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ボクはヨリトモ ~最弱の自分が最強の武将~  作者: 御堂 騎士
第四章 平和への遠い道のり
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65.ヨリトモの夢

 建久元年(1190年)12月1日、後白河法皇に呼び出されたボクは右近衛大将に任命された。

 いきなり近衛大将拝賀の儀式をされてしまった。

 天皇家のそばで警護する親玉みたいなものだ。

 征夷大将軍の件は、すっかり無視されたようだ。



 とにかく、このままでは朝廷に取り込まれてしまう。

 12月3日、ボクは権大納言と右近衛大将を正式に辞任した。

 そして、帰る用意を急がせて、12月14日に京都を出発して2週間ほどで鎌倉に帰った。




 京都にいた時に、高位の職への任官のお返しとして、法皇の最愛の人だった慈子さんと過ごした法住寺殿を再建して欲しいと法皇からのお願いがあった。

 結局、その高位の職は辞任してしまったけど、ボクは法皇に再建を約束した。

 法住寺殿は木曽義仲に火を点けられて、燃え落ちてしまったんだ。


 最愛の人との思い出の場所が焼け落ちてしまったことでショックを受けた話を聞いてしまうと、そういう話に弱いボクには凄い効き目だ。

 はっきり言って、法住寺殿の再建が目的だったのなら、高位の職への任官なんて必要なかった。

 『法住寺殿は、オイラの宝物だったんだ』と言ってくれれば、それだけで十分だった。

 法皇には、その感覚が理解出来なかったみたいで、出来る限り高位の官職を与えたかったみたいだ。


 建久2年(1191年)、チカ坊と大江広元の兄弟に命じて、法住寺殿の再建にかからせた。

 二人はとても優秀で、1年もかからずに再建が成ってしまった。

 後白河法皇は、大喜びで完成した法住寺殿に移り、そこを御所とした。


 ボクにも、礼状が送られてきた。

 チカ坊と大江広元は、連日歓待されて大変だったそうだ。

 京都にいなくてよかった。




 ただ、悲願を達成して気が緩んだのかな。

 建久3年(1192年)3月に後白河法皇が崩御した。


 すると、晴れて治天の君となった後鳥羽天皇が、ボクを征夷大将軍に任命してくれた。

 今更感が強かったけど、後鳥羽天皇的には何としてもボクに官職を与えて、朝廷の威光を示したかったんだろう。

 なので、ひとまず征夷大将軍の任を受けた。

 後白河法皇に対してだったけど、ボクが自分からこの官職を望んだことになっているし。



 そんなわけで、朝廷も武力ではなく官位でボクを臣従させようとしている。

 これはつまり、もうボクに戦を仕掛けてくる勢力はいないということだ。

 ボクがコトを起こそうとしない限り、もう戦争は始まらない。

 別にボクは日本を支配したいとも思わないし、マウントを取りたい人には取らせておく。

 そんなモノ、人の命や人々の安寧な暮らしに比べたら、ちっぽけなモノだ。


 ついにボクは、望んだ平和を手に入れたんだ。


 でも、あんなにしぶとかった後白河法皇が、悲願を達成したとたんに亡くなってしまった。

 ボクも気を付けないと。




 建久4年(1193年)5月、ボクは大掛かりな巻き狩りを執り行った。

 もう戦はやらないから、武士たちのガス抜きの意味合いが大きい。


 仇討ちのついでにボクを暗殺しようとした者がいたり、巻き狩りの途中では色々あった。

 でも、ボクの護衛は最強だ。

 少々のアクシデントは、ガス抜きのうちだ。

 みんな楽しんでくれたと思う。


 そんなことよりも、もっと重大な事件があった。

 ボクの息子の頼家が、初めて鹿を射止めたんだ。

 その日の晩は、お祭りになった。

 俗にいう矢開き(やびらき)だ。

 赤、黒、白の三色の餅を作り、山の神様と矢口神にたむけて、武運を祈った。

 そして、その餅を一の口、二の口、三の口などと言って三人の御家人に食べさせた。


 とにかくもう、嬉しくて目出たくて、飛び上がってしまいそうだった。

 本当にボクの一生の中で、一番幸せな時と言っても過言じゃなかった。


 それで、鎌倉でお留守番をしている政子ちゃんにも伝令を飛ばして、このことを伝えた。

 政子ちゃんからは、冷たい返事が返ってきた。

「武士の嫡男なんだから、これくらいのことは当たり前です。

 わざわざ使いを出して伝えるほどのことではありません」

 うーん、相変わらずだ。


 きっと鎌倉でもお祭り騒ぎで祝っていることだろう。

 本当に、ツンデレなんだから。




 まあ、そんなわけで、ボクの夢がかなったということでこのお話はお終いにしたい。

 鎌倉幕府は、ボクで持っていると言う人がいるけど、そんなことはないさ。

 義時君がドンドンしっかりしてきているし、頼家も立派に育ってきた。


 弟の義経が、蝦夷地よりももっと北で闘いの日々に明け暮れるって言ってたけど、いったいどこまで行って、何と戦っているんだろう。

 ちょっと気になるけど、まあ好きなようにやらせておけばいいさ。

 戦いが嫌いなボクには、理解不能だから。




※実際にはヨリトモの死後、鎌倉幕府は内紛に明け暮れて、ヨリトモの子供たちは非業の死を遂げる。

 しかし、鎌倉幕府はヨリトモの理想のもとに、争いごとの解決は幕府の訴訟機関が担当することになった。

 これによって、それまでは武力で解決していた事柄も幕府が裁定を下すようになり、日本全体では随分と平和になった。

 このおかげで、鎌倉幕府は百年以上も続くこととなった。

 室町幕府も江戸幕府も、鎌倉幕府に習って、この幕府が裁定する制度を踏襲した。


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