第7章 モザンビークのあばれんぼう
スタッドレスタイヤで磨かれた雪が、信号機の赤い灯りを反射する。
灰色のプリウスが交差点を走り抜ける。
追跡する車両のヘッドランプはかなり遠い。
「……オヤジは、いわゆるコンビニオーナーじゃった」
茅野はぽつりぽつりと離す。
「本社ノルマがきついが、最低限のバイトと、母さんもシフトに入って、何とか回せていたらしい」
片側3車線の環状通りは、雪山で車線が潰れ狭い2車線になっている。ごく、ありふれた光景だった。
「だが、ある時、『うちの店のバイト』が出汁を張ったおでん鍋で……頭を洗う動画が拡散された」
近藤は頷く。
「その動画は、確かに制服を着て店名を口にしていたが、内装がまるで違う、店かどうかも怪しい場所で撮影されていた。完全なでっち上げの騙り動画じゃ」
「今回は人間は一応本物だったが、ほぼ同じ手口か」
「バイトテロ対策なんて、20年も前からマニュアル整備されている。でっち上げをもって特徴とは言い難いぞ、四谷」
「対策か。バックヤードの監視カメラ、誓約書、制服類の持ち出し禁止、業務スペースのゾーニング、他に何があったかな」
四谷が指を折って数える。
「バイトテロのコアタイムの行動学的分析情報の共有、ヤバい時間は1人にしないって事だな」
「その動画は異様なスピードで拡散され、翌日の朝からテレビで採り上げられた。そのおでんを買ったという客が、返金を求め押し寄せた。その後も、健康被害が出たのなんのと苦情電話が繰り返された。プロに映像分析を依頼して、その動画は店内で撮られていない事が明らかだと判明した後も、客足は戻らなかった。その時も本社ノルマは変わらず、営業を続けるほどに赤字になる。結局店を閉めフランチャイズ解約をしたが、違約金で大きな借金が出来た」
「そして、お父さんは『賞金付きのデスゲーム』に参加して、疑惑のあるゲーム展開で殺され、か」
茅野の左頬の傷は、接着剤で塞いではあるがまだ血液が凝固しきっていない。
「賞金付きってあの3店方式みたいなので金が支払われるヤツだよな、近藤」
「今、違法だけどな」
「正直、今回の黒幕が本当にあの時と同一かは知らん。いや」
茅野は首を横に振る。
「そもそも、オヤジの仇はどちらかと言うと、コンビニ本社じゃ。そして、あの時代でもヤバいと言われておった商法に乗っかった、オヤジの自爆でしかない」
「理解は、していたか」
「しかし、貝斗のやらかした動画と、それに対するテレビの見当違いなデスゲ叩きを見て、フレッシュな怒りが、湧いて来た。理屈よりも、感情じゃ……四谷、近藤部長」
茅野は四谷と近藤を交互に見る。
「力を貸して欲しい。事が終わったら、できる限りの恩返しはする。だから、今、頼む」
「茅野君、現実は小説や漫画じゃない。なんか相手の心の琴線に触れるような正解を言わなければゲームオーバーとか、地雷を踏んだらサヨウナラとか、そんな平成の新卒入社面接のようなこたぁない。『話さなきゃ分からない』って言葉は、ほとんどの部分は話さずに分かっているからこそ出た表現だ」
「それじゃ……」
「お前は今、四谷と並んで車に乗っている」
「ありがとう……あ、正岡は?」
「後輩巻き込む訳にいかんだろ」
「虎門先生は」
「巻き込んで転勤にでもなったらどうする。OBの顧問なんて、まず当たらんぞ」
「それはそうと」
近藤は茅野を見下ろす。
「ぼちぼち、起き上がれ、茅野」
「――詰まって来たな」
追跡車両の運転手の顔までバックミラーに映る。
「慣れた者が合流したようだ」
1台が徐々に距離を詰めてくる。
「テクはルットが上に決まってるが、乗員数で差が足を引っ張っている」
「囲まれる前に各個撃破すべきじゃ」
「イキるな怪我人」
「でも四谷、ここは」
「相手を考えろ」
「連中、十中八九半グレ崩れだ。連中、金になる事はどんな恥さらしな事でもやる。殴ろうとした瞬間撮影を始め、命中しなくても痛がって泣き叫ぶぞ」
「デスゲじゃないサッカー選手か」
左側の車線を、もう1台が追い越し前に回ろうとしている。
「しっかり掴まっていろ」
四谷らのプリウスは急加速する。追跡車も加速して追いつこうとするが、雪に覆われた路面はそれを支えきれず、車輪は空転して横滑りし、雪山に1台が突っ込んだ。
