第九話
「明日の日中に、旅の支度を整えなさい。私は〝弦〟に行ったことはないが、町の年寄りから話を聞いて、文献も調べてみようと思う。儀式は夜じゃないとできないから、儀式終了後にすぐ出発となるぞ」
父がジャガイモのカレー粉炒めを食べながら言った。カレーの香辛料は、どんなにお腹いっぱいでも更に食欲をそそる魅力がある。
「ありがとうございます、国王様。それと、良い研ぎ師がいたら教えて頂けますか? 私も出来ますが、できればプロにやってもらいたくて」
「おお、町に良い研ぎ手がおるぞ。明日朝一でオルロフに剣を運ばせよう。大将は何かと準備があるだろうから」
「はい、よろしくお願いします!」
ルースが父に頭を下げる。その後食事も終わり、それぞれが寝る準備についた。ルースはもちろん、迎賓館の客室に泊まることになっている。
私はルースを迎賓館へ続く廊下まで見送りに行った。カルは疲れたのか、ルースの腕の中でグゥグゥ寝息を立てている。
「それではアリシア。今宵はゆっくり休んで下さい。今日は突然の訪問だったのに、こんなに心を尽くした歓迎をありがとうございました」
「いいえ、とんでもないわ。ジャガイモばかりでごめんなさい。もっと豪華なお食事を用意できれば良かったのだけど」
急に田舎の料理が恥ずかしくなった。いつもはベリル王国の王宮で、それこそ目を見張るようなご馳走を食べているはずのルースに、ジャガイモのフルコースを食べさせるなんて……。
「ジャガイモは大好きですから、とても美味しかったです。ではアリシア。おやすみなさい」
そう言うとルースは私の手を取り、甲に口づけをした。一瞬で自分の手が心臓になったかのように、熱く脈打つ。
「チッ」という舌打ちが聴こえた。横を見るとアルレイがいる。弟は腕を組み、ルースに視線で凄みを利かせていた。
「姉さま。今のを見たでしょう? この野良大将は姉さまの柔肌に触れて今夜のオカズにしようとしてるんだ。まったく油断のならない奴です」
「そっ……そんなことは……あり、ません……っ」
微妙に目を泳がせながら、途切れがちにルースが言う。オカズって何かしら。もうお夕飯は食べたし……。オカズというか、ほとんどがジャガイモだったけど。
「ハッキリ否定しないな? 今だって姉さまをジロジロ見て、何を想像してたんだ?」
「想像なんて失礼なことは……。大体俺にはデータがあ」
バシッとルースは自分の手を自分の口に当てた。「そ……それではおやすみなさいっ」と言ってルースは後ろに下がっていく。カルが「データソウシンカンリョウデスゥ……」とむにゃむにゃしながらつぶやいていた。
ルースが去ったあと、弟は「やっぱりあいつと行くのは反対だ!」と言い出したが、何とかなだめて部屋まで送り、寝かしつけた。
私は明日から始まるルースとの冒険が上手くいくよう、祈りながら眠りについた。とても眠れない、と思っていたのに、気が付いたら朝になっていた。
翌日の日中は旅の準備で忙しかった。普段はほとんどドレスを着て過ごすため、私は動きやすい服を持っていない。母と一緒に町へ出て、シャツとズボンを数枚そろえ、ブーツも買った。
外套は膝丈のスカート型のものにした。「姫さま、とてもお似合いですぅ」とプリンが褒めてくれる。
「少しでも可愛らしく見せたいものね」
母はそう言って、バチンとウインクしてきた。母は特にそれ以上の事は何も言わなかったけれど、私がルースに抱く、人生初めての甘い想いに気づいていたのかもしれない。
屋敷に戻ると、ルースが庭で研ぎ終わった剣を眺めていた。カルはナディルと一緒にボール遊びをしている。
私は部屋まで荷物を置きに行き、また庭に戻った。ルースはさっき着ていなかった外套を羽織っていた。
「お疲れ様。その外套すてきね」
ルースはうなずいてニコリと笑う。
「研ぎ終わった剣を取りに行った時、研師のナサックから頂きました。なんでもこの外套は妖魔の爪でも切り裂けないとか。嘘か本当か分かりませんが」
「まぁ、そうなの? 本当だったらすごいわね」
「はい。ほん……う、うわぁぁぁぁぁぁああああ!!!」
突如ルースが叫び出した。目線は私の後ろを指している。振り向くと、私の頭の斜め上あたりに、フワフワと浮かぶものがあった。
それは黒くて丸い塊だった。ツヤツヤしていて、墨汁の中に油を浮かせたような七色がぬらぬらと光っているように見える。何と言っても奇妙なのは、その丸に縦の線が入っていて目玉があることだった。
例えるなら、猫の目がひとつだけ宙に浮いて漂っているような感じ。
「うわ、うわ、うわあぁぁあああ! 人魂⁉ 妖怪⁉ なにコレ!!!!」
ルースは叫びながら私にしがみつく。私はルースの腕の中にすっぽり入ってしまった。ルースはブルブル震えている。怖がっているルースに対して不謹慎だと思うけど、その堅い筋肉の感触にドキドキしてしまった。
「……お告げを……お伝え……します」
「うひ──っ! しゃ、しゃべった……ひと……ひとだま……しゃべ」
ルースは急に黙ると、私を抱きしめたままズルリと下に下がって行った。ほとんど気絶した状態で、膝の力が抜けている。
重いルースを支えきれず、私もひざまずいた。ルースは半分白目で、私の胸元に頭を預けている。目じりには涙がたまっていた。よっぽど怖かったみたい。
「ルース。あのね、あれはひとだまじゃないの。リリアンよ」
ルースはすぐにピクリと反応し、恐る恐る後ろを見た。
「ひぃっ、見てる。こっち見てるぅ! 呪われる! え……え? リリアン?」
「お……ねい……さま。ごき……げんよ……う」
リリアンの後ろに、妹のリアンが立っていた。今日も黒づくめの服装だった。ふちにレースがついた長いショールを頭から被り、目元を隠している。もちろん、フェイスベールもつけていた。日の光の下で見ても、顔はほとんど見えなかった。
「本日は……おねいさまの旅の……安全の為に……斎場で祈りを……捧げておりました。……そうしましたら……リリアンが宣託を……受けました……」
囁き声でリアンが話す。私はルースの肩をそっと叩いて「リリアンはリアンの従者なの」と伝えた。
「じゅ……従者? あれが従者……?」
ルースは頭では分かったみたいだけど、一向に震えは収まらなかった。ぬらりとリリアンが動くたび、さっきよりも強く私にしがみついてくる。
そりゃそうよね。リリアンは見た目がアレだし。私も大分慣れたけど、夜の暗闇で見るといまだに恐怖を感じるもの。
「あ、あの……ありがとう、リアン。宣託を受けたなら、ちゃんとした場所で聞かなきゃね」
「……いえ、おねい……さま。求めて得た……お告げでは、ございませんので……この場所……でお伝え……します」
「そうなのね。じゃあ、ここで聞かせていただくわ」




