おとぎ話のゼロ勇者 〜憧れた勇者は今日死にました〜
初投稿になります。
よろしくお願いいたします。
「勇者」とは、勇気にあふれる人。多くの者が恐れる困難に立ち向かい偉業を達した者。
今は昔、魔族や魔物が蔓延る時代。多くの人間達は、住む町や食料、果ては魔族に奴隷にされるなど人権まで搾取されていた。
そんな中、ある一人の人物が歴史の表舞台に現れた。
その名は「ブラスト」。
右腕に勇者の証である紋章を携えたブラストは、凄腕の剣士も霞むほどの剣の技術、天地を揺るがすほどの圧倒的な魔法、そしてどんな困難・恐怖にも負けない強い心を持ち、魔族や魔物を次々に打ち破っていった。
そしてついには、大魔王「ガンダール」と相まみえその身を犠牲にしながら平和をつかみ取った。
「いつかブラストのようになりたいな。」
以前、父親であるイルから聞いた偉人ブラストの話を思い出しながら、ゼロは地面に横たわりそっと言葉を口にした。
「どうしたゼロ。そんな腕前ではブラストのようにはなれないぞ」
ゼロを見上げながらそう言葉を口にする壮年の男はゼロの剣の師匠であるガイ。
「もう一度お願いします」
「パァッン」という木剣と木剣のぶつかり合う、迫力のある音が草原に響く。
灰色の髪を靡かせ、汗を飛ばしながらゼロが剣を振るう。対するガイは、余裕の表情であしらいつつ、ゼロの隙を見て時折鋭い反撃を繰り出す。
最初は反撃をいなしつつ攻めに転じていたが、徐々にいなしきれずに打ちのめされる。剣技を受け止められながら厳しい強打も浴び、徐々に劣勢となっていく。肩で息をするようになったゼロは、緩慢になった攻撃の手を休めた。
「今日はここまでにするか」
ガイが尋ねるが、答えは無い。息が上がっていて答えられない、だけでは無いようだ。ゼロの目は、まだ諦めに染まってはいなかった。
対峙したガイはそれを見て、気付かれないように喜びを抑える。
今まで戦ってきた歴戦の戦士たちと比べても遜色ないほどの実力が身に着いている。しかし、実力以上に心の強さが成長していることを実感していた。
何よりも、何度失敗をしてもその失敗を糧に創意工夫で上達する様が勇者としての素質だと感じている。恐らく今も、一人で練習してきた技を試すつもりなのだろう。
「あともう一戦だけお願いします」
声を上げると、ゼロは剣を上段に掲げて突っ込んだ。
ガイが剣を前に突き出しながら迎え撃つのを、余り剣を動かさずに逸らしていく。
間合いを詰めたゼロは、足を大きく踏み出して剣を振りかざす。それを|颯爽と躱すのを横目に見ながらすぐに振り下ろした剣を逆さに切り替え真上に切り上げる。繰り出した切り上げは鋭かったが、上から抑えられ剣を弾かれた。
弾かれた木剣が回転しながら飛ぶ中、ゼロは喉元に当てられた剣先を見ていた。左耳で揺れる丸形のピアスが、立ち回りの名残りを伝える。
「今日はここまでにしよう」
「そうですね。ありがとうございました」
剣を戻したガイに礼を言って、ゼロは大きく息を吐いた。
まだまだか、とゼロは肩を落としたが、ガイは口に出さないだけで驚いていた。いくつか改善箇所があるとはいえ、最後のは必殺の一撃だろう。
そこらの剣士では何十年と修練をかけても出せないような一撃であり、ガイであっても本気になって対応しなければ、木剣ですら深手を負いかねない威力があった。
十六にして、これほどの逸材は世界中をみても類を見ないだろう。村を出て士官すれば、騎士団長の最年少記録を更新するのは間違いない。
だが、歴史に名を残す勇者と比べると、その腕でもまだ足りないのだ。伝承に伝わる勇者の力はまさに伝説にふさわしい強さなのだから。
「最後のやつ、師匠に一泡吹かせられると思ったのですが。」
「発想は良かったが、経験の差だな」
「まだ師匠には適わないか」
豪快に笑うガイに、ゼロは苦笑で返した。その顔を白いタオルを放って覆い隠し、ガイは背中を向ける。
「これで汗を拭いておけ。惜しい線までいっていた。これからも精進しろよ」
ありがとうございます、とお辞儀をした後、歩きだすゼロをガイはそのまま見送った。
幾度か、この後ろ姿へ打ち込んだ事もあって、ゼロに完全な隙は無い。戦闘が終わった後の普段の日常においても周囲に気配を向けている。
ここまで成長したことに満足しつつ、ゼロの歩く後ろ姿をじっと見つめていたガイの視界に、一人の老師が入ってきた。
剣の道のみを究めてきた生粋の戦士ですら、名前が知られている魔法使い。ずっと昔より、名が語り継がれ、もはや伝説といっても過言ではない人物である。
だが誰も彼の過去は知らないと言われており、その半生は謎に包まれている。この村の発足に携わっており、村人達からも頼りにされている村長のような存在である。
「お疲れガイ君。いかがかな、ゼロの剣の腕前は」
「お疲れ様です。順調ですね。技術面ではあと少しで超えられてしまいそうです」
ほう、と皺深い顔の中で目が見開かれる。
ゼロの腕では、まだガイには適わない。ゼロの勇者の素質を考えれば、まだまだといえる腕前だろう。だが、着々と彼らが望む勇者に近づいてきている。
戦いに関する心構えや基本的な技術は身につけた以上、ゼロに必要だと思うのは、後は実戦経験だけである。いずれ近い将来、勇者の証である紋章が腕に浮かび上がることを確信していた。
「あとは実戦経験を積んでいく段階ですかね。魔法の方は如何ですか?」
「ほ、ほ、ほ。それは良いことじゃ。こちらはいよいよ、雷魔法を教えられる素養が固まったでのう」
雷魔法、と聞いて男も唾を飲んだ。
雷を操る者は、伝説級の魔法使いの中にも殆どいない。一部の魔族や、神に仕える者であるエルフにのみが操れるという、人を超えた力。
それこそ、伝説の勇者が使用していたという逸話になっている魔法である。
ガイは畏怖に打たれたようだが、老師は皺まみれの口を僅かに歪ませた。
「じゃが、わし自身も雷魔法を唱えることは出来んのでな、ゼロに雷魔法を教えられるかどうか…」
「もし取得することができたとしたら…」
「そしたら誰が見ても勇者と思うじゃろうよ。」
ほ、ほ、ほ、と上機嫌に笑いながら、老師は持っていた魔法書を開きガイに語り掛けた。
「雷魔法の真の力は上位階級の魔法の効果として現れる。かのブラストが唱えた雷魔法は一度に数百の魔物を葬ったといわれておるのぉ」
だから雷魔法は怖れられている、と老師は締めくくった。
「恐ろしいですね」
ガイは驚愕な表情を浮かべ、顔から出た汗を腕で拭った。
この世界において、魔法は大まかに低位魔法、中位魔法、上位魔法に区分されている。中には、その区分に当てはまらない魔法も存在しているが。
