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第3章  魅入られし者

 軍人将棋対決の翌日。

 空き教室を利用した、デスゲーム同好会の説明会が開かれた。

「――デスゲームは、死をルール内に含むゲーム全般を指す」

 昨日の対決でばらまいたチラシティッシュは、校内SNSでたちまち拡散された。その効果は抜群で、教室の半分に並べた椅子に、ほとんど隙間無く生徒が着席している。

「登山や格闘技のように、死傷者が発生する一般スポーツもあるが、それらはあくまで安全配慮義務を果たした上での事故としての死に過ぎない」

 後ろには、顧問の虎門教諭と、生徒指導の鯛抜(たいばつ)教諭が立っていた。

「デスゲームにおける死傷は、それが主催者やプレイヤーの故意であったとしても、あくまで本人の自由意思の範疇として、法的な責任を問われない」

 四谷の操作でスクリーンに説明用のパワーポイント資料を映し、近藤が説明する。

「競技型デスゲームは、直接的には2030年代の法律改正によって成り立つようになった、最新の超イカしたスポーツだ」

 四谷がタブレットを操作し映像を切り替える。年間スケジュールが表示された。

 スクリーンに、「春大会」「秋大会」の文字がアニメーションで浮き上がる。

「公営のデスゲーム場は存在せず、教育の場でのデスゲームは難しかったが、企業や篤志家が私的に施設を作った事で、高校生の地方大会までは行われるようになった。北海道においても、豊平の大型会場があの名越フーズによって運営されている。北海道内の高校デスゲームプレイヤーにとっては、6月と10月の大会が目標となるだろう」

「質問……いいですか」

 ほっそりとした女子生徒が挙手する。リストバンドを左手首だけにはめているので、多分スポーティーな趣味を持っていると思われるが、何故か目の隈が濃く、顔色はあまり良くなかった。

「手短なものならかまわない」

「デスゲームで、参加者はどれぐらい……死ねるんでしょう」

「パーセンテージは出していないが、この前の秋大会で1名、その前の春大会で2名だ」

「そんなに……」

 呟きながら、女子生徒は着席する。

「これは、訓練を重ねたプレイヤーの数字だ。気を抜けばあっという間に100倍、200倍になる」

 画面が切り替わり、大会会場の映像が写される。ショッピングモールかスタジアムを思わせる広い敷地だが、周囲はコンクリート塀で囲われ、施設の窓はまばらで、何階建てか判別するのが難しい。

 引きの映像になると、施設の灰色と空の青、そして隣接する農業研究センターの牧草の緑が美しい。

 画面を切り替え操作が一区切り付いたので、四谷には観客を眺める余裕が出ていた。

 先ほど質問した女子生徒は、行儀良く説明を聞いている。

(さっきは身を乗り出してたが……)

「――一定の効果は期待されたものの、医療事業者が――」

 四谷は観客の中の、見知った顔に視線を向ける。

「――ここで、1つ実演を――」

(茅野姫佳……)

 軍人将棋同好会の茅野が、黙って説明を聞いていた。

「――デスゲームで発生した死体の利用は固く禁じられている為、収益は僅かな施設使用料と、大半を占める動画配信であり――」

 茅野はじっと近藤を睨んでいる。

「――テレビ番組としてのデスゲームは、国内で3度特番が放送されたが、いずれも視聴率が取れていない。今年の年末特番にも予定されているが、そもそもがテレビメディアは――」

(そろそろ終わる……杞憂か?)

「――説明は以上だ。皆さんが、我が同好会に加入し、一緒に青春の汗と涙ととりわけ血を流し、感動出来る事を期待しよう。今すぐ入会希望であれば」

「綺麗事を抜かすな!」

 怒鳴ったのは茅野だった。

(動いたか)

 四谷は身体の筋肉をむしろ弛緩させる。どの動きにも対応出来る用意だった。

「命をオモチャにするこんな同好会は、存在してはならん!」

(挙動に若干の武芸経験、恐らく柔術。袖に暗器なし、飛びかかる予備動作なし。物理加撃の意思なし)

「みんな、目を覚ませ! 人の死を面白おかしく見世物にするなんて狂ってる! 命は地球より重いのじゃ、死を娯楽にして、それに誘うお前は、綺麗な顔をして人を死に誘う悪魔と一緒じゃ!」

