第五話
「ひっ……、すみません! このところずっと野宿だったもので……。臭いですよね。俺が臭い……俺もカメムシくさい。俺がきっとカメムシなんだ……」
またもやルースがブルブル震え出した。ああ、またヘタレちゃったわ。これからお父様にご挨拶しなければならないのに大丈夫かしら。
「こりゃ、生意気な小僧め。歴戦の勇者ルース様に対して失礼であるぞ!」
カルが怒ってアルレイの上でバタバタ羽ばたいた。
「へぇ、この人勇者なんだ。てことは、野良勇者? 姉さま今度は、野良勇者を拾って来たの?」
「よしなさい、アルレイ。これ以上お客人をバカにしてはいけませんよ」
ピシャリと弟を止めたのは、私たち姉弟の母であり、女王フローレスだ。父王と同じく、農作業を終えてジャガイモの入った籠を手にしている。
普段はおっとりしていて、穏やかで優しい雰囲気を持っているが、しめる時はしめる頼もしい母だ。そして国中の女性占い師を束ねる役も担っている。
「お……ねい……さま。おかえり……なさいまし……」
消え入りそうな声で言ったのは、私のすぐ下の妹、リアンだ。年は十五。性格は大人しく、いつも囁くような声でしゃべる。占い師然とした黒のショールや、フード付きのマントをいつも羽織り、フェイスベールで目から下も隠しているから、表情は良く見えない。
人付き合いが嫌いで同年代の友人はひとりもいないが、家族の手伝いは良くやってくれる。そしてこの子も、超がつくほどのシスコンだ。
「……このお方は……」
リアンがルースを見て囁いた。目深にかぶったフードのせいで、見ているのかどうかは定かではないけど、多分、見ているのだろう。フードの前側はルースの方を向いているから。
「……タマなし……ですね」
「タマなしですと!? あんたルース様をタマなし野郎呼ばわりするんですか? 確かに今肝っ玉は持ち合わせていないですが、それにしても失敬じゃないですか! 私の主人をタマなしなんてっ」
カルが何度も何度もタマなしと言うせいで、言われるたびにルースの顔に青味が増す。
ルースは「俺はタマなしか……。カメムシくさい上、タマなし野郎になったのか……」とブツブツつぶやく始末。正にプライドはズタズタ。自信は喪失して立ち直れなくなってそう。
「あなたたち、もうやめてあげて。お父さま、ルース様は長旅で装いが汚れておられますし、みんなも農作業で泥だらけです。お互いの挨拶は後にして、まずは湯浴みをして身を清めましょう。私もお父さまに託宣をしなければなりませんし」
「おお、そうか。何か視えたんだね。では急ぎ風呂の準備をさせよう。旅のお方、ご挨拶は後にして頂いてもよろしいか?」
父王の促しに、ルースは首をガクガク振ってうなずいた。ショックが収まってないみたい。
「ルース様のタマはあっしが風呂場できちんと確認してきますからね!」
カルがみんなに向かって宣言する。まさか出た後にタマの証明する気じゃないでしょうね。
その後ルースは迎賓館の湯殿に案内され、私たちカリナン一家は屋敷の風呂へ行った。屋敷にはもちろん、それぞれ自分たちの部屋があり、全部に浴室が付いている。何しろ王家は重要な宣託の儀式をすることが多く、その都度身を清める必要があるため浴室は重要な場所なのだ。
私もさっきは泉で身体を洗っただけだったので、きちんとお風呂に入りなおした。出た後は王への託宣のために、白のドレスを着て白のローブを羽織る。
長い髪も結い上げ、主にパールを基調とした白系の宝石を使った髪飾りをつけた。例え自分の父へ占いの結果を報告するだけとしても、占い立国にとって託宣は手を抜けない儀式だから。
プリンはお昼寝から目覚めて、一緒にお風呂に入った後、髪飾りをさすのを手伝ってくれた。
着替えが済み、私とプリンは迎賓館へ向かった。一つだけ残された宮殿である迎賓館はエンタシスの柱が並ぶ美しい造りをしている。
歩いて行くと、王の待つ謁見の間の手前で佇む人が見える。
一瞬、誰だか分からなかった。
赤と白、そして金を基調とした軍服を着たその人物は、私に気が付きこちらを見た。少し目を見開くと、頬を染めて破顔する。
「アリシア! 美しいです。良くお似合いだ」
「……ありがとう、ルース。その……あなたもとても素敵よ」
それだけ言うのがやっとだった。
さっきまでマントに隠れていた体形が、ピッタリした軍服に沿ってあらわになっている。思ったより細身で、脚がスラリと長い。
風呂に入って汚れを落としたルースは、例えるなら埃をかぶってくすんでしまった宝石が、ピカピカに磨かれて輝きを取り戻したようだった。
青灰色の髪は濃さを増したように見え、肌も張りがあって艶々している。最初見た時思ったよりも、もしかしたらずっと若いのかもしれない。
「軍服を持ってきてたのね」
ルースの美しさをもっと褒めたいのに、どうでも良さそうなことを言ってしまった。私の頬もルースのように赤く染まっているのかしら……。
「はい。斎の姫巫女にお会いするのに、普段着では失礼だと言って母が持たせてくれました。でも旅の間袋に入れっぱなしだったので、少しシワになってしまった。それに……ちょっとにおうかもしれません……」
ルースの顔はこわばっていた。ほら、やっぱり気にしちゃったじゃない。アルレイを後で叱っておかなくちゃ。
「いいえ。変なにおいなんかしないわ。それよりもとてもいい匂いがする。少し甘い香り」
「ああ……そうですね。母が白檀の匂い袋を入れてくれたんです。防虫にもなるからって」
「優しくて良いお母さまね」
「ええ、とても。でも怒ると怖いですが」
ふふ、と笑ったルースを見て、胸のあたりがギュウッと詰まったような感じになった。今まで一度も味わったことのない感覚に、どうしたらいいのか分からなくなって混乱する。
手の中のプリンが不思議そうに私を見上げた。