そして、ゼロはその上位魔法もいずれ修得出来ると、老師は確信していた。彼が教えたのは低位階級である炎魔法「ファイア」と爆破魔法「ボマー」。魔法使いの初歩的な魔法だが、単体目標と複数目標という魔法の基礎、あらゆる魔法の基本をこの二つで徹底させていた。
ゼロは、村の者から補助魔法も教わっている。この補助魔法は、攻撃系の魔法とは使用する感覚がまったく異なる。
例えるなら、右利きの人が左手で文字を書くことぐらい難しいものである。さらに魔法は、少しでも魔力の流動が乱れると発動しないため、攻撃魔法と補助魔法を両方取得することはかなりの難易度であるが、ゼロはそれを苦もなく取得してしまった。
しかも、村の人の誰もが使えない回復魔法も独自に取得してしまった。この回復魔法は、本来は神に仕えし神官やシスター達が神に祈りを捧げながら地道に修行を重ねたもののみが取得できるものである。
神官学校に通っている生徒から聞いたら驚愕するであろう才能。彼さえ望むなら、あらゆる魔法を使う基礎が整いつつあった。
ガイと老師の二人が、村を眺めた。
山間部にぽっかりと開いたこの村は、入口以外は高く頑丈な壁に囲われており外部からの侵入を防ぐ仕様となっている。村の地下には水源があり、その水を井戸でくみ上げ利用している。農作にも工房にも適さず、その村独自の名産品なども何も無い。
収入は、村の者が時折、出稼ぎに行く事で賄っている。外の世界とは隔離されている場所であった。
村の人口と出稼ぎの期間からすれば、普通なら食うのもままならないだろう。だが、定期的に来る商団の様な一団が村に食材を届けてくるため、問題なく生活している。
「セントラル国とウィザード国の戦争も回避されたようじゃからな。人間同士の争いが減りここらは落ち着くであろうな」
セントラル国は、昔から農業が盛んであるとともに近年は冒険者ギルドと手を組み、冒険者を正規の騎士団として雇うなど軍事力に力を入れている国である。
ウィザード国は、代々上級国民である「華族」が政治を牛耳っており階級制度に厳しい国であるとともに、世界的に有名な騎士団や将軍を何度も排出している国である。
「今まで以上にゼロに修行をつけてやれますな」
ガイや老師はその腕前から、近隣国が戦争を始めた際にはよく傭兵として参加している。そのため、その期間はゼロの修行につくことができないのである。
この期間は、他の村の人達がゼロに修行をつけているが、彼の勇者としての才覚は並みの実力者では教えられないほど急速に成長してきている。
村の誰もがいずれ勇者になるであろうと思っていた。風の噂で勇者候補の子供たちは他にも何人かいると聞くが、その誰よりも勇者の資質があると信じて疑わない才能であった。
勇者ブラストには腕に紋章の様なものがあったという。
その紋章を持っている者が次の勇者だという予言もある。
「ゼロに勇者の紋章が出ることがわしの唯一の願いじゃ」
「私も含め、村の一同同じ願いです、老師。もちろん彼女も」
そう言葉にしたガイの見つめる先には、池の脇にある花畑があった。
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ウィザード国とセントラル国とベルランド国の3つの国のちょうど中間地点にある山脈から少し北へ離れた深い森の中。木こりすら寄りつかない山奥に、その村はあった。
村人は決して用があるとき以外は外に出ず、余所者も寄せ付けない。極秘に村を出る者は、所在地を隠遁させる複雑な抜け道を通るほど徹底的に村の存在を表に出させないようにしていた。
ひっそりと暮らす彼らとたまに来る商団以外、そんな村がある事すら誰も知らないはずだった。
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剣の稽古により毎日のように汗にまみれたゼロはいつものように、池の水で汗と疲労を落とすと、水分を拭いながら歩き出した。
湖畔で釣り糸を垂れている父、イルが見えるが、腰から上が左右に揺れている。おそらくまた寝ているのだろう。自分は父親似だろうな、と口元に柔らかい笑みが浮かんだ。
生まれてこの方、ゼロは村以外の景色を見た事は無い。
それでも、村人達からはよく外の様子を聞かされて育った。当然のように彼は外の世界へ興味を持ったのだが、何度外に出たいと言っても出る事は許されていなかった。
「ブラストの様な勇者にならなくては、か」
ゼロとて、この村が気に入らないわけでは無い。緑あふれ豊かな平穏な毎日。剣術と魔法の修練は厳しいが、成長を実感し楽しいと感じる気持ちがあるから続けられた。満たされてはいるものの、自分にはまだまだ知らない土地や街があることを感じると箱庭じみた生活に、息苦しさを感じるのも事実だった。
村を出るには、まだまだ力不足だ。外の世界はお前が思っているよりずっと過酷だ。ブラストの様な強さがないと外に出てはならない。
剣の師匠や魔法の先生に限らず、村人なら誰もが口を揃えてそう言った。師匠達の足下にも及ばない事は分かっているが、それなりに上達しているのだ。魔物が出るとはいえ、ウィザード国辺りに行くくらいなら、大した苦労も無いはずだ。
そして、村人達もそれを分かった上で反対している。この村人たちの答えが、まだゼロに知らされていない隠された”なにか”があることは分かっていた。
父親や母親は茶色の髪色をしているのにも関わらず、自分の灰色の髪を見ることからわかるように自分が両親の本当の子供でないことも数年前には気づいていたし、村で生まれた他の子供が、村の外に出される理由や自分以外の同世代の子供が自分を除いて一人しかいないことも気になってはいた。
いずれ認められれば、全て話して貰えるだろう。
基本的にお人好しなゼロは、そう思って日々の修練に打ち込んできた。
「おつかれ、ゼロ」
「今日も勝つことができなかったよ、リーファ」
下から聞こえた声に、足を止める。
花畑の中で寝転がった少女は、右手首に付けた大き目なリングを揺らしながら、小さく伸びをしていた。手足も体も、抱きしめたら折れてしまいそうなくらいに細い。
この少女こそが彼以外の唯一の同世代の人物であり、幼馴染のような存在であった。
彼女も、ゼロにとっては不思議の一つだった。彼が物心ついて以来、リーファの見た目が変わっていないことではない。本人に確かめてはいないが、魔法を使っていたりするのだろう。
そんなことよりもずっと不思議なこと。
他の村人たちと話をしている時とは異なる感情が出てくるのである。
「こうして寝転がっていると、とっても良い気持ちよ」
誰もが目を向けるであろう綺麗な顔を向けにこにこ笑いながら、ぽんぽんと隣を叩いている。素直に従って隣に寝転び、ゼロは空を眺めた。
どうして、彼女には逆らえないのだろうか。
何故、一緒にいるとこんなにも安らぐのだろうか。
