憂鬱な時間の始まり
「お待たせしました」
「いや、問題ない。では行こうか」
客間に入り、父に待たせてしまった事についてお詫びを告げたのだが、その事に対して特別咎められることもなく、それ以上の話や挨拶をする間もなく車寄せへと移動する事となった。時間に遅れたわけでもなく時間が差し迫っているわけでもないのに、なんとも慌ただしい事なのだが、父に問答無用でエスコートされ移動を開始する。が歩けども歩けども目的地である車寄せへ着くことがない。理由は分かり切った話で。
離宮が広いからだ。
理解していたが父と歩くと、改めて離宮の広さに言葉もない。
私はここでの生活がスタートした時の事を思い出す。隊長さんや筆頭に言われ、迷子にならないように離宮の中を散歩したものだ。
父は、この離宮の広さに何も言わないが感じることはないのだろうか? 自国との違いとか? この国の余力とか。
離宮を作るには当然だが財力が必要だ。余裕がなければ作れない。しかもこの離宮。国のために必要だから作られたのではなく、陛下が個人的に作ったものだ。個人的にこれが作れるって、どれだけ余裕があるんだよ、という話。私は知らなかったが、世間的には割りと有名な話らしい。予想だが父は知っていると思う。国を治めるものとして、その話について何を思うだろうか? 少しだけ疑問に思った。私は父の考えを聞いてみたいとも思う。その考えが隊長さんとの婚約を進める、という結論に行き着いた理由だろうと思ったからだ。
とはいうものの、どうしようか。どこから話を切り出そう。
「しかし、広いな」
話の切り出しに悩んでいた私に父の言葉が響いてくる。この離宮について端的に感想を伝えてきた。ここを訪れるのは初めてではないが、初日は私の事を心配していて広さを気にする事はなかっただろう。今なら気持ちに余裕もあるだろうから、改めて広さについて言及する気持ちになったのかもしれない。かなり短い感想だが仕方のないことだろう。当たり前だが、この場には私たち以外にも人がいる。筆頭に護衛騎士の女騎士さん。もちろん侍女さんたちもいる。その中ではあーだ、こーだとは言いにくいのかもしれない。どんなに肯定的な話をしていても批判的に捉える人はいるものだ。どこをどうしたらそう解釈するの、と思ったことは誰でも一度や二度はあるだろう。それを警戒するなら端的な感想になるのは当然だろう。気楽なおしゃべりは控えるしかない。
私はそんな事に今更ながらに気がついた。余計なことを言い出さなくてよかったと思う。私の疑問をぶつけるのは別な機会に譲った方が良さそうだ。父の言葉に同意しながら私の失敗談を語っておく。
「そうなのです。あまりに広くて、私が迷子になる可能性があったので、迷子にならないために離宮の中を散歩していました」
「散歩? 迷子? どういう事だ?」
父は私の散歩発言で困惑したのか、私を見下ろしつつ不思議そうな表情だ。眉間に刻まれた皺が疑問を表している。確かに。普通は自分が住んでいる場所を散歩はしないと思う。全ては私の方向音痴が原因だが、誰であっても方向音痴が原因で『散歩』という発想には繋がらないと思うし、なんならそれを自分で説明するのは少し恥ずかしかったりする。なぜ自分で発言しちゃったんだろう。ちょっと後悔してしまうが、ここまで言ってしまったので正直に話す必要があるので諦めることにした。
まあ、私が恥ずかしいだけで誰も困りはしない。
「実はここが広すぎて離宮内を把握できませんでした。ですので、迷子にならないよう離宮内を歩いて場所を把握するようにしていたのです。毎日歩いて覚えるようにしておりました」
「そうだったのか。広いのも考えものだな」
父は感想に迷ったのか、ありきたりの発言で締め括った。自国では考えられないとか、自分たちの城はこんなに広くないから問題ないとか、言い難い話だ。私も話題に失敗したかな? なんて反省してしまうが覆水盆に帰らず。発言は取り消せない。今後は余計なことを口にしないように気をつけよう。
話題選びに失敗した私は、他の話題を選ぶこともできず車寄せへと黙々と歩き、たどり着く。
ちなみに母は会場の控え室で私を待っているらしい。
会場に向かうだけなのに馬車に乗る事になっていた。当然ながら会場は本宮殿内にあるので、かなりの距離がある。私は行った事はあるのでこの選択は納得だ。なんならドレスのまま長距離を歩くのは嫌なので徒歩と言われたら従うものの、この選択をしたのは誰だ? と問いただすだろう。歩くのは苦にならない私でも馬車移動は推奨する距離だ。父に手を貸してもらい馬車へ乗り込もうとした瞬間、筆頭が私のドレスを少し直すという。歩いているときに着崩してしまったのだろうか。
ドレスを着崩した覚えはないが筆頭が言うのなら必要があるのだろう。疑問を持つこともなく筆頭を待っていたら私の前に来てドレスの飾りに触れる。
今日のドレスは花飾りが大きいので歩いていたら向きでも変わったのかもしれない、なんてのんきに考えていた。だけど筆頭は、小さな小さな声で呟くような言葉を口にする。
「姫様。どうぞ先程の事。お忘れにならないで下さい」
私は筆頭の、その呟きを聞き逃すことはなかった。
不自然にならないよう筆頭の瞳を覗き込むと、普段は凛とした強さを感じるのに今は不安に揺れている。その不安はどこからくるものなのか。私を心配してくれているのだろうか。それとも、普通の声では言えないことに苦さを感じているのだろうか。筆頭の気遣いをどこまでも嬉しく感じた私は小さく頷く。それがお互いの精一杯だ。私の頷きを確認して筆頭は後ろへ下がった。
今後こそ馬車へと乗り込む。
「彼女はずっとついていてくれるのか?」
馬車が動き出してから父が筆頭のことを聞いてくる。さっきの声が聞こえたとは思えないが不自然なことでもあっただろうか。私は動揺しないように注意しながらなるべく普段の態度を装う。
「はい。離宮に移る事が決まってからの付き合いです。とても良くしてもらっています」
筆頭との付き合いが始まる経緯を説明すると、長い上に面倒くさいので簡単に説明しておく。いくつか端折っているが間違っていない。返事を聞いた父もそれ以上の事は聞いてこなかった。
会話をするには短いが無言でいるには長く感じる距離を馬車は進み本宮へとたどり着く。
馬車を降り、私はその大きさに入口を見上げた。
さすが大陸を支配する国だけの事がある。
宮殿とは権威の象徴だ。これだけのものを作る余力があるのだと国内外に見せつけている。どの時代でも力を見せつけるのに有効な手段である事は間違いないのだろう。
私は本宮の内部は少ししか知らないが、それは全て内側だ。今から行くところは外交の場、間違いなく表側になるのだろう。普段の私はそんな場所に用事はないので知らないのも当たり前といえば当たり前だ。
初めて行く場所に気後れを感じつつも私は父に促され足を踏み出した。





