猫かぶり令嬢は溺愛される。騎士団長様、これは営業スマイルなので困ります。
細かい宝石と刺繍の施されたドレスに身を包む。やや青みがかった髪はすでにハーフアップにされて、ここにもまた宝石の付いた髪飾りを付けられている。
ドレスの下はコルセットで締め上げられ、窮屈さと重みとで、すでに嫌気がさして来た。それでも文句を言わないのは、これを用意し着付けをしてくれている侍女たちへの、せめてもの配慮からだ。
「もう、これくらいで大丈夫よ?」
鏡にはとても念入りに化粧を施された、やや疲れた顔が映る。重いしめんどくさいし。こんな見栄だけの集まりなんて、なくなってしまえばいいのに。
いくらこういうコトが営業の一環になるとはいえ、ただでさえ私はあそこでは異質だし……。よっぽど平民たちのがマシよ。
「ダメですよ。今日は国王様主催の夜会なのですもの。一段と念を入れませんと」
「十分だと思うんだけどなぁ~」
気さくな侍女たちは、一様に私の提案に首を横に振った。今年で20になる私は、行き遅れ街道まっしぐら。皆はそれを心配しているのだろう。
貴族の令嬢は、基本的に幼い頃に婚約を結んでしまうことが多い。これは貴族にとって、結婚が家と家との結びつきだからだ。しかし、私にはそんな婚約者はいない。
そんなことも全部分かってはいるんだけど。問題は私自身が貴族でありながらも、貴族が嫌いすぎるってとこよね。嘘と上辺で会話が成り立ち、腹の探り合いしかしない人種をどーしたら好きになれるのかしら。
「お嬢様はこんなにもお美しいのですから、きっと求婚されるに違いありませんわ」
「そうですよ。今この国で一番の富豪とも言える、モドリス商会の社長であり、子爵令嬢なのですよ。今日は騎士団の帰還パーティーで、ほぼ全ての貴族が集まるのですもの。間違いないですよ」
「ん-、そうかしら」
この国では、あまり女性が表立って活躍するのは好まれない。両親が死に、私が商会を引き継ぐときに、それこそ大きな反発が起こった。元婚約者やその家の者もそうだ。
商会の権利を婚約者である子息に引き渡さないのならば、婚約を解消すると言われた。私は両親の店を他の者に渡したくない一心で、婚約解消も受け入れるしかなかった。
ただ一度婚約を解消されると、噂は悪目立ちし、そしてあることないことが一人歩きする。婚約解消も全てが私のせいにされ、今の今までまともな縁談話はきたことがなかった。
「でも別に私は結婚など興味ないんだけどなぁ。ただみんなに囲まれて、仕事をしていればそれだけで十分なのだけど……」
「またそんなこと言って! お嬢様、何度も言いますが恋はするものではなく、落ちるものですからね。急に結婚したくなる日が、心から愛しいと思える方がきっと現れますよ、お嬢様にも」
「むぅ。そうだといいのだけどね」
「そんな風にむくれてると、せっかくの美人な顔が台無しですよ」
「はぁい」
曖昧な笑みだけを浮かべると、侍女たちは少し悲しそうな表情を見せる。でも私はあの場所で、分かり合える人なんているのだろうかと思ってしまう。あの仮面を被った人たちの中でなんて。
「あとは笑顔があれば完璧ですよ、お嬢様」
「ふふふ。みんなが完璧に仕上げてくれたからこれで大丈夫ね~」
鏡に向かい、笑顔を作る。でも、この笑顔は私にとっては仮面だ。誰も見破れない、営業スマイル。これさえあれば、あの巣窟の中でも大丈夫。そう……仮面を被るという点においては、私も彼らと何ら変わりはないのよね。
そんな思いが、心のどこかをざわつかせる。しかしいつものように、私は笑顔でそれを隠し、気付かないふりをした。
◇ ◇ ◇
ちょっと待って。いやいや、待って。んんん? 何かおかしいんだけど。いや、そもそも何かではなく、全部おかしいと思うんですけど?
