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第2章  軍人将棋同好会、大勝利

 翌日。

「ここもか」

 廊下を歩いていた四谷と近藤は、掲示板の前で足を停める。

 デスゲーム同好会のチラシの上から、軍人将棋同好会の会員募集チラシが貼られていた。

「この宇宙時代に紙チラシを使うとはな」

 近藤はチラシをスワイプして、掲示板の空白へずらす。

 掲示板は、映像表示の出来るディスプレイ層、いわゆるデジタルサイネージに、透明な特殊な樹脂層が重ねてあり、画鋲もマグネットも併用出来るハイブリッド型だった。

「近藤、人海戦術で来られると、後手に回らざるを得んぜ?」

「うろたえるな四谷、邪魔をするのは連中もこちらを脅威に思っているという事だ。少なくとも、初動で人目には触れた筈だ。記憶が新しいうちに次の策を考えるべきだろう」

 四谷達は掲示板の前から立ち去りかけて、振り向く。

「デスゲ同好会! ウチらのチラシに何やっとるんじゃ!」

 廊下の向こうから、怒鳴りながら制服姿の女子生徒が駆けて来る。中学と見間違えそうな小柄、スレンダーで、ショートヘアに勝ち気そうな顔立ち。

「軍人将棋同好会、茅野姫佳(ちのひめか)君か。ごきげんよう」

 特に意外そうな顔もせず、近藤は殊更優雅に挨拶する。

「よう茅野、秋大会の後ぶりだな」

 四谷も笑顔で挨拶する。

 茅野姫佳。デスゲーム会場の前の抗議デモで、四谷に助けられた少女だった。

「馴れ馴れしいぞ、お前ら! あの時命を助けたからってウチに貸しを作ったつもりなら大きな勘違いじゃ! きちんとお礼に行ったじゃろが!」

「ああ、その節はご丁寧に」

「千秋庵の山親爺、おいしゅうございました」

「いえいえ、こちらこそ」

 3人は頭を下げる。

「これで、貸し借りゼロじゃ! さあ、ウチらのチラシに手を出す道徳的優位性を失ったぞ、お前らは!」

「お前らのチラシには何もしてねえぞ。なあ、近藤」

 四谷と近藤は掲示板から少し離れる。

「そうとも。私達のチラシに、君らの稚拙でエコでない時代遅れの紙チラシが重なっていたから、こちらが動いてやっただけだ」

「ほほう、素直に譲るんか。血と闘争好きなデスゲ同好会に、そんな人間らしい感情があるとは。じゃが、いつまでそんな澄ました綺麗な顔をしていられるかな?」

 茅野は内ポケットからチラシの束を出す。ざっと見て100枚はある。

「生徒会がそんな枚数の許可を出す、だと?」

 四谷の表情が歪む。

「夏大会の終わる10月は、勧誘の閑散期じゃ。加えて、藤原部長の力をもってすれば、多少のお願いのゴリ押しなど、容易い!」

「藤原か……」

 近藤は軍人将棋同好会の「連絡先:3年 藤原能菜(ふじわらのうな)」の文字に視線を向ける。

「こちらは部室獲得の話を持ち出した時に、チラシの許可は受けている! 後手に回った時点で、お前らは負けているんじゃ!」

 軍人将棋同好会のチラシを、バサバサと振りながら、茅野は勝ち誇る。

「お前らはさっさと軍人将棋同好会に部室を明け渡せば良いんじゃ! この希死念慮のゲーム脳非モテ陰キャ集団が! 未婚率90パーセントの信頼と実績集団!」

 四谷も近藤も動じない。ただの事実は煽りにならないのだ。

 しかし。

「そんな事ばかりやっているから、こんな心理テストで親御さんが呼び出されそうな色彩感覚のチラシを作るんじゃ!」

 瞬時に、近藤の表情が変わった。

「貴様ぁあああああ!」

「近藤!」

 自信作を侮辱され、怒りを露わにする近藤を、四谷は羽交い締めにする。

 だが、四谷はどさくさに紛れて乳を掴んだりはしない。何故なら、怖いからである。これは彼の弱さではなく、むしろ強さである。恐怖は危険のセンサー。五感を知識で分析した結果気付く危険より、遙かに素早く敏感に機能するそれは、生存に直結する本能。デスゲーマーにとって、最も必要な素養である。肉体的素質をさして持たない四谷が、デスゲーマーを続けていられる理由はここにある。

