5.北条家の居候
伊東祐親に殺されそうになったボクは、伊豆山権現社に逃げ込んだ。
今日も逃げるにせよ、しばらくここに匿ってもらうにせよ、慎重かつ大胆に動かないといけない。
お腹も空いていなかったけど、何か食べておいた方がいいだろう。
そこで、朝御飯をもらって食べていると、隣にお坊さんが座った。
「お主、天下を治める武力の権化となる相をしておる」
うおっ、いきなりなんだ? この坊さん。
ボクは、これからの身の振り方を考えるのに一杯いっぱいなんだよ。
そんな、下らない話に付き合ってはいられない。
「いや、ボクは伊東の地で武将の娘さんと深い関係になって、それに怒った父親に殺されそうになって、ここに逃げてきた小物です。
そんな大層な者では、ありませんよ」
「拙僧は、文覚と申す修験者じゃ。
厳しい修行を経て、刃の験者と呼ぶ者もおる。
拙僧の人を見る目は、星の運行のごとく確かじゃ」
「そんな、すごい人に見込まれて光栄ですね」
ボクの返事は、棒読みになってしまう。
「拙僧は、後白河法皇の逆鱗に触れて、伊豆に配流となったのじゃが、後悔はしておらん。
じゃが、こやつが拙僧に『悔しい、悔しい』と訴えかけてくるのじゃ」
そう言うと、突然文覚と名乗る坊さんは、懐から頭蓋骨を取り出した。
うわっ、人が飯食ってる横で信じられん。
引いているボクを無視して、坊さんは話を続ける。
「これは、15年前に京都で平家を倒そうと立ち上がって、志半ばで殺された源義朝殿のしゃれこうべだ。
苔まみれになっていたのを、獄舎の番人から貰い受けたのだ。
このしゃれこうべが、お主こそ平家を討つキーパーソンだと語っておるのじゃ」
ま、まじかよ?
その話が本当だとしたら、この坊さんも親父も、ボクを買いかぶり過ぎだ。
だけど、伊豆山権現社で、文覚上人の話を聞いてちょっと元気が出た。
ウソかホントかは別として、ボクが立てば平家を倒せると言われた。
平家を倒すは大袈裟としても、万一にでも伊東祐親を倒せたら、ボクとしては大満足だ。
ボクの心中は複雑だった。
伊東祐親は、息子の仇であり、愛する八重姫の父でもある。
ただ、生まれて初めて血がたぎる思いをした。
平家に睨まれるのが怖いのは分かる。
でも、だからと言って自分の孫でもあるのに、可愛い千鶴丸を殺してしまうなんて。
伊東祐親だけは、許せない。
何度か会ったこともあるんだけど、いけ好かないオヤジだったからな。
美しくて素直な性格の八重姫が、あんな奴の血を引いているなんて信じられない。
それにしても、平家打倒までは考えないけどね。
大体、伊東祐親を許せないといっても、ボクにはどうすることもできない。
ただ、殺されないように逃げるだけだ。
ああ、文覚上人の印象が強すぎて、話がそれてしまったな。
とにかく、ボクは一週間ほど神社で過ごした後、一緒に逃げてきたモリちゃんの勧めもあって、北条時政のお屋敷に匿ってもらうことになった。
ボクたちに情報を与えてくれた伊東祐清が、ここでも話をつけてくれた。
でも北条時政って、奥さんは八重姫のお姉さんなんだよね。
伊東祐親って、息子がボクを逃がして、娘婿がボクを匿うことになる。
親族の裏切りで、恨み骨髄のボクを取り逃がすことになるんだ。
ただしそれは、北条時政が伊東祐親に通じてなければだけどね。
ボクは、いつ裏切られるかドキドキだったけど、もうここしか逃げ場所は無かった。
もし裏切られて伊東祐親に引き渡されても、ボクは覚悟を決めていた。
もう千鶴丸にも八重さんにも会えないなら、生きていても仕方ないと思ったのもある。
数日後、ボクの監視役を伊東家から北条家に移すとの連絡書を持った使者が京都に向かって旅立ったと、モリちゃんから聞いた。
これで一安心だ。
自分から申請して監視しているのに、ボクを以前の監視役に引き渡すなんてしないはずだからね。
「しっかし、あの恐ろしい伊東の親父の娘をはらませるとは、本当に恐れ知らずだな。
お前は、すごいやつだ。