「お前、近藤の説明聞いてなかったのか!」

 四谷は茅野に怒鳴り返す。

「デスゲームは、素晴らしい競技だ! プレイ内容がどれほどスリリングになるか! 1度でも観たか? デスゲーマーの贔屓目じゃあない、一般サッカーとデスゲサッカー、再生回数1千万倍だ!」

 近藤は四谷が話すのを黙って見ている。

「毎日観とる! 観てしまうが! 死にゆく者を見て楽しむ精神性が狂ってるんじゃ! デスゲを理由に行われた殺人だってあるじゃろ!」

『あったっけ?』

『ちょっと調べるね、ああ、あるよ』

『へえ、そうなんだ』

 他の観客がひそひそ話す。

「その議論は20年前にデスゲーム業界が最初に尽くした。デスゲの悪用は業界団体の努力によって排除されている」

「それでも! デスゲームはダメじゃ! 1人でも死人が出るような競技を!」

「端っから理解する気がないなら会話にならねえ。お前、デスゲームに親でも殺されたのか!」

「そうじゃ!」

「え……あ、そうなの? その……なんかゴメン、そこは本当」

『うわぁ、言っちゃった』

『大体気付くよねー』

『いや、おれは気付かないと思うなぁ』

 観客が口々に言い合う。

「茅野君」

 近藤は、静かに茅野に声をかける。

「最初から、君の敵意には何かあるとは思った」

 茅野は目をそらす。

「君のお父さんを殺したデスゲームの事、もう少し詳しく教えてくれないか」

「話して何になるんじゃ! ウチのオヤジは、オヤジは!」

「会場で会ってから、少し気になって、君について調べさせてもらっていた。推測出来る事からすると、コンビニオーナーだった君のお父さんを死なせたデスゲームは、どうも我々にとっても悪だ」