 茅野は、近藤の剣幕に、一気に10メートル程跳び下がる。大体、驚いた時の猫と一緒の動きだった。

「さ、さ、ささささささ、先を考えて行動した方がええぞ。ぼ、ぼ、ぼぼぼ、暴力に訴えれば、勝とうが負けようが来年の大会も出場停止じゃろ? な? そうじゃろ? な? 暴力反対」

 茅野は、歯をガチガチ鳴らしつつ、引きつった笑いを浮かべる。レーティング次第では、失禁をしている場面だった。

「ぶ、ぶ、部室がなくても良いじゃろ。結局、あの掃除だけは行き届いた、古びた血なまぐさい支援施設でしか、殺し合いは出来んのじゃ、から」

 茅野は近藤に極力近づかないようにしつつ、そろそろと掲示板にもう1枚チラシを貼る。デスゲーム同好会のチラシは完全に見えなくなった。

「掲示板のスペースも部室の確保も、限られた盤上の勝負。軍人将棋指しであるウチらを敵にした時点で、君らは負けじゃ」


「……ヘボが軍人将棋指しを語るか」

 四谷に抑えられたまま、近藤はぼそりと言う。

「いつから、軍人将棋はスタックが出来るようになった。貴様らの軍人将棋など、たかが知れている。違うと言うなら、私と勝負するか?」

 四谷が近藤を抑えられると見たのか、茅野はやや落ち着いて来ている。

「出ました、デスゲーム部! これで勝負を持ちかけて、結局過剰な罰ゲームを突きつけ、動揺を誘い勝つ汚いやり方じゃ。君らにかかれば、ただのジャンケンやだるまさんが転んだだって命がけの大勝負になってしまう。ああ、こわいこわい。そんな事だから、クラスでも心から信頼し合える友達のいない、概念的ぼっちになるんじゃ」

(こいつ、読んでる)

 四谷の視線は鋭さを増す。

(冗談めかしているが、ヤツの言葉にそんなに嘘がない。傍から見ると、こっちが悪者だ。的確にこちらの手を封じて来る)

「基礎訓練もしていない相手との勝負に、そんな手を使うか! 貴様らの唯一の取り柄の軍人将棋勝負だ! 貴様等全員、藤原も含めてな」

 近藤が怒鳴る。

「おいおいおいおいおい、藤原部長に勝つって? 気は確かか? 藤原部長は研修会でも優秀で奨励会入り目前と言われる天才じゃぞ?」

(ええと、軍人将棋は研修会から奨励会に上がって、奨励会だとプロだっけ。畜生、漫画の『ヒカノレの軍棋』以外の知識がないから、雰囲気で感じるしかないぜ)

「小学生の頃から研修会にいたクセに、未だに奨励会にも挙がってない天才がいるか。お前らのようなヘボを引き連れてイキっている事からも程度が知れる」

「ウチの事は悪く言うのも許さんが、藤原部長のことを悪く言うのは同じぐらい許さんのじゃ!」

(広島弁かとおもったら、のじゃロリ成分が混ざって来たな)

「お前等の土俵で戦ってやると言っている。それとも何か、貴様等の出来る事は、そのエクセル方眼紙で作った、改行で文字が切れているチラシをベタベタ貼り付けるだけか?」

「なに!?」

 思わず茅野は自分の手のチラシを見る。

(上手いッ! エクセルの改行の文字はみ出しは、12世紀においてはローマ教会が、18世紀以降は科学者によって回避不能と定義した仕様! これを解決すればノーベル情報学賞と言われる究極命題! これを言われて動揺しないエクセル使いはいないッ! そして、動揺は冷静な判断力を失わせる!)