「なんじゃ、これ改造車か」
「手入れが良いだけのノーマルだ。加速度は重量による摩擦差だ」
「しかし、あの勢い、ぶつけるつもりだったんかな?」
「君を拉致すれば、動画を即座に消せるからな」
「舐めちゃいかんぞ部長。さっきもパスワードは守り抜いた」
「秩野、お前拉致されてからから救出されるまで何分かかったと思ってる」
「15分ぐらいじゃろ」
「40秒だ」
「え」
茅野はスマホの時計を見る。
23時57分を表示していた。
茅野が貝斗のアパートに侵入した時から、30分も経っていない。
「拷問で口を割らないというのはファンタジーだ。プロのスパイだって、口を割る時間が長くなるだけだ」
「いや部長、そ、そこは根性で」
「デスゲーマーなら、己の弱さを把握しろ。人間は痛み、乾き、飢え、眠気、かゆみ、性衝動、死の恐怖、金銭、近親者の危険などなど、弱みが多数ある。拷問は先史から連綿と続く人類の英知の結晶だ。デスゲームもその系譜と言える」
「嫌な結晶じゃな」
「人間が強いのは知能が高いからではない。知能を整理して蓄積する事が出来たからだ。お前が拷問に耐えるというのは、畢竟人間の歴史と戦うという事だぞ」
「……はい、ワカリマシタ」
対向車線から、新たに加わった追跡車が右折して来る。
「しゅっ」
ルトアビブが鋭く息を吐いてハンドルを切る。バックミラーに、彼の歯が浮かぶ。
「ルットは、こんな時にこそ笑う」
スピードを落とさないままの左折から、後輪を僅かに揺らしつつ路地に入る。路地を封鎖しよう向かいから来る追跡車のバンパーをこすりながらすり抜け、また左折、右折。路地に入り込む。
――追跡車が路地に入ると、既にプリウスは向こうのブロックの交差点を右折するところだった。
プリウスの向かう先には、高速道路を示す緑色の看板が見えた。
「――まだ追いついていないのか?」
暗い部屋で、ディスプレイに向かっていた男は、電話に聞き返す。
『現在札樽道を追跡中ですが、手慣れた連中で』
「ガキを奪い返され、家族も押さえ損ね。正月だからって弛みすぎじゃあねえか?」
『い、いや、その』
「この件終わったら締めるからな。それが嫌なら金の分の仕事ぐらいはしやがれ!」
『分かりました、アニキ』
「社長と呼べ」
男はいらだたしげに電話を握りしめる。
「いいか、援軍に小樽のチームを回してやる」
『えっ、身内ですか』
「ネットで徴兵してるが、冬だから数が揃わん。確実に朝里で下ろせ。もう抜かるんじゃねえぞ!」
『ありがとうございます、アニキ!』
電話を切る。
「……田津の野郎」
男は吐き捨てる。
「人ひとりさらうのには、準備ってもんが要るんだぞ。まして……近藤じゃねえか、あの車」
高速道路をプリウスが走る。
スタッドレスタイヤで磨かれツルツルになっている雪面のカーブを一切の減速なく走り抜ける。
追跡する自動車は、スカイラインクーペとアバルト595。
近藤三令が代表を務める株式会社「近藤部品」所有のプリウスは、目立たない事を目的に導入された初代の復刻モデルである。
多層個体電池複合バッテリーにより、電池性能に飛躍的な進歩はあるが、性能より外観に比重が割かれている為、単純な速度においてEV転換政策前のフルガソリン車に及ぶべくもない。
にも関わらず、カーブの度に距離が開いていく。
雪面の摩擦の低下を予測し、スリップギリギリの速度を維持し続ける。カーブにおいては、必要最低限の加減速をスムーズに行い続ける。
車内に与える衝撃を最小限にした静謐な運転は、雇い主をに不快感を与えぬ為に培われた技術であるが、こと雪面においては最適解となる。
追跡車はカーブ終わりに加速をして間を詰める。次のカーブでスピードを落とすが、雪面のブレーキは走行時のよりも遙かに利き辛く、その恐怖心が次の加速を躊躇わせる。
追跡車は決して運転に慣れぬ者ではない。ドライバーは元珍走団であり、危険運転に関して言えば、一般人より経験が多い。
だが、彼らは冬には活動しない。
危ないからである。
その意味で、彼らの雪道での走行テクニックは、タクシーやバス、トラックなど職業ドライバー未満と言わざるを得ない。
プリウスはこのまま追跡車を振り切り、小樽の手前、朝里インターチェンジで減速車線に降りる。
