閑話 ご夫君の気持ち
いつも読んでいただいてありがとうございます。
今回はご夫君の目線から閑話となります。
普段は見えない筆頭さんの様子を第三者目線から見て頂けたらと思います。
よろしくお願いいたします。
私の妻は今、離宮の姫様に仕えている。宰相閣下の推薦で姫様に仕える事になったのだ。妻は多くの令嬢たちにマナーを教えてきたが 『姫』という肩書のある方にお仕えしたことはなかった。話が来たときは迷っている様子だったが、最終的にはお仕えする事に決めたようだ。
決めた一番の理由は姫様が死んだ娘と同じ年齢だったこと、もう一つは異国から来られたのだが、そばに仕える者が誰一人いないことが大きな理由だろう。子供の姫様が一人でいることを心配したようだ。私に直接的な相談はなかったが、仕えることを決めたときにそんな話をしていた。
離れから離宮に移り姫様の環境は大きく変わられたようだ。妻も住み込みに近い形でお仕えしている。家に帰ってくるのは休みの日ぐらいだろうか。
始めは姫様にお仕えする事に慣れず、戸惑っているようだった。愚痴をこぼしたり、相談するような妻ではないが、環境に慣れずどう振る舞って良いのかわからない様子。いつもの淡々とした様子とは違い、何かを気にしながらお仕えしているような様子が見て取れた。多くを語らない妻を見兼ねて一言だけ伝えたことがある。
「あまり難しく考えず、いつもの自分でお仕えしても良いのではないか?」
その時妻はハッとした様子だった。いつもの自分らしくなかった事に気がついたのだろうか。その後からの妻は自分らしくと思ったようである。少し肩の力が抜けたようだ。
その後は大きな変化は見られなかったが、表情は穏やかになったように見える。妻も思うところがあったのだろう。
休みのたびに帰ってくる妻は少しずつ表情は良くなってきていた。私はその事に安心していた。
姫様のデビューが決まり妻は少しずつ忙しくなってきていた。デビューのドレスなんかも考えているようだ。忙しくも楽しみにしている様子が見て取れる。休みの日なのにデザイナーを呼んでデザインを考えていた。ドレスの生地を選んだり靴を選んだりと楽しそうだ。できなかった母親の役目を果たしているような感じがしている。私に意見を聞くことはなかったが、妻の楽しそうな様子を見ているのは私も楽しかった。成人した息子たちに妻の様子を話すと息子たちも良かったと喜んでいた。娘が亡くなった後、表に出すことは無いよう努力しているが、気落ちしている妻を息子たちも心配していたのだ。令嬢たちにマナーを教えていたのも、気落ちする事を隠していたのだろうと思っている。
妻は姫様の支度をする事で、できなかった娘のデビューを用意しているようで嬉しくもあるのだろう。
私達のできなかった事。娘のデビューを用意することだった。娘はデビューの年に亡くなった。元気な時、ドレスを選んだりしていて楽しみにしているのを私も知っていた。妻が女の子の楽しみだ、と言って嬉しそうにしていたのもよく覚えている。私たちの娘は、はつらつとした子でドレスを選びながら【お父様と踊ってあげるわ】と照れくさそうに言ってくれていた。その時、私は嬉しくて息子たちに先を越されるのが嫌で固く約束させたのは懐かしくもホロ苦く、胸を優しい気持ちにさせてくれる思い出だ。出来上がったドレスを着ることは無かったので私との約束が果たされることは無いが、妻の夢だけでも叶えられるのなら、そんな事ができるのなら嬉しく胸が弾む思いだ。
ある夜、帰ってきた妻が浮かない顔だった。何かあったのか聞いたが、話せないとの事。仕事上で何かあったのだろう。詳しいことは話せない妻に聞くことはできないので、自分にできることは協力をすることを約束しておく。その事を聞いた妻は安心したような笑顔を見せてくれた。私の妻は照れ屋で大きく感情を見せることはない、そのため笑顔を引き出せた自分を誇らしく思ってしまう。妻が憂いなく過ごせるように務めるのは夫の役割だと思っている。
姫様のデビューも間近なある夜、突然妻が家に帰ってきた。今日は帰って来る日ではなかったので、私は嬉しくあり、心配でもあった。予定にないことを嫌う妻だ。よほどのことがあったのだと察しがつく。
「おかえり。なにかあったのかね?」
「わたくしが家に帰って来るとお困りですか?」
「そんな事を言っても誤魔化されないよ。困ったことがあったのかい? 私に協力できることはあるかな?」
居間に落ち着き、隣に座る。お茶を用意させながら妻の様子を伺い。気が急いた私は手を取り話しかけていた。浮かない顔の妻をそのままにはできなかったからだ。思い詰めている、というほどではないが、何かを気にしているのは間違いがなかった。そして気にしている相手が私であることも間違いないだろう。私を窺うような視線を感じる。私に遠慮などすることはない。気になることがあれば何でも聞いてくれれば良いのだ。私にできることなら何でも手を貸すのだから。
「あなた。協力をお願いしたいのです」
「良いよ。何をしようか?」
「あなた、いつも言いますけど。内容も聞かないうちにいいよ、なんておっしゃらないで。わたくしが無茶を言ったらどうされるのですか?」
「君はそんな事を言わないよ。それくらいはわかる。そんな心配そうな顔をさせておくほうが私は辛い。協力できることなら何でもするよ。いつもそう言っているだろう? 言ってごらん。姫様のことかな?」
「ええ。実は」
妻から聞いた話とお願いに私は舞い上がった。喜んで引き受けることも約束した。妻は私の立場を心配していたが、私の立場など大したものではない。そんなものより、妻が大事にしている姫様の手助けができる方が重要だ。家族以上に大事なものなど私にはないのだから。
それに私にも嬉しいお願いだ。姫様は娘ではない。それは分かっている。だがこのお願いは、叶える事の出来なかった娘との約束を果たせるような気がしてしまう。自分の気持ちの上だけでもそう思う事を許してほしい。そう思うが、妻は分かっていてこのお願いを私にしたのだと思う。自分が嬉しかったから、私にもその気持ちを感じて欲しかったのではないだろうか。そう考えてしまう。
「そんなに心配しなくても。私も嬉しいよ。あの子と約束したことを果たせるような気がしてるからね。君もそうだろう。ドレスを考えたりしているとき、とても楽しそうだった」
私が見ていることに気がついていなかったのか、妻は私の言葉に恥ずかしそうな顔をした。私も気持ちは同じだ。できることがなかったから見ているだけだったが、できることがあるのなら喜んでその輪に入りたいと思う。
「楽しみだよ。デビューに付き添うなんてできないと思っていた。もちろん。姫様はあの子の代わりではない。それはわかっている。でもね、なんとなくね。君もそうなのだろう?」
「ええ。そうです。わたくしもわかっているのです。姫様はあの子の代わりではありません。でも、あの子を思うようにお世話をすることは悪いことではない、そう思えるようになりました。あなたのおかげです。いつも知らない振りをしてくれているのに、大事なときは助けてくださるのだから。助かっています。いつも、ありがとうございます」
照れ屋な妻の感謝の言葉に私は幸せを噛み締めた。
そっと妻を抱き寄せ、背中に手を回す。妻も身を寄せてくれた。照れ屋な妻は寝室以外ではこんな事をしてくれることは無い。妻も感慨深いものがあるのだろう。
身を寄せ合いながら今はいない娘を思う。