「何を、何を言い出すんじゃ! デスゲームはみんな一緒じゃ、でなけりゃ、ウチの、ウチは!」

「茅野、落ち着いてくれ」

 四谷が、茅野の両肩を掴んで目を見つめる。

「えっ、ええっ!?」

「アボガドロ定数をゆっくり数えろ」

「6.……022、140、67」

「そこ76」

「これ、なんじゃ?」

「落ち着いたろ」

 茅野は黙る。

「済まなかった。お父さんの事、全然知らなくて」

「良いんじゃ。話してないし……つか、その筈なのに言及した、お前んとこの部長、超怖いんじゃけど」

「四谷、ご苦労。どうやら、落ち着いたようだな、茅野姫佳君」

「あっ、はひっ」

 茅野は慌てて四谷の手を振り払って距離を取る。

 にっこりと近藤は微笑む。大輪の花が咲く、正にそう表現するに相応しい、誘い込まれるような笑顔だった。

「君がうちの会員になるなら、君のお父さんの事、全面的に協力しよう。なに、競技参加は義務ではないし、掛け持ちで構わんよ」

「……お、それなら。でも、その、完全に信じた訳じゃ、ないんじゃぞ!」

「やっぱりツンデレか」

「ツンデレだな」

『ツンデレだね』

『ああ、だが、急ぎツンデレだね』

『昔ながらの本格のツンデレは、時間がかかるからね』


 翌々日の放課後。

「……おかしいな」

 練習用に借りた空き教室で、デスゲーム同好会の練習が行われた。

 四谷達は、汚れた床を掃除する。

「何がじゃ、四谷?」

 茅野が尋ねる。顔中、肉の痣でいっぱいになり、左の鼻の穴には少し血の色のしみ出したティッシュが詰められていた。

「説明会にあれだけ来ていたのに、茅野しか入会しない」

「ウチは正式に入会した訳じゃない! オヤジの事を調べるのと、お前らの言う正しいデスゲが本当にあるか見極める為に、掛け持ちをしているだけじゃ」

「わーってる、わーってる」

「入会希望者が来ない理由について、私も少し疑問だったので調査をさせてみた」

 近藤が水モップの先を整える。

「させた?」

「母の会社で、懇意にしている探偵事務所があってな」

「え、ジョーク?」

「茅野、近藤部長は、自らの容姿と人格、能力、更に何よりも親の七光りによって、あらゆる立ち回りを有利にするのだ」

「……学園ものの悪役ポジじゃろ、それ」

「何が悪い?」

 近藤はモップで床の鼻血を拭き取る。

「大会で採用されるデスゲームは、基本的に非対称ゲームである場合が極めて多い」

「非対称対戦ゲームとは、プレイヤー毎の条件が異なるタイプのものだぜ、茅野」

「何となく分かったが、具体例はないんか、四谷」

「そうだな。例えば、殺人鬼と一般人に分かれたテレビゲームの『13日の金曜日』なんかがそうだ。逆に、デスゲサッカーやデスゲ野球、メントスを口に入れたままコカコーラを早飲み対決する『13日の月曜日』なんかは、対称対戦ゲームと言える」

「月曜日?」

「非対称ゲームにおいては、互いのリソースは把握出来ない。自分の持てる物、全てが武器だ」

「ゲームはそうかも知れんが、本当の人生の中で探偵使うとかそういうのをあんまりやったらどん引きされるじゃろがい」

「秩野」

 血の汚れを片付けた後、四谷は部屋全体をモップ掛けする。

「縛りプレイに意味が出るのは、ゲームの負けがゲームの中で完結するアンデスゲームだけだ」

「メロンみたいな言い方すんな」

「それ以外の、例えば金銭を賭ける場合や、その勝利が名声やギャラに繋がるものなんかは、ゲームを媒介しているが結局、人生の一部だ。まして身体生命を危険に曝すデスゲームと人生の間に差なんてない」

「詭弁じゃな、人生はデスゲームほど殺伐とはしとらん」

「いや、茅野君、四谷の言う事が概ね正しい。TPOはあるが、程度差だ」

「脱線してるが、調査結果ってどうなったんだ?」

「よく思い出したな、四谷」

 片付けを終え、部室に用具類を戻してから、3人は昇降口に向かう。

「見学者の生徒全員がスクールカウンセラー等への直接又は間接的な相談歴があった。1件は性に関する悩みだったが、それ以外は抑鬱や希死念慮だ。ちなみに、性の悩みについては、女性の胸部に興味が湧いて仕方が無いという内容で、『君ぐらいの年齢なら当たり前なんだよ』という説明で救われていたようだ」

