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先生の筆

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 みんな、影がどうしてできるかは、ちゃんと覚えているかな?


 ――そう、光が当たらないから、影は作られるんだったね。


 光はまっすぐに進む性質を持っている。

 その道が何かにさえぎられてしまい、届かなくなったところこそが影になるわけだ。

 太陽という代表的な光源をたたえる昼間は、影の存在を強く感じる。けれども知っての通り、陽が暮れた後も光はある。

 月明かり、人工的な照明……これらに照らされるところにも、影は生まれるものだ。

 光と影は、なにかとセットで語られるのも自然といえるかもしれない。光なき影の部分は、「夜」とか「闇」とかの範疇だろうしね。

 なら闇ではない「影」には、何か闇と違う点があるのだろうか。わざわざ異なる語を使う意味合いは?

 先生もそう思ったことはあるが、昔に「ひょっとすると、こんな意味が……?」なんて、考えたくなる経験をひとつしたことがあるんだよ。聞いてみないかい?


 その年は、残暑の厳しい時期だった。

 今でこそ暑さが長引くことは少なくないが、先生たちが学生のときには、8月の終わり前後で、すっと空気が入れ替わっていく。

 そこから秋の風情を堪能しつつ、日暮れが早まるのを感じていくのが恒例なのだけど、その年は9月の末になっても、しぶとく暑さがうずくまっていた。

 自然、日差しも強いまま。

 学校で登下校中も、適度に日陰へ入るようにという注意がうながされ、帽子などの着用も一時的に認められていく。

 先生も指示に従い、できる限り直射日光を避けるコースを選ぶが、いくらかはどうしても陽の下を歩かなくてはいけない箇所がある。

 特にあぜ道を通るところはね。ここを避けて遠回りすると、先生の家まではだいぶ時間を食ってしまう。

 車の行き来もめったにない狭さということもあり、安全面からも愛用していたのだけど。


 あぜ道入口に立つ小さな商店の軒先で、しばし雨やどりならぬ、日差しやどりを終えた先生は、そっとそこを抜け出した。

 暑さのためか、ところどころでしなびかけの草たちが、道に横たわっている。それらをしゃくしゃく踏みしだきながら、先生は進んだ。避けて進めるような、密度じゃなかった。

 方角の関係上、真正面から陽を受ける形になる。

 かぶるのを許された野球帽のつばをつまみ、目元をやや隠すような格好で、先生は先を急いでいたのだけど。


 ふと、足元を軽く引っかけられた。

 草たちの中でも、ひときわ太い茎が道幅いっぱいに倒れていて、それが先生の体重を一瞬とはいえ、押しとどめてきたんだ。

 つんのめりそうになったのをこらえ、いらだち混じりにつま先へ力を込める。

 茎が踏ん張れたのも、ほんのわずか。ほどなく、ぶちりとちぎられて、先生に踏みにじられることになる。

 家まで、もう数分はここを歩かないといけない。またつま先を引っかけられまいと、先生は意識して足を高くあげるよう努め始めたよ。


 そこから何歩か進んで。

 ふと、背後で草を踏むような音がした。

 人のそれより、ずっと小さい。虫でも飛んだのか? と振り返ってみるも、あぜ道には私の影が伸びているばかり。

 早まってきた日暮れの気配は正直で、先生の影を長く引き伸ばしていた。

 それのみならず、えらく黒が濃かった印象を覚えている。

 先生の足下から伸びる黒い筋は、そこに穴が開いているといわれても、なかば信じてしまえるほどの色濃さだったよ。


 が、先生はそれをすぐには問題にしなかった。

 進行方向を邪魔する壁とかならともかく、文字通り、自分の後塵を拝するよりない影に、使ってやる神経がどれほどあるものか。いや、ない。

 むしろ、いまだつま先に引っかからんとしてくる、草たちのほうが気にかかった。

 先ほどの茎のみならず、明らかに誰かの手が入ったような、草の葉先たちを結び合わせてできるブリッジなども混じっている。

 あからさまな足止め。それがいくらも歩かないうちに三回も。


 ――いったい、何の恨みがあるんだ?


 先生も疑いたくなったさ。

 自分以外にもここを通る人は、そこそこいるはず。それを承知のうえで仕掛けているなら、ちょっとタチが悪いんじゃないか、とね。

 そして何度目か。

 ほぼ視認できないほど細いのに、これまで以上の弾力。そして、先生のあげる脚にちょうど引っかかるあたりと、もはやいじめか芸術の域に達した嫌がらせに、先生は屈してしまう。

 もろに足を引っかけ、今度こそ派手に転んだ。

 でも、このとき感じた痛みはたいした問題には至らなかった。

 つい振り返ったときの、あぜ道の様子。先生のたどってきた道のほうが、よっぽど問題となっていたのだから。


 先生の歩いた道は、「冬」になっていた。

 道を、ほんの数ミリ外れれば、いまだ夏の気配を色濃く残す、緑に緑。

 それが道に乗っかるや、限界間近の茶色たちに変じる草たちは、すでにその身を大いにしなびさせ、もはや道をしっかり隠すことかなわず。

 陽をじかに浴びづらいとはいえ、想像していた以上に白い素肌をさらすあぜ道。

 けれどもその上に、先ほど先生を引っかけたような、ぶっとい茎――もっとも、この色もまた相応に褪せてはいた――が、何本も寝そべっていたんだ。


 自然のままとは思えない、不自然に整った並び。

 幾本も組み合わせたものと、似たような形がいくらか並んでいることで、先生にもほぼ感覚で分かった。

 こいつは手紙。メッセージを伝えるための、文字の羅列なのだと。

 元より、言語に詳しくない先生に、それがどのような意味を持つのかは分かりようがない。それでも、よくよくそいつを調べてみようと、いざ自分の影が伸びる方へ踏み出したとたん。


 びゅっと、強い風が吹いた。

 今まで味わった、いかなる風雨にも勝る激しいもの。不意を打たれたとはいえ、先生は満足に踏ん張れないまま吹き飛ばされたよ。

 三回、四回と、マットではない道路の上で無遠慮に転がされ、痛みにうめきながらようやく起きたときには、そこが自宅の真ん前だと分かったんだよ。

 少し休んでから、あのあぜ道へ戻ってみると、茎たちの文字の羅列はもうなくなっていた。けれども、不自然に白い肌をさらすあぜ道の一角は、確かにそこにあったんだ。


 陽を浴びる先生の身体。そこを通して生まれる影。

 そしてあの場所が重なるときのみ作られる、文字の羅列。

 あのときの先生は、誰かが何かを伝えるための、筆やペンのごとき存在だったのかもしれない。

 影というインクを、たっぷり含んだ……ね。

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