気分転換て大事だよね
私は久しぶりの外出をすることになっていた。いや、外出先は宮殿内なので正確には外出とは言わないのかもしれない。だが、宮殿の広さを考えると外出と評してよいのではないかと思っている。
だが、行き先はどこでも良いのだ。久しぶりに学校と離宮以外の場所に出かけられると思うと楽しみで仕方がない。
今回の外出には大きな理由はない。お友達問題に疲れ切った私を心配した筆頭が気分転換にどうかと提案してくれたのだ。
「姫様、最近は学校と離宮の往復になっていらっしゃいます。ときには気分転換も必要かと。週末に少し外出されてはいかがでしょうか?」
「そうね。出かけられるのなら嬉しいわ。問題はないの?」
「はい。隊長様にも確認しております。急な事ですので城下というわけには参りませんが、宮殿内の庭園などはいかがでしょうか? 奥の方ですと池などもございます。気分転換にはなるかと」
「本当に? 嬉しいわ。行ったことがないもの」
私は迷うことなく返事をする。筆頭は私が提案に乗ってきたので嬉しそうにしていた。
「では、隊長様。よろしくお願いいたします」
筆頭は私の後ろにいた隊長さんに声をかける。このお願いしますは護衛の準備などのことだろう。
今でも宮殿内で私が一人で歩く事はない。
初めはこの習慣を大げさだと思っていたが人は慣れるものだ。最近では一人で歩く事に不安、という程のものではないが違和感を感じる事はある。
このまま一人で外出できなくなったらどうしようか、と心配になるほどだ。
私は外出を楽しみにしつつ、自分の主観の変化に戸惑いながら週末を楽しみにしていた。
その週末、筆頭から声をかけてくれただけあって、今回の外出には筆頭も付き合ってくれることになっていた。
朝食後、外出の準備段階で少しだけ疑問を感じていた。着替えたドレスは、いやドレスは普通だった。いつもと違うのはそのドレスの下に頑丈そうなズボンを着た事にある。
私はズボンを履いた事で一つの可能性に気が付いたし、密かに期待していた。ある予想が浮かんでいるのだが、外れていると嫌なので直接確認する事はしなかった。
普段ならドレスの下にズボンを着ることはない。私の経験では一度もないのだ。ということは。
期待に胸を膨らませながら促されるままに歩くと、車寄せの方へと着いた。
私の予想はあたっていた。
離宮の車寄せに今日はお馬さんがいるのだ。
「お馬さんだ」
私は馬を見つけると走り出していた。
自国にいた頃に厩舎に遊びに行っていたのだが乗馬をする機会には恵まれなかった。練習をする前にこちらに来ることになったのだ。
乗馬に興味があったので、陛下の誕生日プレゼントに乗馬をしてみたいと頼んでみようと思ったこともある。
私はそれくらい乗馬に興味があったのだ。乗馬のチャンスが来たのだ、駆け出すくらいは許していただきたい。
「姫様。お待ちください」
お馬さんに近づこうとした私を隊長さんが引き止める。言葉で引き止めると思ったら物理的にも止められていた。私の身体ごと引き止められたのだ。
勢い余って身体が前のめりになる。
「姫様。急に走り出しては危険です。周囲の確認もですが馬も急に近づかれては驚いてしまいます。最悪、蹴られたりする事もあるのですよ」
「ごめんなさい。普段見ることができないから我慢できなくて」
「お気持ちはわかりますが、私どもに声もかけずに動くことはお辞めください」
「はい。気をつけます」
「姫様?」
隊長さんが笑顔を作りながらもう一度念を押してくる。「気をつけます」ではだめらしい。だが、私も約束できないことを確約することはできない。私の性格上同じ事をやりかねないのだ。できない事を守りますとは言いにくい。
私はそう思い、なんと返事をしたものか考える。だが、嘘をつくのも嫌だった
私の心情では嘘は付きたくないのだ。確約もできない事をその場しのぎで頷きたくもない。
どうしたものか。いい加減な返事をすると今日のお出かけそのものが中止されそうだ。困った。
困った私はグレーな返事をすることにした。ずるくて申し訳ないと思いつつ。嘘をつくよりも良いだろうと言い訳を自分にしている。
「わかったわ。隊長さんの言うことは理解したわ」
うん。この返事が私の精一杯だ。理解はしているけど確約はしていない。言葉のマジックだろう。いつかミスをしたときにこの話を持ち出されたら、理解はしたけど確約はしていない。そう言い訳をする自分が今から思い浮かぶ。
心の中で隊長さんに謝罪をしつつ、お馬さんを見に行きたいと進言する。その言葉は聞き入れられ、外出前にお馬さんを撫でるチャンスが巡ってきた。
私は国で厩舎に遊びに行ったときスムーズに撫でられなかったことを思い出す。あの時よりも成長したのだ。今日はスムーズに撫でられるだろう。そんな事を思い出しながらお馬さんの前に立った。私の横には御者さんがいる。
「撫でても大丈夫かしら?」
