ボス戦再び
「宰相。急に時間を取らせたわね」
執務室に入って開口一番、私は穏やかでない高圧的な発言をしていた。普段ならもう少し言葉を検討するのだけど、今回は機嫌が悪いこともあっていささか発言がやさぐれている。その辺はご了承願いたい。
ソファに促されながら不機嫌な様子は隠しきれないでいた。
この場には私と宰相しかいない。第三者を排除して本音で話をしたかったのと、話の内容によっては聞いた人が困った事にならない様にと考えた結果だ。
当然、それには隊長も含まれるし、いるかは知らないけど宰相の側近も含まれる。
「いいえ。こちらこそご足労頂きまして、ありがとうございます」
だが、宰相も宰相たる所以なのか、それとも私程度の反発くらいは通常運転と思っているのか、穏やかな返答だ。私の言葉など気にする様子1ミリも見られず機嫌が良いのか口角は上がりっぱなしで、それともなにか企んでいるのだろうか。
私は宰相のこんな様子は初めてとも言えるので若干気持ち悪いとも言う。
それよりも座り心地が良いソファに座っているのに、その感触を楽しむ事も出来ないなんて、って思ってしまう。
だがよくかんがえれば、ここに来てソファの座り心地を楽しめた事なんて一度もなかった事を思い出す。
ここに来るときは面倒ごとがあって、その対処のために来る事がほとんどなのだから楽しめないのは当然なのかもしれない。
両親を呼ぶ発言があるせいか、現実逃避も兼ねて思考が脱線したり勘ぐってしまう私がいるのはしかたがないと思っている。
「いえ、なにかお話があるとか? どのようなお話でしょうか?」
機嫌が良い様子の宰相は私がソファに腰を降ろしたことを確認すると話を切り出した。
相手から話が切り出されたことを良い事に私は思っている事を確認する。
「宰相。面倒だからハッキリ聞くわ。どうして両親を呼ぶなんて言い出したの? 今までそんな事は一度も言い出した事はないでしょう?」
「昨日もお話しさせて頂きましたが、姫様が」
「長く会っていないから、と言いたいの? それを信じろと? 無理があると思うのだけど?」
姿勢を正すことが馬鹿らしくなってしまい、背もたれに背中を預ける。宰相は私への常識的な方便で対処する事を変える気はないらしい。
「不自然な話ではないかと」
「逆よ。不自然ではない方がおかしいのよ? わからない?」
「随分な事をおっしゃいますね? これでも私は常識的な人間だと思うのですが?」
「常識的な事は認めるけど、今回の話とは無関係だと思うのだけど?」
私は積もり積もった不満を立て板に水とばかりにまくし立てていった。
だが、宰相は表面的な態度を崩さなかった。このままでは私が不利なことに変わりはない。この牙城を崩さなければ話は先に進むことはないだろう。
「宰相。確認したいわ。昨日の話はどういった理由から出たのかしら? どう考えても一国の国政を担う人間をいきなり呼びつけるのはどうかと思うのだけど? 普通はよっぽどの理由がないと呼ばないものなのではないかしら?」
「姫様。娘の様子を見に来るのは妥当な理由ではないでしょうか?」
本音を教えてもらえず面倒くさくなりため息が出る。
建前ではなく本当の事を教えて欲しい。それで私の方向性は変わるのだ。とはいっても宰相には宰相の立場がある。そう簡単に教えてくれる事がない事も分かっている。
正直に聞くのが一番だろうか?
「わかったわ。正直に聞くわ。私の両親を呼んで何がしたいの?」
「そこについては私の一存ではなんとも」
私は宰相の返事を聞いて察するものがあった。というか、ここまで聞いてわからなかったら逆に問題である。
陛下は殿下と私の婚約の話を進める気のようだ。
なんてこったい。諦めてなかったのか。そして、宰相も心変わりをしたのは間違いないようだ。
何があって心変わりをしたのだろう?
どうしよう。宰相の裏切りを責めるべきか? だが、私の勝手な仲間認定を宰相は知らない。知らないことを責められても困るだろう。まずは宰相が私を仲間認定していたのか確認してみよう。
話はそこからだ。
「私の記憶が間違っていなかったら、貴方の考えは私と考えは同じだったと思うのだけど、どういう心境の変化なのかしら?」
「確かに今まではそうでした。ですが今では状況が違います。学校でもお友達も増えたようですし、殿下とも友好的に過ごしていただけているようです。とても好ましいことかと」
「そう」
私は返す言葉がなかった。つまりは学校でお友達ができて面倒な関係になる家もないようだし、殿下とも友好的な関係が築けているから問題ないよね。婚約しちゃう? ってことになるらしい。
そんな簡単な話があるものか。それで婚約ができるのなら、世間は殿下の婚約者候補で一杯だ。
本当にそんな簡単な理由で宰相もこの話に同意したのだろうか? その理由なら単純すぎないだろうか?
