第9章 ラストバトルは放送禁止
『ようこそ、石狩デスゲームパークへ』
合成音声だった。
『一生かけても遊びきれない面白さ! ゆっくりして行ってね!』
瞬間。
天井が開き、気体の噴出する音がし始めた。
四谷の構えた手を踏み台にして、近藤は天井に飛びつくなり、ポシェットから取り出した樹脂の塊を、穴にねじ込む。
次々に開く穴を近藤は塞いだ。
「アナウンスに気を取られたな。一手遅れ、完封し損ねた」
音も無く近藤は床に降りる。
「運営のアナウンスは決して聞き漏らさないという、デスゲーマーだけが持っている特性を逆手に取られたな」
「こいつは底に溜まる毒ガスだ。慌てずに歩けよ、茅野」
「お、おう」
ドアの前まで来る。
近藤は上のジャージを脱ぎ、四谷に渡す。四谷は自分のジャージも脱ぐと、その中に近藤のジャージを丸めて入れる。
高密度で衛星エレベーターに使用される超鋼ファイバーが編み込まれたジャージの重量はその耐久性と引き替えに、1枚で40キロに達するというデメリットがある。
だが、今回に限っては、デメリットではない。
四谷は、ジャージを即席の投石帯型ハンマーとして、2回勢いを付ける為に回してから、ドアに叩き付けた。
古代ローマの投石帯は、50グラムの鉛玉を100メートル以上飛ばし、そのストッピングパワーは.44マグナムに匹敵したという。
その80倍の重量がもたらす衝撃力はッ!
激しい衝突音の後、蝶番が曲がり、ドアがずれた。
出来た隙間から近藤達は次の区画に入り込む。
「ふぅ……何度もガスを使われると厄介じゃな」
「いいや、これで終わりだろう。部屋1つ埋めるような有毒ガス設備は、べらぼうに費用がかかるクセに絵にならず、ヨーロッパ圏で確実に閲覧禁止になる。1部屋あっただけでも珍しい」
「鼻先に催涙ガス吹き付けられる程度のはたまにあるけど、それだって僅かでも流出すれば、臭いの苦情が来るからな」
「必殺のカードを切ってしまったって事じゃな」
「通常のデスゲームならそうだが、相手も必死だろうからな」
四谷らは通路を進む。
通路は少しずつ上り坂になっている。
「なるほど……ただの行き止まりにされたり、ブロックごと崩されて落下死ってのもあり得るじゃろな」
「いや、モジュール型は動かせるが、自由自在ではない」
床が市松模様で、アルファベットが書かれた区画にやって来る。
壁に、
『モジ、イッカイズツ』
の文字がある。
「自由自在じゃない?」
四谷は自分のジャージを広げた形で床を叩く。
小さな矢が射出された。
「デスゲ用ブロックシステムは、れっきとした市販品だ。万が一ゲームマスター側が迷い込んでも逃げられるように、どの組み合わせも必ずゴールと接続される。さもないと、トラップが完全休止する安全モードになる。当然ブロック自体の落下も3重の安全装備で防がれる」
「そんなシステムが付いとるのか」
「これがあるからデスゲ装置なんだ。ロボットに3原則があるのではなくて、基本設計に3原則がある陽電子頭脳を装備したものがロボット、というのと同じレベルの事だ」
「マニアは相変わらず独りよがりな説明をする」
四谷が床を叩く度、小さい矢が発射される。発射位置に一見したところ法則性がないが、矢の軌跡は全て床の叩かれた位置の上空を通過するように出来ている。
四谷は何度も床を叩き続ける。矢は次々に床に落ちて溜まっていき、ついに出なくなった。
「……こういうの、弾切れあるんじゃな」
「回収口を塞いどけば、いずれはな」
振り子の刃のギミックを通り抜け、ランダムにヤリの突き出す通路はヤリが突き出た所を引っ張りレールから脱線させて作動不良を起こさせて抜ける。
「事も無げに破って行くな……」
「型落ちの市販品だ。攻略法も共有されている。推理小説を最後からめくったり、攻略本を暗記してレイトン教授をやっているようなものだ」