「……そっちのヤツは、報告しないどくのが人としての優しさじゃろ」

 他の部活動の生徒も、帰り始めている。

 3人は話しながら細かいピッチのジョギングで進む。茅野も辛うじて2人に追いつけているが、ピッチは5倍ほど広い。

「今回の説明会後のアンケートで、


『死に場所になるかと思ったけれど、生き残りたい為に頑張るなんて、がっかり』

『自分からデスゲームに参加して死なないように頑張るって、マッチポンプにも程がねえ?』

『死なないっていうのはちょっと違うと思う』

『おっぱいがでっかかったので、良かったです』


 などの感想があったが、調査は概ねこれらを裏付ける結果となった」

「最後誰じゃい」

 話しながら、通用門にさしかかると。

「すみません! こ、これ!」

 1人の男子生徒が、門の陰から飛び出すなり、1通の白い封筒を、近藤に差し出した。

「ラブレターか?」

「い、いえ」

 近藤は封筒を受け取り、表書きを見る。

「ほう――にゅうかいとどけ?」

「はっ、はい! 正岡規雄(まさおかのりお)と申します!」

 正岡と名乗った男子生徒は頭を上げる。

 見上げる程の長身に、がっしりした肩幅、分厚い大胸筋、日焼けした肌、坊主頭にニキビ面。どう見ても野球部員だった。

「君は野球部員だった筈だが?」

「はい。小学校入学時からずっと野球をやっていましたが、自分の適性が本当に野球だけなのか疑問が湧いていまして。ずっとデスゲーム同好会には、興味を持っていたんです」

「そこまで打ち込んだ野球から、新しいデスゲームの世界に踏み込もうというパイオニア精神、受け止めよう」

「ありがとうございます、パイオッマニア……じゃない、パイオニア精神で頑張ります!」

「早速だが。この後、新人歓迎で虎門先生にお茶を奢ってもらう予定だったが、君も来るか?」

「はいっ! 参加させて下さい」

「それから」

「はい!?」

「誤字があるぞ。入部の『にゅう』は」

 近藤は、正岡に封筒を見せる。

「『乳』ではない」

「あっ! はい! うっかり!」

「……こいつか」

「……こいつじゃな」



 1471年。

 若き自然科学のパイオニア、ピイオツゥは、1本の論文を書き上げ、羽根ペンを置いた。

「――女性胸部の物心接触による心的負担の軽減。これが世に博く伝われば、世界はもっと平和になる筈だ」

 研究室には、無数の石膏の女性胸部模型(トルソー)が並んでいた。

「しかし……」

 ピイオツゥは、模型の1つをさする。

 お椀型の、整った胸部だった。丁寧に型どりされたそれは、皮膚の細かいシワも写し取り毛穴すら感じさせる。

「固い」

 別の模型を握る。布と綿で作られたそれは、指が沈み込む。

「これは張りが足りない」

 深い、深い溜息をつく。

「おっぱいを揉めばストレスは軽減される。しかし、揉まれた方については、『否』だ。揉み手のテクニックや元々の好感度胸部所有者の精神状態等、むしろストレスが増加する状況が多いと言わざるを得ない。奴隷で賄う事も可能だが、そのような社会体制は結局崩壊を招く。コンスタンティノープルの陥落を、生まれ歳とする私にとって、それは血肉に染みこんだ感覚だ。万人が等しく何を圧するでもなく手にできるおっぱいは、人工物で為すしかない。これが提示出来ぬ限り、この研究は完成とは言えない」

 模型に布をかける。

「ああ、人間の皮膚に似た柔らかく弾力のある物質はないものだろうか。TENGAやつぼみのように、柔らかく吸い付く物質は、もういっそシリコンのような!」

「先生、せんせぇええええ!」

 その時、ドアが激しくノックされ、村人の1人が飛び込んで来た。

「どうした、オルソ」

「怪我人です、何とかしてくだせぇ!」

「何度も言うが、僕は床屋じゃないぞ」

「そこを何とか! 載っていた馬が時速60キロメートルぐらいで暴走した末に、落馬したんでさぁ!」

「何、時速60キロメートルだって!? それはいけない!」

 ピイオツゥは、当時の医療機関である床屋ではなかったが、研究の途上で人間の肉体の知識を深めていた。世界平和と人類の安寧を願い、自然科学者として、なんか分類不能のヤバい知識を適当に色々溜め込んでいた彼が、面白半分に人間の治療もしていたのは、当時としては当然の事であった。


 運び込まれた男の患者は、脚に見て分かる程の骨折をしていた。

 ピイオツゥの知る限りの技術と保有する薬品類と偶然都合良く見つけた青いカビの群生によって、その時代で最高峰とも言える医療が施され、患者はゆっくりではあるが、着実に回復していった。

「――どうだね、具合は」

「はい、先生、もう随分調子が良くなったみたいでさぁ」

 男は笑う。口先だけでなく、顔色もその言葉を裏付けていた。

「それは良かった。そろそろ家で過ごしても良いかも知れないね」

「先生、家に帰る前に聞いておきたいんですがね」

「なんだね?」

「その布をかけたものは、ひょっとしておっぱいの石膏像じゃありませんか?」

 男はベッドから身体を起こし、布に隠された石膏像を指さす。

「分かるかね」

「ええ。おいらは生まれた時からおっぱいに吸い付いたぐらいのおっぱい好きでしてね」

「それは普通だな」

「是非見てみたいんで」

「それは駄目だ。これはみんな私の懇意になった相手から型どりして貰ったものだ。プライバシーに当たるので、SNSで拡散でもされたら事だ、みだりに見せる訳にはいかん」

 尚、この時代にSNSはないと言う無粋なツッコミをする者もいるが、このSNSは、ソーシャル・ネットワーキング・ソサイエティの略であって、社会的ネットワークとして結ばれている社会の事である。