「そんなに我々が恐ろしいか、軍人将棋同好会、略してジョウギ」

「き、貴様ぁあああ! ジョウギと言ったか!?」

(流石は近藤。本当の怒りからブラフの怒りへのスイッチがスムーズだ。軍人将棋をジョウギと略すのは、バーテンダーをバーテンと呼ぶのと同等の侮蔑行為! 怒らない軍人将棋指しはいない!)

「言ったがどうした、ジョ☆ウ☆ギ☆同好会」

「星まで入れた!」

(☆の発音は、近藤が才能と努力と財力で編み出した煽り技の1つ。最早完全に掌の上だな、軍人将棋同好会)

 四谷は笑みを浮かべる。

(周知の通り軍人将棋は、理論を示す『ジョウギ』と、運や精神性を意味する『グンシン』のアナグラムだ(諸説あります)。『ジョウギ』と理論のみを取り出してしまえば、将棋と変わらない。将棋と変わらなければ、マイナー競技である軍人将棋に兆に1つの勝ち目もない。まりも羊羹で白い恋人に、ていぬがメロン熊に勝つようなものだ!)



白い恋人……北海道土産の定番。石屋製菓のお菓子。ラングドシャにホワイトチョコレートを挟んでいる。おいしいのが特徴。

まりも羊羹……阿寒湖の土産。つるってなる。

メロン熊……夕張のマスコット。メロンの擬熊化。

ていぬ……手稲のマスコット。クリームパンの擬人化



「ええじゃろ、勝負じゃ! 藤原部長の手を患わせるまでもない! ウチが片手で、コテンパンにしたらぁ!」

(軍人将棋は多分片手でもそれほど問題ないな)