「モジュール式は狭いスペースに装置を詰め込んでいるので、構造が独特で余剰スペースもない。新たなギミックの為には、新しいブロックを買い続けるしかないが、施設の方だってそんなにホイホイ買えない。結局プレイヤーも動画視聴者も飽きる。廃れた理由だよ」
『次のゲームは何かな!』
どこかのスピーカーから、合成音のアナウンスが再び聞こえて来た。
『3つの箱から正しいものを――』
次の瞬間。
『選んでね!』
全く関係ないアナウンスの途中で、床が全て開いた。
「んじゃと!?」
「くっ」
「ふぬっ!」
四谷は開いた床の端に掴まってぶら下がる。
近藤は、床の壁との接続部分に指をかけてぶら下がりつつ、茅野の袖を引っ張り止める。
「茅野、無事か」
「だ、大丈夫じゃ、四谷」
「こっちは割と大変なんだが」
「すまん部長、すぐ上がる」
茅野は近藤の袖に手をかけ、同じように床と壁の接続部に掴まり直す。四谷もよじ登り、指をかけている。
通路の外側に出た事で、コースの外観がようやく明らかになった。
広く天井の高い倉庫の中、自動式のクレーンを中央に据え、多数のブロックが螺旋のように組み合わさっていた。
その姿は、モジュール構造で組み立てられた宇宙ステーションのようでもある。
ブロックの終点は天井近くの壁付けになっている。壁付けのブロックは3つ繋げてあり、大きめな窓も付いていた。
四谷達が辛うじてぶら下がっている現在のブロックは真ん中を横切っており、真下にブロックはなく、影の落ちた床は20メートルは下にある。
加えて、換気用のファンが中途に配置されている。ファンのブレードは文字通りの刃に加工されている為、ロープを伝って降りようとしても身体なりロープなりがたちまち切断されるか、回転軸に絡みつくかして無事では済まない。
『最終トラップ、地獄へまっさかさま』
合成ではない声が倉庫の中に響く。
「一本橋の橋を外してこれ自体を、落とし穴の罠にしたか」
「床にボードがかかっていたから、いつか開くとは予測していたが」
『やっと死ねるんだ。デスゲーマーにとっては、本望だろう? 近藤グループの令嬢、近藤三令さん』
「君、宝くじは買うか」
近藤が声に尋ねる。自分の名を把握されている事に、何の動揺もない。
『人には夢が必要だ』
「じゃあ、君とは話にならん」
『言いたい事は分かるよ、近藤嬢。宝くじの当たる確率、競技型デスゲームで死ぬ確率、どちらもかなり小さい。確率論を知らない愚か者って? だがね、世の中にはあるのだよ、確率ではあり得ないような不幸ってのが』
「それはなんだ?」
近藤は薄ら笑いを浮かべる。
「『生存の支援に関する法律』、通称『安楽死法』の成立前に発生した介護・医療破綻で、ケアマネージャーだったお前が、中重度の認知症患者を家に戻したい病院と、受け入れ拒否する家族の板挟みになった事か? それとも、その後の安楽死法成立で、今度は安楽死させたい家族と、受け入れない病院、パンクした公営支援施設と、何も分かっていない本人との間で絶望して、半グレ同然に堕ちたって事か?」
『……どこまで、調べた』
「現代で、適切な金か時間を使えば、割り出せない個人情報などない。違うか?」
声の返事はない。
「いやぁ、君は不幸だな。まったくもって、不幸な成り行き、不幸な立場だ。同情に値する、なあ四谷」
「ああ。だが、それだけだ。お前と同じ境遇だった者は30万人。そのうち、その件で反社会勢力に堕ちたのは、コンマ1パーセントにも満たない。不幸から脱するために人を傷つけるなら、それは悪でしかない」
『悪など立場によって代わる。双方に正義はあり、絶対の正義なんて――』
「『誰かの正義は誰かにとって悪』『絶対の正義なんてない』? いやぁ、ご立派、実に実に実にぃぃいい! 斬新な考え方、正義を気取る若造の目から落ちた鱗で、床を掃除するのが大変だ」
『茶化してごまかしたところで』
