30.よし、バシッ
「八重さん。どうしてこんなところに?」
ボクは、久々に再会した八重さんに思わず聞いてしまう。
「はい。ヨリトモ様と別れさせられてから、私は江間小四郎さまと結婚させられてしまいました」
「あっ、江間の地は、今はワシが管理しております」
義時君が、話に割り込んでくる。
八重さんは、彼のいとこだからなあ。
気になるんだろうな。
八重さんは、話を続ける。
「小四郎さまは、此度の戦でお父さまと一緒に戦われたのですが、討ち死にしてしまいました。
江間の領地は、主を失って混乱を極めました。
私は元々伊東家から厄介払いされたような身の上ですから、ずっと居心地は悪かったのですが、もう無理だと思って逃げ出しました」
「江間の領地を治めるのはワシですから、今後は八重さんを無碍に扱ったりしませんし、させませんよ」
義時君が、一生懸命アピールしている。
「そうかも知れませんね。
でも、私は逃げ出してしまいました。
心細かった私は、せめて一目だけでもヨリトモ様に会いたいと思って鎌倉の地にやって来たのです」
「えっ、でも、切り通しの峠を超えてこの坂を下ってきていましたよね。
それは、鎌倉から出て行こうとしていたのではないですか?」
ボクは、こんな日に鎌倉にいなかったことを後悔しながら言ってみる。
お姫様が、お付きの者も付けずに一人で鎌倉にやって来たんだ。
それは、すごい覚悟で来たんだと思う。
「ええ。一目だけでもお会いしようと思ったのですが、近くでお聞きしたところ、お屋敷に北条政子様をお迎えになって仲睦まじく暮らしておられるとのことでした。
娘さんも生まれて、お幸せそうで良かったです。
今更私が姿を現しても、ヨリトモ様を困らせてしまうだけだと思い直して去っていくところでした。
でも、最後に一目だけでも会えて……、会えて、ほ、本当に、グスッ、良かったです」
八重さんが、涙ぐんでいる。
「八重さん」
ボクは、思わず抱きしめてしまった。
八重さんが震えている。
まだ冬だ。心だけでなく、体も本当に寒かったんだろう。
「大丈夫。大丈夫だよ。ボクが何とかするから」
思わす口走ってしまった。
義時君が焦ったように言う。
「兄上。あ、姉上が何というか……」
「若。政子様が何と言おうと、俺はヨリトモ様に従いますから」
モリちゃんが、義時君の前に立つ。
「でも、姉上の立場というものが」
「若は、源氏の、いや坂東武者の棟梁となる方だぞ。
側室の一人や二人いても、何の問題もないだろ」
モリちゃんが言い切る。
だが、義時君はマジ顔で言い返す。
「ワシも、ヨリトモ様が一人や二人の側室を持つことには文句は無いです。
ただ、八重さんというのはちょっと拙いんですよ」
うっ、こんなことで家来が対立するなんて拙いぞ。
「義時君も側室を持つことに賛成なら、問題ないんじゃないの?」
ボクは、意味が分からず聞いてみる。
「兄上は、坂東武者の序列というものを分かっておられません」
「序列? 僕たちは今、朝敵だよ。
世の中の序列とは一番遠い位置にいるんだよ。
それに北条家は御所に住んで、ボク的序列第一位じゃないか」
「いえ。兄上がどう思われようとも、坂東武者にとっては北条家は弱小のポッと出の武家なんです。
それに対して、伊東家といえば伊豆地方の東を治める由緒正しい家柄です。
もし姉上と八重さんが、両方男の子を生んだとします。
兄上の跡取りをどうするかとなった時、姉上よりも家格の高い八重姫との息子が選ばれるのが道理です」
※この時代には、家督を継ぐのは必ずしも長男という訳ではなかった。
ボクは、戸惑う。
「そ、そうなのか。
でも、今の八重さんを見捨てるなんて、ボクにはできない。
何とかならないかな?」
八重さんが、泣きながら訴えてくる。
「ヨリトモ様、もう私のことはお忘れください。
こうやって一目会えただけでなく、抱きしめていただいて……
もう思い残すことはございません」
「お、思い残すことは無いって、そ、そんな……」
まさか、死んじゃう気なんじゃ。
伊東祐親に会う時に会話を記録するために同行していた文官の伏見広綱君が、恐れながらと進言してくれる。
「伊東八重様なので、問題になるのでしょう。
それでしたら、亀(の坂)の前で拾った遊女ということで、亀の前とお呼びになってはいかがでしょうか?」
「おっ、それは名案だ。それで行きましょう、若」
モリちゃんは軽く言い切ってしまう。
「いやそんな。姉上だって八重さんのことは、ワシのいとことして良く知っておりますし……
万一バレた時のことを考えたら、恐ろしすぎます」
「義時君、何を怖がっているんだい?
ボクは源氏の棟梁だよ。
妻一人言うことを聞かせるくらい、わけないよ」
「あ、姉上は、平兼隆との婚礼の場から逃げ出して、兄上と結ばれるほどの激情家ですよ。
本当に言うことを聞かせられるとお考えですか?
坂東武者として強い胆力を持つ父上でさえ、姉上を抑えられないんですよ」
そう言われると、ちょっと心配になってくるな。
「だ、大丈夫だよ。
バレないようにすれば良いんだよ。
八重さんも、伊東家の娘だって隠すことに問題ないよね?」
「ヨリトモ様のおそばにいられるなら、誰の娘でも構いません。
でも、ご迷惑をかける訳にはまいりません。
やはり、このままお別れした方が良い気がします」
「ダメだよ。
十年以上も蛭ヶ小島に幽閉されて、ボクは本当に息をしているだけで生きていなかったんだ。
ボクに生きる意味と安らぎを与えてくれたのは、八重さんなんだ。
そんな八重さんが一人で困っているのに、ボクが何もしないなんて有り得ない話だよ」
「で、でも……」
「ボクは源氏の棟梁だよ。
政子ちゃんに言うことを聞かせる前に、八重さんに言うことを聞かせるよ。
八重さん。ボクに付いてくるんだ!」
「は、はい。分かりました。ヨリトモ様」
八重さんが、涙にぬれた顔でニッコリしてくれた。
ついに八重さんの笑顔が見れたボクは、胸がいっぱいになった。
「兄上がそこまでお考えならば、ワシももう反対しません」
「よしっ、これで決まりだな」
納得顔の、義時君の肩をバシッと叩く。
「よし、バシッ、ということで、『亀の前』様の親は良橋太郎入道ということにいたしましょう」
伏見広綱君が、ダジャレで親の名前まで決めてしまった。
彼は、中々優秀みたいだな。
後で、鎌倉に呼び寄せよう。
もう夕方だったけど、ボクたちは八重さんも馬に乗せて、義時君の領地になった江間に向かった。
江間の地には、前領主の江間小四郎の関係者は逃げ失せてもういなかった。
そのお屋敷を使うことにして、八重さん、今回の作戦参謀である伏見広綱君、義時君のほか、義時君の護衛を数名残して、ボクとモリちゃんは鎌倉へと急ぎ馬を走らせた。




