閑話 姫様の国許で
「父上。二の姫から手紙が届いたとか。二の姫は元気にしていますか? 学校に通うと以前に書いていましたが様子はどうでしょうか?」
この国の継承者第一位の男子が父親に声をかける。
彼が父上と呼ぶからには、声をかけられた方は間違いなくこの国の支配者だろう。ただし、彼の二番目の娘がいる国と比べると、その国力差は比べるまでもない。
父親はその事を理解しているので卑屈になることはないが、彼の息子は妹を国外へ出すことになった事を今でも気にしているようだ。
長男は国力増強に力を入れている。
長く会っていなくても妹は可愛いようで、手紙が来たと聞くと父親を訪ねるのは恒例行事だった。周囲もその事を知っているので手紙が届くと彼にも声をかけてくれるのだ。
長男はその事をありがたいと思っている。
今日も今日とて定期便が届いたと聞いて、父親の(私的な)部屋に飛び込んだとは言わないが、突撃はしていた。
「ああ。手紙は届いたが、今日は姫からではない。彼の国の宰相からだ」
「宰相からですか? どういうことでしょうか? 今までそんな事は一度もありませんでしたが?」
「ああ。読んでみるか?」
「よろしいので?」
「初めての事でな。私も意外で驚いている」
父親は特に気にする様子もなく、その手紙を息子に差し出していた。
息子は息子で父親の言葉に不可解さを感じながら手紙を手に取り読み始める。警戒するように読んでいたのだが、徐々に不思議そうに理解できないような様子で頭を捻っているようだ。
長男の気持ちが理解できる父親は、長男が理解できるようになるまで沈黙を保っていた。
国を統べる者の私的な部屋とはいえ、質素とも言えるその部屋は調度品こそ、それなりのものを整えているが豪華さとはかけ離れた部屋だった。
落ち着いた、といえば聞こえは良いが遠方へ留学という名の人質生活を送っている娘の部屋と比べると、その調度品の質の差は一目瞭然だろう。
この国が劣っているわけではなく、彼の国だけが突出しているだけなのだが。父親は贅沢を好むたちではないので現状に満足している。
彼が一番気にかけているのは二番目の娘のことだった。
5年前、彼の国から交換留学の話が来た時、本来なら断るべき話。だが、力関係のために断ることができず誰が行くべきか意見が分かれていた。
誰を差し出すか、会議は揉めていた。
この国は小さいだけあって重席は親戚が担っている。その親戚に子供を出せとは言えなかった。そして我が子を人質に差し出したい親はいないだろう。
会議は揉めに揉めていた。どうするべきか、断ろうというものもいたが、それは危険だというものもいた。意見が分かれ、このままでは国を二分するのではないかと心配していた時、二の姫が会議室に飛び込んで来て、追い出すまもなく言い放った。
「私が行きます」
と宣言したのだ。
この宣言を受け、会議室の中は異様な空気になっていた。
二の姫が自分から行くというのだから、いいのではないかと思いながらも、こんな小さな子供にと思ったり、親戚が揉めなくて済む、と思ったりと複雑だった。
そんな空気を感じ取ったのか、娘は自分の私的な理由で行きたいと言い募る。私的な理由であれば誰にも迷惑はかけないし、納得できると考えたのだろうか?
当時の事を振り返るとなんとも表現しにくい気持ちになる。だが、二の姫のお陰で助かったことは間違いないのだろう。
そうして二の姫は旅立った。
思いもよらなかったのは、せめて向こうで不自由することのないようにと思い多めに侍女をつけた。信頼できる姫付きの侍女は全員そのまま帯同とし、后付きの侍女も数人付けた。父親にできるのはそのくらいだったのだ。
敵国とまではいわないが、知らない国で寂しい思いをしないように、不自由な思いをしないようにと思ったのだが、その侍女たちは全員帰ってきた。
侍女たちの報告では彼の国で宰相に会い、部屋に案内される前に全員帰国するように、と言われたのだと報告があった。
父親としては命令など関係ないと残って欲しいと思ったのだが、命令違反をする侍女は信用できない、と言われては返す言葉もないだろう。我が娘ながら痛いことを言うものだと思ったものだ。
心配をかけている自覚はあるのか、いつも送られてくる手紙には良くしてもらっている、としか書かれていない。それは留学という名のもとに出発してから一度も変わっていなかった。
そして今回、初めて彼の国から手紙が届いた。しかも重臣というべき宰相から直筆の手紙だ。
重要性が伺えるだろう。
今回の宰相の手紙には納得のできない、というよりは理解ができない、という方が正しいだろう。なぜ、こんな内容になっているのだろうか?