「ハッ、言葉遊びなら、カウンセラーの前でやれ。ここは日本だ。他者の身体財産への加虐行為が悪で、身体を癒やし財産を殖やす行為が善だ。善悪は手段に宿る。アンパンマンは、誰も傷つけず自らの血肉を与えるから尊く正義の体現者なのだ、彼が強盗でパンを用意していたなら、それは結局悪だ」
『私の担当の利用者は、特に酷かったのだ!』
「その頃は精子にもなってなかった我らが、それを受け止め謝罪して賠償する必要があるか? お前らの事は、お前らの中で完結しているのだ、たわけが」
『……大人を論破するのは、楽しかったか?』
窓が開く。
『時間稼ぎ成功』
スーツ姿の男が、初めて姿を見せた。
窓から身を乗り出す。その手には、上下二連式の猟銃が握られていた。
『こいつを使う事になると、思っていなくてね。弾を金庫に入れている事をすっかり忘れてたんだ』
言い終わらず、男は発砲した。
鳥打ち用の細かいが威力の小さい散弾。けれど、皮膚を破り肉を裂き、力を失わせるには充分な威力がある。
四谷が落下していく。
「わあああっ!」
「四谷!」
「撃ちやがった!」
第2射に間はない。
「ぎゃああっ!」
近藤が、茅野が落ちて行った。
『仕事に正義も悪もない。業務中は、専念するものだ』
「……はぁ」
男は中折れ式の機構で排莢、再装填する。今度は粒の大きな鹿撃ち用。手慣れた動作だった。
「また死体処理か、年明けだってのに」
散弾銃をロッカーに放り込み、PCを操作する。
四谷達を落としたブロックの床が閉じていく。
「デスゲーマーは最高ランクの死体監視対象だ。AI検死もこのままじゃ通らん」
完全に閉じた後、男のいるコントロールブロック側のドアのロックが解除された。
「息があれば止め刺してからクレイモアブロックにぶち込んで、傷口をロンダリングしてから、マッシャーで処理。うぇ……気持ち悪ぃ」
「そりゃ同情する」
「なに!?」
突如として。
目の前に現れた四谷が、男を思い切り殴りつけた。
「な、な、なあ!?」
頬を殴られつつ、男は飛び退く。
「何故生きてたか不思議か?」
「落とし穴は、我々が1番警戒するものだ」
近藤と茅野も現れる。
「掴まった後に狙撃されるのも想定内。当然、打たれるより前に自分から飛び降りる」
「命綱ではファンブレードを超えられん! デスゲーマー対策は完璧な罠だった!」
「あんだけブロックがあるんだ、真下に落ちなけりゃ、他のブロックに引っかかる事は容易い」
「馬鹿な! 確かに床に落ちた音が!」
「ありゃジャージだ」
落下の瞬間、暗闇へ落ちて行く四谷は、ジャージを横向きに投げていた。
その投げる反動、作用反作用の法則は、四谷の落下方向を斜めに修正、螺旋状に周囲に配置されたブロックに到達させた。
一方、超鋼ファイバーの編み込まれたジャージの重量は約40キロ。銃声と悲鳴の残響も混ざった中で、落下音の不自然さを聴き分ける事は不可能に近い。
「く……ククク、分かった、オーケイ。つまり、俺は追い詰められてるって訳だ」
男は引きつった笑いを浮かべる。
「取引――」
「オヤジの仇だ、喰らいやがれ!」
それ以上の言葉よりも先に、茅野の拳が男に叩き込まれた。
「な……!?」
至近距離、完全に追い詰められ戦意喪失した相手、にも関わらず。
「遅いなぁ」
カウンターで繰り出した男の拳が、茅野の腹部にめり込んでいた。
「格闘家……いや速すぎる」
近藤が間合いを取る。
「eゲーマーだな」
四谷は拳を構える。
「仕事の空白期間に、プロを目指していた時期があってね」
男はボクシングのファイティングポーズを取る。
「当然、脳に処理を短絡する措置、通称『RTA細胞移植』がされている」
茅野はうずくまり動けない。
「力の差が、大き過ぎる」
近藤が呟く。構えてはいるが、距離を詰める事が出来ていない。明確な力量差を理解出来るが故に、戦意を喪失している。そんな表情だった。
「悪役の正体を突き止めて追い詰めたら、後はイベント戦闘でハッピーエンド、そう思っていたか? 現実はクソゲーだ、今までのルートが無駄になる、ゲームバランス崩壊したラスボスが登場するなんて、ざらだ」
