一周年記念 姫様の母国にて
いつも読んで頂いてありがとうございます。
早いもので、初投稿から一年を迎えることができました。
これも皆様のおかけです。
一周年を記念して、姫様の人質になる前の生活を書いてみました。
少しでも楽しんでいだけたら嬉しいです。
これからもよろしくお願いいたします。
私は離宮のサロンでお茶を飲みながら、記憶が戻り国で過ごしていたころを懐かしく思い出す。
私の国は小さく大陸の端にあるが、山と海のある自然が豊かな国だ。国の主産業は薬草の栽培と、薬の生産。国王である父の言だと、人がいる限り薬は必要になる、必要なものを生み出す限り潰れることは無い。だそうだ。確かにその通りだと思う。どんな産業、職業でも人が必要とするものは無くなることは無い。私は国王にしては大らかな父にしては、まっとうな事を言うなと思っていた。
私はこの国の第三子にして第二王女である。 上には兄と姉、下には弟がいる。何というか一番中途半端な立場だと思う。兄は国の後継者。弟は跡取りのスペアとして大事な立場。姉は母譲りの美人と評判で、縁談が持ち上がっている。この国は小さいのであまり縁付いても意味がないが、どちらかと言えば姉の縁談は姉自身の才覚を買われての縁談のようだ。
私の母は美人と評判で、倹約家としても有名だ。倹約家の割には国に必要な投資と判断すると思い切ったこともするらしい。この国は母の判断と財務大臣との相談で切り盛りされている。その判断は優秀らしく他国でも評判になっていた。姉は母を尊敬しており母の薫陶を進んで受けている。子供の時からそんな事をしていると、王族としての自覚があると、子供の内からそうであれば将来は安泰だと、他国に取られる前に、と嫁ぎ先は引く手あまただ。そうなるとその下の私はのほほんとしていて、特徴のない子供で、いうなれば味噌かす扱いだ。両親や兄妹は私を可愛がってくれている事がせめてもの救いだ。
私は5歳の時に高熱を出していた。わが国の特産の薬も効力がなく3日間高熱を出し続けていたのだが、その時に私は自分の中に別な記憶が思い出されていた。自分が日本という国で成人し、死ぬまでの記憶を思い出したのである。
前の人生では大きな問題は無かった。忙しいが穏やかな人生を全うしていた。その記憶を思い出したとき、私は大きく混乱した。混乱したが、自分の趣味である俗世間に言うオタクと呼ばれる人種だったので、自分の現在の状態も受け入れることができたのだ。
受け入れることが出来ると、静かに喜びをかみしめる。本で読んでいたことをわが身で体験できるとは何物にも代えがたい喜びと経験だ、と思えたのだ
私は安静を言い渡されたベッドの上で喜びを噛みしめ、今度の人生はどう生きるか考えていた。
ベッドでゴロゴロしながら考える。前は仕事が忙しくのんびりとした生活を送ることが出来なかった。好きなだけ本を読んだり、旅行をしたり、ゲームをしたりと趣味にどっぷりはまることは出来なかった。となれば、今度は趣味にはまって生活したいと思うが、それは無理だった。
この世界では娯楽が少ない。テレビもないしゲームもない、旅行は娯楽で行くためではなく仕事で行くためのもの、楽しみは読書くらいだろうか。私はがっかりしたが、思考を切り替えることにした。遊べないのなら、のんびりすればいいじゃないか、という結論に行き着いたのである。前の生活は忙しかった。だったらこの人生はのんびりスローライフを目指そう。そう決意したのである。
私は自分の人生の目標を定めるとのんびりとした生活を始めた。姉とは真逆の生活である。勤勉な姉は母の後ろを歩き始めていた。
兄は父がのんびりしているので国の先行きを心配していた。兄はのんきな父と正反対で生真面目なのだ。父のあの調子では国が傾くと本気で心配しているのである。私は兄の心配を眺めながら、意外にあの父は国を上手くまとめている、と思っているのだが。表面上はそう見えないのだ。心配も仕方がないのだろう。
私は第三者的な視線で家族を眺めてのんびりしていると、突然、国を揺るがす大事件が起きた。
この大陸の支配者から人質を差し出せと言われたのである。
もちろん、表面上は交換留学だ。そしてこの内容は子供たちには内緒だった。だが、そういった話は自然と漏れ出てくる。人の口に戸は立てられない。私たち兄妹の中にも話は聞こえてきていた。
姉は納得しているのか、覚悟を決めたのか、詳しい事は言わず、母に自分が行くと言っている様だ。だが、姉は縁談が進んでいた。今更その話をなかったことにはできない。いや、相手が相手だからできるかもしれないが、縁談の相手を姉も好ましく思っていたようなのだ、その話を頓挫させるのは忍びないのだろう、母も決めきれないようでいた。
そうなると兄と弟は論外。私しかいないから私に話が来るかと思ったが、私に話はこなかった。従兄たちの誰かに、と言う話になりそうだった。
私は迷っていた。できるなら人質なんかにはなりたくない。だが、適任者が私しかいない。でも嫌だ。スローライフを諦めきれない。だが、私の中にある大人としての自分がささやいていた。私が行く方が良いと。でも、と気持ちが揺れ動く。
自分でも決めきれず悩みながらこっそりと会議室を覗く。小さな国だ。国の中枢は親戚が多い。規律は割と緩いからこそできる芸当だ。そうして覗いていると、会議はまとまっていなかった。誰に行かせるべきか意見が割れていた。
自然とため息が零れる。こんなに意見が割れていると、誰かを行かせたとしても、後々遺恨が残るだろう。親戚が多いこの国では遺恨が残ると後が面倒くさい事になりそうだ。それは良い事ではない。
腹をくくることにした。
私は会議のど真ん中に進み出る。誰かが私に注意する。だが、それも聞こえない振りをして父親の前に立つ。
「陛下。先日の交換留学生のお話、私に行かせてください」
人質生活になってもスローライフ、できるかな?
いや、できるように工夫しよう
私は心の中でそう呟いていた。