「なあるほど」

 近藤はニヤニヤ笑う。

「藤原というのは、貴様の後ろに隠れて震える張り子の虎か」

「貴様ぁあああ! ああ、ええじゃろ! 藤原部長と対局させたらぁ! 明日、首ぃ洗って待っとれ!」

「四谷、どこか適当な空き教室を、控え室合わせて3つ押さえておいてくれ。明日の放課後だけで良いだろう」

「……待て!」

「なんだ」

「こっちがやると言った事じゃ、場所はこっちが用意する」

「分かった、お願いしよう。予定が決まったら早めに教えたまえ、全校生徒を立会人にして白黒付けよう」

「お前らにあるのは、黒だけじゃ! まっくろくろのくろくろろじゃ!」

 足音を鳴らしつつ、茅野は立ち去った。


「――おい聞いたか? 軍人将棋同好会と、デスゲ同好会が対決するってよ」

 その日のうちに、生徒達の噂は、軍人将棋同好会とデスゲーム同好会の勝負の噂で持ちきりになっていた。

「ああ。そうらしいな」

「ぶははは、軍人将棋同好会、死ぬわ」

「そうとばかりも言えませんよ」

「そうなのか?」

 眼鏡の生徒は、眼鏡をクイッとやる、例のイキリ仕草をする。

「デスゲームプレイヤーは、確かに知力体力精神力の全てを身につけ、鍵縄1本で飛んで来るヘリコプターに飛び乗るぐらいの事を朝飯前にやらかす超人揃いです。けれど」

「けれど? なんだよ」

「軍人将棋で正々堂々と戦ったら、勝敗は軍人将棋同好会に分があります」

「ぶはははは、デスゲーマーがなんで軍人将棋で戦うんだよ。相手を殺したらそれで勝ちじゃないか」

「そうだぜ、デスゲーマーが相手を殺さなかったら、日本はおしまいだぜ!」

「いいえ、今回はデスゲーム要素は、全くないらしいです。そもそも会場がデスゲーム許可のない校内です」

「えっ、デスゲ施設でやんねーんだ」

「じゃあ、オレ達も見られるんだな」

「でも頭の回転の速い奴らだし、イカサマ上等だからな」

「ええ。良い勝負になると思いますよ」

「そうだな。是非とも見てみたくなったぜ」

「明日の部活は休止にして、我々も観戦しましょうか。今後の我々の活動の、助けになるかも知れません」

 帰宅同好会・道草ユニットのメンバー達は、互いに頷き合った。


 翌日の放課後、机を運び出した1年2組の教室に、四谷・近藤と軍人将棋同好会の4名、そして噂を聞きつけた一般生徒が溢れんばかりにやって来ていた。

「――フフフ、逃げずにやって来たようじゃな、デスゲ会」

 茅野が笑う。

「急な会場変更すまんなぁ!」

 軍人将棋同好会は、朝に空き教室を指定したが、午後の5時間目と6時間目の間に、この1年2組に変更との連絡をしていた。

 当然に。

 軍人将棋同好会が、直前に会場変更を申し出たのには理由がある。

 デスゲームにおいても、命やそれに類するものをチップとしたボードゲームが行われる事がある。その際は、100パーセントイカサマギミックが仕込まれており、勝負の本質はそれを見破り、そして見破った上でいかに見破っていないフリをするかという心理戦となる。

 これは数多の動画配信で万人が知る、デスゲームの一般的な知識であった。

 今回、軍人将棋同好会は、勝負に使う軍人将棋のセットを自ら用意している。従ってこれに、細工をする事は不可能。となれば、会場自体の細工をするしかない。

 軍人将棋同好会は、この可能性を潰す事に注力した。

 授業の間の僅かな時間に知らされた一般教室、しかも、茅野のクラスとなれば、仕掛をするどころか下見も困難な筈だった。

「いや、助かるよ。空き教室は暖まるのがどうも遅いからね」

 近藤は、軍人将棋同好会の意図に気付いているかどうか、のんびりした笑顔を浮かべている。

(実際、こんなに集まるとは……)

 近藤の隣りで直立している四谷は、ギャラリーの顔ぶれに目だけ向ける。

「ふん、強がりを。繰り返すが、ギャラリーのみんな」

 茅野は一般生徒達に顔を向ける。

「軍人将棋は、伏せたコマの中身を知られないようにプレイするゲームじゃ。麻雀ほどではないが、覗きのイカサマがされやすい。光の反射するものは、眼鏡も含めてポケットに収めてくれ。それが嫌ならば、実況動画から観覧してもらう」

「ええー、ケチケチすんなよ!」

「そうだぜ、眼鏡なきゃ見えねえんだよ」

 生徒達はざわつき始める。

「皆さん」

 茅野らの間から、小柄な女生徒が姿を出す。

「こちらは盤外戦は不得手なんです」

 彼女はにっこりと微笑んだ。

「協力してくれませんか?」

(軍人将棋同好会部長、4年目3年の藤原能菜か。会なのに部長を名乗る辺り、うちの近藤と同格かそれ以上の風格を感じる)



 昨年5月。

「じゃあ、一緒に作るか、デスゲ同好会!」

「ああ、よろしく頼む」

 四谷と近藤は拳を打ち合わせる。

「じゃあ、代表は近藤さん、お願いして良いか?」

「同級生にさん付けは不要だ。近藤か、部長でいい」

「え……部長? 同好会、だよな?」

「それがどうした。世の中には、経営企画部に1人しか所属していないのに課長のままだった会社員もいるんだぞ」

「それは、名ばかり肩書きのリストラ部署では――」

「あ? ああ!?」

「いや、何でも無いです」



 四谷が目を凝らす。

(動くと年齢相応の仕草だが、目鼻立ちや体型は確かに美幼女だな。描き分けの解像度の低い絵師だったら、幼女キャラとの区別が付けられまい……)