一気に四谷との間合いを詰める。
ジャブが耳、目、そして鼻を打ち抜く。
よろめく角度を見極め、避けるステップに先回りし、最適な位置取りをし、最適な攻撃を繰り出す。
殴り飛ばした運動エネルギーを無駄にしないように、すかさず反対側を打つ事で威力を倍加する。まるで、自分で柱を投げた後、その上に飛び乗るような、超物理的挙動。
(強い)
一方的に殴られながら、四谷は必死に意識を保ちつつ思考を巡らせる。
(こいつのパンチ力自体は一般運動部員程度。RTA細胞は、脳の論理を司る部分を高密度化していく人工プリオンで、アポトーシス機能がバグっている為、定期的に過増殖部位を切除しなければ、パーキソニズムが発現し死に至る。つまり『放っておけば死ねる』ので、安楽死許可が下りず、デスゲーム参加者と棲み分けられる所以だ)
骨がきしみ、肉が抉られる程の打撃。
(動きに無駄がなく、こちらの動きを確実に読み取っている、これはすなわち)
四谷は僅かに態勢を整え、拳を繰り出す。
(こちらの運動エネルギーを、全て利用され、相殺)
一呼吸前に放たれた、スローとも言える男の拳は、四谷のそれをぬるりと抜け、そのまま四谷の顎に到達する。
「おごぁっ!」
(茅野を1撃で沈めたのは、正にこれ、感情任せの全力大ぶりのパンチに合わせたカウンターだ。より大きな筋力を持つ蒲田なら、骨が砕ける。警戒もやむなしか)
顎を打たれ脳を揺らされる寸前、四谷は身体ごと大きく吹き飛び辛うじて意識を保つ。
だが、四谷の視界は揺れ、相手を捉えられない。
男は1歩踏み込んで来かけて、間合いを取る。
その時。
近藤がロッカーから散弾銃を掴んで殴りかかった。慣れない銃撃を信用しなかったのか、撃とうという動作を一切挟まない動きだった。
「怯えはブラフか」
しかし、男はこれをかわす。流れを一切止めず、むしろ最初から狙っていたような、近藤の斜め下からのスイング。
「練り上げているが」
男は半歩鋭いステップを繋いで間合いを詰める。散弾銃の台尻の有効打突範囲をずらし、近藤の逃げ場を確実に塞ぎ、最も有効な攻撃が出来る位置取り。ボクシングをしながら詰め将棋をすると称される、eスポーツプレイヤーの動き。
「所詮デスゲーマーは、無駄が多すぎる」
拳が近藤の腹にめり込み、地面に這いつくばらせた。
男は手早く近藤の肩を踏みつけ、脱臼させる。
同様に、四谷、茅野についても処理をする。
「油断はしねえ」
男は猟銃を取り、構える。
「なあ、あんた」
四谷が声をかける。
「時間稼ぎに乗るか」
男は言うなり、四谷の腹に狙いを定め引き金を引いた。
爆発にも似た銃声と共に。
「あぐ……」
顔面から血を流して倒れたのは、男の方だった。
暴発した猟銃から飛び散った破片が、男の顔面を切り裂いていた。
必ずしも致命傷ではない。
だがその隙は致命的だった。
その瞬間、四谷は足だけで起き上がりざま、動かぬ両手をそのままに肩でタックルを仕掛けた。
仰向けに倒れた男の反応の間を与えず、四谷は男の肩と腰骨を踏み割った。
「緒乃もそうだったが」
男は悲鳴を上げる。
「eゲーマーはドロップアイテムを信用し過ぎる」
ほとんど意識のない男に、四谷は続ける。
「1度でもデスゲーマーが触った銃の引き金を、そのまま引くヤツがあるか」
ドヤ顔で続ける。肩の脱臼の痛みを全然気にしていないそぶりを見せる。
「中折れ銃は単純な構造だ。ロック機構の不全が起これば薬室の閉鎖構造が崩れる。そして、発射薬の威力の半分は、バックファイアとして射手側に吹き出す。当然、威力の小さい弾は」
銃口には、ジャージの鋼線が絡められていた。
「こいつで防げる」
四谷のジャージには、鹿撃ち散弾がめり込んで停まっていた。
「止めに銃を使うのは分かっていた。お前の選択肢に、自分の手で敵の血肉を引き千切る事はないんだろう?」
四谷は1つ咳をして血を吐き、座り込んだ。