世の中のどんな不可思議よりも、少年にとっての疑問が隣にあった。ふと目をやると、微笑みが返ってくる。彼女の鮮やかな翠色の髪が風に靡かれて揺れていた。
物心がついた頃には姉の様で、気がついたら友達になり、いつの間にか恋人になっていた。
ゼロにとって、リーファが隣にいるのは当然の事であり、いつか村の外に出る時も、彼女と一緒に旅をする事は、彼にとって考えるまでもなく決まっている事だった。
例え何があっても、彼女さえ傍にいてくれれば、何だって出来るはずだから。
「そういえば、1つゼロに見せたいものがあるの」
自分の得意なことを友人に見せるような嬉しそうな顔で、ある魔法を口にした。
「クレイア」
「わ!」
目の前にいたリーファが一瞬消えたかと思うと、数秒後に同じ場所からリーファが突然現れた。
「すごいな、透明になれる魔法?」
「そうなの。この魔法は、対象者の姿を透明にさせるのと気配もなくしたりできるんだよ。私が編み出した魔法なんだ。」
「隠れたり、隙をついたりできそうで色々と活用できそうな魔法だね」
右腕をさすりながら、ほぉ~と感心したようにゼロがつぶやく。
「でも魔力の消費が激しいから頻繁には使えないんだよね」
残念がるような表情で伝えるリーファに対し、それでもすごいよと目をキラキラとさせていた。
そんなゼロを横目で見ながら、リーファは神妙な顔で声をかけた。
「ねえ、ゼロ」
「ん?」
「このままずっと二人で仲良く過ごせたらいいのにね。」
いつか訪れる旅立ちに反対している、だけでは無い言葉にゼロは返事を探す。だが、いくらリーファの顔を覗き込んでも、答えは見つからなかった。
だから、よく分からないけれど、と前置きして彼は告げる。
「リーファとこれからもずっと一緒にいたいな、俺は」
「ありがとう。私もそうだよ。」
何かを怖れているように少し強張っている彼女の顔に、ゼロは心当たりがあった。それを振り払ってやる為に、少しおどけて聞いてみる。
「もしかして、村の掟が破られた事を心配してるの?」
「掟? ああ、あの冒険者さんね」
世界の未開の地を探求していた、という冒険者が助けられたのは二日ほど前の事だった。
ゼロはその世界の未開の地の話や昨年ウィザード国で行われたという剣魔武道大会についての話が聞きたくてよくお見舞いに行っている。
その大会で優勝したのは、レイナという旅の女剣士。身長は一般男性並みに高く腕も師匠並みに太いんだろうな、と想像したのだが、冒険者の話では、可愛らしいお嬢さんだったという事。
当時十五歳だから、今は十六歳であり同い年ということにかなり驚愕をしたのを覚えている。
村に余所者を入れる事は今まで掟により禁止されるほど厳しいものであったが、不思議と、ゼロが話を聞きに行ってもそれを咎められる事は無かった。
「傷だらけで倒れていたのだから、助けるのは自然だと思うわよ。彼も、ここの村のことや秘密は守ると約束してくれたし。ただ……」
「彼が怪我をしていた理由だね」
答えを求めない問いかけに、リーファは自分の考えをまとめるように頷いた。
彼はこの村からほど近くの山脈の麓を歩いていた際に魔物に遭遇したという。しかも、その魔物というのが世界を旅している冒険者である彼ですら深手を負うほどの強敵であった。
セントラル国辺りは騎士団が定期的に討伐隊を編成する為に、強い魔物は存在しない。その為にこの付近は自警団や賞金稼ぎが現われる事も無く、隠れ住むには絶好の場所であった。
それが、この辺りで見かけなかった強力な魔物であったことがリーファに一抹の不安を持っている理由である。冒険者の容態は、村のシスターが看たのだが、旅立てるようになるにはかなりかかるらしい。村人たちは、この旅人が村に来てからというもの、どこかせわしなくしていた。
「師匠や老師もいるし、いざとなったら俺も戦う。リーファは俺が守るから」
切れ長でありながらパチリとした目を少し細目ながら片側の口元を持ち上げて、ゼロがニヤリと笑った。剣の師匠譲りのその笑みは、人の良さそうな彼の顔には場違いだった。
「やっぱり似合わないよ、それ」
リーファが笑いながら、彼の鼻をつまむ。そうかなあ、とやや拗ねる様子に吹き出して、彼女が彼に身を寄せた。
「ありがとう」
何故か寂しそうに聞こえる声に、ゼロは問いただしたかったのだが。「グゥ~」という自分の腹の音に遮られて、中断させられてしまった。
深刻ぶった顔は似合わないとばかりに、顔を赤らめたゼロをリーファがくすくすと笑う。ゼロが気恥ずかしくなって視線を逸らすと、リーファがその肩を優しく叩いた。
「午後は、魔法の修業があるんでしょう? お腹空いてると大変よ」
「そうだね。それじゃ、終わったらまた」
「あ、待ってゼロ。さっき右腕さすってたけど痛いの?薬草あげようか?」
心配な顔で見つめるリーファに笑ってゼロは答える。
「大丈夫だよ。今朝起きてから少し右腕が痛いんだよね」
右腕をさすりながら右腕の服を捲くると、何かの紋章にも見えるような痣が見えた。
「これって…」
驚愕の表情を浮かべるリーファは徐々に顔を青ざめさせていく。
「どうかしたの。リーファ?」
ゼロは不思議そうな顔をしながらリーファに問い掛けたが、リーファはごめん、何でもないよと慌てたように首を振った。
それを聞いたゼロは、お腹に力を入れ勢いをつけて起き上がると、草を払って歩き出す。それを見送ったリーファは、来たるべき時がきたと決意を胸にそっと小さく囁く。
「大丈夫、何があっても君を守るから」
その声は風の流れにのり消えていき、彼女の足は村の最奥にある倉庫へと向かっていた。
―・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・ー・-・-
花畑から数分歩いたところに石造建ての一軒家が見えてきた。煙突から香ばしい香りが漂っている。ゼロは逸る様な気持ちでドアノブに手をかけた。
「お疲れさま。今日の剣の稽古はどうだったの?」
リビングの方から母であるマオの優し気な声が聞こえてきた。
「今日も師匠にはかなわなかったよ。早くブラストのように強くなりたいな」
「そうかい。でも母さんは純粋な強さも大事だけど心の強さも大事だと思うわよ」
マオの言葉を聞いたゼロは納得しつつも、少し悔し気な表情を浮かべながら、リビングで手を洗い、色とりどりの食事が並ぶテーブルの前に腰かけ目の前のご馳走に手をつけた。
「まあ、でも。お前にはリーファみたいに、寄り添い支えてくれる芯の強い娘がお似合いだと思うけどね」
いきなりの言葉に、ゼロは口に含んでいたスープを吹き出してしまった。
余りに急で、何の脈絡も無い言葉に動転したゼロを、母親がけらけらと笑う。
「あたしに一本取られてるようじゃ、お師匠さんにはまだまだ勝てないわよ」