笑顔の仮面で隠せば大丈夫だ。そう意気込んできたはずなのに、この状況は一体何なのだろうか。いやたぶん、皆もそう思っているに違いない。
キーキーとまるで動物園にでも来たような甲高い声が王宮の会場内にこだまする。その中心に子爵令嬢である私、アルフィーナ・モドリスと公爵家の長男でこの国の騎士団長でもあるエリオット・グランツ様がいた。
彼は今この夜会のホールの壁際まで追い詰めた私に片膝をつき、手の甲に口づけをしている。
「えっと、グランツ様、今なんと……。私、何かを聞き間違えてしまったようなのですが」
私は全く状況が呑み込めず、聞き返した。
「どうか、わたしのことはエリオットとお呼び下さい、アルフィーナ嬢」
熱を帯びた目で、私を見上げる。確か私とこの方はほぼ初対面だったはず。それなのにいきなり下の名前で、しかも呼び捨てにしろというのはどういうことだろうか。
「ああ、アルフィーナ嬢、いくらでも言わせてくれ。どうか、わたしと結婚して欲しい」
私の笑みが引きつる。このキラキラした青い瞳の人はどこの誰だろう。
私が知っているこの国の騎士団の団長といえばいつも眉間にシワを寄せ、部下を怒鳴っているような人だったはず。それなのに、どうしてこんなことになったのだろうか。ちくちくと痛むこめかみを押さえ、ここに至る前のことを思い出していた。
◇ ◇ ◇
春の夜風はまだ冷たい。ただ少し酔った体を冷ますには、この庭園はちょうど良かった。夜会は本当に好きではない。夜会はというより、貴族の集まりはやはり何度来ても苦手だ。
「はぁ」
媚びて上辺だけの付き合いがほとんどの世界は、見た目の煌びやかさとは全くと言っていいほど程遠く、伏魔殿に近い。今日も嫌みと腹の探り会いをしている人達を横目に、慎ましくいつもの愛想笑いでやり過ごしてきたが、あまりの苦痛にお酒がどうしても進んでしまった。
仕事の一環だとでも思わなければ、とてもやっていられない。
さすがに飲み過ぎたわね。ワインで感情を流し込む癖をどうにかするか、もっとお酒に強くならないとダメね。
ああ、フラフラする。そんなにお酒好きじゃないんだけど、でも飲まないと場が持たないし。何より、笑顔が何度崩れそうになったことか。
ほっんとーーーーに、貴族嫌いだわ。
「つーかーれーたー。って、ん? 声? なーんだろ」
もう帰りたいと愚痴を溢しそうになった時、そう遠くない場所から誰か数名の話し声が風に乗って聞こえてくる。淑女として盗み聞きはいけないと思いつつも、私は引き寄せられるようにふらふらと声のする方へ進み出した。
「全く、愛想もなくて……本当にがっかりだわ!」
「お兄様にも全く似てないですし、あなた、ホントにお兄様の子なのかしら?」
ふたりの貴婦人が、代わるがわるに小さな令嬢に嫌味をぶつけている。この子の親はと、急いで辺りを見渡しても誰もいない。小さな令嬢はただ下を向き、ドレスの裾を強く握りしめていた。
なにあれ。何なのよ、まったく。
その姿に過去の自分が重なり、怒りと悲しみが溢れそうになる。
「泣きもしないし、あー面白くもない」
「クスッ。お母様、きっとまだ何を言われているかなんて、分かりもしないのですよ」
「あははははは。あの子の子どもの頃とは大違いね」
何なのこいつら。分かりもしない?
