呪いの始まり
ようやくホラーが始まります。
2019/08/02 23:37
大幅な改稿を致しました。
――ふと、違和感を覚えた。
霊安室の入り口近くの角に、誰かがいる。さっきまではいなかったはずなのに。いつの間に入ってきたんだろう。
女の人だ。白い服を着ている。……と言っても死装束ではない。看護師さんのような格好だ。ああ、もしかしたら、優子に付き添ってきていた人かもしれない。俺が気付かなかっただけで。
……いや、それにしては何かがおかしいな。
看護師さんにしては清潔感がない。髪は伸び放題で結ばれていないし、ぼさぼさ。服も白いんだけど、薄汚い。名札は汚れ、その中に入っている紙もボロボロだ。それに何より……存在感がない。なのに、とてつもなく嫌な感じがする。なぜかその人は、禍々しさを放っているのだ。
ふと、女の人は笑った。まるで口裂け女であるかのように口角を最大限まで上げて。らんらんと目を輝かせて。これほどまでぞっとする笑みを見たことが、俺はなかった。
背筋が凍りそうになる笑みを浮かべたまま、その人は、すっと消えた。
……そして。
――これが、あなたが望んでいたことでしょう?
確証はなかった。だけど、この声は女の人のものだと、あのひとがそう言ったのだと、俺には分かった。
「――かはっ――」
喘ぐ声がして、そちらを振り返る。
「――くっ――かっ――」
目を疑った。
「――ひゅう――こかあっ――!」
考えるよりも先に、動いていた。
私は、一人で泣いていた。最愛の人を失った悲しみと、彼に吐きつづけた嘘たちへの罪悪感とで。だから、少しぐらい息苦しくなっても、なんとも思わなかった。
――目の前が暗くなり始めるまでは。
闇に慣れ始めた視界が突然、遠のき始める。そして真っ暗になって、そのうち、赤や青といった色が、ちかちかとイルミネーションのように光り始める。酸素が、足りていない。
息が、でき……ない。くる、しい。
死、という言葉が、頭に、浮かんだ。
……いや、だ。まだ、死にた、く、ない……。
たす、け、て……。
――つめたい!
くびに、なにか、ひんやり、した、ものが、ふれた。
それは、くびに、あった、なにかを、はがした。
そのしゅんかん、いっぱい、いっぱい、くうきが、はいってきた。
「……はあっ、はあっ、はあっ……」
――ようやく、息ができた。頭が再び働き始め、視界が少しずつ、晴れていく。
でも、一体何が起こったのかを理解することは、到底出来なかった。
本当に驚いた。突然優子が目の前で苦しみ出したかと思えば、青白い手が彼女の首を絞めていたのだから。俺は咄嗟にその手を引き剥がした。――助かって、よかった。
『――どうして、助けた?』
呪いを吐くような、そんな声だった。
『お前は、これを望んでいたわけではなかったのか?』
あの声が聞こえて、俺は振り返る。
やはり、あの声の持ち主は、さっき口裂け女のような笑みを見せた女の人だった。ただ、その人はもう笑ってはいない。目は極限まで吊り上り、真っ赤に輝いている。それはまるで、魔物のようだった。
『お前は、こいつの死を求めていたのではないか?』
魔女のようにとがった爪が、優子を指さす。
そしてその瞬間、分かった。
この女が、優子を殺そうとしたんだ。
気付いた時には、両手をきつく、握りしめていた。
「どうして……どうして、こんなことをしたんだ」
純粋に、怒っていた。
「俺は、こんなこと……望んでいない。生きてほしい。幸せになってほしい」
『どうしてだ⁉ これは、お前を不幸にした裏切り者には相応しい罰だろう。なのにお前はどうして助けようとした。どうして嘘を吐かれたのに、幸せを奪われたのに、こいつの幸せを願おうとする⁉』
暗闇の中で、赤い目が光っていた。歯ぎしりをしながら笑うその表情は、憎しみに染まっていた。
その女は、何か呟いた。
聞き取りづらかったが、聞き間違いでなければ、こう言っていた……。
――裏切り者の生者だけではない。新たな死者、お前も壊してやる。