身分の違い
私は隊長さんのどこに怒りを覚えたのだろう。自分の気持ちを振り返る。
次男くんへの態度が問題ないと言ったから? 私に人を警戒しろって言ったから? どちらも違う。それは考え方だ。人それぞれ違うものだから、仕方がないものだと思うし、隊長さんには必要な事だ。そこは理解している。
ならなんだろう。
考えて一つの答えに行き着く。私は最後の人を予防的に疑えと言ったことに反感を覚えたのだ。
その言葉が悲しくて悔しかったのだ。そして悔しさが怒りにすり替わったのだ。
その言葉を正確に理解するのなら、隊長さんは私と初めて会ったときは私を疑っていたのだろう。それはお互いの立場上、仕方のない事だとわかる。
私だって初めて会った時に全面的に隊長さんの事を信用していたわけではない。この人はどんな人だろうかと気にしていたし、私の事をどう思っているかと考えていた。
それも疑っていると言えばそうなるし、人の事は言えないと思う。
私の悲しさや悔しさは、今までの生活で全面的に隊長さんを信用する事ができたからこそ、その言葉に悲しくなってしまったのだと理解できた。
これは私の我儘だ。こんな気持ちになるとは思っていなかった。
分かっている、理解はしているのだ。私は人質だし、隊長さんは国の中枢に位置する人だ。初めから仲良くできるなんて無理な相談だ。
それでも私を疑っていたと言われて悲しいし、気持ちが良くない。なんて我儘だろう。
私は悲しくなって目の前に薄い膜が出来るのがわかった。初めは怒りを覚えたが、自分の感情が整理できると自分の我儘さ加減や自己中心的な考え方が情けなくて悲しくなってきた。
膜が決壊するのを見られるのが嫌で下を向く。私の様子に焦った隊長さんの声がする。
「姫様?」
私は返事ができない。声を出すとみっともない声が出そうになったのだ。ぐっと我慢する。
そうしているうちに離宮に到着した。
馬車が止まったことを良いことに私は隊長さんを待たずに馬車から降りる。普段ならドアを開けてもらうのだが、それも待たずに自分でドアを開け降りると筆頭が待っていてくれた。
飛び出して来た私に驚いたようだが、そのまま抱きとめてくれた。柔らかく暖かいぬくもりに包まれ、なんとも言えない安心感を覚える。
「姫様? お帰りなさいませ、入学式はいかがでございましたか?」
筆頭の穏やかな声を聞いた私は、抱きとめてくれた事を良い事にそのまま筆頭に抱きついたままだ。筆頭の優しい声がもう一度聞こえた。
「おかえりなさいませ」
「ただいま」
私はその一言を絞り出し、筆頭に抱きついたままだ。安心感が半端ない。本来ならこんな行動はアウトなのだが、私は感情の整理がつかず筆頭に抱きつくことで誤魔化していた。筆頭もそのまま私の背中を撫でてくれている。
「姫様。今日はお疲れでしょうから、入浴をされてはいかがでしょうか? 疲れも取れますわ」
入浴の用意なんて大変だろうけど、私はその言葉に甘えることにした。頷いているともう一つの提案があった。
「そうですわ。姫様。今日の夕食は厨房に依頼しましょう。厨房も喜びます。せっかくの入学ですもの。お祝いに相応しい料理をお願いしましょう」
「こんな急にお願いすると厨房にも迷惑だわ。お風呂に入れれば十分よ」
私は筆頭に頭をぐりぐりと擦り付ける。自分でも子供みたいなことをしている自覚があった。
こんな子供では仕える人たちも大変な思いをするだろう。
申し訳なくて仕方がない。申し訳なくて情けなくて不甲斐ないのだが、そんな私を筆頭は甘やかしてくれる。
外見が子供だから許されている気がする。
「問題ありません。厨房も喜びます。ときには頼ることも大切ですわ」
「お願いしても良いのかしら?」
「ええ。依頼しておきます。ご安心くださいませ」
筆頭の言葉にうなずいた私は入浴するために離宮へ入る。なにせここは車寄せだ。入り口で中には入ってもいないのだ。
筆頭も何かを感じているのだろう、私を促しながら隊長さんに自分が引き継ぐことを告げる声が聞こえてくる。
隊長さんもその言葉に逆らうことなく引き継ぎを行う声が聞こえてきた。
「隊長様。ご安心くださいませ。姫様はこのまま入浴されます」
「わかった。他のものに引き継ごう」
隊長さんは入浴という事で女性の騎士さんに引き継ぐことになり、そのまま他の仕事をするために控室に移動するのだろう。私も入浴のために移動する。
隊長さんとこんな気まずい感じになったのは初めてだ。
こんな態度は良くないことは理解しているが、どうにも収まりがつかない。どうすれば良いのかを考えながら浴室へ向かう。
お湯の温かさが心地よい。私は髪や身体を手入れしてもらいながら、ゆったりとしたバスタブに浸かっている。バスタブに反比例して私が小さいので、手足を伸ばしても余裕の広さがある。身体が浮きそうな程の広さを甘受しながら、気持ちも反比例していた。数学の授業で習ったとおり反比例の気持ちはなかなか浮上はなされない。
「姫様。隊長様といかがされましたか?」
私の沈みっぷりに筆頭が手を伸ばし引き上げてくれようとしていた。その手を払うわけもなく、掴んでみる。自分の気持ちを正直に吐露してみた。
そのついでに自分の我儘さ加減も白状しておく。
カッコつけて後からボロが出るよりも先に情けなさを晒しておく方が良いと思っている。
ただし相手に呆れられてしまう危険性も潜んでいる。
「私の我儘なの。理解は出来ているのだけど、感情が付いていかなくて」
「どのようなことですか?」
筆頭に馬車での事を説明すると、一つ一つ頷きながら聞いてくれていた。
私の話を落ち着いた表情で聞いていた筆頭は、どちらも間違ってはいないし相手の事を思っているからこそのすれ違いだと、評価した。
筆頭の言う意味は正しいので、その言葉を受け入れるしかなかった。
「頷かれているということは、姫様も隊長様の言葉の意味は理解されているのですね」
「隊長さんの言うことは正しいのよ。でも、誰でも疑いたくないし、私も初めは疑われていたのだと思うと悲しくなったの。分かっているの。それが正しいという事も。贅沢な事を言っているのよね」
「隊長様は姫様のことを疑われてはいないと思いますが」
筆頭はぬるくなったので熱いお湯を追加してくれる。再び温かくなったお湯が気持ちいい。そのお湯を冷えないようにと肩からかけてくれる。
お湯の中にこのドロドロした気持ちも溶けてしまえば良いのに。私はそんな事を考えながら筆頭の言葉の意味を考える。
隊長さんの言葉では初対面は疑えと言ったのだ。そうすると私と会ったときも同様のはず。
つまらないことに拘っている自分が恥ずかしい。隊長さんの言うことは大した問題ではないはずだ。彼の立場なら至極当然の発言と理解しているはずで、それに腹を立てている自分のほうが問題のはずなのだ。
どうして私はこんなに拘っているのだろう。自分に自問自答しながら、そろそろ上がらないと、なんて考えていると、筆頭の穏やかな視線にぶつかった。