「無茶言うなよ」
膨れて口を拭うゼロを、余裕たっぷりに母親が笑い流した。
顔つきは余り似ていない上に、髪の色も違う。血の繋がりが無い事は、ゼロも両親も知っている。だが、食卓を囲む姿は、親子そのものであった。
「それでもねえ。あたしも、早く孫の顔が見たいわね。あんたの子をこの手に抱いてみたいもんさ」
「そういうのは授かりものだって、シスターも言ってたよ」
「……ちっ。照れて否定するぐらいしなよ。可愛げの無い子だね」
「親に似たんだろうな」
不敵に昼食を再開した息子を、暫くつまらなそうに睨んでいたが。母親の茶色い髪の下で、茶色い目が優しく緩んでいった。
「あんたも、こういう話ができるぐらい大きくなったんだねえ」
しんみりした母の顔に、ゼロも気分を整える為に紅茶を流し込みさっぱりとさせてから、記憶を確かめるように口を開く。
「父さんも同じようなこと言ってた。十六になって、そろそろ大人の仲間入りだ、って」
「あの人が? そうかい」
その時の父親の表情が何かを固く決意した顔をしていたことはゼロの胸の内に秘めておく事にした。
そろそろ大人の仲間入りから、「そろそろ」が取れた時。恐らく両親が、自分の出生の秘密や、この村が隠れ住む理由を教えてくれるはずだから。
それまでは、自分の口から尋ねるものでは無いと。
静かな空気が流れ、どちらからともなく食事を再開した。食事が食べ終わりそうな頃、ゼロは思い出したかのように母親であるマオに話しかけた。
「そういえば、リーファにさっき会ったんだけど、腕の痣を見せたら驚いた顔をしてたな、なんだったんだろう」
何気なくゼロは疑問に思っていたことを母に話しただけに過ぎなかったが、それを聞いた母は驚愕し目を大きく開けていた。
「ちょっと急な用事を思い出したよ、出かけてくるわね」
マオは何か重大なことがあったかのように急ぎ足で家から出て行った。
「皆して驚いてどうしたんだろう。この痣が関係してそうだけど…」
右腕の服を捲くり右腕の痣を見ながらそう呟いたゼロは、少しの間考えていたが答えは見つからなかったため、気にせずに食器を片付けに行った。
―・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・ー・-・-
食器を片付けたゼロは、母親がすぐには家に帰ってこないことを察すると、予定通り魔法の修行を受けに老師に会いに行こうとしていた。
家を出て道なりに歩いていたところ、さっきまで会っていたリーファが汗をかきながら焦る表情で駆け寄ってきた。
「ゼロ、急いで私と倉庫に来て。後で説明するからとにかく急いで!」
そう告げると慌ただしくゼロの右腕をひき、駆け出した。数分走っていると村の最奥にある倉庫の前に辿り着いた。
「どうしたんだよ、リーファ」
リーファはゼロの言葉に返事はせず、倉庫の中にある壁に向かってこの村でリーファしか知らない暗号を口にした。地響きを上げながら壁が開くと隠し部屋が現れた。
驚いたゼロを横目に見ながらリーファはゼロの背中を押し中に入るように促した。
「ごめんね、ゼロ。」
神妙な顔で謝るリーファにゼロの頭の中で異常なほどの高い音で警告音が響き渡る。
声をかけようとしたゼロの顔の目の前に粉状のものがキラキラと舞っていた。ゼロは驚愕に顔を引きつらせて、粉の持ち主を見た。
だが、リーファは優しいまなざしで、それでいて悲しげな表情を浮かべていた。これから話すことを全てゼロに伝えてしまうと、きっとゼロは戦いに行ってしまうだろう。だからこそ苦渋の決断でゼロに麻痺毒を盛ったのだ。
「ゼロ、あなたは選ばれてしまったの。本物の勇者に。」
伝説の勇者ブラストは右腕に痣のような紋章があったという。そして、次の勇者にも右腕に同じような紋章が出るであろうと昔いた稀代の預言者が告げたそうだ。
「それ、が、どうし、て」
鼻と口から入り込んだ麻痺毒に神経を犯され、ゼロの舌が回らなくなる。見開いた目は余すところなく、リーファを見つめていた。
「ここからはゼロにとって、とても信じられないようなそれでいて残酷な話をするわ・・・それでも私はあなたに伝えなければならない」
そう告げると、リーファは強い決意を胸に抱き続きを話した。
「この村は、外部からの接触を極力経っている。それはある一つの目的があったから」
「一、つの、目、的?」
「そう、勇者になる素質のある子どもを育て上げ、ブラストの意思を継ぐ勇者を見つけるため」
「どうしてそんなことをするのって思うでしょ?それは、魔族たちにとって、勇者は最大の脅威。勇者は生まれた時から勇者ではないのよ。だから自ら育て勇者と分かり次第、すぐに抹殺するため。勇者に目覚めたばかりの時は、まだ勇者の力を使いこなすことができないからそこを狙っているの…」
神経毒に侵されているゼロは立ってられず地面に倒れながらも目を見開き、驚愕な表情を浮かべていた。
「ま、さか」
「うん…この村はあなた以外全員魔族。私も含めてね…」
悲しげな表情で言い終えた後、部屋の中は静まり返った。ゼロの心の中は荒れ狂う嵐のように激しくて渦巻いていた。
あのいつも優しくてどんなことをしても味方でいてくれた母や大らかで、穏やかでいつもにこやかな父、厳しくも自分を認めてくれたもう一人の父のようであったガイ、祖父のようでありたくさんのことを優しく教えてくれた老師、皆、自分を騙していたのか、今までの日常は偽りの日常だったのか。
考えれば考えるほど心が苦しくなり、さっき食べた胃の中にあったものが逆流してきた。
「ごめんね、ゼロ。辛いと思うけど緊急だからこのまま話すね。実は今から魔族の帝王と呼ばれる人物がこの村にやってくる。理由は勇者に目覚めたあなたを殺すため」
「私はあなたの恋人として、ゼロを連れてくる任務を与えれると思う…ただ、」
一度言葉を切ったリーファは、力強く言い切った。
「私はあなたを絶対に殺させはしない。この十六年間あなたと一緒に過ごした日々は、私にとってどれも本物で幸せな時間だった」
涙を目に浮かべながら、ゼロの手を両手で包みこんだ。その後、すぐに立ち上がるとリーファは部屋の片隅にある一つの薬を手に取り飲み干した。
止めようと、自由に動かない手を必死に伸ばすゼロの目の前で。
「この薬は魔族が飲むと一時的に身体能力と魔力が数倍に膨れ上がる禁忌の薬」
そう言葉にした愛しい少女の目は赤く輝いており、頭の上には2本の角が生えていた。
リーファは、隠し部屋の隅に収めってあったおよそ勇者が着ててもおかしくないような鮮やかでそれでいて魔法の付与がある神秘的な武器防具一式を持ってくると、近くにあった人間のように見える人形にそれを被せた。ゼロは彼女のこれからの行動を思い浮かべ、ギンギンと響くような酷い頭痛が頭に襲い掛かってきた。