 つまり3人以上の家族ではない構成員が相互に影響を与える集団、つまり村人の繋がりと考えれば全然間違っていないのだ。

「ちぇっ、ケチだなぁ、先生は。だったらまた、馬に乗るしかないかなぁ」

「……どうしてそこで馬が出て来る?」

「いえね、暴走する馬に乗ってた時、手綱から手が離れたんでさぁ」

「ふむ」

「その時、手の平がこう、進行方向に向いたんですが、その風の感触が」

「時速60キロの向かい風の感触……が?」

「おっぱいと一緒だったんです」

 ピイオツゥの脳裏に稲妻が走った。

(風でおっぱいの感触が再現出来る!? そうか、確かに極めて強い風を顔に受けた感触を思い起こせば、ぱふぱふと大体一緒じゃあないか! そうじゃない胸部もあるが、個人差があるから否定はさせない。女はよく自分1人の感想を、主語を広げて女全体は違うとか主張するがな!)

 その場で、手を振り風を感じる。

(間違いない。一定スピードを維持する物が出来、そこから皆で手を出せば、おっぱいは感じ放題だ!)

 ピイオツゥは、たちまち論文を書き上げ、それを実現する為の機械の設計図を書いた。

(今の技術力では、小さい金属ギアや、スパークプラグや、ガソリンの生成技術なんかが足りないが、きっと未来の誰かが気付いて実現してくれる。きっとそうに違いない!)

 自動おっぱい感触装置の論文発表後、彼は卑猥な研究をした罪で宗教裁判にかけられた。

 極刑も検討されたが、理論を検証した神学者は処女懐胎にも通じる無限の可能性を見出し、罪一等を減じ追放刑とした。

 その後、あの時の患者の男は、感謝を込めておっぱいの達人としてピイオツゥの名を村で語り継いだ。

 この為、外国の一部地域ではおっぱいを彼の名で呼ぶようになり、これが日本に伝わった時、仮名に落としてパイオツと呼ぶようになり、江戸時代に江戸っ子が小粋に、オツパイと呼ぶようになったのだった。

 彼の論文は教会の裁判記録用書庫に長く封印された末に、2つの世界大戦を経て失われたとみられていたが、2030年にヴァチカンの行った蔵書の電子化事業によって公表され、その業績が再発見される事となった。

 追放刑となったピイオツゥの残りの人生については、名を変えた可能性と、流刑先の候補が幾つか記されているだけである。

 その1つに、ヴィンチと呼ばれる村があったとか、なかったとか。



 昼休み、食後の四谷は、魔法瓶に入れたお茶を飲む。

 小山内がコンビニの袋を手に提げて、四谷の隣の席に戻る。

「ローソン混んでたのか、パティ?」

「あんたが食べるの早いんでしょ」

「そか」

 小山内は、コンビニ袋の上にパッケージに入ったままのバケットサンドを置いた後、バッグから弁当箱を出す。弁当箱にはスティックサラダが入っていた。

 セロリと人参を1本ずつ食べ、バケットサンドのパッケージを開け始める。

「会員集まってる?」

「おうよ」

 四谷は指2本立てる。

「この短期間に2倍だ。凄いだろ」

「泡沫同好会だと知らないだろうけど、部活動の部員ってのは、維持の方がずっと大変なのよ。すぐに辞めたり、幽霊部員になったりね」

「大丈夫。1人は個人情報的に明かせないが加入時のイベントが濃い」

「イベントって何よ」

「そしてもう1人は、おっぱい目当てだ」

「馬鹿が増えてしまった訳ね」

 小山内は、袋から牛乳の900mlパックを出し、ストローを挿す。

「小山内、部長の魅力はおっぱいだけではないぞ」

「大きい胸なんて、性搾取で表出しただけの畸形で、環境セクハラじゃない。正常な遺伝子だけを遺す為の産児制限か強制避妊を行うべきだわ。本当、女を商品化する発想に、怒りで震えて涙が止まらない!」

「別に震えても涙を流してもいないようだが」

「性的表現を攻撃するときの慣用表現なの! なによ、おっぱいおっぱいって、お前はおっぱい惑星からやって来た、おっぱい星人か!」

「地球において人類は100億、女性がざっくり半分だとして100億弱のおっぱい、更に乳牛が20億だとして80億。支配種族だけで180億おっぱいのある惑星は、おっぱい惑星を名乗っても良いのではなかろうか」