急なカーブを降りた後、出口の料金所が見えて来た。
ETCレーンの反応制限速度は時速20キロ。
追跡車は、速度を残し追突を試みる。
だがその瞬間、プリウスは、急制動をかけた。
料金所手前50メートルだけ、ロードヒーティングで雪がない。
雪の途切れ目を完全に把握し、アスファルト路面を利用した急制動からのドリフト。そして、正面に向き直ったプリウスがいたのは、3つの料金所の最も左の有人料金レーンだった。
目の前から急に標的がいなくなったスカイラインは急ブレーキし、後に続いていたアバルトはレーンを1つずらしただけで、後ろに付ける事ができない。
動揺の間を縫うように、プリウスの窓から投げられた料金は職員の手に納まる。
時速30キロの速度を維持したまま料金所を抜けたプリウスは、再加速して出口から下りて行く。良い子は決して真似をしてはならない、危険な運転ではあった。
高齢化の進む町の常として、小樽市もプリウスの普及台数は多く、市街に入れば完全に埋もれる。
一般道に降りれば、追跡車が追いつく事はもう出来ない。走り続けても、燃費差で振り切られる。
料金所の向こう、右カーブから一般道に繋がる交差点が見えた時。
プリウスは急ブレーキで停車した。
高速道路出口に、派手なデコレーションをしたハイエースが2台、車線を塞ぐ形で停められ、その両側の路側帯で、鉄パイプやバールで武装した男達が待ち構えていた。
――近藤邸書斎。
『三令ちゃんでしたか、あの動画』
「正確には、あの子の友人だ」
『感謝してもし足りません』
近藤の父は、ディスプレイに向かっている。画面には、初老の男が映ってる。回転寿司名越を経営する、株式会社名越フーズ社長、尾張吉次だった。
『今晩中にこれが拡散されれば、うちの店もどうにか盛り返せるでしょう。売り上げの減少は免れないでしょうが、施設は何としても続けなければ』
「尾張さん、気付いてはいるのでしょう?」
『……嫌な事は、口にはしない方が良いものです』
「それで済めばそうしたいのですが」
近藤の父のディスプレイに表示されている、茅野がアップした、カウンター動画は、読み込み中マークが出て停止していた。
F5キーを押してリロードすると、画面は砂嵐表示になる。
『違法性のあるコンテンツとして視聴者より申し立てがあり、現在掲載保留中です』
と、文字が表示された。
「今、動画が配信保留にされたようです。このステータスだと、別アカウントで上げ直しても、AIに弾かれるでしょう」
『……バイトテロ動画はそのままで、カウンター動画だけ保留になってますね。』
「なかなか相手も動きが早い。厄介になって来ましたが、逆に敵の実在が証明できたとも言えますね」
『では作業に戻ります』
「尾張さん、あなたは明日の会見に備えてきちんと休みを取って下さい」
『……はい』
話を終え、近藤の父はウィンドウを消す。
デスクトップの時計機能付きの型壁紙に、大きな文字で1月5日 午前0時30分と表示されていた。
「姫佳ちゃんの上げた動画が、消されてたんですか?」
応接用のソファに腰掛けていた、茅野の母が心配そうに尋ねる。パジャマ姿に、ベージュのカーディガンを羽織っている。
※
サンドイッチ伯爵のサンドイッチ同様に、カーディガンはカーディガン伯爵の発明品である。
寒暖に弱かったカーディガン伯爵がポーカーの最中に、片手で着脱できるように発明したというまことしやかな説が流れているが、これは全くの偽りである。
カーディガン伯爵は軍人であり、賭け事はしない清廉な男であった。ただ、軍人の常として、無類のパジャマ好き、ナース好き、OL好きであった彼は、その魅力を最大限に引き出すべく、日夜研究に明け暮れたのである。
騎兵旅団長だった彼は、幾多の戦いで様々な文化圏に触れるうち、極東で前開きの防寒衣類、いわゆる「どてら」の存在を知り、これを着る事で、かっちりし過ぎず、首肩胸元の一連のラインがなだらかで、雰囲気緩めのほんわかお姉さん度が上昇する事を発見。
これを、ヨーロッパに普及していたVネックセーターに応用し、前開きでボタン留めが出来るセーターを開発した。
試作品を従軍ナースに配布したところ、こうかはばつぐんであったが、同時に、負傷した兵士の負担の少ない着脱にも向く事が副次的に発見され、戦場でも導入され、そのまま定着していった。