その一言で、私の中の何かが音を立てて壊れていく。
「あ″ー、飲みすぎちゃったぁ」
わざと聞こえるように、大きな声を出す。もちろんこれは令嬢としては、あるまじき行為だ。しかしそんなこと、私にはどーだっていい。
元々、自分の貴族たちからの評判くらい知っているもの。今更下がりようもないし。
「やだ、お母様、誰か来ましたわよ。もう会場に戻りましょう」
「そうね。いつまでもこんなとこにいてもね」
ふたりが退散して行く姿を確認して、私はその小さな令嬢に近づく。歳はまだ十歳を超えたぐらいだろうか。よくもまぁこんな小さな子に……。
「助けに来るのが遅くなってしまって、ごめんね」
「えっ……」
私はドレスが汚れるのも気にせず、その場にしゃがみ込み、その小さな令嬢に目線を合わす。そしてその小さな手を取り、謝った。
涙を必死に堪えていたモスグリーンの瞳が揺れる。胸が痛くなり、私の方が泣き出してしまいそうだった。令嬢の両手を優しく握ると、冷え切ったその小さな指先に血が通っていく。
あああ。本当に、小さい。手も何もかも……まだ夜会にデビューしたばっかりの子どもじゃないのよ。それなのに、こんな風に寒い外に呼び出して嫌味を言うなんて。
「子どもだから、何を言っても分からないなんて、ホント馬鹿よね。子どもだから、分かるんじゃない。嫌いな人も、敵意のある人も。そうでしょう?」
私は真っすぐにその瞳を見つめてしゃべり出す。彼女の小さな思いすら、見落とさないように。
「……」
「大丈夫、少なくとも私はあなたの味方よ。急に現れて、知らない人にこんなこと言われるのもびっくりするでしょうけど」
「……」
「私もね、あなたと同じだったの。ちょうど10歳になった時、船の事故で両親を亡くした。すると今まで親切にしてくれていた使用人も親族たちも手のひらを返したように辛くあたったわ」
あの頃は父と母を一度に亡くして悲しくて仕方がないのに、かけられる言葉は本当に辛辣だった。誰が引き取るのか、遺産はどれほどあるのか、お金は誰が払うのか。
挙句、泣かないと決めた私に親への愛情がない、可愛げがない、誰に似たのか。そんな言葉をかける最低な人間しか、私の周りには本当にいなかったのよね。
今思い出しても、本当に腹が立つ。
「みんなね、子どもになら何を言っても大丈夫だと勘違いしているのよ。私が人前では泣かないと決めて意固地になるほど、その嫌がらせはどんどん酷くなっていったわ」
「……お姉さんは、その時どうしたの?」
「私はね、私に悪意を持つ人はみーんな消えてもらったの。使用人も本当に信頼できる人以外全て辞めてもらって、後見人も自分で見つけたわ。ちゃんと自分のことを見て、信頼できると思える人に」
「そうすれば……わたしもお姉さんみたいに頑張れば、もう馬鹿にされなくてもいいの?」
「いいえ。それだけではまた足りないわ」
首を横に振る私に、とうとう彼女の瞳から涙が溢れる。あああ、泣かしてしまったわね。でも、そうね。この方が良かったのかもしれない。
あの時の私と同じなら、たぶんこれが正解。
「助けて欲しい時は、ちゃんと弱い自分を見せて、誰かに助けてもらう。逆に嫌いな人の前では、強くてしたたかな仮面を被るの」
「かめん?」
「そうよ。嫌いな人の前ではいい子の顔をしていて、いなくなったら、もう二度と私の目の前に来るな! べーってするのよ」
私は先ほどの親子が去っていった先を向き、大きく舌を出す。その後また向き直り、微笑みかけると一瞬きょとんとした顔をした後、先ほどまで溢れていた涙が止まった。
「ふふふ。お姉さん、可笑しい」
「あら、これは結構難しいのよ~。ほら、一回やってみて? ちゃんと出来るかな」
得意気に語れば、先ほどの沈んだ顔が笑顔に変わる。
「あなたの周りには、ひとりでも味方になってくれる人はいる?」
「うん……使用人の何人かは、すごく優しくしてくれているの。でも、叔母様達が……」
「さっきの二人ね」
少女はコクリと頷き、そのまま下を向いてしまう。
「あのおばさんたちは、あなたのお父さんのお姉さんか何かであっているかしら」
「……。うん。お姉さんと同じで、お父さんとお母さんが冬に馬車で事故にあって……。それから、わたしのこと引き取るって言ってくれたんだけど……」
「うん」
「お父さんがいた時にいた執事や使用人たちをどんどん解雇していって、家にあったものもたくさん売ってしまったの」