「eスポーツの戦術面は将棋に例えられるが、デスゲームは大局将棋に例えられる。コマの数と盤の広さが、違ぇんだよ。万一、これが上手く行かなくたって」
「……銃声がしましたが、無事ですか!」
その時、ドアが開き、岳辺達が乗り込んで来た。
「お前は、最初から詰んでた、んだ」
四谷は倒れ込んだ。
「……ここは、病院か」
四谷は目をあける。
「同じとこだよ。3分経ってない」
岳辺が、血で汚れたラテックス手袋を外す。
「えー」
「激しい運動の直後の胸骨骨折による呼吸困難、まあ、酸欠によるめまいだね。救急車が来るまで、姿勢を――」
「四谷ぁああああ!」
茅野がしがみついて泣きじゃくる。
「し、ひっ、し、死んだと、おもっ」
「痛い、痛い、痛い」
「えぐっ、ひっ……」
「死んでねえから、やめて」
「本当?」
茅野は四谷の胸にすがりついたまま、顔を見上げる。
「やっぱり、死んじゃうの、ダメじゃ。こんな事、やってたら、いつか」
「茅野、これはデスゲームじゃないぞ」
「地続きの事、じゃろ」
四谷は口ごもる。
「もう、やめて、お願いじゃから。お願いします、何でもするから、本当に」
「それは……無理だ」
四谷は大きく息を吐く。
「オレの両親は、介護・医療崩壊の時期に子供を諦めかけ、そして安楽死制度のお陰でギリギリ生む事を決めた。制度を維持するデスゲームを盛り立てる事が、使命だと思っている」
「そんなの、偶然じゃ。誰かに任せれば良い、四谷は、経験はあっても大した才能もない、トッププレイヤーに食い込んでもいない、並のデスゲーマーじゃろが。お前1人辞めたって、デスゲームは何も変わらん」
「大体のヤツが『これなら誰にも負けない』なんてレベルのものは、持っちゃいないだろ。オレはオレの枠の中で、一番大事なものを、続けたいだけだ」
四谷は茅野の頭を撫でる。ちなみに、肩は岳辺がついでにはめ直している。
「なあ、分かってくれないか。無理は出来るだけしないから。お前に反対されたままなのは、寂しい」
「それって……」
遠くから、救急車のサイレンが聞こえて来た。
「四谷」
スマホを操作していた近藤が、顔を上げる。
「春の大会の練習スケジュールを修正した。目を通しておけ。入院中も怠るな」
「おう」
午前3時20分。
広告代理店『株式会社日本電動通行』本社。
田津は、黙ってディスプレイを見つめる。
動画サイトとSNSに、次々と新着の情報がアップされていく。
その内容は、番組制作会社「ナナカマド」の実態。20年程前から、社名を次々に変えつつ、反社会的行為を繰り返した、その内容だった。
・2037年、どさんTVが現オーナーに買収される際、旧経営陣の辞任・株式売却に関わる脅迫。
・2039年、広告代理店『株式会社日本電動通行』の過労死問題のうち2件、告訴を予定していた元社員の家族について、無許可の自宅解体を手引き、滅失登記で住所不定とし、提訴不能に追い込む。
・2041年、でっち上げのバイトテロ動画を量産。広告代理店経由で、ネットの拡散、テレビ放映で広め、クレーマーを装った妨害行為も実施。標的になったコンビニオーナーを生活破綻させる。
同年、どさんTVのデスゲーム特番を制作したが、視聴率が振るわず、「確保」しておいたコンビニオーナーを「消費」する為に、ネット動画としてデスゲームを実施。全員を死亡させる。死なせる事前提の理不尽展開に、再生数伸びず。
これらのデスゲームはテレビ用に石狩に準備した倉庫で実施したが、設備が不充分で僅か4平方メートルの1区画しか許可が下りず。結局、他の区画で死なせた者を、その区画で死んだように捏造を繰り返してAI検死をクリアした。
当然、区画外での殺害は、安楽死同意があっても殺人となる。悪用を防ぐ為、自殺関与罪等は適用されない。
・2044年、どさんTVオーナーが、自分の新たな愛人とすげ替える為、当時の代表取締役に対し娘への加害をほのめかし脅迫。辞任させる。
・2050年。