「反射するものはしまって下さい。これは観戦ルールです。お願いします、ね」

 藤原はじっと最初に文句を言い始めた生徒達の目を、上目遣いに見つめる。

(すげえ、これは完全に未成年者略取の最中にしか見えない)

「わ、わかったよ」

「言ってみただけだよ。さっさと離れてくれよ、録画切り抜きされたら、警察来そうな絵面だろ」

 2人が立ち去るのと合わせるように、皆、反射しそうなものをポケットにしまう。

「合図を送る行為も勿論禁止です。申し訳ないですが、疑わしいとこちらが思った時点で、真偽問わず退場していただきます」

「こちらにもその権限はあるのかい?」

 近藤が尋ねる。

「もちろん。それと仮に明確なイカサマを指摘されたなら、そこで反則負けで良いですわ」

「了解した」

 実況用のカメラにしっかり伝わるように、近藤ははっきり発音していた。

「会場はプロルール準拠でセッティングしましたわ」

 空き教室の真ん中に椅子と机が向かい合わせにしてあり、机の合わせ目を跨いで強化プラスチック製の軍人将棋盤が置かれている。盤の裏面は緩衝材が貼られている為、ぴたりと机に吸い付く。机は一般的な学校用だが、揺れない安定したものが厳選され、天板にシャープペンによる彫り傷もない。


 尚、机選定中に、やたらと傷のある机を発見し、デスゲーム同好会と軍人将棋同好会が連名でいじめ事例疑いとして学校へ届け、教育審議会が無人機による校内確認と監視カメラ映像をAI判定し、2名の首謀生徒、12名の協力生徒を割り出し、停学と訓告処分しているが、今回の勝負の結末とは何ら関わりがない。


 審判用の、両側をボードで覆った椅子が、盤の西側に設置され、その向かい側に三脚で立てた実況用のカメラがある。

「気になるなら隠しカメラでもドローンでも、コマの細工でも確認して貰って構わないです。ただ、直接触るのは勘弁して下さい。デスゲーマーの触った後のものを、そのまま使う程お人好しではありませんので」

 藤原はにこやかに言う。

「ああそうそう、うちの部員にはアルバイトしている者もいますので、長くても20分までにして下さいね」

「用具の確認は不要だ。ギャラリーが退屈するだろう」

 近藤が即答する。

「よく調べないと見落としがあるかもよ?」

「素人の仕込みに、私が気付かない訳がない。むしろ、ありもしないイカサマを匂わせ、我々の集中力を割く盤外戦術だろう?」

「格下も格下の貴様に、そんな事をする訳ないじゃろ! 藤原先輩は、実力で間違いなく貴様に勝つ!」

 茅野が割り込んで怒鳴る。

(嘘を言っている仕草は全くないな。イカサマの可能性はこれでほぼないか。あり得ない事だが、軍人将棋の世界ではそうなのだろう。無理が通れば道理が引っ込む、狂った競技だ)

「確認が終わったなら、やりましょ」

 藤原はちょこんと椅子に座り、少し足をブラブラとさせる。

(こいつ、ロリ仕草に長けている。設立から1年足らずで会員を3人も集めた実力、伊達ではないな)

 四谷はちらりと茅野の顔を見る。茅野は藤原を尊敬と親愛のこもった目で見ている。そして、ぶらぶらしている足を凝視している。

(茅野の藤原部長への執着は、可愛い物好きか、中身がおっさんのどっちだろうな)

「それで近藤さん、勝敗で何を賭けるの?」

「うちのチラシを剥げって言ってるんじゃ」

 茅野が言う。

「では、もしもこちらが負ければ、今後一切紙チラシで君らのチラシを隠すような事はしません。揚げ足を取るような曲解もナシで」

(かなりの自信だな)

「ただし、負けたら、年度替わりを待つまでもなく、今週中に部室を明け渡していただきましょうか」

「なんじゃと!?」

 声を上げたのは、茅野だった。

(なんだって?)