どうしてこうも、子どもだけが残されるとこういう悲劇となるのだろうか。いけないとは思いつつも、どうしてもこの子の姿が自分にかぶってしまう。
ホント、どいつもこいつも最悪な人たちばかりね。だから貴族なんて嫌いなのよ。
本当は他人の人生に介入するということは、その全てに責任が取れないのならばするべきではない。これは私の後見人となり、ずっと守ってくれた叔父の口癖でもある。
分かってはいるけど……。
「お母様の形見すら売られそうになって……」
「それは悲しかったね。今までとっても辛かったね。こんな小さな体で、ずっと頑張って来たんだね。そんなあなたは、本当に凄いわ。きっとご両親も、あなたのことを誇りに思っているはずよ」
「本当? 本当にそう思う?」
「ええ、もちろんよ」
涙を隠すように、その小さな体を抱きしめた。すすり泣き声が嗚咽に変わり、そして聞こえなくなるまで、ずっと。
そしてどれくらいの時間が経っただろうか。抱きしめていた体が、もそもそと動き出した。
「ごめんなさい。わたし、ずっと泣いてしまって」
「いいのよ。泣くときはちゃんと泣かないと。そしてスッキリしたら、またちゃんと歩き出せるから。そうだ、お名前聞いてもいいかしら?」
ふと、お互いにまだ名乗っていないことに気付く。
「あ、わたしはマーレ男爵家の、ミント・マーレと申します」
「私はアルフィーナ・モドリスよ。モドリス商会って知っているかしら。これでもあそこの経営者なのよ」
名前を出した途端、ミントの目が輝き出す。それは先ほどまでの悲壮感はどこにもなく、好奇心旺盛な子どもの目だ。
ふふふ。ちゃんとこんな顔も出来るのね。可愛い。
「知っています! お父さんたちが生きていた頃、お誕生日にあそこのお人形を買ってもらったんです。とってもかわいいクマの人形を!」
「まぁ、クマさん。あれ可愛いわよね。私も家に置いてあるの」
「えー。お姉さんもですか」
「ええ。あ、内緒、ね」
「ふふふ。はぁい」
うちの商会は他国からの香辛料や布、そしてかわいらしいお人形まで、商会では幅広く扱っている。どれも人気商品なのだが、特に子どもの誕生日にと人形はよく売れていた。
「明日でも……いつでもいいから、もしミントが私のことを頼ってもいいと思えたら、使用人と一緒に商会を訪ねてきて? どんな時にでも、私は歓迎するわ」
「でも、叔母たちになんて言われるか……」
「もし、こっそり出かけるのが無理だったら、モドリス商会の会長と夜会で会って親しくなったと伝えればなんの問題もないわ。叔母様たちだって、損得を考えているはずだもの」
ああ、本当にこういう時に、商会が繁盛してくれていて良かったと思う。
あの日差し伸べられた手を、今度は私が差し伸べることが出来るのだから。それだけでも頑張ってきたかいがあると言えるわね。
「でも迷惑ではないですか?」
「迷惑だなんて、子どもがそんなことまで考えなくてもいいのよ。あなたが大きくなって、その時にいつか私の頼みごとでも聞いてくれれば、私だって悪くない話でしょう?」
仮面の笑顔ではない、いたずらっぽい笑顔を浮かべると、ミントが声を上げて笑い出す。私もその声につられて久しぶりに心から笑った気がした。
「男爵令嬢として、いつかお役に立ちたいと思います」
「ふふふ、その意気よミント。さ、今日はもうこのまま帰りましょう。うちの馬車で家まで送らせるわ」
「でも、それじゃあ」
「言ったでしょ。これは言わば私の先行投資のようなものよ。ほら、これもあげる」
クラッチバッグから、小さなアメの包み紙を手渡す。普通の令嬢はきっとこんなとこにアメなど持ってこないだろうなとは思いつつも、今はちょうどよかったと思う。
「これ、美味しいのよ。私も大好きなの。帰りの馬車で食べるといいわ。中で、何も食べれなかったでしょう?」
「……」
両手で、大事そうに数個の飴を受け取る。貴族の令嬢ならば、こんな物など珍しくもないはずなのに、それほどまでにミントは叔母たちから虐げられてきたのかもしれない。
「さあ、行きましょう」
肩にそっと手をかけ、並んで歩き出す。もし私が後見人になれなかったとしても、きっとミントに取ってよい人を探そう。そう心に誓うと、馬車の停車場まで歩き出した。
◇ ◇ ◇
一息つき、気合を入れて夜会の会場に戻ると人々の視線が突き刺さる。おそらく時間を空け、更にドレスまで汚れていることに皆気付いているのだろう。