そんなことを考えている間に息子も手紙を読み終わったようだ。
不可解、と言う名の表情を浮かべていた。
「父上。どういう事なのでしょうか?」
「お前もそう思うか?」
「はい。父上、母上を揃って招待したいと、一般的には考えられないことではないでしょうか。二の姫と面会、と書かれていますが、それだけでしょうか? 別な理由があると思うのですが?」
「そうだな。私もそう思うが理由が思いつかない。お前ならどんな理由を思いつく?」
「わかりません。ですが、純粋に二の姫に会わせるためだけに父上たちを呼ぶとは思えません。妹を返してくれるのでしょうか? 迎えに、と言うなら理解できますが」
「まあ。いつまでも留学という形式も続かないだろうし、それも考えられないことはないな。それなら喜ばしいが」
「はい。どうなさいますか? 行かれるのですか?」
「そうだな。姫をあちらに預けている以上は行かない、というわけには、な」
「あちらで害されるということはないと思います。その理由もありませんし。ですが、真意がわからないことが気にかかります。二の姫の事で何かあったのでしょうか? 手紙そのものは好意的な内容ですが」
「そうだな。二の姫のお陰で殿下にも良い影響があった。お礼を言いたい、そんな感じだ」
「あちらに我々を欺く理由はないはずです。国力の差は悔しいですがゆるぎません。二の姫のことでクレームという事もないようですし。殿下に良い影響とありますが、殿下は問題のある方だったのですか?」
「噂程度ではな。苦言を聞かず短慮な方なようだ。その方になにか言ったのかもしれないな」
「あの二の姫が? 考えられません」
長男の頭の中には小さな妹が浮かんでいる。姉や母を真似てませた発言をする子だったが利発というイメージはなかった。時折周囲を庇うような発言もあったが、それは母たちを真似たものだと思っていた。それなのに人質に行った先で殿下に苦言? そして殿下もソレを受け入れたということなのか?
長男は手紙の内容と妹のイメージが合わず頭がクラクラしてしまう。
妹は向こうで何をしているのだろうか? まさか、なにも考えずに好き勝手言いたい放題しているのだろうか? 自分の対応一つで国に迷惑がかかる可能性を考えてはいないのだろうか? お手本となる母親がいないので自分の行動を振り返られないのかもしれない。
兄の不安は募る一方だった。
不安が拭いきれず父親に相談する。
「父上。まさか二の姫は自分の行動でどのようなことが起こるか分かっていないのでしょうか? 母上がいないので、二の姫に苦言を呈することができないことが理由かもしれません」
「そうだな。賢いところがあると言ってもまだまだ子供だ。今回は良い方向に話が進んだが、殿下が気分を害しては大きな問題に発展した可能性もある。その点について姫には注意をしたほうが良いかもしれん」
「父上。もう良いのではないでしょうか? 二の姫を返してもらいましょう? 彼の国が何を考えているのかはわかりませんが、我々がなにかしようという気持ちが無いのは理解してもらえたと思います。今回あちらを尋ねるのなら、返してもらえる交渉をしても良いのではないでしょうか?」
「気持ちはわかるが向こうが納得するかだな。代わりを要求されてはどうしようもない。二の姫は進んで行ってくれたから問題にはならなかったが、代わりとなると渋る人間を向かわせることになるだろう。そうなれば、あちらに馴染むのも一苦労。二の姫がすんなり馴染んだとは思わんが、気持ちの持ちようは違うはずだ」
「お言葉ですが父上。二の姫の言葉を覚えていますか?」
「勿論だ」
「二の姫は勉強したい、と言いましたが建前に過ぎません。その後に自分でなければならない理由を口にしていました。私が跡取りで」
「分かっている」
「二の姫は好きで行ったわけではないでしょう? もう返してほしいです。代わりも差し出す必要はないかと」
「気持ちはわかるが決めるのは我々ではない」
「私が行ければ一番いいのですが、私が行けば二の姫の気持ちを無駄にしてしまいますし」
父親の尤もな言い分に息子は言葉を返せない。自分が行ければと思ってしまう。妹を返してほしい気持ちは変わらないのだ。
息子と父親の気持ちの方向性にズレはあったが、二の姫を返してほしい、という点に関しては同意していた。
その先は分からないが交渉するために両親揃って娘に会いに行くことを決定した。