「まさかとは思うけど、本当に今の話だけでこの話を決めた、ということになるのかしら? 随分と簡単な理由だと思うのだけど、本当にそんな簡単な理由で良いと思っているの?」
「では、私の方も僭越ながら確認させて頂きたく思います。姫様と以前お話をさせていただいた時、好ましくない噂話があると言われていましたが、その事については今も?」
「勿論よ。考えは変わっていないわ」
「それは困りました」
宰相閣下は全然困っていないような様子で、口だけは【困りました】と溢していた。このセリフで宰相の裏切りは推測ではなく確定だ。
何を思って殿下と婚約をさせようと思っているのだろうか?
「貴方は何を考えているの? 私と考えが一致していたはずだと思っていたのだけど。違ったかしら?」
「そうですね。厨房の一件があった時はその考えで良いと思っていましたが、今では状況が変わりましたので」
私は宰相と話しながら大きなため息が出た。人前でこの態度はどうかと思うが、こぼれる息を隠すことはできなかったのだ。
私は今までの自分の行動を振り返る。褒められるような事も称賛されるような事もしていない。ただただ常識的な大人として、出来る事、教えられる事をしただけだ。
それは大人なら誰でもする事だと思っている。
身体は子供だったとしてもだ。
私はその点について訴えてみる。
「そんな大きな変化を及ぼすような事も、評価が上がるような事もなかったと思うのだけど?」
「姫様の自己評価は低いと聞いてはいましたが、そこまでとは思っておりませんでした。他の者達からも報告を聞いてはいますが、姫様のなさっていた事は、なかなかのものだと思っております。裁判の件も、農家の件も国にとって大事な事です。ですがそれらの一件よりも何よりも、わたくしどもが今まで腐心しておりました点についてです。殿下の気持ちを変えてしまったのは大きなものだと思っております」
「それくらいの事で。教えてほしいわ。殿下の噂は少しは聞いているけど、そこまで問題になるような事だとは思わないのだけど。あの年頃では周囲の話を聞かない事も周囲に反発する事も、よくあること。違うかしら?」
宰相の説明を聞いた私はなんとも言えない気分になっていた。
今までの殿下は反抗期で周囲の話を聞かなかったようだ。周囲の人間は何をしていたのだろうか? 反抗期の子供を窘めるのは大変な事だ。だからと言ってなんでも受け入れるのは違うだろう。
反発する子供を陰になり日向になり窘めるのが大人の役目ではないだろうか?
「姫様より年上の殿下を、あのお年頃とは。なかなか大人びた事を言われますね」
「失礼したわ。だけど殿下くらいの年頃なら珍しい話でもないと思うのだけど?」
「そこは否定できません」
「だったら、私がした事は大きな事ではないのではない?」
「姫様は殿下にとって自分の変化、心境の変化に影響を及ぼした初めての人物。その影響というのは今後にも関わってきます。年齢を重ねても、いつまでも影響を残すものです。まして殿下は良い影響を受けました。周囲も見る目を変え、殿下の変化を良い事と思っており態度も少しずつ変わってきています。殿下自身もそれは感じているはずです。そのきっかけが姫様で、御本人もその事を理解しているはず。ならば次に何かあった時も、まずは姫様に相談されるかと」
「考えが甘いのではなくて? 必ずしもそうなるとは限らないわ。それに殿下にとって影響が大きい人は隊長もいるでしょう? それに私がそれを利用する可能性は考えないの? そう仕向けているかもしれないわ」
宰相の発言にカチンときた私は宰相にマイナスの事象を言ってみる。だが、それは通用しなかった。
こちらに来てから初めての事だった。微笑ましい、といった感じで私に笑いかけたのだ。
その衝撃は言葉にならない。
「驚きました。姫様でもそのように可愛らしいことを言われるのですね」
「どういう意味かしら? 殿下を利用するかもしれないと言っているのよ?」
「本気で利用する人間は自分からそのような事は言われませんよ」
「わからないわよ? 油断させるつもりだわ」
「そうですか」
宰相は私の強気の発言には取り合わなかった。
どうやら陛下も宰相も、この件については完全に合意しており、本格的に私を取り込みたい様子だ。
両親を呼ぶことは覆らないようだ。
今回は私に勝ち目はないらしい。
大国の百戦錬磨の宰相の腕前を見た気分だった。外交を担っている腕前は伊達ではないらしい。
私は勝ち目がない戦いは諦め、本格的に両親へ手紙を送ることを検討することにした。