変な想像をされていることは、容易に想像がつく。しかし私はいつもの仮面を被り、素知らぬ顔をした。そんなこにまでかまっていたら、こちらの身が持たない。
「まあ、これはモドリス嬢ではないですか。夜会を急に抜けられたので、皆心配していたのですよ」
ひとりの同世代の令嬢が近づいてきたかと思うと、声をかけてきた。そしてその会話を聞くかのように、周りに小さな輪が出来る。どうあっても、彼らは私を放っておく気がないようだ。
「久しぶりの王家主催の夜会で緊張してしまって、お酒を飲みすぎてしまったようで庭園で涼んでおりましたの。皆様に心配していただけていたなんて、とても光栄ですわ~」
人の心配をするほど暇だったのかと嫌味を隠して言えば、露骨に嫌そうな顔を返してくる。
ふふふ。いつも言い返さないと思ったら、大間違いなんだからね。
「結婚前の令嬢がひとりで庭園なんて、危険ですわよ? ああ、でもモドリス嬢は決まった婚約者がいないのでしたっけ」
もう。ああ言えばこう言うというか。全く、ウザいわ。
婚約者がいないことを逆手にとって、マウントを取りたいみたいね。だけど、彼女たちの親たちには礼儀として下手に出ても、本人たちにはまだ権力もなにもなく、身分は私となんら変わりない。そんな人たちにまで丁寧に営業スマイルとトークをする必要はない。
「ええ。なかなか良い人がおらず、いまだに婚約者がいないんです。どこかに良い人がいればいいのですが……。ただぁ、自分が良いと自慢したくなるような方は、やっぱり他の人から見ても良い人だと思うんですよねぇ」
「な、なにが言いたいの、貴女」
「別に深い意味はないんですよ~。ああでも、ミナ令嬢の婚約者様、先ほど庭園で他の女性を連れておられましたわ。私などにかまっていたら、どこかの泥棒猫にさらわれてしまうかもしれませんね」
小首を傾げ、大変だとばかりに口元を手で押さえる。もちろんそれはただのフリで、笑い出すのを必死で堪えているだけだ。そんな私を見た令嬢が、プルプルと肩を震わせながら怒りを露わにする。
こうなれば、もう誰が勝ちかなど一目瞭然だ。遠巻きに見ていた令嬢たちも、扇子で口元を押さえながらクスクスと笑っている。
「ご忠告、ありがとうございますモドリス令嬢」
「いえいえ」
ミナ令嬢はドレスをつまむと、そのまま歩き出す。
あはははは。勝った。情報が多いのはイイコトよね。
「勝ったと思わないことね!」
すれ違いざまに、嫌味を言ったかと思うと、令嬢はわざと私に肩をぶつけていく。
「……った」
さすがに勢いよくぶつけられた肩は、ズキズキ痛む。しかし今ここで肩に手をやれば、弱みを見せることになってしまう。私はなかったように、ただ笑顔を作った。
次はどんな嫌味がくるだろうかと構えていると、夜会の音楽が変わる。この曲変更に、皆が玉座のある方へと姿勢を正す。そしてまず奥から国王陛下と皇后様が入場された。
その場に集まった貴族たちが一斉に最上級の礼にて国王陛下たちへの挨拶をする。そしてまた曲が変わったかと思うと、次は騎士団の入場だ。
すっと皆が中央の道を開け、正装をした騎士団の屈強な男たちが入場してきた。その麗しい姿に、貴婦人たちが感嘆の声をもらす。
「皆、楽にしてくれていい。この度隣国からの侵略を防いでくれた騎士団のために皆が集まってくれたこと、嬉しく思う。また、騎士団の者たちも皆、大変ご苦労であった。そなたたちのおかげで、我らはまたこうして平和な日々を過ごすことができる」
「もったいなきお言葉にごさいます、陛下」
騎士団の先頭に立つ、ひときわ体躯のよい男性が答えた。仕事の関係で、数回見たことあるが、彼がこの騎士団の団長であるエリオット・グランツ様だ。
他の団員たちより頭ひとつ分くらい大きく、またその腕は私の足より太いのではないだろうか。決して誰にも媚びず、微笑むこともない彼は、そのクールさから人気が高い。
「特にそなたには、なにか特別な褒美をと考えているのだが、どうだ?」
「……それではひとつだけ、陛下にお願いしてもよろしいでしょうか?」
彼の言葉に会場がどよめき、国王陛下がやや前のめりになる。それもそうだろう。彼は今までどれだけ功績を上げても、職務の一環だとして褒美を受け取ってはこなかった。それなのに、今回に限って自分から褒美をと言い出したのである。皆彼の言葉に、興味津々だ。
