侯爵閣下と商人と隊長さん
侯爵は商人の意見を退けたりはしなかった。
横槍を入れている自覚があるのか後ろめたいのか、どちらかはわからないが取り敢えずは話を聞く姿勢を見せたそうだ。
「姫様のご意見とは?」
「ご令嬢からお聞き及びとは思いますが、生産者たちへの収入を増やすことです。侯爵様が買い上げるということは、金額はどの様にお考えでしょうか? 姫様へのインセンティブもありますし、今後の事を考えますとわたくしも収入が必要となってまいります。そうなると、ある程度の金額は必要になってくるかと」
「姫様へインセンティブをお支払いしてるのか?」
「勿論です。姫様のアイデアがなければ今回の話はありませんでした。その方へ報酬を払わないということはありえません」
商人はキッパリと言い切っていた。
その話には隊長も加わる。
「今までのアイデアにもインセンティブは発生しています。今回だけ発生しないとなると、いかがなものかと。今までは商人との関係だけで安定していました。が、それに侯爵殿が加わってから姫様へのインセンティブが発生しないのは良いことではないと思いますが?」
「いや。隊長殿。誤解しないでいただきたい。私は知らなかったので確認したかっただけなのだ。勿論、姫様への分は正当な報酬としてお支払いするつもりだ」
「それなら安心です」
隊長はわざとらしいくらいに、にっこりと笑って見せる。
その後の交渉は商人は自分の力だけで頑張る事にしていた。隊長がいる事で実質的な後ろ盾になってはいるが、それ以上の力を借りたいとは思っていないのだ。
「先ほど侯爵様はすべてを買い上げると言われていましたが、それは間違いございませんか?」
「勿論だ。娘が持ち帰った物を試食してはいるが、販売予定の物も試食したいと思っている。試作と販売の物では違う事もあるので確認したいと思い、急ではあるが来てもらったのだ」
「失礼とは存じますが、その理由をお聞かせいただけますでしょうか? ご令嬢がお願いされたとしても、侯爵様が一括で買い上げる理由にはならないと思うのですが? ご令嬢がお願いされたので、娘のお願いには勝てなかった、と言う理由ではないと思うのですが?」
「そこが気になるところなのか?」
「はい。侯爵様がジャムを購入される理由を教えて頂きたいのです。理由によって後から購入を中止されると言う事があっては困りますので」
「私の言を疑うと?」
「そうではございません。侯爵様を疑うなどと。ですが侯爵様にお買い上げいただいていますと、商品に対するイメージも変わってきますし、侯爵様が購入を中止される事によって、悪いイメージも付きかねません。その事を考慮しての事です。これから発売する商品でございます。初めが肝心ですので」
「言わんとすることは理解できるな。では、理由を説明しておこう」
商人は侯爵の態度を意外に感じていた。自分の意見など無視されると思っていたからだ。それとも隊長がいるから態度を軟化させているのだろうか? その判断は付かないが正直な理由を聞けるのなら、その方がありがたいのは間違いないだろう。
「理由は簡単だ。そのジャムの生産地域が私の領内だからだ。知らないとは言わせんぞ。納入される地域は重要だ。距離や食品の保存に関わるからな。隊長殿も気が付いていたのだろう?」
「そうですね。知ってはいましたが、直接かかわられるとは思っていませんでした。令嬢に頼まれたからですか?」
「それもある。だが、私の領内で困っていると聞けば何もしないわけにはいかないだろう。気が付いていなかった私にも問題があるが、知ったからにはそのままにするわけにもいかない。出来る事をするべきだろう。幸い、今回は姫様が腹案を出してくださったのだ。それを生かすべきだと思ったのだ」
「ですが侯爵様がすべてを買い上げる理由にはならないのではないですか?」
「私を試しているのか? 商人。 あの実は毒があると言われていた。私もそう思っていたのだ。食べたからこそ毒ではないと理解できるが、その事を知らない者の方が多い状態だ。その現状で商品を販売すれば風評被害で販売できなくなる可能性もある。いくら商品が良い物であっても、だ。その可能性を考えてはいなかったとは言わせんぞ?」
「はい。理解しております。方法はもちろん考えてはおりましたが、侯爵様も考えておられたのですね」
「勿論だ。私の領民だ。良くなる方法があるのであれば、領主として手は尽くすべきだろう。当然の事だ」
「お考えをお教えいただきたく存じます」
「難しい事ではない。妻がこの商品を気に入ってな。親しい友人に特別なプレゼントとして渡したいそうだ。その事でおのずと良い噂が広まるだろう。そうなれば自然に商品も売れていくものだ」
「そうですか。その予定があっての買い上げ、という事なのですね」
「そうだ。誰にも損のない話だと思うが?」
「概ねそうかと」
商人の釘に侯爵が反応する。悪い案ではないはずなのに商人の釘を不愉快に感じたのだろう。わずかに顔をしかめ片眉を上げる。その反応を見ながら商人は続けた。話の内容だけで決まっていない事も多いのだ。この話だけで全てを決めるわけにはいかないだろう。
「侯爵様。お心は素晴らしいものだと感じ入っております。ですが、それには全員に対する正当な報酬も必要かと存じます。予算の予定額をお教え頂けますでしょうか?」
「その事か。悪いが私には相場が分からない。普段はどのような価格設定をしているのだ? そこからの話になるだろう」
意外にも侯爵は自分の予算に合わせるようにとは言ってこなかった。あくまでも商人との話し合いで決めるつもりの様だ。領民のためにと言う気持ちは本物なのだろうか? まだ分からない。
商人は侯爵の様子を見つつ慎重になりながらも、普段どおりの商談を進めていく。
しかし大きく心配する必要はなかった。
なぜなら商人の販売予定額をそのままの形で購入することになったのだ。この場に隊長がいたからそうなった可能性は高いだろう。商人はそう考えていた。もし、自分だけだったら販売価格の引き下げもあっただろうと考えていた。
交渉は問題なくできるが、身分を盾に引き下げられては太刀打ちできない時もあるのだ。商人としては姫様に迷惑を掛けたくないと言う気持ちと、大人の、商売の裏側を見せたくないと言う気持ちもある。姫様なら理解している事かもしれないが、それでも大人の汚い部分は見せたくないと思っているのだ。
今回ばかりは隊長の存在で助かったのだと商人は自覚していた。
隊長本人には言えないが感謝している。