世のパジャマ好き、ナース好き、OL好きの紳士達は、己の好ましく思う属性の新たな可能性を見出した功績を讃えた。
開発当初は別の名で呼ばれていたそれを、彼自身の名である「カーディガン」と呼ぶ事を、世界紳士学会で提唱、様々なロビー活動の末に、大英百科事典を買収、ついに正式名称となった。名称統一により定義は確定し、一層普及が進んだのである。
我々はカーディガンを着たゆるふわお姉さんの胸元を見る時、彼と彼らの功績を決して忘れてはならないのである。
※
「なに、心配は要りませんよ、茅野さん」
近藤の父は微笑む。
「あなたの避難が間に合った事も含め、主導権はこちらにある」
「娘が早まった事をしでかしたせいで、申し訳ございません」
「なに、手に詰まれば私達がやろうとしていた事です。あまり気になさらないで下さい」
「そうですか」
茅野の母はホッとしたような顔で笑う。
「裁判時は、こちら負担で良い弁護士をお付けしますよ」
「えっと……やっぱり娘、犯罪になりますか」
「そりゃそうですな」
「刑務所にいると、お勉強遅れちゃいますね?」
「あー、いや、学生の初犯で自首なら情状も考えれば、相手の態度次第で起訴猶予、最悪でも執行猶予で収まるかと……ええと、つまり、刑務所に入らない可能性が高いです」
「良かった。あの子、良い子なんじゃけど、勉強はムラがありまして。この前なんかも……」
「もう少し作業がありますので、失礼」
「お茶でもお淹れしますね、お台所どちらですか?」
札樽道の朝里インターの出口を塞がれ、プリウスは停車した。
右手は土手、左手はガードレール。逆走しても、追跡車に行く手を阻まれる。
無理に雪の中に突っ込んでも、腹をこする深さの新雪に突っ込めば、自動車は進む事が出来ない。どれほど馬力があっても、車体が浮き上がり車輪が空転してしまえば、運転操作だけで抜け出す事が出来ない。
鉄パイプやバールで武装した者達が、駆け寄って来る。皆目出し帽をかぶっている。
最初の1人が辿り着くよりも早く、右の運転席のドアが開いて、運転手らしき者が転がり出る。
最初の1人は、逃げた運転手に目もくれず、勢いのままプリウスに鉄パイプを振り下ろす。
パイプが車体に当たる瞬間、彼は違和感を抱いた。運転手は逃げた。それは間違いない。しかしそれ以外の乗員が、見えなかった気がした。道路灯の明かりが、後部座席にまで差し込んで、無人の座席を照らした気がした。
だが、彼は何より先に鉄パイプを振り下ろしたかった。
彼は、ネットの呼びかけで「徴兵」された1人である。今回の「祭り」の主催が誰か知らない。襲っている相手が何かも知らない。現代の徒党を組んで行われる少年の犯罪には、よくある事だった。
誰かが警察に検挙されても、名前1つバレない。互いの事を全く知らずに集まり、行動するだけ。匿名の1人であるという安心の中で、暴走する。
何故暴走するか。彼の動機は、憂さ晴らしであった。
学校で落ちこぼれ、先輩からパシリにされ、同級生からは距離を取られ、SNSの暴走仲間からもイジられた。
口ばかり、格好だけ、昭和か、本当は弱い、成績が悪い、ケーキが切れない、本当に気合いが入ってるなら冬でも走れ、万引き最低、恐喝は犯罪、ちゃんと学校に行け、ピーマン食べろ、など、彼の心情を汲まない、心ない中傷に耐えて来た。
そして今日。
「やって来たプリウスをボコボコにして良い」と言われている。中の女は拉致するが、多少の怪我ぐらいは構わない。むしろ、恐怖心を与えた方が良い。男は殺しても、死体の始末はしてくれる。
(本当の武勇伝だ)
心待ちにしていたのだ。
(これで、おれは輝ける)
フリマアプリで買った鉄パイプが、単なる脅しのオモチャではなくて、自動車をぶっ壊せる、本当にヤバい武器である事を証明出来る。
(それで、クラスメイトにだって自慢できる。プリウスを鉄パイプで殴った時どんな壊れ方するか、知ってっか? 人間の骨の砕ける感触ってたまらねえ、って)
男は全身全霊の力を込めて、くすぶった気持ちをぶつけるように、思い切り振り下ろした。
(タイホなんかされて、ムショなんか行けたら、本物のワル、男の中の男だ! 先輩みたいに超かっけー! サナちゃんだって見直してくれる!)
