侯爵令嬢と繰り上がり陛下
「ヴィオラ・ワーグナー!おまえとの婚約を破棄する!そして、私が見つけた真実の愛……ユフィと結婚することを誓う」
ピンクの髪の少女を腕に抱き、憎々しげにわたくしを見るこの国の王太子に溜息を吐いた。
わたくしと殿下は幼い頃からの婚約者だった。それも、王家がわたくしの家の財産を引き出したくて結んだ婚約である。この方、わたくしが婚約者から外れれば王家がどれだけ困窮するかわかっていらっしゃるのかしら。得意げに殿下に付き従う弟も痛い。あの子は次男。侯爵家を継ぐわけではないのだから弟が味方だからといってうちからお金は引き出せないのですよ。
「殿下、一応理由をお聞きしても良いでしょうか?」
「何を白々しい……。おまえがユフィにした嫌がらせ行為、犯罪行為は分かっている」
威嚇するようにそう言い募る殿下。ユフィというのは愛称だと思うのだけれど、彼女の名前をわたくしは知らない。
昔はお慕いしていましたけれど、ここ1年の殿下からわたくしへの仕打ちを考えれば100年の恋も覚めるというものです。
「嫌がらせなどする意味がないではありませんか。確定した婚約、そもそもが友人未満の関係性、王妃教育のせいで持てない自分の時間。わたくし、暇ではないのですよ?」
「そんな……!罪を認めて謝っていただければ私はそれでいいのにっ!」
悲劇のヒロインのつもりかしら、と涙を瞳に溜める少女について考える。少女、というならば自分の方がよほど感性が少女かもしれない。男を手玉にとって涙を武器にする姿は嫌な女のやり口だ。そういえば、友好国の王太子の婚約者であられたベアトリクス様もこうやってあらぬ罪で糾弾されて結婚相手を探すのに苦労なさっておいでだったかしら。
話が通じない相手といくら話しても無駄、というベアトリクス様からのお手紙を思い出して「家と話して後日婚約破棄の手続きをさせていただきますわ」と口に出す。今しろ、と言われても家同士の契約をわたくしたちだけで破れるはずがありませんもの。
家に帰って両親とお兄様に婚約破棄の件を伝えると、お父様とお兄様は激怒し、お母様は泣いてしまった。
「王族に婚約破棄された娘なんてお嫁も貰い手がないではありませんか!ヴィオラの幸せはどうなるの……わたくしの可愛いヴィオラ……」
「それは私たちがどうにでもできる。しかし、殿下だけではなくクロヴィスもか!」
「王家の財政を考えても、婚約破棄のせいで我が家から金を引っ張れないと困るでしょう。余計なことを考えられる前にクロヴィスには病死してもらうほかありますまい」
お母様はお兄様の言うことを聞いてまた泣いてしまった。けれど、家族全員で言い聞かせてきた結果がこれなのだから仕方がない。冷酷だと言われても、家はおろか国にとっても毒にしかならない者を生かしては置けないのが貴族なのだから。
その後、家に引き戻された弟は「病死」して、わたくしたちは弟の急死にて心身を病んだという名目で領地へ閉じこもった。
領地についてしばらくした頃、お兄様が「王家の血族ではあるが、私の友人の公爵家の嫡子である男と会ってみる気はないか?」と問いかけてきた。
「ヴァーレン公爵家は最近持ち直してきた数少ない領地だし、あれは誠実で人に好かれる男だ。難点としては人に好かれやすいからか、あれを持ち上げるために暗躍するやつらがいるくらいだが……」
わたくしなら問題はないだろうと言うお兄様。ヴァーレン公爵家というと、去年の春に卒業されてすぐ結婚し、領地へ帰ったレオルド様のご実家だったはず。現領主様は前領主の豪遊のせいで枯れていった領地を立て直すために必死に走り回っていたそうだ。学園を卒業した18から7年もの間ずっと。運がいいのか悪いのか、立て直しを始めた時あたりで前領主夫妻が事故死……うん?
