1.蜂起の時
読者の皆様は、源頼朝にどんなイメージをお持ちだろうか?
鎌倉幕府を開いて征夷大将軍になり、徳川の世の終わりまで700年近くも続く武士の世の礎を作った?
ボクが日本史の先生で、歴史の知識を聞いたのなら百点満点の答えだね。
軍事の天才で悲劇のヒーロー源義経をいじめて殺した、冷酷な兄貴?
ひどいなあ。ちょっと誤解があると思うな。
北条政子の尻に敷かれて、最終的にはその北条家に権力を奪われてしまうチョロいやつ?
うーん、これもひどいな。まあでも、大きく外れてはいないかな。
源頼朝について歴史の教科書以外では、驚くほどポジティブなものが少ないんだよね。
ボクはヨリトモ。
平安時代末期の混沌の時代を、生き抜くだけで精いっぱいだった。
ボクのことを好きになってくれとは言わないけど、ボクはボクなりに頑張ったんだってことだけ、分かってくれたらいいかな。
ボクは、残念ながら女の子に生まれたら美人だったんだろうけど、ひ弱な男の子だった。
血で血を洗う権力闘争とかあるのに、こんな弱っちい体に可愛い顔では、世の中を渡っていくのはしんどい。
12才の時に、同じお母さんから生まれたお姉ちゃんが、上西門院という名前になった。
ボクはその蔵人つまり、事務とか雑務をする役職をもらった。
事務のお仕事を頑張って、可愛い奥さんをもらって子供は二人位。
慎ましく生きていくのが、ボクの夢だった。
その夢も14才の時に破れた。
ボクは、源氏の棟梁の息子だったから?
オヤジのギャンブル失敗が原因だな。
オヤジが、平家に反乱を起こして失敗した。
ボクは、オヤジに無理やり連れていかれて、参戦した。
トロ臭かったボクは、途中ではぐれちゃったおかげで殺されずに済んだけど、しっかり捕まった。
勇ましかったオヤジと二人のアニキは、殺された。
助命嘆願とかあって、ボクは命だけは助かった。
本当のところは、平清盛のおっちゃんがボクのことをよく知っていたから、命を助けてくれたんだ。
事務能力はあるけど、戦う男じゃないって知ってたから。
でも、謀反を起こせないようにって、伊豆地方の狩野川の中州の上に建った家に幽閉された。
ボクは父と兄亡き後、源氏の棟梁と言われたけど、名前だけだったようだ。
家来は一人も付いてこなかった。
その幽閉された家で、ボクはずっと引きこもってた。
20年間だからね。ボクの引きこもりは。
はっきり言って筋金入りだよ。
ただ、現代の引きこもりとの最大の違いは、食事も粗末だったせいで太らなかったことかな。
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「若、どっしりと構えて、ここにお座りください」
ボクは、用意されたイスに腰かけて一生懸命ふんぞり返る。
遠くに富士山が、そびえたって見える。
「モ、モリちゃん。こ、これでいいかな?」
「はい。その引き締まった顔を、ずっと続けてくださいね」
緊張するボクの真横に立って、安達盛長、モリちゃんが元気づけてくれる。
真夏なんで、すごく暑い。
昨日の大雨で湿気もあって、汗が垂れ落ちてくる。
そういうわけで、治承4年8月17日、ボクは挙兵した。
というか、坂東の武士たちが挙兵するのに、その棟梁にすえられてしまったというのが正しいかもしれない。
※治承4年 西暦でいうと1180年。
鎌倉幕府の成立は、頼朝が征夷大将軍に任命された1192年説、朝廷から実権を奪った1189年説、平家の滅んだ1185年説とならんで、この蜂起した1180年とする説があります。
なぜ1180年と言われるかは、ネタバレになるのでここでは未だ書きません。
(知ってる人は知ってるし、ちょっとググったら分かることだけどね)
ボクは伊豆にある北条のお屋敷の中庭で、イスに座って指揮をとる。
できれば、戦いたくない。ボクは弱いし。
第一目標は、伊豆目代の平兼隆をやっつけることだ。
※目代
朝廷の任を受けて、その土地の徴税権を持つ。
後の世では大名と呼ばれるような地方豪族が、在庁官人として目代に使われていた。
地方豪族たちは実質的にその土地の権力者なのに、徴税権は平家任命の目代が持つ。
これで、北条をはじめとする坂東武者たちは不満を募らせていた。
「父ちゃんたち、敵の屋敷に行ったら気を付けてね。
数はこっちの方が少ないんだから、奇襲攻撃が成否を分けるからね」
ボクは、先頭に立つ北条時政父ちゃんに声をかけた。
「おう、むこどの。分かったぜえ。
しっかり奇襲して来まさあ。
火をつけりゃいいんですな」
塩を付ける? まさか敵を食べちゃったりしないよな。
どうも、まだ関東弁に慣れない。
モリちゃんとかカゲトキとかを別にすると、この辺の人たちとコミュニケーションをちゃんと取り出したのって、ここ数年のことだもんな。
「うん、気を付けてね」
一応ボクがこの集まりの中での首謀者であり、みんなをまとめているわけだけど。