「ラノベみたいな早口で冗談めかしてるけど、女性の身体の一部にそんな執着するとか、変態じゃん、性の商品化で女性差別じゃん」

「考えてみろパティ、タフな活動をする部活の男の部長がいたとして、その陰茎が誰よりも大きかったら、それは畏怖や尊敬の対象になるだろう」

「大きくたって!」

 小山内は空になった牛乳パックを両掌で縦に押し潰す。

「無論、性交には勃起長2センチで充分であり、大きいから気持ちが良いというものでもないらしい。だが、畏怖の念は抱かざるを得ない。それが陰茎、生殖や育児に関わる器官の強さは種の強さの連想となる御柱! 同様に大きくふくよかで形の良いおっぱいが、敬愛されるのは至極当然のことだ。愛おしいものを愛おしいと思って何が悪い。美人を潰れゴリラにして何がコレクトネスか! 本人の同意なしに触れている訳でもない、ただただ、堪え切れぬ心によって視線が奪われるだけの事だ!」

「分かってた、そんなの……分かってたよ、でも、でも」

 小山内の目に、今度は本当に涙が浮かぶ。

「小山内」

「なによ」

 四谷はぐっと親指を立てる。

「ドンマイ」

「ぶわかああああ!」


 放課後、四谷が部室の戸を開ける。

「おつかれ、どうしたんだ?」

 部室内には、近藤、虎門の他、軍人将棋同好会の藤原の姿があった。

「お邪魔してますわ」

 藤原が会釈する。

「合併の希望か」

「流石はデスゲーム部ナンバー2、察しが良いですね」

「どこに意図がある?」

「あら、ご挨拶ですね」

「四谷、そんなに警戒するなよ。彼らは籍はデスゲ同好会になるが、実質的には間借りみたいなものだ」

「近藤の言う通りだ。それに」

 虎門が補足する。

「先日の勝負が、零細同好会達を刺激してな。『それならこっちも部室が欲しい』と、メンバーが2、3人ぐらいの弱小同好会が次々に声を上げ始めた」

「あれは別に部室を賭けた勝負ではなかった筈ですが」

「近藤、大衆はそれほど愚かではないぞ」

「茅野さんがうちと掛け持ちになってた事ですし、元々うちは、盤と道具を少しを置くスペースが頂ければ良いだけなので、合併した方が都合が良いのでは、と、部長の近藤さんに相談させて頂きました」

「無論、この話は、テスト明けの職員会議までは内密にな。真似をされてはいたちごっこだ」

「四谷、お前の意見はどうだ?」

「んー、まあ」

 四谷は、藤原の顔に半分視線を向ける。

「他の零細同好会の動きは気付いてた。漁夫の利で持って行かれるよりは、ずっと良いとは思うが」

「が、なんだ?」

「藤原先輩、そもそも、使い道がそれだけなのに、どうして部室を欲しがったんだ?」

「いや四谷、部室があるとないとでは、気分が変わるだろう」

「……ええ。近藤部長のおっしゃる通りよ」

「では、了承でいいな? 双方」

 近藤は四谷と藤原の顔を見る。

「茅野さんともうひと方のご意見は?」

「デスゲームにおいて、決断はトップが決め、メンバーはこれを守るのが鉄則だ。多数決で作った塊は、瞬時の判断時に割れる」

「なあるほど、それがデスゲーマーの鋼の掟。お揃いの、スヌーピートートバッグを使っている理由ですね」

「『ピーナッツ』」

「は?」

「キャラ名と作品名を……混同するな、決してだ」

 一瞬見せた近藤のデスゲーマーとしての気配に、藤原は戦慄した。


 期末テストが終わり、新しい会員と名ばかり会員を迎えたデスゲーム同好会の活動は本格的に開始した。

「――本日は高速思考の訓練を行う」

 近藤は、部室のホワイトボードにパワーポイントの画像を表示させる。

 その表情に緊張感はあるが、声のトーンはやや高い。

(会員が増えて嬉しそうだな、近藤)