 四谷も平静を装うが、決して動揺がない訳ではない。

(そんなのバランスが取れやしない! こんな不公平なルールがあってたまるか)

「ちょっ――」

「何を勘違いしたか知らんが」

 四谷が口を開こうとするより先に、近藤は応えた。

「何を賭ける気もない。軍人将棋で勝てるか負けるかの話がそちらの茅野君とこじれたから、実際に指してみようという話になっただけだ」

「……ケッ、負けそうだから逃げてんじゃろ。やーい、逃げ虫、弱虫、挟んでスモア!」

(未来の蛋白源か)

「勘違いするなよ、三下」

 にこやかに近藤が茅野を見る。

「デスゲーマーが賭けるのは、命だけ。君ら、ベットできるか?」

「ぐ……」

 口調はあくまで穏やかだが、死線を越えた者だけが持つ気配に、茅野は呼吸を抑え込まれたように言葉が出なかった。

(上手い。デスゲームを口実に、負けダメージを回避する姑息な方法だが、なんか大物っぽい印象を与えた! 流石は近藤!)

「わ、こ、これは、これは罠じゃ、藤原部長! 何か企んで、それをごまかしているに違いない!」

「茅野、私が話している途中よ」

「す、すみませんっ!」

「罠と言えば勝負自体が罠でしょう。軍人将棋同好会は、私の棋力だけで率いている組織。会員の目の前で私が素人に負ければ、組織崩壊は必定」

(そうかなぁ……)

 四谷は残りの会員を眺める。そのねっとりとしながら、ノータッチを感じさせる誇り高い紳士的視線は。

(ロリコンだ。その中でも、己の妄想と現実をリミックスさせ、現実のそれっぽい合法ロリを二次ロリと見立てて愛でつつ、現実の存在であると理解して決して迷惑行為をしないタイプだ。2030年のロリババア視姦冤罪事件で名付けられたジェントルマン・ザ・ロリータコンプレックスと、同等の状態だ)

 茅野の目にも同じ光が宿っていた。より強く鋭さを持ちながらも、優しさを湛えた光が。そこには性別に囚われぬ紳士の魂がある。

(優しさは強さだ。こいつの強さは、多分本物だ。愛し崇める者がいる故の強さがある)

「ですが、それは私の対局に常につきまとっていたお馴染みのプレッシャーです。いいでしょう、この勝負は、ただ、軍人勝負の勝ち負けが決まるだけ、ですね」

「理解が早くて助かる」

「審判は公平な方が良いと思いますが如何ですか?」

「異議はない」

 藤原は指を鳴らした。

 するとドアが開くと、1人の男が入って来た。

(えっ……あれは)

 皆がざわつき始める。

「校長か」

 近藤は顔色を変えずに呟く。

「世の中に絶対的な公正は存在しない。同一個体ですら、その立ち位置による優位はあり得る。畢竟、公正とはその場のルールの一概念に過ぎない」

 言いつつ、藤原は校長を審判席に導く。

「であれば、公正を定義するのは、その場のルールを統べる者。生徒会の権力が常識の範囲にある我が校において、最高権力者は校長と言えましょう」

(ちっ、他の連中の弱みはそこそこ握っているが、校長までは手が回らなかった!)

「四谷、感情は制御して表出しろ」

 小声で近藤が四谷に言う。

(顔に出てたか)

「校長、よろしくお願いします」

「お願いします」

 一礼して、近藤と藤原は着席する。

 双方並びにギャラリーの配置を確認してから、校長は大会用ホイッスルを鳴らした。

(超うるせえ)


 衝立で互いを目隠しした盤上、近藤と藤原は自陣にコマを並べ始める。

(軍人将棋は、軍人の階級や兵器の名を持つコマを使い、将棋のように交互に動かしながら相手の『軍旗』コマの撃破を目的とするボードゲームだ)

 四谷は、ルールを思い返しながらじっと盤上を見つめる。

(基本コマは軍の階級通りの強さとなり、移動して重なる事で対決、結果は強い方が一方的に相手を破壊し盤上から除き、引き分けなら相打ちとなる。だが、スパイや工兵など特殊コマは特定のものに強く、つまり相性がある)