「駄、目だ」
「万が一、この倉庫に魔物が入っても気づかれる心配はないよ」
リーファはありったけの魔力を込め、ある魔法を唱えた。
「ーークレイア」
叫び声を上げる彼の声が徐々に身体と併せて消えていく。
「無事でいてね、ゼロ。あなたは私が守るよ」
リーファは神秘的な武器防具に身を包んだ人形を抱えて倉庫を飛び出した。リーファの顔には、拭っても拭っても涙がこぼれ落ちる。それでも、彼の幸せな未来を案じながら、彼女はそれを押し殺した。
―・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・ー・-・-
村人たちと共にいた老師の下に駆け込んできたマオは、嬉しそうな声を出しながら声をあげた。
「老師、ゼロの腕に勇者の紋章が浮かんできました!」
「なんじゃと!それはまことか」
周りの村人達も一斉に喜びの声を上げる。
「私達の長年の宿願が叶いましたね!あとはリバルト様をお呼びしてゼロを殺すだけですね」
両手を胸前に突き出し、飛び跳ねるような喜びを上げている。顔には、喜びとともに今までのマオの印象とはまったく異なるような獰猛で凶悪な笑みを浮かべていた。そこには一切の情や優しさは含まれていなかった。
「すぐに帝王様へ伝令をするのじゃ!他の物は変身を解き戦闘対戦に入れ。」
今までどこにでも居そうな人間達が、凶悪なモンスターへと変貌していく。野菜畑を耕している男は翼が生えた竜人へ、仲の良い熟年夫婦は大きな爪を持つ獣人族へと。
「そういえばリーファ様はどこにいったんだ?彼女は、リバルト様の妹であり今回の勇者殲滅作成のカギとなるんだぞ」
そう声を上げたのは、ゼロの父親だったイル。今は人間だったころの姿は見る影もなく、魔装の槍を携えた鎧の騎士の姿をしていた。
リーファは魔族の帝王リバルトの妹君であり、長きにわたる作戦の要でもあるゼロの恋人役でもある。
ゼロをおびき出す役目と共に情けを引き出し勇者の力を封じ込める役目を与えられていた。
「リーファ様とゼロが見つからない!どこに行ったか知る者はいないか!」
魔物へと変わっていた村人たちに動揺が走った。そのさなか、怪我を負いベットで休んでいた冒険者が片手剣と盾を携え現れた。
「やはりこの村は魔物どもの巣窟であったか…!そしたら勇者の素質をもった子もここに…」
この冒険者は、セントラル国王による王命により世界を駆け巡り勇者となる素質をもつ子供を探していた。
ここ最近、彼の部下である隠密部隊の隊員から怪しげな商団のような一団が人知れずセントラル国の北にある深い森の奥へと向かっていると目撃情報があった。そのため周辺を調査していたところ、明らかにこの周辺では現れないであろう強力な魔物が現れた。
急な戦闘ではあったものの何とか撃退した冒険者であったが傷が深くその場で手当てをしていたところ、この深い森の中に不自然に現れた村の人に助けられこの村へとたどり着いたのである。
どうしてこの人里離れた場所に村があるのだろうか。部下から聞いた情報、強力な魔物、深い森の中で出会った村人、一つ一つの不可思議な点が線になり繋がっていく。
冒険者は確信していた。この村には何かがあると。
「起きてしまったか。もう少し寝ていれば、ちょっとは長生きできたものを。まあすぐに死 ぬのに変わりはないがな」
「ゼロに人間の世界を伝え、勇者の素質を開花させるきっかけになればと思い殺さずに生かしたが、勇者に目覚めた今、もう貴様は用済みだ」
周りにいた魔族と化した元村人たちが凶悪な笑みを浮かべ口々に述べたあと、冒険者へと襲い掛かった。
冒険者は襲い掛かってきた槍を抱えている魚人の魔族の鋭い突きを持っている盾でいなしながら横一線に剣を振るう。その隙をつき魔法の杖をもった銀色髪の女魔族が風魔法の中位階級である「サイクルストーム」を唱えた。
冒険者はすぐに自らに防御魔法である「プロテクト」を唱えると、自ら暴風の渦に突っ込みながら女魔族を切り殺した。
行きつく暇もなく、四本の腕をもつ2体の死霊の騎士が左右から襲い掛かる。剣と盾を駆使して防いでいたが、手数の多さと変則的な剣筋に徐々に冒険者の身体に傷が増えていく。
冒険者は、人間界の中では精鋭と呼べるであろう実力であった。
その実力の裏付けとして、この世界は冒険者ギルドというものがあり、強さや貢献度によりランクがSランクからEランクまである中で世界に数十人しかいないとされているAランク冒険者である。そんな彼だからこそ、王命を携わり部下を引き連れずに一人で世界を回っていた。
だが、そんな冒険者を追い詰めている魔族達が村人たちの本当の正体なのである。
「人間風情がとっとと死ね!」
剣を大きく振り被り突撃してきた死霊の騎士たちを冒険者は、傷ついた身体に鞭を入れながら横に転がりそれを躱す。振り向き様に剣を切り上げつつ素早く切り刻む。
目の前の敵を倒しそっと息を吐いた冒険者の近くで、あたり一面に大きな音が響き渡った。
「者ども、勇者が誕生したというのは本当か」
威厳のある声が響く。大きな音の正体は、時空魔法で転移してきた魔族たちであった。その中にいて、ひと際目を引く雰囲気を持った先頭の赤黒髪の男が魔族の頂点に達する帝王その人であった。
「なんだ、この魔力は!?」
「我の前を妨げるな、下郎が」
冒険者が驚く暇もなく、赤黒髪の男はまるで目の前の虫を振り払うかのように持っていた深紅の長剣を振りかざした。
「スパン」と音が鳴ったかと思うと次の瞬間、冒険者の首と胴体が離れていた。つい先ほどまで善戦していた人間は、動かぬ人形のように地面に横たわった。
「お待ちしておりました。リバルト様」
赤黒髪の男であるリバルトに声をかけたのは、人間に変化していた時に老師と呼ばれていた魔族、デスソーサ。漆黒のローブを羽織り優雅に一礼をした。
「ゴミがうろついていたな」
「申し訳ございません。少々手間取りまして」
「まあよい、それよりも勇者とリーファはどこにいる」
「少し前にリーファ様とゼロが二人で走っている姿を見かけました、おそらく村の最奥にある倉庫にいったのかと」
近くにいた者が声を上げる。その時にひと際大きな甲高い声が聞こえてきた。
「お久しぶりです、兄上。勇者を連れてきました。麻痺毒を盛りましたので、声を出すこと身動きをとることもできないようにしております」
神秘的な武器防具を身に纏ったゼロに見立てた人形を背中に担ぎ、リーファは一同の前に躍り出た。周りの魔族や魔物たちは感嘆の声を上げたが、今までよく二人を見ていたガイ、いや魔族となったカイザーは警鐘を鳴らした。
「リーファ様、本当に背中に担いでいるのはゼロですかな?…あなたは恋人役でしたが、本当の恋人のように接していたため、少し疑いがありまして」
