セクション1
「舞子。舞子!」
待ちきれなかったと言わんばかりに、終礼のチャイムと同時に亮子が声をあげた。それから教室の一番前の席から小さな体が、机と机のせまい間を縫うように駆けてくるのが見えて、私はもうただただ嫌な予感しかしなかった。
ばん、と私の机を威勢よく叩くと、大きな瞳をキラキラ輝かせた満面の笑みで、
「あんたさ。呪い殺したいひといない?」
と言った。
私は一瞬反応に戸惑い、それからゆっくり、あきらめて眉間に手をあてた。
「今度はなに」
「願いが叶うのよ!」
うわずった声を押し殺しきれないで、くくっと笑う。興奮でほっぺが真っ赤だ。
「またそういう話」
私はうんざりして首を振った。言っておくが、他人を呪い殺したい願望はない。
彼女はタチの悪いオカルトマニアである。入学早々、この斎河高校の七不思議に首を突っ込んで、わりとひどい目に遭った。私自身も巻き込まれたのだが、それはまあ別の機会にお話しするとしよう。
「なんやなんや。また亮子のビョーキが始まったか」
隣の席の環が苦笑いをうかべた。
「はん! 出ぇたわね、現実主義の権化」
途端に亮子が口をへの字にして腕を組んだ。
「出たもなんも、初めっからここにおったわ。そっちが勝手に来たんやないか」
環は涼しい顔で、机の上を片付けている。
「あれ。環、もう帰るの?」
「おう。テスト前やから部活もないしな。寄るとこあんねん」
「げ。テストとか意図して考えないでいたことを思い出させるなんて、さすがは現実主義!」
渋い顔で亮子は身構えた。
さすがに来週のことを考えてないとは、他人事ながら大丈夫だろうかと心配になる。
「バレー部の先輩、一年の中間テストなんざ、勉強せんでもいける言うとったで」
「それは、ちゃんと授業を聞いてるひとの話だよー」
にこにこしながら葵里が話にくわわる。環は大きくうなずいた。
「せやなー。アオリンは心配いらへんな。授業中こっそり、不気味な本読んどる亮子はせいぜい泣いたらええねん」
「あたしは本番に強いの。見てろよ」
「大きく出たなぁ、ちっこいくせに」
一四〇センチ台の亮子の頭を、ぐりぐり一七〇センチの環が押さえつける。
「あんたがデカいだけでしょ。ノミの心臓め」
「おやァ? なんか聞こえるでー。はて、声はすれども姿は見えず。りょうこー、りょうこー、どこにおるんやー」
亮子の頭を押さえつけたまま、環はわざとらしくきょろきょろした。必死にもがきながら、亮子が渋面で「むかつくー」と叫んだ。
ノミの心臓と揶揄するのは、体も態度も大きな環が、亮子の得意とする心霊系の話が大の苦手なことに由来する。ちなみに環の着信音は、『おばけなんかないさ』だ。
私と長谷川環は幼稚園の時からの幼なじみで、一番の仲良しだ。この春からここ私立斎河高校に入学して、新しく仲良くなったのがこの御影亮子と如月葵里である。わずかまだ二ヵ月の付き合いであるが、このままずっと一緒にいたいと思う仲間たちだ。
「まーた舞子がにやにやしとる。どうせ良からぬ想像でもしとったんやろう」
環が覚めた目でふり向いた。にやにやではなく、にこにこと言ってほしい。
「舞子って絶対ムッツリの素質あると思うのよね」
歯に衣を着せず亮子が毒を吐く。
「えー、そういうのよくないよー」
どっちつかずの意見で、葵里が笑顔のままおろおろする。
「部活ないんだっけ」
私は咳払いして立ち上がる。
「文芸部はある」
亮子が即答する。
「帰宅部もあるよ」
すかさず手をあげて、葵里が口を開く。この場合、ないと同義である。
「演劇部は?」
「ない」
それを聞いて、亮子の眉がつり上がる。
「なんで。あたしだけじゃん。ちょっと理不尽じゃない?」
「知らないよ。部室で言ってよ。――で、どこ寄るって?」
「今日、料理当番やねん」