固い音がして、鉄パイプは跳ね返された。
フロントガラスには、僅かに蜘蛛の巣状のヒビが入る。
フロントガラスの強度はガラスの印象を遙かに超え強靱である。防護皮膜による弾性も加わり、はね飛ばした小石程度では傷も付かない。交通事故の衝撃があって初めて粉砕されるが、人力でそれに到達するのは相当な困難を伴う。
男はもう1度鉄パイプを振り下ろす。やはり小さなヒビが入るだけ。続いて他の者達も追いついて来た。次々にヒビが増えていく。
側面の窓の方が割れやすい。気付いて、男は側面に回る。
運転手が逃げたドアは閉まっている。
窓に鉄パイプを振り下ろす。こちらの窓は、あっけなく砕け散った。
ドアを開けようとしてカギに阻まれ、改めて割れ窓から手を入れてロックを外す。
そこでもう1度、違和感を覚えた。
(ロック?)
思考に結論が出る前に、助手席に視線が向いた。
そこには、アナログ時計の付いた装置に、円柱状のものが束ねられくっついていた。
一瞬のうちに男の違和感が結論に辿り着く。
「爆弾だ!」
彼の叫びに、興奮状態にあった仲間も釣られて飛び退き、伏せる。
5秒、10秒。
時間が経っても何も起こらない。
15秒ほどしてから、高速道路からスカイラインが降りて来て停まる。
「やったか?」
降りて来たスカイラインの運転手に、襲撃者側のリーダーが慌てて駆け寄る。
「爆弾です、逃げて下さい!」
「そんな相手か?」
スカイラインの運転手は、助手席側の窓を破りドアを開ける。
「爆弾ってのは……こいつか」
彼の手にあったのは、女物の腕時計で束ねられた、剥き身にしたうまい棒3本だった。腕時計は0時31分から秒針を刻んでいた。
彼は手近なところにいた者を殴り飛ばす。
「何下らない手に引っかかってやがんだよ! どこに目ぇ付いてやがんだ、使えねえ野郎だ!」
スカイラインから降りて来たもう1人が、後部座席を開けるが、誰もいなかった。
「逃がしやがったなこの野郎!」
運転手はまた、手近な者の襟元を掴む。
「い、いえ、運転手しか逃げてません」
「え」
スカイラインの運転手は言葉に詰まり、手が離れる。
「な、だったら、運転手はどうした、里田! 捕まえてどこに隠したか聞き出せ!」
皆は顔を見合わせる。そして、リーダー格の男が進み出て、やや不満げに言う。
「あの……相田センパイ達が車ぁ間違えたんじゃねえすか?」
「あー、痛ぇ、ひどいっすよ、センパイ。いきなり殴らなくてもいいじゃないっすか」
最初に殴られた男も不満そうに起き上がる。
「う、うるせえ、とにかく逃げた運転手を探せ!」
「なんかでっけえ黒人でしたよ?」
「身のこなしが豹みたいで、どう見ても傭兵かなんかですよ」
「銃持ってたらこっちが返り討ちです」
皆口々に文句を言い始め、「徴兵」された者達は特に少しずつ距離を取っていく。
「お前ら、おれの言う事を聞けねえのかよ!」
「センパイ。おれたち言われた仕事はきっちりやってますよね。これ以上何かするってんならギャラの追加が必要ですよ」
「痛ぇ、痛ぇ、痛えなぁ!」
「それと、こいつの治療費も」
「舐めてんのか、里田。誰のお陰でリーダーにまでなれたと思ってんだよ」
「感謝はしてますよ。だから、正月っぱらからクソ寒い夜中に、1人2万ぽっちのギャラで兵隊集めたんですよ。それを無駄にしたのは、センパイの方でしょう」
リーダー格の男は、表情に余裕が浮かんでいる。
「おれ、実はアニキから名刺もらってんですよ。センパイがやらかしたって事、黙っておいて欲しいな――」
瞬間、スカイラインの運転手は、リーダー格の男の目を突いた。
「ぎゃっ!」
小さな叫び声と共にリーダーは悶絶する。
「里田、おまえリーダー降りろ。卒業してたけど、おれがリーダー戻るわ。アニキにチクッてみろ、100年かけても殺すぞ、お前の女から順番にな」