ワシの娘は、たぶらかさんでくれよ。ワッハッハ」
この時点では父ちゃんでも何でもない、北条時政が豪快に笑った。
「はい、心に刻みます」
この約束は、後に反故にされる。
北条のお屋敷では、自由に過ごすことが出来た。
なんと、外出することもできたのだ。
安達盛長ことモリちゃんも、ボクの家来として部屋をもらった。
北条の家来たちと一緒に、巻き狩りに行くことさえできた。
※巻き狩り
この時代の武士や貴族の娯楽。
鹿や猪などが生息する狩場を多人数で取り囲み、囲いを縮めながら獲物を追いつめて射止める狩猟のこと。
さすがに、1カ月くらいは息子を殺された悲しみで、心を閉ざしていたんだろう。
その間のことは、何も覚えていない。
ただ起きて、食事をして寝るだけ。
何度か誘われて巻き狩りにも行ったが、参加していただけだった。
「いやあ、ヨリトモ殿は源氏の嫡流と聞いておったが、少し腑抜けのようじゃのう」
何人かに、馬鹿にしたように言われたが、聞き流した。
何を言われたって心は動かないし、自分から何かをしようって気にもならない。
まさに、『生きているんじゃない、死んでないだけだ』状態だった。
「ヤーッ、ターッ」
ある朝、女子の掛け声で目が覚めた。
ボクは起き上がると、声のする方に廊下を渡って行った。
大きな中庭で、おかっぱ頭の女の子が薙刀を模した木の棒を振り回して鍛錬している。
可愛いなあ、デヘヘヘ。
い、いかん、いかん。
千鶴丸は殺されちゃったけど、八重さんがどうなったかも分からないんだ。
ほかの女の子に、うつつを抜かしている場合じゃない。
でも、チョッとドキドキした。
ボクは、そそくさとその場を去った。
しかし、子を失った悲しみから抜け出せたのが可愛い女の子を見たのがきっかけだなんて、さすがボクだ。
その翌日は我慢したが、2日後はまた見に行ってしまった。
今回は、ちょっと部屋を移動するために渡り廊下を渡っていたら、鍛錬する様子が見えてしまいました風に行ってみた。
「若。北条政子様を気に入ってしまいましたか?」
ちょっと行ったところで声をかけられて、取り乱す。
「も、も、モリちゃん。そ、そんなんじゃないから。
ちょっと、こっちの方にはどんな部屋があるのかなあって、見に来ただけだから」
「しかし、若。こっちには、北条家の人たちの私室しかありませんよ。
誰かに用事でもあったんですかい?」
「い、いや、そ、それはだな……」
「若。政子さま可愛いですよね」
「おお、そうだよなー。
朝から、一生懸命棒切れを振り回して、汗びっしょりになって。
本当にかわいいよなあ」
「そうやって、すぐ本音が駄々漏れになる若、俺は大好きですよ。
立ち直られたみたいで、安心しました」
「い、いや、モリちゃんだから本音を言っただけだからね。
ボクは切れ者だって、八重さんも言ってただろ。
ああー、八重さん無事かなあ。
伊東祐親のやつ、孫を殺しちゃうんだもんなあ。
八重さんのことも心配で仕方ないよ」
「若、八重姫はきっと無事ですよ。
いくら何でも、自身の三女をどうにかしたりはしないですよ。
千鶴丸様は、源氏の嫡男になってしまいますからまずいですが、八重姫は伊東家の三女です。
家族を守らない家長は、尊敬されません。
多分誰かの所に嫁がされているとは、思いますが」
「そうだよなー。そう願いたいよ」
他人の妻になってしまうのは悔しいけど、生きていてくれたら、また会えるかもしれない。
ボクは、モリちゃんと一緒に自分の部屋に引き返した。
帰りの廊下でも、しっかり政子ちゃんの汗に濡れた姿を目に焼き付けて部屋に帰った。
北条時政さんからは、娘に手を出すなと言われたけど、鍛錬を眺めちゃダメとは言われていない。
それからも、2日に一回は政子ちゃんの朝の鍛錬を見に行った。
北条政子と出会ったヨリトモ。
二人の間は、果たして……
と言っても、歴史を調べれば分かっちゃいますね。
当面の間、「ばくやく令嬢」の更新の無い月水金に、更新していく予定です。