でも確かに私も興味あるのよね。彼には今までの報奨金など、使い切れないほどのお金は持っているはずだし。英雄様は一体、何が欲しいっていうのかしら。
あ、でも彼が欲しがったものと同じものを売りだしたら、絶対に売れるわよね。コレ、結構な商機じゃない。
嫌々でも来たかいが本当に合ったわ。メモしたいけど、さすがにココでは出来ないし。しっかり覚えて帰らないと~。
「なんでも良い、言ってみなさい」
「では……ここにいるひとりの令嬢への求婚の許可を」
「そ、そなた……とうとう。そうか、そうか。求婚どころか、誰に思いを告げようとも婚姻の許可をしよう! いやいや、これはいい。すぐしなさい」
なんとも太っ腹な返答である。しかし今まで浮ついた話も、婚約者すらいない彼のことを案じていたのだろう。国王陛下の気持ちも分からなくはない。うちの侍女たちが私を心配するのと似ている。
って、モノじゃなかったし。もーぉ。せっかくの商機とウキウキした私の気持ち返してよー。
はぁ。つまんない。人の色恋とか、興味ないし。ああでも、彼の結婚式とかのお手伝い出来たら売上あがるかなぁ。
んんん。今まで接点なさすぎるけど、お近づき出来るかしら。
「して、誰だ。どの令嬢なのだ?」
国王陛下がやや急かしたように尋ねると、彼は急にこちらを向いた。二人のやり取りをただぼんやりと見ていた私の意識が浮上する。
「?」
真っすぐに私を見据えたまま歩き出すグランツ様に驚きつつ、私は後ろを振り返る。しかしそこには壁があるだけで誰もいない。
んんん? え? え? なになになになに……。
その事実が怖くなり、隣に視線を移しても、両脇にいるのは既婚者の男性だ。彼が向かう先にいる女性は私しかいない。
いやいやいやいや。ないでしょう、さすがに、ないでしょう?
きっと何かの間違いだろうと、数歩下がるもののすでに壁まで来てしまっている。
ゆっくりと流れていたはずの音楽も聞こえない。そしてただ真っすぐに見つめられた彼の顔以外、目に入らない。こんな時はどんな顔をすればいいのよ。
見当もつかない私には、いつもの笑顔を受けべる以外のすべはなかった。
「アルフィーナ嬢、どうか俺……わたしと結婚して欲しい」
彼が言葉をそう発した瞬間、キーキーとまるで動物園にでも来たような甲高い声が王宮の会場内にこだまする。しかしそんなことなど気にする様子もなく、彼は私に片膝をつき、手の甲に口づけをした。
「えっと、グランツ様、今なんと……。私、何かを聞き間違えてしまったようなのですが」
私は全く状況が呑み込めず、聞き返した。
「どうか、わたしのことはエリオットとお呼び下さい、アルフィーナ嬢」
熱を帯びた目で、私を見上げる。確か私とこの方はほぼ初対面だったはず。それなのにいきなり下の名前で、しかも呼び捨てにしろというのはどういうことだろうか。
やだ、全然意味が分からないんだけど。え。なにが何ですって?
キーキー叫びたいのは私の方よ。今一体、何が起きてるの。これ、なんかの罰ゲームとかじゃないのかしら。
「ああ、アルフィーナ嬢、いくらでも言わせてくれ。どうか、わたしと結婚して欲しい」
私の笑みが引きつる。このキラキラした青い瞳の人はどこの誰。夢にしてはちょっとたちが悪すぎるわ。私は彼とお近づきになりたいとは一瞬思ったけど、そーいう意味じゃないのよ。
ちっがーーーーぅの。誰か分かって。
って、ココには誰も私の味方なんていないんだったわ。すっかり忘れてた。
「あの、どなたかと勘違いなさってはおりませんか? 私とは今ここでお会いするのが初めてではないですか。確かに仕事上、何度かお会いしたことはありましたが、お話させていただくのは今日が初めてですよね?」
「ええ。きちんと会話させていただくのは、今日が初めてです。先ほどの庭園でのやりとりを、失礼だと思いながら見ていたのです。あなたの笑顔は、ここにいるどの貴族の令嬢たちよりも美しく、尊いと思ったのです」
まさか、ミントとのやり取りを誰かに見られていたなんて思ってもみなかった。でも、よりによって笑顔を褒められるなんて……。
私は自分の笑顔が好きではない。だってこれは仮面でしかないから。そんなモノを好きだ、なんて。
「笑顔がですか?」
作り笑いだけは崩さず、もう一度問いかける。