「はい。下から手を見えるようにしながら撫でてやってください」
その言葉を忠実に守りながらお馬さんを撫でる。今回は手が届かない、なんて事にはならなかった。私も成長したようだ。
お馬さんは嫌がる様子もなく撫でられてくれている。私は毛並みに沿いながらじっくりと撫で命の温もりを感じる。
「温かいわね。それにこの仔は賢いみたい。大人しいわ」
「ありがとうございます。こいつも嬉しそうです」
私の月並みなコメントにも御者さんは嬉しそうだ。ニコニコしている。この仔は自慢のお馬さんなのかもしれない。思いつくままに会話を楽しもうとしていたら隊長さんたちの準備が整ったらしい。
「お待たせしました」
「もう準備ができたの? 早いわね」
私は隊長さんを振り返りつつお馬さんとの邂逅を終了させる。なかなかない機会だったので短い時間でも楽しむことができたので私としては満足だった。
そして振り返った瞬間、筆頭の意外な姿を見る。
なんと筆頭も乗馬スタイルだったのだ。いつものかっちりとした装いではなく、軽めの動きやすい服装になっている。
いつの間に着替えたのだろうか? そう思うくらいの早業だ。それに私のようにドレスの下にズボンを履くのではなく本当の乗馬服なのだ。白いブラウスに黒いベストに黒のズボン。ズボンは厚手の生地だ。多分普通に乗馬用のズボンなのだと思う。
筆頭のこんな姿を見るのは初めてで、私はその装いを見た瞬間、筆頭に尋ねていた。
「筆頭って乗馬ができるの?」
「随分ですわ姫様。乗馬は嗜みの一つです。騎士様たちのように走らせることはできませんが、楽しみ程度に乗る分には問題ございません」
こんな返答をするということは筆頭の乗馬の腕前はかなりのものと見た。そっと隊長さんの方を盗み見ると何を言っている? と言わんばかりの呆れた顔の隊長さんがいた。その顔が何よりの証明だ。
だが、筆頭も乗馬服、ということは馬に乗るのは確定だ。
だが、私は乗馬ができない。このことは周知の事実なのだが、私はどうするのだろうか? 私が乗っても問題なく歩いてくれる賢いお馬さんがいるのだろうか? ここは宮殿だ。それくらい賢いお馬さんがいるのはあり得るかもしれない。
私は観光で馬に乗れる牧場などを思い出す。実際に乗ったことはないが観光雑誌にはよく載っていた。手綱を引いてくれる人がいて一人で馬に乗れるというものだ。その感じが私にも提要されるのだろう。
乗ってみたかったので、その状態を楽しみにしつつ私は隊長さんの案内を待つ。
「姫様。嬉しそうですね?」
「ええ。いままで乗れなかったお馬さんに乗れるのだもの。楽しみだわ」
私はテンションマックスで返事をすると隊長さんも満面の笑みになった。
「それだけ楽しみにしていただけると私も嬉しいです」
「今日は庭園の奥の方へ行くのでしょう? お馬さんで行くくらい遠いの? そんな遠くまで私は乗っていられるかしら? 初めてだから不安だわ」
「ご安心ください。私もご一緒しますので馬から落ちるなんてことはありませんよ」
「ありがとう。心強いわ」
私はそう返しながら言葉の齟齬に気がつく。ご一緒しますので馬から落ちない? なんかニュアンスが違う気がする。
気になった私は隊長さんに問いかける。
「私もお馬さんに乗るのよね?」
「勿論です。宮殿内とはいえ奥の方まで行くにはかなりの距離がありますので。歩けなくはありませんが、かなりの時間がかかってしまいますので」
「そうだと思うわ。筆頭も乗馬服だもの。私もお馬さんに乗るのでしょう? 自分で歩いてくれるほど賢いお馬さんなのかしら?」
隊長さんはやっと齟齬があることに気がついてくれたらしい。
「姫様が一人で乗ることは危険ですので、私がご一緒させていただきます」
「二人で乗るの? ていうか乗れるの?」
「勿論です。それくらいできなければ護衛騎士は務まりません」
にっこり、というかドヤ顔の隊長さんが自信たっぷりに言い切った。なるほど、護衛騎士隊に入隊できるには乗馬技術もクリアできないと入隊できないのだろう。私はドヤ顔の裏にある訓練に思いを馳せる。他にもいろいろな訓練があるのかもしれないが、強ければいいというだけではだめなようだ。
私は感心しながら自分が乗る馬を探す。どの仔なのだろう。
周囲をキョロキョロとしていると隊長さんが首筋を優しく叩きながら教えてくれた。
「姫様に乗っていただくのはこの馬です」
真っ黒な大きい馬だが瞳は優しい感じがする。気になって警戒されないように隊長さんの少し後ろに立ち観察する。
お馬さんは黒馬、というのだろうか純粋にかっこいい。そして大きかった。他の馬も大きいのだが、その馬よりも少し大きい。相乗りしても余裕で走れるだろう、という感じだ。
この大きさなら一人で歩いてくれても怖くて乗れない気がする。私はお馬さんを見上げながら隊長さんが一緒に乗ってくれることに安心した。
いよいよ出発。楽しみだ。