていない。
私はスマホを放り投げ布団に入った。またあのラジオを頭に流す。そうしていると、ともあれ、小説がバズったのは良いことかもしれないという気が段々してくる。ユウトの目に届き、ユウトだけが共感してくれればそれで良い。
次に起きたら、昼の十二時を過ぎていた。色んなことが頭を血のように巡り、昨夜は中々眠れなかった。
スマホを手繰り寄せる。まだ愚かな巻物が連なっている。でもその中で、一つを見逃さなかった。ユウトのXの投稿通知だ。慌てて左にスワイプする。文字だけの画像。
『ファンの皆様へ
この度はお騒がせして申し訳ございません。ネットニュースなどでも出ている通り、僕の人生を模した小説が、小説投稿サイトに投稿されたようです。僕も読みましたが、主人公の幼い頃父親が亡くなり、母親がギャンブルにはまり親戚の家を転々としバイトに明け暮れていたこと、そして芸人になり、新人賞を頂き、東京進出したこと。全て僕の人生に酷似していました。そしてあのハッシュタグ。
何より許せないのは、一つの改悪点。主人公が母親を殺したことです。確かに昔の僕は母のせいで苦労し、それを恨んだこともあります。芸人なので多少面白おかしく話したこともあるかもですが、それでも実の母親を殺したいなんて、一ミリもよぎったことはありません。今でも僕は母を大切に思い、月に一回は妹も連れて三人で外食しています。該当サイトには申告し既に削除頂いています。
僕自身が投稿したのではないかなどという心無い報道も一部されているようですが、一切そんな事実はございません。僕にとって、それは何のメリットもありません。あれは創作ではなく、単なる模倣と、それに加えて妄想で作り上げた僕と僕のオカンへの冒涜でした。
ファンの方々には、不快な思いをさせて申し訳ございません。またペンネームに有名人の方のお名前が使われており、御本人とその御関係者の方にも御迷惑をおかけし申し訳無い気持ちでいっぱいです。このことを早く忘れて頂けるよう、平常通り笑いだけに邁進して参りますので、どうか今後とも宜しく御願い致します。長文失礼いたしました。
サンダース ユウト』
ユウトらしい、丁寧で律儀な文章だった。
「ユウトのこと信じてたけど、直接本人から否定頂いて安心しました!」
「犯人が許せません! 削除だけでなく、警察に届け出るべきでは?」
「痛ファンにしても質が悪すぎ」
「キモオタの作家気取りさん 涙目ww」
タケルがユウトの投稿をリポストしているところまで確認した。
違う、ユウト誤解なの。これは貴方の為に書いたの。人に言えない感情を吹き込むのが小説だって、母親を死んでくれと思ったことがあるって、誰か俺の私小説書いてくれって、言ってたじゃない。だから貴方の人生に沿って、貴方が言えないこと、私が代弁してあげただけだよ。無理しなくて、世間の目を気にしなくて良いんだよ。
早く誤解を解きたくて、ユウトにDMを送ろうと思った。ユウトのアイコンを押してプロフィール画面に移動する。
〈あなたはブロックされています〉
タイムライン画面では表示されていた彼の投稿が、一切見えない。慌ててインスタも開くが、同じ状態だった。スマホをベッドの上に落とす。そしてゆっくり思い出す。自分のプロフィールに、私は「芸人小説、『血』書いてます!」と高らかに宣言していた。
聞こえない。肉体を持たない仮想空間の言葉なんて。
また私は、縦の物を全て横にしていた。聞き慣れた、駆け上がる音が聞こえてくる。
「ちょっと!」
振り向かない。スマホもパソコンも床に叩きつける。まだ壊れない。思い切ってパソコンを窓に投げた。ガラスが割れ、外にパソコンが飛んで行った。
母が足元に落ちたスマホを拾う。そこには先程のユウトの投稿が表示されたまま。
母が私の髪を引っ張る。力の抜けてしまった今の私は、簡単に一階に引き摺られた。
「もう無理よ、今から病院行きましょう!」
聞こえない。私には自分の血が身体を巡る音しか、聞こえない。
台所横の勝手口から母は私を引き摺り出そうとした。寸での所で、私は足で堪える。
「おかしい事ばっかり考えて! ブスで何の才能も無いんだから、地味に生きてりゃいいのよ!」
プールから上がったみたいに、急にクリアに聞こえた。気付けば、破裂音がする。
「希、美……」
赤い池の中で、母が割れた黄色い花瓶と一緒に泳いでいる。
ユウトはこんな簡単なことすら出来なかったんだ。意気地なし。臆病者。もうユウトなんか好きじゃない。
私の感情は再び輪郭を失った。目の前で流れる赤い池のように、ゆるゆると中身が溢れ出して流れていく。それを堰き止める器を、また一から探さなくてはいけない。