どさんTVの年末特番のデスゲーム企画で、制作補助として、気絶した関ヶ原004のメンバー2名を、石狩のデスゲーム施設で殺害。「その後覚醒し、改めて勝負を申し出た」との虚偽でAI検死をすり抜け。
・その他、関係者による暴力、脅迫事件多数。
田津は、画面をじっと見つめる。
また、新しい動画がアップされた。
ミラー動画が、まとめ動画が、評論動画が、次々に上がっていく。
掲示板サイトで、スレッドが3つめになった。
「田津」
背後から声をかけられる。
次長は、田津の社員証をむしり取る。
「お前、ちょっと始発列車で焼身自殺して来い。家族には良いように言っておいてやる。それでニュース差し替えさせるから」
「……DTVって、3ヶ月前に次長から担当渡されたお客さんですよね」
「今の担当はお前だ」
「そうですね。無罪になるとは思ってませんよ」
田津は、にっと笑ってスマホを次長に見せる。通話履歴には、110番が表示されていた。
「田津、貴様ぁぁあああ!」
「流石は殺人が絡むと、早い、な」
オフィスのドアが激しく開き、警官が踏み込んで来た。
「……やっと、休める」
田津は大きな大きなあくびをした。
午前4時25分。
札幌市内のビジネスホテルのエアダクトの蓋が開く。
ジャージ姿の樽手高校デスゲ部の部長、高山理穂が、音も無く廊下に降り立った。
廊下を曲がった先のとある1室。
ドアの斜向かい、手前と奥側に、監視ドローンが吸着モードで天井からぶら下がっていた。
理穂は缶を立て、口を開く。
理穂の出す高周波に、超音波加湿器の要領で缶から激しい水蒸気が吹き上がり、天井付近に雲を作る。僅かにアルミのパウダーが混じったそれは、電磁波に幾何学調整されたノイズを混ぜ、デジタル通信を遅延させる。
同時に、廊下を走り、監視ドローンのカメラが向いていたドアの前に来る。
理穂は電磁ピッキングツールを差し込み、手早くドアを開く。
「お前!」
向かいの部屋のドアが開き、男達が飛び出して来るが、いつの間にかドアの脇にいた鈴井が彼らの顔に紙皿に載せたシェービングフォームを叩き付ける。
「目が、目がぁあああ!」
男達は顔のクリームを払い落としながらのたうつ。シェービングクリームには、赤い粉が混ざっていた。
理穂は改めて部屋の中に入る。
「おや、助けに来てくれたのは可愛い女の子なんだね」
「学生トップデスゲーマーの、理穂っちじゃん! ラッキー」
監禁されていたのは、関ヶ原004の生き残り2名だった。
「ご無事で何より」
続いて、カメラを提げた男が1人入って来た。
「早速ですが、インタビュー、お願いして良いですか? 独占配信で」
名刺を差し出す。
「私、日本の安楽死制度の取材を続けている、フリージャーナリストのジョン・スミスいいます。ちなみに、スミスは母音がIではなくYをあてまーす」
午前6時20分、新千歳空港の保安検査場近くの待合椅子に、どさんTVオーナーは腰を下ろし、紙の新聞を開いている。
現代ではほとんど見かけなくなった紙媒体だが、電子機器の利用が未だに制限を受ける空港では、まだ幾分需要がある。物珍しさも加わって、買っているビジネスマンもぽつぽつといる。
彼は搭乗券に視線を向ける。
7時30分。東京行きの始発便。
新千歳空港からの海外便はあまりに少ない。東京を経由した方が早い。
膝を揺らす。
時計を見る。やや角張ったアナログ時計は、6時22分を指していた。
また、新聞に目を向けた時。
がさり、音を立てて、新聞が押しのけられた。
「ここだったの」
どさんTV社長だった。
化粧は整っているが、衣類は寝間着だった。
彼女は隣りに座る。
「良かった。あのババアみたいに、切り捨てられるかと思った」
だぶついた袖から現れたのは、小ぶりな包丁。
「逃がさな――」
刃を突き立てようとした瞬間。
警備員が、警棒で彼女を殴り飛ばした。
彼女の手から包丁が転がった。
