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空想の中で生きる

作者: 綾部伊沙

  ―――気付いたら、森の中に居た。

 辺りを覆い、目を支配するのは葉の松葉色。所々、紅赤と琥珀色も目に入る。


 そして、葉の隙間から陽光が柔らかく差し込んでいた。その明るさから見るに、どうやら、今は昼らしい。

 しかし、いつ来たのかも、どうやって来たのかも、此処が何処なのかも分からない。唯一自分が確実に把握できているのは、目前にはいっぱいに色とりどりの木々が広がっていることくらい。


「やぁ。目、覚めたんだね」


 不意に、斜め後ろから声が聞こえた。

 その声は、如何にも優しそうな、男の声だった。


 驚きを隠しきれず少し声を上げながら声の方を向くと、「ごめん。驚かせた?」と申し訳なさそうに頭の後ろをかきながら此方を向く中肉中背の男が見える。

 その素振りからきっと悪い人ではないのだろう、と思った。


 しかし、男の格好は奇妙そのものだった。

 ファンタジー小説に登場しそうな青と金のマントを纏い、手には杖を持ち、白髪(はくはつ)の頭にはマントによく似合う、青と金の夜空を連想させるようなシルクハットが被せられている―――如何にも「道化師」──と云う格好。


 しかしこんな明るい格好をしているのに何処か悲しげで、儚くて、目を離したらふっと消えてしまいそう。その笑い声も素振りも、表情も何処か弱々しい。


 彼はその不思議な雰囲気を醸しながら、翡翠色の瞳で此方を見ていた。


「……此処は何処なんですか?」

「此処? ……確かに何処なのだろうね。何処だか分かったらどれ程良いことか、計り知れないよ」


 僕が投げかけた質問だったが、彼もよく分かっていないようで首を傾げる。

 しかし、出来るなら何処か知りたいとは思ったが僕の帰る場所なんて物は少なくとも存在しないので別に知らなくたって良い。


 森に来るまでの記憶は一切無かった。何処に住んでいたかは愚か、自分が誰なのかも良く思い出せない。

 ──其れならば、目の前の進化師ともう少し話していたい。彼は、何処か懐かしく感じる。何故だろう。そんなことは分からない。雰囲気だろうか。


「そうだ。此処を案内するよ。世間話も兼ねてさ。暫く人と喋ってなかったから話し相手になってくれ」

「良いんですか?行きたいです」


 其の気持を見かねたのだろうか。はたまた、偶然か。

 そんなことは彼にしか分かりっこないが、兎に角案内の誘いをされた。勿論僕からすれば願ったり叶ったりなので二つ返事で了承する。


 「じゃあ行こう!」杖を回しながら木の間に入っていく道化師の声が森に木霊した。


            ℵ


 彼の横辺り、しかし少し後ろに着いていく。


 道化師はあの木に登ったら枝が折れて散々な目にあった、だとかあの果実を食べたら暫く幻覚を見たね、だとか云いながら、のんびり森の道なき道を進んでいく。


 其処は、不思議な森だった。

 七色の羽を持つ、形だけで云えば烏のような鳥。

 鈍く発光する葉を持つ木。

 人間の指の形に似た茎を持つ花。

 風が吹けば嗅いだこともない、特徴的な甘い香りが鼻をつく。

 案内人(ガイド)のように次々に説明を交えて案内してくれる道化師は何回も歩いた事があるのか、一寸も迷わずに森の中を進んでいった。


「僕の仲間は次々に忘れられて倒れてくから、君が目覚めてくれて良かったよ」

「忘れられて……?」


 道化師の云っている事がよく分からず首を傾げる。

 すると、道化師は「ごめん。何でも無い」と云いながら寂しそうに、微笑んだ。

 

 その瞳は、何処か遠くを見ているようで、儚いその人に対して少しばかりの罪悪感が浮かんできてしまう。


「君は此処にずっと居るよな」


 不意に、道化師が呟いた。僕はよく内容を聞かないまま反射的に頷いてしまった。


 彼は一瞬目を見開かせたが直ぐに元通りに直して、「約束だぞ」と儚く笑って云って再び前を向いた。

 その声が少し嬉しそうだったから、聞いていなかったということも云えない。


 「何か、忘れている気がする」道化師の消えてしまいそうな、何処か冷たい微笑を見る度に、そう思う。しかし、そうは思っても思い出すことは出来ない。


 僕は此処に来る前、何をしていた?

 此処にいる、今だ何も思い出すことがない僕は一体誰だ?

 そして、僕の前に居る優しそうな、なのに何処か冷たい彼は誰だ?