この戦闘集団の本当の頭と言っていい、ボクの義理の父である北条時政が、辺りに響き渡る声で口上を述べる。
「帝に仇なす逆賊、平清盛を討ち果たし、我ら坂東武者の名を天下に轟かせる時がやって来た。
ワシらの頭は、我が娘婿のヨリトモ殿だ。
ヨリトモ殿は、天皇家の血も引く河内源氏の嫡流中の嫡流。
ずっと大きい顔をしていた地方役人どもも懲らしめて、わしらの地をわしらが収めるのだーッ!」
「「「オオーーッ」」」
すっげえ男たちの雄たけびが、地鳴りのように響き渡る。
※坂東武者
現在の関東地方1都6県が、このころは坂東8箇国と呼ばれていました。
その坂東地方の武士たちを坂東武者と呼びます。
荒々しく馬を乗りこなし、乗馬しながらの弓の技術に長けていたそうです。
あれっ? なんか話が変わっているような……
地方役人どもを懲らしめて、伊東祐親をやっつけて、奥州藤原氏みたいにこの辺を坂東武者で統治するんだったよね。
それが出来たら、守りを固めやすい鎌倉に引きこもる作戦だったよね。
清盛公をやっつけるとか、そんな話聞いてないんですけど。
大体、北条家の戦力って何十騎レベルだけど、平家の兵力って何十万騎レベルだから。
まあ、みんなを鼓舞するための口上として、聞き流しましょう。
実はボク、ちょっと前に結婚した。
相手は、北条時政の娘政子ちゃんだ。
20年の引きこもり生活は色々あったんだけど、実はそのうちの15年間は伊東祐親の用意した家に住んでいた。
三女の伊東八重ちゃんと良い仲になって子供が出来たんだけど、それが原因で伊東祐親に殺されそうになって、北条の家に逃げ込んだんだ。
そこでもまた、政子ちゃんと良い仲になってしまうんだから、ボクってすごいのかなって勘違いしそうになる。
それはおいといて、政子ちゃんとボクが好き合っていると気づいた時政父ちゃんは、娘が傷物になる前に嫁に出すことにした。
その相手が、平兼隆だったんだ。
婚礼当日に、お嫁さんを奪い取った形になっちゃった。
とにかく、すごく恨まれているから、ここから叩くことにした。
本当は、時政父ちゃんが、
「あいつは、『平家にあらずんば、人にあらず』とか言った平時忠の腹心なんだ。
思い上がりやがって。
あいつから、やっつけてやる」
とか言って聞かなかったんだけど。
夜になった。どんどん暗くなっていく。
だいぶ前に出発した時政父ちゃんたちは、まだ帰ってこない。
やっぱり、戦は数だよな。
ウウッ、平兼隆の住んでる山木館って、すごく守りが固いって言ってたよな。
守備隊が百人以上いるってことだ。
ボクたちの攻撃部隊は、馬に乗っているとはいえ、全部で五十騎だ。
父ちゃんたちがやられてたとしたら、敵軍は馬に乗って攻めてきて、そろそろ着くころだよね。
ドキドキする。
中庭には、かがり火をたいて夜の戦いに備える。
様子見に、2部隊十騎ほど出発させる。
ちょっと、キョドってるのが見えちゃったかな?
「若、どっしり構えておいてくださいよ」
モリちゃんから注意を受ける。
「で、でも、もし今ここを攻められたら、警護が手薄じゃね?」
「大丈夫です。俺たちがいます」
「い、いや、モリちゃん達が強いのは分かってるけどさ。
ボ、ボク、めっちゃ弱いし。
攻め込まれたときに、かがり火に照らされた真ん中に座っていたら、弓矢で狙い撃ちじゃね?」
「ハッハッハ、大丈夫ですよ、若。
俺たちが身を挺して守りますから、若には矢は当たりません」
いや、モリちゃん達が弓矢で倒れても、やっぱりボクを守る人がいなくなっちゃうじゃん。
そう思いつつも、どっしり構えろと言われているので、黙る。
どれくらい経っただろう。もう、真夜中だ。
怖いせいか、眠くならない。
ドキドキしながら座っていると、「ウオオオーッ」って歓声が上がる。
まさか敵襲? と焦ったが、味方の声だ。
「若、あちらをご覧ください」
モリちゃんの指さす先を見ると、夜空が赤く染まっている。
平兼隆の住んでる山木館の方角だ。
そうか、山木館が燃えているってことは、敵をやっつけたはずだ。
やっつけてなくても、自分の家が燃えているのに攻めてこれないだろう。
良かったー。
安心したら、眠くなってきた。
ウトウトしていたら、何時間かして時政父ちゃんたちが帰ってきた。
「おう、むこどの。やってきましたぜ。ガッハッハー
むこどのの言いつけ通り、屋敷に火を放ってやりましたぜ。
大雨の後で火が点きにくかったんですが、燃えだしたらすごい勢いで。
やつら、大慌てでしたわ」
ええっ? ボク、火をつけろなんて言ってないけど。
父ちゃんの後ろから、佐々木4兄弟の長男定綱が顔を出す。
「いやあ、若。
敵の屋敷に火を放って焼き殺そうなんて、さすがですぜ。
雨降りの後だし、火攻めなんて凡人には思い付きやせんぜ。
思ったよりやりやがったから、火攻めがなかったら危なかったかも知れやせん」
だから、ボクそんな命令出した覚え無いんだけど。