スカイラインの運転手は、血まみれになった指を舐めてから、怒鳴った。
「文句のあるヤツいねえな!」
怒鳴ったが。
皆、バリケードにしていたハイエースや、離れた場所に停めてあった乗用車に乗り込み、そのまま走り去った。
「あ! おい! ちょっと、逃げるな、野郎! 無事に済まねえぞ、こら! ぶっ殺すぞ野郎! 顔覚えたぞ!」
取り残されたスカイラインの運転手の前まで来て、アバルトが停車する。
「おい、どうなってる」
「後輩達はどうした! 相田!」
「今の世代は腰抜けばっかりだ、クソの役にも立たねえ」
「おい、里田が怪我してんじゃねえか!」
「ひでえ……おい、大丈夫か!」
アバルトの運転手は、目を突かれたリーダー格の男を抱え起こす。
「相田、セン、パイに、やられ、て」
「はあ? 相田お前、何やってんだよ!」
「ちょっとヤキ入れてやっただけですよ」
「ヤキってレベルじゃねえだろ、大怪我だよ。病院行くぞ。おい、今やってる病院探せ」
「分かった」
「西井、お前もこっち来い、病院が長くなった時に手がいる」
「分かりました」
スカイラインに同乗していた男も離れる。
「ちょっと待て、仕事ぁどうすんですよ、おい!」
「そのプリウス、空振りだろ。おれが言ってた通りじゃねえか。何が絶対見間違えてねえだ」
「センパイだって話しに乗ったじゃねえか」
「責任逃れする気はねえ。アニキにはきっちり謝るが、ともかく病院だ」
「待てよ、待ってくれ、運転手見つけて人質にすれば、ワンチャンあるって」
「ミスしたらまずは報告が社会人のルールだ。大体、お前が怪我人作ったから、動きが余計に取れてねえんだよ。恐怖政治だのなんだの、お前の代で何人メンバー減ったか分かってんのか。逃げる選択肢がある状況で、暴力に付いて行く奴がいる訳ねえじゃねえか」
「市立病院が今日の救急だ!」
「でかした西井、行くぞ! 相田、お前はそのプリウス、目立たねえとこに動かしとけよ! 片付けの依頼は出しておいてやる!」
言い置いて、アバルトは走り去った。
スカイラインの運転手、相田は独り残された。
「畜生、なんだってんだよ!」
その時。
相田の背後から、プリウスの運転手――ルトアビブが現れた。どこに隠れていたのか、一切の気配も見せなかった。
まだルトアビブが高速道路を走っていた頃。
0時22分。
四谷達を乗せたカローラBEVⅢが、創成川沿いの幅広い並木道を北上する。完全電気自動車の上、歩行者警戒用の合成エンジン音は最小音量にしている為、風を切る音がよく聞こえる。
運転手も車両と一緒に交代している。
ルトアビブの運転するプリウスが路地を曲がり追跡車の死角に入った隙に、四谷らは待ち構えていたこの車に乗り換えていた。
見通しの悪い雪山の並ぶ枝道に、敏捷なデスゲームプレイヤー、ルトアビブのドライビングセンス。これらが合わさってこその乗り換えであり、故に追跡車は気付く事ができなかった。
乗り換えたカローラBEVⅢの運転手は、やはり近藤の会社の社員だった。ルトアビブ程ではないものの卓越したドライビングテクニックがあるが、既に追跡車はいないため、安全運転で進む。
「どこへ向かってるんじゃ?」
「石狩だ。そこに、全ての実行犯、番組制作会社ナナカマドの本体がある……可能性が、割と高い」
「本体……」
「表向きの会社を使い捨てにして、警察等の捜査の目を逸らす。業務実態は、会社と関係のない場所で行う。よくある手だ」
その時、四谷のスマホが着信を知らせた。
四谷は画面を確認する。
「来た」
カーキ色のミニが隣りに追いついて来る。
ミニの後部座席の窓の曇りが拭われ、見知った顔が洗われる。
「あれは、樽手の……」
「うむ」
近藤が頷く。
「樽手校の岳辺さんだ。今日一日デスゲ連盟の中継点として、今回の件の調査情報の集約と分析をお願いしていた」
