幸助 in 有住邸
部活が終わり、有住邸に足を踏み入れる。有住『邸』というほどには大きい家で、田舎にある一般的な一軒家程度には大きい。俺たちが住んでいる暁区は都会なため、相当なお金持ちなのだろう。
ぴんぽーん。
「はい、どちら様・・・って幸ちゃん! 久しぶりじゃない。入って」
アリスの母親、静香さんがドアを開けてくれた。静香さんはもう40を過ぎているはずなのに魔性なまでに美しい。
女優かと見間違えるほどの、エキゾチックな美貌。それでいて、日本人でも憧れるような美しい白い肌。しゃらんと音が鳴りそうなほどの、茶髪。エプロン越しでもわかる放漫な胸、筋肉質で一切の無駄をそぎ落としたかのような美しく、もはや芸術的とまで言えるしなやかな足と腕。極めつけは、髪や体から漂ってくる、香水の香り。さわやかなヴァーベナの香りが鼻孔をくすぐる。お隣さんでなければ今頃、虜になっていたことだろう。
「お邪魔します」
静香さんは俺を家に入れた後、チラチラと家の外を見てドアを閉めた。
「あらかじめ言ってくれたら色々準備したのに・・・」
「お線香あげたらすぐ帰るので大丈夫ですよ」
「あら、遠慮しなくていいのよ。幸ちゃんは半分私の子供みたいなもんなんだから」
この様子からするとアリスは見えていないらしい。アリスは少し寂しそうな顔をしていたが、俺がアリスの方を見たことに気が付くと、ニコっと気丈に笑った。
「いらっしゃい」
リビングに入るとハスキーボイスでナイスガイが出迎えてくれた。アリスの父親、慶次さんだ。ひげを蓄えたダンディなイケメンで、深い彫はジェームズボンドが画面から飛び出てきたかのようだ。相変わらずのポーカーフェイスで何を考えているかわからないがきっと俺が来たのを喜んでいるはずだ。・・・たぶん。
仏壇の前に座り、お線香をたく。お香の良い香りが鼻にひろがる。お鈴を鳴らし、手を合わせる。本人が隣にいるのに手を合わせるのは何とも複雑な気分だ。
「ありがとう。久留実も喜ぶわ」
静香さんは静かに言った。慶次さんも神妙な顔でうなずいた。アリスは仏壇に供えられたピーマンの肉詰めを見てぶるぶると震えていた。
「もー! 死んだ後も、嫌いなもの食べさせないでよ! どうせお供えするなら、モンブランとか甘いものにしてよ!」
アリスの文句はもちろん二人には届かない。
「アリスはピーマン嫌いだったから、お供えしたら文句を言いに飛び出してくるかと思ったけど、そんなことはなかったわね」
少なくとも文句を言わすことには成功してますよ。
「今頃どこかで、文句を言ってると思いますよ」
「ふふ。そうね。じゃあ、いつか仏壇をピーマンだらけにして夢の中で文句でも行ってもらおうかしら」
「そんなことしたら絶対許さないから! 幸助! モンブランをお供えするように言ってやって!」
「それよりかは甘いものをお供えしてあげた方がいいんじゃないですかね?夢の中で文句ばっか言われても嫌じゃないですか?」
「確かにそうね。じゃあ、あの子が好きだった金平糖でもお供えしてあげましょうか」
「おしい! 金平糖もすきだけど、もう一声ほしかった! まあ、今日はこれくらいで妥協してあげるわ!」
何様なんだお前は。
「幸助。最近変わったこととかはないか?」
無口な慶次さんが珍しく話しかけてきた。
「え? いや、特にはないですけど」
「そうか。ならいい。だが、変わったことがあったらすぐに教えてくれ」
何だったんだ?まあ、気にしすぎることもないか。
「今日は急に押しかけてしまってすいませんでした。そろそろ帰りますね」
「あら、もう帰っちゃうの?もうちょっとゆっくりしていけばいいのに」
「いえ、大丈夫です。これ以上遅くなると、母さんも心配するので」
「そうなの、残念ね。また来てちょうだいね。久留実、幸ちゃんのこと大好きだったからきっと喜ぶわ」
「な! 何言ってんのママ! そ、そそそんなこと全然ないんだから! 幸助は、あれよ! 都合のいい友達って意味で! 利用できる友達って意味で扱いやすかっただけだから!」
アリスは顔を真っ赤に染めて反論した。これほどまでに慌てていると逆にすがすがしい。
「そうですね。また来ます」
「そうですねじゃないわよ! 話聞いてるの!」
耳元でギャーギャーわめくアリスが非常に煩わしい。
「おじゃましました」
俺は有住邸を出て、自宅へと向かった。向かったと言っても、1分足らずで到着する距離だけど。
耳元で騒ぐアリスの声はうるさかったけど、懐かしかった。涙が出そうになって、必死に昨日見たギャグマンガの内容を思い出して耐えた。
「ただいま!」
俺は家に帰り、自室に向かった。そして、悲劇は起こった。