暴れる彼女を、複数の警備員が殴りつけ、戦意喪失まで追い込んだ末に、取り押さえた。
警備員らの迷いのない連携の取れた動きは、デスゲームプレイヤーのそれに近似していた。
「ん、あんた」
その場を離れようとするどさんTVオーナーを、野次馬の1人が、スマホに映る動画と見比べた。
午前8時。
「――確かに、僕らは、デスゲーム番組に合わせて結成されたユニットでした」
外国人の記者ジョン・スミスとのインタビューに、解放された関ヶ原004の生き残り2人は答える。
「形だけの安楽死申請で、死なないデスゲームをする。その説明の後、僕ら2人が呼び出され、追加の説明をされました。石田と小西をゲーム内で死なせ、その後追悼ユニットとしての売り出しが約束されていました」
「勿論、怪しいとは思ったよ。それが本当なのか。でも、ソロデビュー後鳴かず飛ばずだった身としては、チャンスを捨てる訳にはいかなかった」
「殺人の共犯の前科が付く可能性は、考えませんでシたか?」
「それ、あなたの方がよく知ってるでしょ? スミスさん」
「よくご存知で」
「教科書に載ってましたよ。日本のあの時の状況を国連で取り上げた功労者だって」
「だからあなたのインタビューも受けてるんだしね」
「ま……そういう事で、殺人の前科なんか、気にならなかった」
「だよね」
「そもそも介護、医療が破綻してから安楽死法が制定するまでの数年、家族宅に強制的に送りつけられて死んだ老人は1500万人。裁判所もパンクしていたから、保護責任を押しつけられた家族は、一律殺人で有罪・執行猶予付きの2年11ヶ月の特例判決。あの頃大人だった日本人、ほぼ全員が殺人前科持ちになって、履歴書でも省略されるからね」
「前科ついてない親の子は、逆に隠してたよ」
「だから、その状況を解決した安楽死制度は本当、大切だと思ってて。でも、制度だけじゃ不完全で。医療機関も受けない、公的施設もパンク。そんな中、全然儲けを出せないように縛られた民間安楽死事業に私財をなげうって参入して」
「役所が年齢しか見てないところ、彼らは意向の最終確認から、単身者の合葬まで背負わされて。資産家だからってどれだけ続けられたか」
「それをデスゲーム配信による収益化で、ようやく継続出来る制度にした、あの時の人達と、今も続けている人達を、本当に尊敬してる」
「あれがなかったら、今でも安楽死待ちで崩壊する家族、どれだけいたろうな」
「あんしんセンターって、1日に2人しか処理出来ないし、病院は医療崩壊前基準を守り続けるし、介護サービスは1日10万円だろ?」
「うん。介護保険ってのがあった時は、預ける施設もあったみたいだけど、今はないしね。そういう意味で、俺らは石田達の死を防げなかった事より、デスゲームの印象操作をするようなヤツに荷担しちまった事に、心からお詫びをしたいと思ってる」
「ああ。まさかあんなクソみたいな番組になって、しかもそれを主流にする為に、下らない工作を仕掛けて、デスゲ動画をディスるなんてな」
「あいつら、デスゲがなくなったら、自分達の家庭も崩壊するって可能性、ちっとも考えてねえんじゃねえ?」
「本当、ムカつくばっかりの話だ」
「でもテレビ局のえらい人も、逮捕されるだろ?」
「だよな。俺らみたいな、見逃したとかじゃなく、ちゃんとした殺人未遂だしな」
「でもぶち切れたテレビ局が、殺しに来るかな?」
「怖っ、記者さん、ボディーガード、良い人いない?」
「口利きは出来ますよ」
「やった、ラッキー!」
「しばらくは地下動画配信者かな」
「先に警察には行っとこうぜ」
「あ、そうだった。自首はしとこ」
「では、今日はどうもありがとうございました」
「あざしたー!」
「こちらこそ」
インタビュー動画は、NHKのネット、テレビの同時放送のニュースで引用され流された。
会社ぐるみの殺人事件として注目されたそのニュースは、テレビで視聴するものも多く、その視聴率はこの時代では珍しく、1.5パーセントを超えたという。