「……ウチは、本当に、勇み足だったんじゃな」
「そんな事ない、と言いたいが、オレもそこは擁護出来ない」
「逃げ損ねて拉致られてるし」
「これ下手したら共犯だぜ」
「同好会潰れたら、高校生活の半分は棒に振った事になる」
「優しさ!」
四谷らは、人家のまばらな雪原の中の道を走り抜ける。
「もうじきだな、近藤」
「茅野、待たせても抜け出して来るだろうから連れては行くが、今度何かやらかしたら、3訂デスゲームロジック4章『利敵行為者』として対応するぞ」
「言い方!」
その時、近藤のスマホから着信音が鳴った。画面を確認し、口許を緩める。
「ルトアビブも、情報源を確保したな。ナナカマドのオフィス、石狩湾確定だ」
石狩市石狩湾新港。
札幌の中心部から北西に20キロ程度の場所にあるが、気温は摂氏5度は低い。片や防砂林、片や海、人家の灯りは遠く、吹きさらしの平野を激しい吹雪が渦巻き流れて行く。
港には荷揚げ用の倉庫が建ち並んでいる。
「お父さんと釣りに来た事あるよ、ここ。驚きだね」
ダウンコート姿の岳辺が興味深げに眺める。
四谷達は、倉庫と道1つ隔てた防砂林の隙間から様子を伺っていた。
倉庫は5、6階立てほどの高さで、窓には内側から板が打ち付けてあり、中を窺う事はできない。
「駐車車両、足跡、気配等々から、人間が1。警官、軍人でなければ無傷で制圧出来る」
四谷の返答に、近藤は頷く。
「蒲りん達だけで大丈夫? 3時前ならヒマだし、なんかやるよー?」
「いや、チーム単位で動いた方が良い。君はうちの社員と協働して、我々の失敗時に対応してくれ。ただ、警察の通報は可能な限り避けて貰えると助かる。事情聴取なんかされると、朝までに作業が終わらないからな」
「たまには共闘も良いかと思ったけど、まあ戦略的にはそーだね。じゃ、みんなには、援軍の足止めだけやってもらうよ」
岳辺はちらりと茅野に視線を向ける。
「頑張ってね、みんな。そだ、これ終わったら、パフェでも食べに行こうよ」
「もう少し温かいもんがいいな」
「もー、そういう事じゃないでしょ、四谷っち!」
岳辺は、四谷らと拳を突き合わせ、片手を振りながら林の奥へと歩み去った。
番組制作会社ナナカマド、石狩港湾倉庫。
「――相田が何言っても耳を貸すな。近藤の保安部とタイマンして無事でいる事自体が、寝返りの証拠だ」
薄暗いオフィスで、男は電話を切る。
深い溜息をつき、照明を明るくする。
男は50歳がらみの顔つきだが、すだれ頭のせいでもう少し年寄りに見える。猫背気味のせいか、下がり眉のせいか、気弱そうな印象がある。
男は溜息をつく。
一時停止されている動画と、もう1つのウィンドウで動画サイトが開かれ、こちらは同じタイトルで『違法性のあるコンテンツとして視聴者より申し立てがあり、現在掲載保留中です』の文字が黒い背景に浮かんでいる。
(……削除ではないとすると、田津さんも)
「上手くいってないか」
もう1つのウィンドウで、倉庫周辺の監視映像が流れる。細分化された複数のカメラ映像が並ぶ。その数、200。
倉庫周辺だけではなく、防砂林から、駐車場、海面、海中にも及ぶ。
画像は統合され、倉庫周辺の立体図が生成される。
通常はない車両、近くの人影が、マーキングされる。
(早すぎる、畜生。近藤グループの仕事か)
指に力が入り、マウスが軋む。
(ここまで介入して来るなんて、聞いてねえ)
傍らの端末に向き直り、マウスを操作する。
「名越と資本提携もないだろ。畜生!」
立ち上がる。
「……逃げるか。いや、遅い……待てよ」
座り直す。
(蒲田グループなら、損得で動く。割に合わない程の損が出れば、諦める。いや、というよりも)
倉庫内に、僅かなきしみの音がし始める。
「舐められっぱなしでいられるか。来るなら来い! 『侵入者がうっかり』死ぬだけなら合法だ!」