カイザーとその配下の魔物たちは臨戦態勢のまま、ジリジリとリーファに近づいた。
「止まりなさい、カイザー。いくら兄上直属の四天王の1人だとしても私を疑うのは無礼である」
キッと睨めつけるようにカイザーを見据えると、リーファは周りを見回した。元々村にいたのは二百人弱、その人数がすべて魔族であり、さらにはリバルトが連れてきた魔物達があたり一面を埋め尽くしている。
この人数を相手にさすがに無事ではすまないだろうとリーファは思っていた。ここで一匹倒す毎に、後のゼロの苦労が減るのだから、可能なら、リバルトを倒してしまえば彼に辛苦を味わわせる事も無い。この思いを胸に抱き心を奮い立たせる。
「やはり妹といえど、血の繋がりのない奴を信用することはできんな。ましてや、かの勇者ブラストに命を救われたやつに」
疑いの目を向けたリバルト。彼とリーファに血のつながりはなかった。リーファは、実父母を前魔王であるリバルトの父親の配下に殺されており、その際に危険なところを勇者ブラストに助けられていた。
その後、ブラストと大魔王ガンダールの伝説の戦いの後、魔族の孤児となっていたリーファを魔法に関して才能に溢れていたことを見抜いた前魔王であるリバルトの父親が引き取った経緯がある。
実父母を前魔王の指示によりに殺されてしまった過去があったことから、リーファが物心ついたころには魔族達に対しての復讐に燃えていたことを想像するのは難しくないことだった。
リバルトは、自らの憧れである大魔王ガンダールを倒した勇者ブラストにゆかりのあるものであるリーファを昔からよく思っていなかった点もあり、ないがしろな態度をリーファにしていたことも冷え切った兄弟関係に影響している。
「ごまかすことはできないようね」
背中に抱えていた神秘的な武器防具を装備している人形を地面に置くと、人形が身に着けていた長剣を手に取り目の前に構えた。
「ふ、やっと正体を現したか。魔族の面汚し目。皆の物あの裏切り者を殺してしまえ。勇者はその奥の倉庫にいるであろう」
リバルトが言うや否や、先頭集団である体長2メートルでは超えているであろう四つ足の獣族やゴブリン族の最高種ゴブリンキングなどが奇声を上げながら、リーファへ襲い掛かった。さらには上空からは竜族の魔物達が凶悪な口蓋の中で炎が渦巻き、今にも炎を吐き出そうとしている。
上と下、双方から飛び交う攻撃を前にリーファは長剣に爆破魔法を載せて振り払った。あまりの威力に血しぶきが、地面に空に広がっていく。
強襲の勢いを消された先頭部隊に代わるように続く一団が防御低下魔法や動きを遅くするといった、戦闘能力を削ぐ魔法で攻撃してくる。
ただ闇雲に攻めてくるだけでなく、相手の戦力を削ぐような戦法を使ってくる敵に対して、リーファは後ろに控えているリバルトの入念な攻め方に苦し気に顔を歪ませた。
それでも、特別優秀な種別である魔族の中にあって、魔法の才覚に溢れていたリーファは、力を増大させる禁忌の薬の増幅効果も相まって奮闘しており、戦況は睨み合いとなって膠着した。
そんな戦況の中、明らかに纏う雰囲気が周りと異なる二人の魔族が姿を現す。一人は魔装の槍を携えた鎧の騎士であるゼロの父親であったイル、もう一人は杖を携え魔法衣を羽織った凶悪な笑みを浮かべているゼロの母であったマオであった。
マオが魔法を放つ前に、リーファが斬りかかる。が、隣のイルが未然に防ぐ。その間に魔法の演唱を完成させたマオは、上位階級の炎魔法エクスフレイムを唱えた。
イルさえも巻き込むであろう圧倒的な炎の渦がリーファへ襲い掛かるがリーファは前方に魔力放出することにより、その反動で後ろへと難を逃れた。
それを横目に見ながらイルも盾を使用し炎を防いでいた。
「ゼロに少しは愛情とか思いやりはないんですか!」
リーファは声を大にして涙を浮かべながら叫んだ。
「そんなのあるわけがないだろう、俺たちは勇者になる素質を持った人間を育てていたに過ぎない。そこには何の感情もない」
以前、池のほとりで釣りをしながらゼロと楽しそうにお弁当を食べていた父の姿は、微塵も感じないさまであった。
「早く勇者なのか、そうではないのかはっきりしろって思ってたわよ。人間と一緒の生活なんて吐き気がするぐらいだったわ」
心底気持ち悪かった、と顔を歪ませるマオを見て、リーファは罪悪感に見舞われていた。
少しでも彼らがゼロと過ごした日々に対して幸せを感じていることを心の中で願っていたから。もしこの場で今までの日々だけでも肯定してくれたら。
だから必死の思いで声をかけた。
すぐ近くの倉庫の隠し部屋にいるゼロにもきっとこちらの声は聞こえているだろうから…。
「あなたたちは人でも魔族でもない。ただの獰猛で凶悪な魔物だわ。村にいた全ての者が全員ゼロの敵でも私は彼の味方でいる!」
長剣を持っていない左手に魔力を込めると、前方に向かって上位階級のさらに上に位置する、限られた者にしか存在さえも知らない極位階級である爆破魔法を唱えた。
「プロメテウス」
その魔法の威力にイルとマオは森まで吹き飛ばされた。木々を薙ぎ倒し、彼らを地に這いつくばせた。
他の魔物達も、前方にいたものは跡形もなく消滅し、上空にいた者は丸焦げの焼死体となり地面に落下している。リバルトやカイザーといった手練れは自らの魔力などで防御をしていたが。
残りの魔物の目が自分へ向けられる中、リーファは大群の中央を突っ切った。
全身を焼き尽かさんとする炎を盾で防ぎながら、上半身を裂こうとしてくる大きな爪を剣を使い上手く避ける。息つく暇もなく左右から突っ込んできた敵を躱し、正面に現れた魔物を踏み越える。
「貴様ら、早く殺してしまえ!」
竜族の王である巨竜、スナイザーが苛立ちを吸い込みながら、高熱の炎を吐き出した。リーファは踏み越えたゴーレム系の魔物を壁に、それをやり過ごして走る。
左から骸骨の剣士が振るう剣を持っている剣で受け流し、上から落ちてきたハイオーガーの棍棒を転がって逃げる。
そして、守備隊の中へと駆け込んだ。
「もう諦めろリーファ。ゼロは勇者とわかった時点で死ぬ運命であったのだ」
ゼロの剣の師匠であり一群を率いていた鎧を全身に纏った魔剣士、カイザーがリーファを指差す。その声に顔だけ上げてそれに応じる。ゼロがよくやる、口元の片方だけ吊り上げる笑みと共に。
「諦めないわ。私が諦めたら誰がゼロを助けるのよ」
何があっても諦めない覚悟をリーファから見たカイザーは、2本の長剣を左右に振りかざしながらリーファに襲い掛かった。
ガイの時の剣速よりもさらに早い速度にたまらずリーファは首と身体をひねりながら転がりよけた。徐々に劣勢になるが、足を大きく踏み出して剣を振りかざす。それを躱すのを横目に見ながらすぐに振り下ろした剣を逆さに切り替え真上に切り上げた。繰り出した切り上げは鋭くカイザーの鎧に傷をつける。
