表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/9

呪詛と懇願

 悪魔のような形相をした女は、つかつかと優子に歩み寄っていく。嫌な予感がしてその女に摑みかかったが、『邪魔をするな!』の言葉と同時に、ものすごい力で投げ飛ばされてしまった。

 そして女は優子の前に立つと、表情を変えることなく彼女の顔面に自らの掌を突きつけた。

 その瞬間、優子が崩折れ、倒れたのが見えた。

「優子⁉︎」

 すぐに彼女の元に駆け寄り、揺さぶった。届かないと分かっていても、耳元で彼女の名を繰り返し呼ぶ。

 優子の目は、閉じられたままだ。

『そいつはもう、自らの意思で起きることはない』

 女の声がした気がした。でも、その言葉を信じたくなくて、必死に呼びかけ続けた。




 ——ようやく私は、さっき何が起こったのかを理解しつつあった。

 分かったのは……私は誰かに、首を絞められたこと。そして、他の誰かに助けられたこと。

 でも、この部屋には、誰もいない。拳登の亡骸があるだけで。一体、誰が首を絞めたのか——。


 ——一人だけ、思いつく。

 こんなことは考えたくないけど……多分……。

 ……多分、拳登なんだと、思う。

 もしかしたら、彼の魂がここにいるのかもしれない。私に霊感なんてないから、見えないだけで。

 それで、私の話を聞いて、怒って、恨んで……殺そうとした。

 でも、だとしたら、私を助けてくれたのは、誰だったんだろう?


 そんなことを考えていたら、突然、目の前が明るくなった。

 どうしてだろう——そう思って顔を上げた、その時。

 思わず、息を飲んでしまった。

 目の前に、私の両親がいたからだ。

 辺りを見回すと、そこは霊安室ではなく、私の実家だった。隣には、拳登がいる。

 ——ああ、これは夢なのか。或いは、幻かなぁ。さっき首を絞められた影響かもしれない。

 そんなことをぼんやりと考えていると。


『その人との結婚は、許しません』


 ——懐かしい母の声が、私の胸を切り裂いた。


『ど、どうして!』


 私が叫ぶと。


『もしその人と結婚するなら……絶縁だ』


 追い討ちをかけるようにして、父が私の心をめちゃくちゃに傷つけていった。

 普段は優しい父の声が、今は氷のように冷たい。

 ……どうして。どうして。


 目の前の景色が、変わった。

 昔訪れた、拳登の実家。そして、一度だけ会った、拳登のご両親。

 目の前で繰り広げられる、さっきと全く同じ光景。寂しそうに笑いながら『……それなら、荷物をまとめていきます』と言った拳登。

 拳登の昔暮らしていた部屋。

 そこにあった思い出の品々を段ボールに詰めて、自分の家に送っていた。

 これは、そう。かつて、本当にあったこと。

 ……そこで、ふつり、と目の前が暗くなった。


『……もう、嫌いだ』


 声が、聞こえた。


『……苦しかったんだ』


 ああ、この声は——恨みを募らせた、彼の声。


『……お前さえ……いなければ……』


 ——私さえ、いなければ。

 いなければ……よかったのに。




 ふと、優子が目を開けた。

「優子!」

 名を呼んで、目が覚めてよかったと言おうとして……気付いてしまった。

 優子の目は、虚ろだった。

 何も捉えない、中身のない目。

 そこから涙をぼろぼろと流し始めて……そして。

 ——目の前で、何が起こったのか。

 一瞬、分からなかった。

 ……いや。信じたく、なかった。

 優子は自分の手で、自らの首を絞め始めたんだ。

「なっ……なにやってんだよ!」

 その手を引き剥がそうとした。でも、さっきの女の手よりも、強い力だった。

「優子……こんなことするなよ!」

 さっき聞いた喘ぎ声よりも、さらに苦しそうで、大きな声。身体が呼吸しようとすればするほど、その手はきつくなっていく。

「やめてくれよ! なあ、何で……」

 俺は少しでも呼吸ができるように、首を絞めずに済むように、引き剥がす手に力を込めた。

「……何で自分の首なんか絞めてるんだよ!」

 俺の声は届かないと分かっているのに。なのに、叫ぶことしかできない。

「そんなことするなよ……! 頼むから、やめてくれ!」


 ——ふと、優子の目に、光が宿った気がした。





 私は、そう。死のうとしたんだ。私なんか、いなくなってしまえばいいと、そう思って。彼の呪詛を聞きながら。さっき拳登にやられたみたいに、自分で、首を絞めた。

 目の前が真っ暗になって、なにも見えなくなった。これで楽になれる気がした。

 だけど。

 彼の呪詛に紛れて……どうしてだろう、私を止める、彼の声が聞こえた気がしたんだ。

 なにやってんだよ、どうして、もうやめてくれ、って。最初は小さかった声は、だんだん、大きくなっていく。そしてついには、呪詛をかき消して。

『そんなことするなよ……! 頼むから、やめてくれ!』

 懇願するような、声。呪いのような声をかき消したということは、こちらの方が、拳登の、本心なのだろうか。

 ……私、いてもよかったのかな。

 ふっ、と手の力が抜けた。

 冷たい手が、私の手を首から引き剥がす。

 あの時も、私を助けてくれた、冷たい手……。

 その次の瞬間、突然大量に入ってきた空気に、私は咽せてしまった。目の前は、涙で滲んで、なにも見えない。

 でも、あの冷たい手が、咳き込む私の背を撫でてくれた。

『大丈夫か、優子?』

 ——空耳だと、思った。

 だってその声は間違いなく、拳登の声だったから。

 ……でも。

『聞こえるわけがないだろうけどさ。見えるわけもないだろうけどさ。……でも俺は、お前に死んでほしいなんて思ってないよ。生きていてほしい。幸せに、なってほしいんだ』

 涙で滲んでいた目の前が明瞭になると、そこに人影が見えた。そして、その目が闇に慣れてくるにつれ、目の前の人の特徴が明らかになっていく。

 ……目を、疑った。

「……拳登?」

 目の前に、彼が、いる。

「ねえ、拳登なの……? ここに、いるの……?」

『ああ、いるよ……えっ?』

 拳登は、目を丸くした。

『お前……見えるのか? 聞こえるのか?』

「うん。聞こえるよ……見えるよ!」

 今度はうれしさで、視界がゆがんだ。

「嬉しい……拳登にもう一度会えて、話せて、私……とっても、とっても嬉しい!」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