左の道 消滅
この話はバッドエンド編になります。
ハッピーエンド編が読みたい方は前の話に戻ってください。
走っているうちに、分かれ道に突き当たりそうになった。
左のほうが出口は近いけど、目的地がはっきりしすぎて追いかけられそうな……。
と、その時、拳登が振り向いた。そして。
『俺は右に行ってあいつの気をひくから。だから、優子は早く左に走れ。この病院から出ろ』
「で、でも……」
言葉の続きは、出てこなかった。
あまりにもまっすぐに、拳登が私を見ていたから。
『……最期に、お前を守らせてくれよ』
おもわず、笑みがこぼれた。
「……ありがとう。大好き。一生、忘れない」
『俺も、優子が大好きだ』
私が大好きな、無邪気な笑顔で、拳登も言った。
「……さよなら!」
『またいつか……な』
そして私たちは、その分かれ道で別れを告げた。
私は逃げた。
三田さんに気付かれないことを、追いつかれないことだけを祈って、走る。でも、自分の足音が三田さんに聞こえてしまうのではないかと気が気でなかった。
そしてそれは、恐らく、正しかった。
いつしか私は、二つの足音を聞いていた。
一つは私。もう一つは……三田さん。
振り返ってはいけない。走らなければ。でも、足が震えて速度が出ない。
そして、ついに。
「——!」
足が言うことを聞かなくなり、その場に崩折れた。這ってでも逃げようとしたが、そのために必要な手や腕も、いや全身が震えていることに、その時ようやく気付いた。
逃げろ、と心が叫ぶ。
でも、体が言うことを聞かない。
とすっ。
肩に置かれる、冷たい手。
『——捕まえた』
思わず、振り返る。
真っ赤な目。
肩から忍び寄る、死の気配。
嫌だ、死にたくない——!
あの女の気を引こうと、俺は一人、演技をしながら逃げていた。そばに優子がいると思わせるために。
けれど、一向に足音が聞こえてこない。振り返ってみると、誰も、いない。
しばらく待ってみる。でも、こない。
「——まさか!」
血の気が引いた。
あの女は俺の演技には騙されなかった——つまり、左に行った? なら、優子が……!
踵を返し、走り抜ける。
ただ彼女の無事を祈りながら。
鮮烈な、紅。
強烈な、死の匂い。
原型をとどめていない、姿。
目の前の事実を認めたくないのに、それらが現実を突きつけてくる。
あたりは血の海だった。
そしてあの女は、廊下に座り込みなにかを貪っていた。
食べていたのは、何か、暖かく光っている……いや、光っていたもの。
『あら、遅かったわね』
くるり。女が振り返る。
『あの子はもう殺したわ。八つ裂きにしてね。首を締めるのにはもう飽きたもの。ああ、そうだ。もう二度とあの子には会えないわよ。私があの子の魂をもらったから』
女は、ゆらりと立ち上がる。足元にある肉塊は……優子だったもの。
『そして今度はね、貴方よ。勝てると思わないでね、あの子が私の力になったの。つまりね』
真っ赤な目が、らんらんと光る。
『――今の私は、さっきの私とは違うのよ』
……蛇に魅入られたように、動けない。
『動けないでしょ? 当たり前よ。動けなくなるようにしたんだもの。
……ふふ、その絶望した顔、だあいすき』
ひたり、ひたり。
あの女が、近づいてくる。なのに俺は、動けない。
『絶望の淵にいる命や魂って、美味しいの。力がたくさん湧いてくるし。
……ほら、捕まえた』
腕を、摑まれる。
と同時に、何も分からなくなる。
『それじゃ、いただきます』
そんな、こえが、きこえた、きがして。
とてつもない、いたみが、おそった、きがして。
やみに、のまれた。
「……ごちそうさま」
私は一人、呟いた。
「一つの命と、一つの魂。それも二つとも、絶望の淵にいるもの。ふふ……力がみなぎってくるわ」
さて、私はおとなしく霊安室に帰ることにしようかしら。新たに訪れる裏切り者を待つために。
「――裏切り者は、みんな、殺してやるんだから」
これにてバッドエンド編も完結です。
次回、ハッピーエンド編でもバッドエンド編でも読めるエピローグ(優子や拳登を追い詰めた霊の物語)を投稿して、この物語は完結です。
最後までお楽しみいただければと思います。