 次々とコマが盤面に並んでいく。

(独特なのは、コマは無地の裏返しで置かれ、その配置は双方のプレイヤーが任意に決められる事。そして、コマの対決結果は審判が伝える。つまり、相手のコマが何であるかは類推しか出来ない。これはつまり)

 目隠しの衝立が取り払われ、校長のホイッスルが鳴り響く。皆、耳を塞いでいた。

(つまり)

 先手の藤原がコマを進める。

 審判の校長が確認し、藤原のコマを盤上から取り除く。

 次に近藤が同じコマを動かし、校長が確認し、今度は近藤のコマを負けとして取り除く。

(つまりは)

 その後、藤原の進めるコマが勝つ。

 次に近藤の進めたコマが負ける。

 藤原のコマが勝つ。

(傍観者視点だと、全く状況が分からない! 畜生、どこかで読んだ気はしたぜ! 軍人将棋は、漫画やアニメには全く向いてないって!)

 状況はさっぱり分からないまま対局は続く。

 だが、確実に近藤のコマは減っていく。

(ああ、負けだ、これは)

「勝負ありましたね」

「なんの!」

 近藤は残り2つのコマのうちの1つを動かす。

「そこ地雷」

「ぐはああっ!」

 勝負は決した。

(えー……)

「ありがとう、良い勝負だった」

 近藤は握手を求める。

「筋は悪くないですが、まだまだでしたね」

 藤原は握手に応じる。

「さて、ギャラリー含め、おつきあいいただいた皆さん」

 近藤は皆に声をかける。

「お礼に、甘い物でもどうだ?」

 近藤は、自分の大きなボストンバッグからシュガーラスクを出し、紙皿に広げる。

「ありがとう、いただきます」

 藤原はラスクを受け取ってから茅野の方を向く。

「そろそろ寿司屋のバイトじゃないか?、茅野君」

「いえ、まだ大丈夫です」

 藤原が食べ始めるのを見て、軍人将棋会員やギャラリーも手を伸ばす。

「おいしいです」

「ラスクというとバケットのイメージが強いが、私は食パンのようなきめ細かいものを使った方がサクサク感があって好きなんだ。白い砂糖の部分もきちんと載るしな」

「シュガーペースト、オレンジの香り付けしてありますね」

「オレンジキュラソーに刻んだオレンジピールを少量混ぜ、歯触りを出している。焼いた時にアルコールは飛んでいるから安心してくれ」

 四谷もラスクを食べる。近藤の言う通り、きめ細かい食パン生地だが中までよく水分が抜けてサクサクとしている。そして白いシュガー部分のはっきりとした甘味が、放課後の身体に染み渡るようだった。指に少し残った砂糖のベタつきを、四谷は舐めかける。

「四谷、行儀が悪いぞ、それ、そこのティッシュを使え」

 近藤の指した先には、先ほどラスクを入れていた近藤の大きなボストンバッグから、白いものが見えていた。

「あ、ポケットティッシュなら、こっちにも1枚くれよ」

 ギャラリーの1人が四谷に言う。

「……ああ」

 振り返った四谷の両手には、ポケットティッシュが山のように掴まれていた。

「みんな、手はこれで拭いてくれ」

 四谷はティッシュを、その場にいた全員に配る。

「なるほどね」

 藤原は受け取ったティッシュを見つめる。

「……勝敗は本当に目的ではなかったのね」

「な……なんじゃと!?」

「最初から、この為に」

 それは、デスゲーム同好会の勧誘チラシが折りたたまれて挿入されている、宣伝用ティッシュだった。

 物珍しさもあり、皆はチラシを読み始めていた。廊下の掲示よりも、遙かに集中して読まれていた。

「扱っている印刷屋を探すのに難儀した。平成ぐらいの時代の宣伝方法だ、レトロで面白いだろう?」


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