 そんなことが、頭の中でグルグルと渦巻く。胸に何か引っかかったような、そんな気持ちの悪さ。不快感。思い出すことを、体が全身で拒んでいるかのように。


 不意に、道化師は足を止めた。

 下を向いてグルグルと考えていたのでその事に気付くことが出来ず、彼の背中にぶつかってしまう。「ごめん」謝りながら如何したのかと尋ねると、彼は無言で目の前を指差した。


「何……此……」


 其れを見遣る。僕の口からは思わず、口から勝手に恐怖にも近い言葉が漏れていた。先程のモヤモヤとした考えがより一層深まったような気がする。


 目の前には、あの美しい森が嘘だったかのように何の色も無い、真黒(まっくろ)の闇が広がっていた。壁のようにも、はたまた崖のようにも見える。其処だけ、何処か立体的ではなかった。


 ”入ったらもう出てこられない”体の第六感がそう叫び声を上げている。無意識のうちに、その空間から足が一歩、遠ざかるかのように後ろに動いた。


「此処から先は、まだ考えられていないんだ」


 道化師は、またよく分からないことを云っている。そんな僕の心情に気付いてしまったのか、道化師は僕よりも七、八センチメートル高い顔を此方に合わせて僕の顔を覗き込んできた。


「ねェ。本当に、何も覚えていないの? 此処が何処なのか、分からないのかい?」


 先程までの優しい顔が嘘だったかのように恐ろしくなる。辺りの比較的朗らかな気温が、何十度も下がったような気がした。


 辺りでざわざわと風が吹いて揺れ出した木のように、僕の心もざわざわと揺れ動いて落ち着かない。

 彼の翡翠色の瞳には光が宿っておらず、何時もの微笑みは浮かんでいない。それに加えて顔全体に僕の影がかかって彼の顔が暗く見える。


 その表情に、少なからずドキリとしてしまう。焦りも近い恐怖で冷や汗が出てくる。

 何故道化師がこんな表情をしているのか、彼が何を考えているのか分からない。


「……覚えていない。分からない」


 僕は、恐怖で頭が一杯で其の二言を云うだけで精一杯だった。

 道化師は其れを聞くと少し笑いながら、「……な~んてね! 驚いた?」と云いながら顔を覗き込むのを止めた。顔全体に光が差し込んで、元の「優しそうなお兄さん」の表情になる。


 だけど、先程のことが冗談だとはとても思えない。あの彼の声色が表情が、僕の感じた恐怖が全て偽物だったなんて思えない。

 彼は何を隠している? 否、勝手に僕が忘れているだけなのだろうか?


「次は……嗚呼。泉があったな。次は其処に行こうか」


 何事も無かったかのようにこっちだ、と先の方で手招きする道化師の方に着いて行こうとした。




 その時だった。






 急に、耳の奥で高い音が鳴り響きはじめた。

 頭が結束バンドで絞められているかのように痛くなって押さえる。立っていられない。蹲って目をぎゅっ、と瞑り痛みに耐えようとするが、痛みは一向に治らない。

 口から呻き声が漏れ出していた。

 バクバクと心臓が動いているのが分かった。脂汗が体中に流れていく。


 その時、閉じた瞼越しに強い光が見えた。

 瞼に流れる血の色が分かるくらい、強い光。目が痛くて、頭も痛くて可笑しくなりそうだったがその内にその光が自分が発光している物だと気付く。


 気持か悪い。吐き気がする。頭が痛い。目が痛い。心臓が痛い。

 一度に襲いかかってきたその事に体は耐えられず、遂にきゅーっ、と意識が遠退いていくのが分かった。「──」道化師が何か云っているような気がしたが、意識を手放した僕には何を云っているのか分からなかった。



            ℵ


 ──気付いたら、街の中心に立っていることに、僕は気付きました。

 周りには沢山の、町民のような服を着た恐らく仲間であろう人達が沢山居て、しきりに僕の名前を友好的に呼んでいるのです。

 しかし、僕には彼等が誰なのか、ましてや今まで自分が何処で何をしていたのか、自分に関わる一切の事を覚えていません。

 少し、彼等が気の毒になってしまいます。


 にわかに、白髪の男のことが頭をよぎりました。しかし彼が誰なのか、抑も知り合いなのか、其れとも想像の中で作り出した物なのかさえ分かりません。

 しかし──彼のことを、僕は直ぐに忘れてしまいました。何だか、そうしなければならないような、考えるなと誰かが云っているような気がしてならなかったのです。


            ℵ

 

「う~ん。未完の過去作にこんなに良い主人公が居たとはなぁ。この子、新しい作品に使っちゃお」


 そう呟きながら机の上に沢山の原稿用紙を広げてニヤニヤと笑う女。原稿用紙。

 其れは──過去に自分が制作したキャラクター達の設定資料。しかし、ほぼそれはインクが薄くなったり黒鉛がぼやけて消えてしまっていて彼女(作者)でも思い出せない。


 唯一はっきりと細部まで読めるのは「主人公ラーク」位だろうか。

 ………きっと、思い出せないキャラクター達の中に、「道化師のゴージュ」が加わるのも時間の問題だろう。


            ℵ


 広大な森の一角である泉の、ほとりの何でも無い普通の石に腰掛ける男が一人。その傍らには杖とマントに、そしてシルクハット。 


「……直ぐ居なくなるじゃん。嘘吐き」


 ボソリと呟いて、諦めに満ちた瞳で辺りを見る。其処には人っ子一人、動物さえおらず聞こえる音は木が揺れる音のみ。


 ゴーシユはいつ忘れられてしまう(消えてしまう)かも分からずに、また独りで七色の木の葉っぱ越しに空を見上げた。

 空は、恐ろしく快晴だった。

貴方なりの考察、お待ちしております。

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