「ああ、その笑顔ではないですよ? あの可愛らしく声を出して笑っている顔の方です。いえ、それだけではなく、あの小さな令嬢のためにドレスが汚れるのも気にせず膝を折り目線を合わせるところや、従者たちへの心配り、また嫌味を言う令嬢たちをあしらう姿など全て……」
「ちょ、も、もう、それぐらいにしてください、グランツ様」
思わず自分の両手で、グランツ様の口をふさいだ。心のどこかがこそばゆいのと同時に、自分の中の熱が顔に集まってくるのが分かった。
見られてた。あのすべてを、この人に見られていたのね。誰もいないと思ったから、素の私だったのに。嘘でしょ。こんなところで素を見せたことなんて一度もなかったのに。
「ああ、そんな風に赤くなる貴女も可愛らしい」
恋はするものではなく落ちるものだと今日言われたばかりだが、こんな急に、しかも自分の身に起こるなど、どうして思えるだろうか。
でも不思議と嫌ではないのよね。あの作り笑いでも、地位でも、商会としての財力でもない、ただの私を好きになってくれていることが伝わってくるから。
「コホン。この求婚も、結婚も、モドリス嬢さえ良ければ王家が全面的に協力をしよう。ただ、今求婚されたばかりで令嬢も困惑しているところに違いないだろう。しばらく二人でよく話し合うといい」
「……身にあまるお言葉をいただき恐縮です」
陛下の言葉は助け船のようにさえ思えた。今すぐにどうと言われても、今までそういうことが一度もなかったから、対処の仕方も分からない。
家に帰って、誰かに相談しなきゃ。ああでも、絶対にみんなニヤニヤしてそうだけど。
「では、私は、今日はこれで」
そう言いかけたにも関わらず、グランツ様は私の手をつかんだ。そしてそのまま立ち上がり、エスコートするよう歩き出す。
「あ、あのう。私一人でも帰れますので」
「いや、先ほど帰らせた馬車がまだ戻っては来ていないはずです。それに貴女は膝をすりむいている上に、肩にも怪我をしているではないですか。まず手当をしてから、うちの馬車で送りますよ」
「いえそこまでお気遣いしていただかなくても、グランツ様」
「わたしのことは、どうかエリオットと。これでも遠慮しているのですよ? 本当は今貴女を歩かせるのですら、嫌なのですから」
立ち止まってくれたかと思うと、振り返り、顔を覗き込まれる。歩かせるのすら嫌だっていうのはどういう意味かしら。歩かなければこの会場からは出れないし。言っている言葉の意味が分からず、考え込んでいると彼はさらに一歩近づき距離を縮める。
「グランツ様? きゃ、ちょ、ちょっとこれは……」
彼の手が肩にかかったかと思うと、そのまま私の体は宙に浮く。すぐに自分が横抱きされているのだと理解する。歩かせないというのは、こういう意味だったのね。
これは恥ずかしい。いや、無理。本当にむーりー。
「降ろして下さい! グランツ様。私、重いですし」
「いえいえ。貴女はまるで羽根のように軽いですよ。それに、エリオットと」
この人やだ。全然会話がかみ合ってないし。意地悪そうな顔をして、私が身動ぎしても全く動じない。
「……エリオット様、降ろして下さいませ。これでは、恥ずかしくて死んでしまいます」
「……」
「エリオット様?」
「やはり、降ろせないな。そんな可愛らしい顔は、誰にも見せたくない」
恥ずかしくても、ちゃんと名前を呼んだというのに降ろして欲しいという願いは聞き届けられなかった。そんな顔って、私は今どんな顔をしているの。鏡がないから自分ではまったく分からない。
ただ彼を見ているうちに、あの仮面がどこかに消えてしまったことだけは分かった。彼といれば、もう私にはあんなもの必要がないのかもしれない。
夜風などまったく気にならないほど温かな腕の中で、私も恋に落ちたのはまだ秘密だ。
こんにちわ。
たくさんの方にお読みいただけたこと、とても嬉しく思います。
他にもたくさんの短編と長編書いておりますので、よろしくお願いいたします。
オススメは
長編
合わせ鏡の呪縛。双子というカテゴリーから脱出したので、今度こそ幸せを目指します。
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短編
自称ぽんこつ令嬢は今日も記憶をなくしたい。それなのに殿下のからの溺愛が止まりません。
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