スーパーらしい。環の家では、家事は持ちまわり制になっている。中学の時から料理を作っている彼女は、将来いいお嫁さんになれると思う。
「付き合うよ」
「わたしも行く―」
「おお、悪いな二人とも。やっぱりトモダチやな」
うれしそうに環が笑った。
それを見ていた亮子が不満そうに、「あ、あたしも行こっかなぁ」とか小さな声を出す。
「おぅ、部室か? 早めに行ったほうがええで。部長は時間に厳しいお人や言うとったやないか」
亮子が、ぐ、と擬音を洩らす。
瞬時に天秤にかけたようだったが、すぐに小さな肩を落とした。すごすごと席に戻っていく。部長の恐ろしさにはかなわなかったらしい。
「……かわいそうじゃない?」
葵里が眉をしかめて、環を見あげた。
「あー……せやろか? うーん……。亮子、ちょっと、なあ」
さすがにバツが悪いと感じたらしく、環はうつむいて教室を出ていこうとする亮子を呼び止める。しかし、彼女はふり返らない。
「さっきもなんか言いかけてたみたいだしさ。きっと用事あったんだよ。よく聞こえなかったんだけど、のろい――」
「わ。それ言っちゃダメ!」
葵里の同情のセリフに、私はあわてて首を振った。だが、教室を出ていこうとしていた亮子は耳ざとく、それこそ待ってましたとばかりに目を爛々と輝かせて舞い戻ってきた。
「葵里。あんた、興味ある? 誰か呪い殺したい人いない?」
不吉で、不届きなことを平然と言ってのける彼女は、この学年ではもはや有名な奇人の扱いで、クラスメイトもいまさらいちいち驚かない。むしろあきれてる。私たちのように。
「舞子たち、紫崎中でしょ。聞いたことない、どんな願いでも叶えてくれるっていう水神様の話」
「また変な話拾ってきて」
「うさんくさい話やなぁ。ウチらは聞いたことないで」
亮子と葵里は市外から通っているのだが、私と環はこの斎河高校のある紫崎市の中学出身である。それを踏まえたうえで察するに、どうも近隣の中学から仕入れてきた噂のようだ。
亮子はチェシャ猫のようににんまりと笑い、ぐるりと教室を見まわした。
「場所が悪いわ。いつものとこに行きましょう」
亮子がひっそりと小さな手のひらを開く。そこには古いカギが、かわいらしい猫のキーホルダーにつながっている。
まったく。いまさら誰の目が気になるというのか。彼女は入学初日の自己紹介で、いかに自分がオカルト好きであるかを語って、一瞬にしてクラスを凍りつかせた猛者なのである。その後、亮子のほうから近づいてこなければ、私は彼女と関わるのを積極的に避けていたかもしれない。
でも付き合ってみると、そういうところを除けば、普通におもしろい子なのだということがわかった。……うん、除けば、だ。
「パス」
環が真顔で手をあげる。
「言うたやろ、帰らなあかんねん」
「三十分!」
亮子が手を合わせた。
「話だけ!」
「キャッチセールスか! 誰がその手に乗るかいな。どうせ、いつもの怖い話なんやろ。騙されへんからな」
カバンを引っつかんで環が立ち上がる。すかさず亮子が、とどめのひと言を叫んだ。
「と、友だちでしょ!」
途端に環は、すっぱいものでも食べたような顔になった。わずか二ヵ月で環の扱いを心得たようである。臆病者の私の親友は、友だちという単語に弱い。
「……幽霊か?」
「違うわ」
「……怖い話か?」
「ちがうわ」
「……呪われんとちゃうか」
「信じないんでしょう」
二回目の「違うわ」の声が若干裏返っていたので、たぶん嘘だろう。
「……さ、三十分だけやで?」
「やった。環好き!」
「現金なやっちゃなぁ」
「現金はもっと好き!」
「最低なやっちゃなぁ」
「さあ行くわよ、舞子、葵里!」
亮子が指をつきだして、ご機嫌に歩きだした。
「斎河高校探偵団女子部、活動開始よ!」