「この技は…」
「いずれゼロはあなたも超える。そして誰もが平和に暮らせる世界を作ってくれる」
リーファは決して「勇者」になれとは言わない。きっと勇者になれなどと言ってしまうと、彼を「勇者」というものに縛り付けてしまうから。
「落ち着け者ども。敵は弱ってきている。遠距離から焼き尽くしてしまえ!」
浮き足立った魔物軍へと、凛とした力強い声が響き渡った。リバルトの声に冷静さを取り戻し、配下の側近がカイザーを始め魔物を下がらせる。
リーファの手が届かない位置まで退き、炎や吹雪、暴風などの魔法を浴びせていく。
その衝撃によりリーファは倉庫まで吹き飛ばされてしまった。攻撃の余波は凄まじく、倉庫の前の草原は燃え盛り炎の壁のようなものが広がっている。
「チッ、これでは攻められないではないか」
悔し気にまぶくデスソーサ。
敵が攻めてこれないまたとないチャンスであったが、リーファは、最期にもう二度と会うことはできないであろうゼロを一目見ようとこのひとときの時間を使い、怪我をして血がにじみ出ている脇腹を手で抑えながら倉庫の中にある隠し扉に入っていった。
―・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・ー・-・-
中に入ると、リーファの目からおもわず涙がこぼれた。クレイアは他者から見えなくなる魔法であるが術者はその影響を受けない。
姿が見えているゼロは、神経性の麻痺によって指一本すら動かし難いはずであるにもかかわらず、自らの全身を引き擦って戸口の方へと這っていた。
床に突き立てた爪から血が滲み、その痛みで麻痺を散らして進んでいる。扉まではまだ遠いし、どうやっても間に合うはずは無いだろう。それでも、少年の心にリーファの胸は苦しくなった。
「君、はここ、に、いて。俺が、守る。なん、のために、いまま、で……」
続きは、舌がもつれて言葉にはならなかった。
それでも、ゼロの体は入り口へ向かうのを止めようとはしない。今までの戦いの内容は全て聞こえているはずだ。
彼の父や母だった者やガイや老師などの村の人たちがゼロのことをどう思っているのかも全部。それでも彼は一心にリーファのことだけを考えていた。
それでも、例え恨まれても、彼女はゼロの願いを聞くことはしない。
なぜなら、彼女はゼロの存在がどんなことより、自らの命よりも大事だから。
「ゼロ。あなたは勇者なんて気にせず、ただ生きて。それが私の唯一の願い」
「な、に、いって……」
続きを言わせない為に、ゼロの口をリーファは自分の口で塞いだ。
離れた後、いつもなら優しく微笑んでくれるはずの彼は、辛さと怒りに満ちていた。
ゼロにこれから告げる言葉は、ゼロはきっと望んではいないと思いながらも、必ず自らの言葉で伝えたいとリーファ自身が望んでいたため発した言葉だった。
「ごめんね。本当は今ゼロに会うのは危険だったのに最期にどうしても会いたくて。でも、これで正真正銘の最後だから」
この場には相応しくない、晴れやかな笑顔を浮かべながらリーファは決意の目をしながら前を向く。
「大好きだよ、ゼロ。この気持ちは昔も今もずっと変わらない」
もう振り向かない。振り向いてしまうと決心した気持ちが揺れてしまうから。後ろから感じる彼の気配を浴びながら、隠し扉を閉め、最後の力を振り絞り倉庫を駆け上がった。
キュッと口を結びながら扉を開け放つと、周囲から熱気が押し寄せてきた。
先ほどまであたり一面を覆っていた炎の壁がちょうど消えかけていたところであった。
「愛しの勇者との別れはついたのか」
意地の悪そうな笑みを浮かべながら、リバルトは声をかける。
「ええ、おかげさまでね。残念ながらゼロはもうこの村にはいないわ」
「なに!?まさか転移魔法か!」
ゼロに魔法を教えていたデスソーサが驚きの声を上げる。魔法に精通している彼はすぐに一つの魔法を導き出した。
転移魔法は詠唱の準備に時間がかかるが対象をはるか遠い場所に移動させることができる破格の魔法である。
リーファがゼロを連れ出した時からすでに数時間は経過している。その間準備していたのではないかと疑った。
「さすが、ゼロの魔法の師匠だっただけあるわね。そうよ、ゼロは私も知らない未開の地へ飛ばした。これであなたたちの企みも無駄ね」
「本当に転移魔法を使ったのかは確かめる必要がある。お前を殺してからゼロっくり調べてやろう」
リバルトは右手を掲げ、配下へ突撃の命令を下した。
「探せるものなら探してみなさい。あなた達はここで私が倒す!」
そう力強く宣言するリーファは、自らの右手に魔力を集中させていく。集まった魔力が圧縮され目に見える濃度にまで膨れ上がっていく。
「この魔力は…!?」
「ありえん…」
周辺にいる魔物達は、その魔力により足が震えだしている。
「スナイザー!」
赤黒髪の男が叫ぶと、命令を最後まで聞くまでもなく、素早く自らの凶悪な牙を覗かせた口を開き炎のブレスを吐き出した。他の魔物達もスナイザーに合わせ、右手が光輝く人物へと四方から魔法や息吹を浴びせた。
攻撃の余波である煙があたり一面に立ち昇る中、そこから見えたのは自らの左手を犠牲にして立っていたリーファであった。最後の力を振り絞りリーファはある魔法を紡いだ。
「バイバイ、ゼロ。--------ゼロ―グ!!」
「まずい!全軍回避せよ!」
カイザーが叫んだが、自らの身を犠牲にするその魔法の衝撃は凄まじく、あたり一面に光線が走った。
赤黒髪の男の前に、漆黒のローブを羽織ったデスソーサが自らの魔力を前に放出し魔法の壁を張り巡らせる。
吹き荒れる煙が落ち着てくると、焼野原の中心地には大きなリングが一つだけ落ちていた。
最期に命をかけて唱えた魔法の威力はまさに規格外の威力を誇っていた。
少し離れた場所でさえ、無傷の者は一人として存在しない。立ち上がれないカイザーとスナイザーに代わり、配下の魔物が爆心地を調べる。
敵の肉片一つ残さず滅びたのを確認すると、赤黒髪の男へ報告した。
「リバルト様!リーファは死んだようです」
「よくぞやった。後は、勇者を探すだけか」
リバルトはデスソーサとその他の配下を連れて自ら倉庫の中に入った。ただ倉庫の中は静寂で静まり返っており、人一人いない気配に本当に転移魔法をしたのだと決断した。
「最後にリーファめに一杯食わされましたな。申し訳ございませぬ。私の落ち度でございます」
デスソーサが、苦虫を噛み崩したような顔をしながら膝を地面につき、配下の姿勢でリバルトにつげる。
「まあよい。昔から懸念していた反乱分子を滅ぼせたのだ。どうせ勇者の心は、村の全員に裏切られ最愛の者を亡くし壊れたであろう。すぐに追っ手を差し向ければよい。勝鬨だ!皆のもの!」
