4.稚児ヶ淵の悲劇
八重さんは、ボ、ボ、ボクを信じてくれている。
信頼に応えなくてはと思ったが、布団が小さい。
襦袢だけしか纏っていない八重さんが、すぐ隣に入って来た。
すべすべの肌が、背中に当たる。
「ヨリトモ様、なぜそちらを向いておられるのですか?
こんな状態では、お話もできませんが」
八重さん。素でボケておられますか? 天然ですか?
「や、や、八重さん。
男は、オオカミなのです。
そっちを向いたら、ボクはオオカミになってしまいます」
「まあっ、優しいヨリトモ様がオオカミって、想像もつきませんけど」
ツツーッと背中に指を這わされた。
ヒィーッ、り、理性が吹っ飛ぶよー。
「や、八重さん。だ、ダメです。
ただでさえ魅力的なのに、同じ布団に入ってオイタをされては、いくら大人しいボクでも我慢の限界です」
ボクは、くるっと回って、八重さんの方を向く。
艶々とした美しい顔が、視界に入る。
こ、これはもう、ダメかも知れん。
「限界なのですか?」
キョトンとした顔で聞かれる。
「はい、限界です」
「どうしても我慢できないのでしたら、私は構いませんよ」
え、ええーっ?
そこまで言われてしまっては、もう無理だ。
言ってしまう。
「ど、どうしても我慢できません」
返事がない。
ボクは、八重さんの襦袢の前をはだけさせる。
八重さんは、目をつぶってプルプルと震えるだけだ。
暗くてよく見えないが、一つだけ言わせてもらおう。
美しい。
待てっ。
待て、ボク。
彼女は、ボクの見張りを任されている伊東祐親の娘さんだぞ。
手を出したら、タダではすまない。
源氏の棟梁が、手を出した娘の父親に殺されるなんて、いくらなんでもカッコ悪すぎる。
理性が復活して、ボクの動きが止まる。
「ヨリトモ様、どうされましたか?」
目をつぶったままの八重さんが、聞いてくる。
2つの大きなふくらみが、目の前でプルンと弾ける。
ウ、ウオオオーッ。いくらなんでも、これを我慢するのは、無理だーっ。
その夜、ボクたちは大人の関係になってしまった。
一度そのような関係になってしまうと、もうダメだ。
二人っきりになると、いけないことをしてしまう。
しばらくしてボクと八重さんとの間には、男の子が出来た。
ボクは大喜びだったけど、蛭ヶ小島から外には出られなかった。
八重さんが連れて来てくれる週2回くらいしか、息子には会えなかった。
でも、会うたびにスクスクと大きくなっていった。
千年も長生きできるようにと、千鶴丸と名付けた。
ハイハイ出来るようになり、片言を話せるようになり、つかまり立ちできるようになった。
自分で立てるようになり、歩き始めた。
可愛い。父と兄が殺されて、何とか助かった自分にこんなかわいい子供が出来るなんて。
本当に幸せな日々だったが、長くは続かなかった。
5年前(西暦1175年)に伊東祐親が、京都の警護の仕事を終えて帰ってきた。
奴は、自分の留守中に娘が源氏の子供を産んだことに怒り狂ったそうだ。
もしかしたら、京都でも情報をつかんでいたのかも知れない。
怒りに任せてボクたちの子供を殺してしまった。
川に投げ込んだらしい。
ボクの子供千鶴丸は、鶴の千年どころか、本当につゆ草のように短い生涯を終えてしまった。
幽閉されていたボクは、息子が殺されたというのに、そのこと自体を知る由もなかった。
モリちゃんから教えてもらって、その時は怒りよりも悲しみの方が大きかった。
本当に可愛かったのに。
やっぱり謀反人の子供のボクは、子供を作ったり人並の幸せを求めちゃいけなかったんだ。
そう考えると、すごく落ち込んだ。
モリちゃんと二人で打ちひしがれていると、突然の来客があった。
扉をドンドン叩いて、すごい音だった。
来たのは、伊東祐親の次男、祐清だ。
「ヨリトモさん、すぐに逃げてください」
「ええっ? どういうこと?」
「父上は、妹(八重)に手を出したあなたを殺そうと、人を集めています。
直接殺してしまったら平家に申し開きしにくいので、今晩この家は野盗に襲われて、あなたは死んでしまうという筋書きです」
「ドヒャー。
そ、それで、どうしてそんなことを教えてくださるんですか?
「私の奥さんが、あなたの乳母である比企尼の娘なのです。
比企尼から、父上があなたを害そうとした時には助けるよう頼まれていたんです。
確かに伝えましたからね。私は、これで」
祐清は、つむじ風のように去って行った。
確かに、長居していたら彼も危ない。
ボクは、モリちゃんと二人で蛭ヶ小島から逃げ出すことにした。
でも、京都育ちで関東に来てからは引きこもりっぱなしだったボクには、どこに逃げたらいいのかわからない。
モリちゃんが馬を用意してくれたので、暗くなると同時に逃げることにした。
そのころ、比企能員が度々お金を持ってきてくれるようになっていたけど、使い道がないので伊豆の走湯権現に大部分を寄進していた。
ボクは、寄進しまくっている伝手を頼って、伊豆山(走湯山)の伊豆山権現社に逃げ込んだ。
修験者がたくさんいて強そうだし、しばらくは匿ってもらえるかもと考えた。
夜明け前に神社に着いて、少し寝た。
見張りの目を離れて、外に出るなんて何年ぶりのことだろう。
少しうれしかったが、とても不安だった。
今までは、自由は無かったけど安全だった。
これからは、自由だけど生きていけるかどうかは、自己責任なんだ。
あとがき
副題の稚児ヶ淵は、神奈川県藤沢市のものではなく、静岡県伊東市にある方です。
「朝霧に咲きすさびたる鴨頭草の日くるるなへに消ぬべく思ほゆ」
という歌を刻んだ石碑が残っています。
「朝露を受けて咲き誇っていたつゆ草が、日暮れとともにしぼむように、日暮れとともに身も消えそうに思われる」
という解説の石碑も。
千鶴丸を失った、頼朝か八重姫の心情を表しているのでしょうか?
このお話の中で八重姫の別名が朝露の君というのは、ここから持ってきたものです。