 四谷も笑みを浮かべている。

「あのー、部長、質問が」

 茅野が挙手する。

「手短かにな」

「この講義、空気椅子じゃないと駄目なんじゃろか?」

 話を聞く四谷達に、椅子はなかった。

「四谷、解説してやれ」

「はい」

 四谷は立ち上がって説明する。

「あ、ズルい」

「まともなデスゲームの動画配信だと、参加者は走るべき時には走り、上れそうなものはのぼり、気付くべき物には気付く。今、説明背景に参考動画のスーパーマリオブラザーズが流れていると思え」

「ふむ、そりゃそうじゃな」

「はい」

「逆に、デスゲ素人しか出ていない、デスゲ動画を見た事があるか?」

「そこまでは観とらんな」

「関連で出た時に観たけど、つまらなかったですね」

「走れば数歩で立ち止まり、掴まろうとしてもコンマ5秒で落下し、終始テンパっているから矢印があればそれに従って進み、罠に一直線ではまる。訓練のない人間はそんなもの。参考動画は当然スペランカーだ」

「参考動画、せめて平成に例えはなかったんか?」

「動作の『自然』は、無為ではない。脳内イメージに合致させる恣意が必要だ。鍛えられていない肉体は、イメージを追随できない。音楽でも、強靱な肉体と考え抜かれた発声法故に、不作為では頻発する音程や音量のぶれのない『自然な』音を出せる。デスゲームの『自然』は、あらゆるタイミングで瞬時に対応出来る強靱な心身。ならば座学と肉体の鍛錬は同時に行う事が当然だ」

「まして、大会は年明けだ。寸暇を惜しんで鍛えなければな」

「にしたって、これ、きつんじゃよ、部長」

「疲れたら、ある程度休んでも良いぞ」

「先に言わんか!」

 茅野は床に座り込む。

「しかし正岡、お前タフじゃな」

 茅野は空気椅子を続ける正岡に声をかける。

「野球部にいた時やってたので」

「……何でもやっておくもんじゃな」


 洋館風な部屋。

 四谷はテーブルの上の小型金庫を見つめる。

 手にあるメモに合わせて、ダイヤルを回していく。

 左、右、左。

 金庫が微かな音を立てる。

 四谷は金庫の蓋を開ける。

 瞬間、側面の顔を象ったレリーフの口からダーツの矢が飛び出した。

 四谷の頭のあった位置を素通りし、反対側の壁に突き立つ。

 しゃがんでいた四谷が、立ち上がる。

「すげえ反射神経じゃな」

 茅野はうなる。

「そうじゃねえよ」

 四谷は反対側に刺さった矢を引き抜いて回収スロットに戻す。

 四谷、茅野、正岡の3名は、日曜に市内にあるデスゲーム練習施設「デスポッチャ」を1時間レンタル利用していた。ここは、試合で用いられるギミックの幾つかが実際に利用できる。一見すると参加型のテーマパークのようでもあるが、その内装に飾り気は乏しく、トラップも刃引きをしている程度で、高難度のものだと当たり処によってはかなりの痛みを伴う。

「この手のギミックで作動する罠の殺傷範囲は限られる。標準的回避動作を行えば、そこを完全にかわす事が出来る」

「こっちは床が抜けましたね」

 隣にいた正岡は、足元の床が開いた縁に指先だけで引っかかっていた。

 正岡はそのまま腕力で身体を持ち上げ、床に戻る。

「フィジカル化け物じゃな。それでなんで野球なんぞやっとったんじゃ」

「自信がなくて」

「野球だけをやっていたら、恐らく見落としていた才能もあるな。折角の才能を野球なんかで腐らせなくて良かったな」

「はい!」

「これからは、全力でその能力を活かせるぜ。お前が出さえすれば、肉体系のギミックは大体解決だ。大船に乗った気でいさせてもらうぜ!」

「またまた、褒めすぎですよぅ!」

「……有望な新人で良かったな。ウチなんか、人並み体力のちっこい数あわせ要因じゃもんな」」

「いや、茅野は我流でも武術を齧ってて体力あるし、バイトのせいか頭の回転が早く並列処理に強い。家事全般も超得意なようだし、伸びる下地が出来上がってる状態だと思うぞ。最初の適性診断で驚いたもんだ」

「お……おう、わ、分かってるなら、良いんじゃ。うん、えへへ」


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