「そういうことですか」
「そういうことだ」
おそらくこのままではまずいと思った誰かが、現ヴァーレン公爵のために事故死させたのか。なぜかそんなことを感じさせずにサラッと学園首位で卒業していったレオルド様と、学園にいた当初から才媛と呼ばれた奥方もこの件に関わっている気がする。
これを怖い恐ろしいと言うならば、わたくしたちとて弟を失った身。お兄様には常識的な冷却期間をもって紹介していただけるならば、と言っておいた。
のだけど。
「第二王子殿下と王妃様が流行病にて病死、王弟ディラス様とその子息であられるサイラス様も意識不明とのこと!侯爵にはできるだけ早く城の指揮を取っていただきたく!」
城から急ぎの知らせが来て何かと思えば、わたくしたちが王都を離れた翌週から貴族を中心に病が流行ったらしい。王族の良心が死んだという知らせに鳥肌が立った。
これで意識不明の二人が死ねばまともな王族はいない。王太子は言わずもがな、第三王子は我儘浪費家、サイラス様の弟は宗教に傾倒して財産を食い荒らしていると聞いた。陛下はお気に入りの側室の言いなりである。
「……ここまでくれば仕方あるまい。領地に引っ込んでいるリカルド様までの王位継承権を持つ3人と陛下には流行病に罹っていただくほかない」
「ブラック公爵様もお覚悟を決められたそうです……」
「王妃と第二王子がいなくなった以上、陛下の歯止めが効かず国が滅びかねない。領地を立て直したリカルド様ならばなんとか……幸い、ヴァーレンにはレオルド様がおられる」
あら、リカルド様ってさっきお兄様がお見合いさせようとしていた相手では。
そう言う前にお父様は王都に戻っていかれた。お兄様も戻ってくるように請われていたが、お父様が「跡取りを失うわけにはいかぬでな」と断った。お兄様は「ヴァーレンはレオルドが継げばいいもんな」と納得していらっしゃったけれど……これってお父様たちが頑張ると。あら?あらら?いえ、肝心のリカルド様が受けるとは限らないものね。
婚約破棄されたわたくしが王妃になることなんてないでしょう。次の相手を探していただかなければなりませんわ。
そう思っていたわたくしは10日の後に王宮に呼び出され、金の髪に空色の瞳、日に焼けた肌の美丈夫に王妃にと請われて嫁ぐことになるだなんて思ってもおりませんでした。
何やらユフィ?と呼ばれておりました女が時折夜会などでわたくしの陛下に近づこうとしておりましたが、わたくしのことを「あくやくれいじょう」と呼ぶ彼女を陛下は素気無く振り払い、わたくしの手を引いてくださるのです。
「あの嫌な気配のする娘は何なんだ?来年学園を卒業するやつらが引っかからないように立入を禁止してくれ」
何度目かの突撃の後、困った顔の陛下がそう口にした途端、彼女を「冷たくあしらわれて可哀想に」と言ったはずの人間が目つきを変えました。
次の日には「例の御令嬢ですが、領地に連れて帰られたようですよ」と言っていましたが、彼女はおそらく病死された元婚約者のところにいるのではないでしょうか。
お兄様の言っていた難点、近くで見ていると陛下には死という意図がないので結果がいつも死を招くことを気づいておられません。一生黙っておくべきでしょう。
陛下は今日も頭を抱えながら必死に働いていらっしゃいますが、わたくしは陛下のおかげで幸せです。
「繰り上がり陛下は頭を抱える」で王族がバサバサ死んでいった裏側。
まともな政治ができる王族が倒れた結果、前王様を含む困った連中をなんとかするしかなくなってしまったお話かつ、ヒロイン系困ったちゃんよりも繰り上がった陛下の方が周囲に与える影響が怖かったというお話。