「「おおー!!!」」
「「リバルト様!バンザイ!!」」
魔族、魔物達の掛け声が、つい数時間前まで村として栄えていた焼け野原に響き渡った。
勇者の誕生の予言を聞いて以来、各地で勇者と思しき年齢の子供らを狩りに行っていたり、この村同様に素質のある子どもを育て上げてまで勇者を見つけ出そうとした魔族達はようやく少し肩の荷を下ろせていた。
これからは心が壊れている一人の人物を殺すだけで済むのだから、今までのやっていたことに比べ楽であると考えても無理もない話である。
並んで歩いていた赤黒髪の男は、時空魔法を唱える前にデスソーサに声をかける。
「これで、残るは大魔王ガンダール様の復活の準備だけか。あの方の復活は我ら魔族にとっての宿願だからな。」
「はは。ただ、復活の方法を知っているのが、遥か昔ガンダール様の手下として暗躍していた、現ウィンダール国の王族しか知らないというのが、いささか面倒ではありますが…」
ふむ、と暫く考えてから、リバルトは笑いながら傾いた。
「大魔王の復活の方法を知っているものが人間とはおかしなものだな」
「ですな。この件に関してはお任せをリバルト様」
「期待しているぞ」
「はは!」
魔族の帝王、リバルトを尊敬の眼差しで見つめる悪魔神官が、法衣を幅かせながら礼をとり主君を見送った。彼は、主君が覇道を突き進むならば、どんなことでも行う覚悟があった。
―・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・ー・ー・ー
日が傾き辺りが暗くなってきた頃、倉庫からゼロが地面を這いつくばるように出てきた。
リーファが唱えた魔法はすでに解けており、身に纏っていた服の腕部分は破れ、地面と何度も擦り合わせたのか血が出ている。
ようやく辿り着いた扉の向こうは、不自然なまでに静寂が支配していた。先刻、大きな衝撃音が聞こえてきたのが噓のように。
きっと村の皆んなは、魔物ではなくて外から攻めてきた敵と戦っていて、戦い終わった後に村のはずれのどこかで休んでいるんだ。
魔物は全員蹴散らして、誰1人かけることなく笑って傷を癒している。そう願わずにはいられないほど、ゼロの心の内情は揺れていた。震える足を叱咤しながらゼロは進んでいく。
ひんやりとした薄暗い地下室の匂いに混ざるのは、煙とツンと鼻につく嫌な匂いだった。まともな戦いの後で、こんな匂いがするわけが無い。
それでも、地下室に留まり続けるわけにもいかない為、ゼロは、未だ少し痺れる腕に力を入れながら、祈る様な思いで外への隠し戸を押し開けた。
だが、目の前に見えた現実は、彼の感情を一瞬で凍らせるほどの物だった。
堅牢な石造建ての家々は、戦闘の衝撃で壁は崩れ落ち、野菜畑は高熱で焼け野原となり焦土と化している。
村の中央にあったはずの池は干上がっており、代わりに血と泥が混じった沼地となっていた。
魔族の流れている赤い色やゴブリンの流れている緑の色、竜族の流れている青い色、色々な種類の血が、余りに多く流された跡があった。激しい戦闘の行われた土地が、毒を持った沼地に変わる事があると教えてくれたのは誰だったか。
瓦礫をどかし、沼地や盛り土を掻き分け、周囲の焼野原に目を凝らす。しかし、何も見つからなかった。
小さな村だけに、全員が顔見知りであり、家族のような付き合いだった。特に、同世代の子供がおらず一人だけ子供だったゼロは、小さい頃から皆に可愛がられていた。
そんな村人たちは誰もいなかった。人間の死体は一つも…。
そして彼は、意図して避け続けていた場所へと足を向けた。倉庫の前のひと際、ひどく地面が削れている箇所に足を進める。位置的には間違いない辺りにも、死体は見つからなかった。
燃え残った枯れ草だけが、風に靡いている。顔からすっかり表情の失せたゼロが、その場に立ってられず膝から崩れ落ちた。
何も感じ無い。何も考えられない。
絶望に下を向いていると、泥にまみれながらも光り輝くものを見つけた。
それは、つい数時間前に大切な彼女が身につけていた大きめなリング。
両手で包むように持ち上げたゼロは、視界が滲んでいることに気づく。
「……あれ?」
とめどなく溢れ出る雫が頬を伝い地面に落ちていく。冷たい頬の感触に分かりたくも無い現実を突きつけられる。
先程まで村の中を歩き回っていた時は、まだどこか現実ではないかのように心と身体が自身と切り離れていた。
最愛の人の形見を見つけたことにより、嫌でも現実がゼロを襲ってきた。何で泣いているんだろう、とは思わない。思ってはいけない。
「リ、リー、ファ、う、うう、」
口から彼女の名前が出ても、それは言葉にならない。今までの日々の生活はすべて幻だったのか。あの幸せだった時間は何だったのか。
いや、すべて幻ではない。彼女は、リーファだけは本物であった。
そんな彼女を奪っていった村の裏切り者たち。そしてずっと前からリーファを苦しめ、この悲劇を起こした敵。
気持ちが少しずつ冷静になってくるとともに、ゼロの心の中に暗い闇が広がっていく。
この気持ちは何だ、これは恨みだ。恨むって誰をだ。
ーーそんなの、決まってるじゃないか。
「…リーファの仇は、必ず俺が取る...」
地下室を出てから感情が消えていた目に、光が宿った。それはとても暗く闇がのぞいていた。
魔族の帝王、リバルトを殺す。侵略してきた魔物も村の人に化けていた魔族も全て滅ぼす。
それは誰もが恐れる困難であり、魔族の帝王を倒せば歴史に名を残す偉業でもある。
「誰もが憧れる勇者は今日ここで死んだ…」
腕に光る紋章を見ながらニヤリと笑ったゼロは、以前に見せた笑みとは異なるような不気味な笑みをしていた。
倉庫を出た時とは打って変わり、力強い一歩を踏み出しながら街の入り口へ歩いていく。
ゼロからの旅立ち、それが勇者の使命を背負った少年の旅立ちであった。
―・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・ー・-・-
いつか数多の苦難を乗り越え、彼を支える仲間ができるであろう。復讐心を乗り越え、彼が本当の意味で『勇者』となるときは近い将来必ず訪れる。
歴代最高の勇者と名高い『勇者ゼロ』の過酷な旅立ちはここから始まった。
ここまでお読み下さりありがとうございました。
また作品を作った際は、ぜひお読みいただけると嬉しいです。
励みになりますのでよろしければ、評価していただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。
3月30日 加筆
この作品の前談の話を作りました。よろしければご覧ください。
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