表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/9

一人の死者

先に言っておきます。

この部分はホラー要素ゼロです。

 ふと、目が覚めた。

 最初はぼんやりとしていた。けれど、目が覚めたと気付いたその時、込み上げてくる喜びをかみしめた。

 だって俺は、病院で寝たきりだったから。それはもう、本当に長い間。

 だから、純粋に嬉しかった——最初だけは。


 あたりは、真っ暗だった。普段なら窓から光が多少は入ってくるはずなのにな。でもまあ仕方がない。目が慣れてくるまで待つか。


 ――暑くないな、布団の中なのに。この時期なら、こんな分厚いもんかぶってたら汗かくに決まってるのに……。


 とりあえず、布団から出るか。今は暑くないにしたって、この先、布団の中で熱中症になっても困る。目も慣れてきたところだし。


 よいしょ、と呟きながら、ベッドを降りた。

 そこでようやく、何かがおかしいことに気づく。

 まず、布団。今の時期はこんなに分厚い布団なんて使わないってこと。

 次に、ベッド。病室のベッドみたいに転落防止の柵なんてない。

 さらに、部屋。この部屋には、普通の病室のような窓はない。

 そして……俺自身。

 俺はベッドを降りた。なのに、そこには、俺がいた。

 目を閉じたまま、今までしていた点滴をせずに、静かに、横たわっていたのだ。まさかと思い、試しに触ってみると、死後硬直が始まっていた。


 ……そうか。

 俺……死んだのか。




 俺は、随分前からこの病院に入院していた。難しい病名だったもんだから、ポンコツな頭しかない俺は名前を覚えてらんなかった。ただ分かっていたのは、とても珍しい病気だったこと、気分が落ち込みやすくなるってこと、あとは、記憶力が落ちていくってことだけだ。


 ――俺は確かそう、二年半前くらいにここに入院し始めた。最初は何故かひたすら不安で、何をしても楽しくなくて。心が不安定になりだしたんだ。

 そのあとは、突然歩くのが下手くそになった。手もうまく使えなくなった。身体のあちこちが、俺のいうことを聞かなくなった。そんな俺を見た優子(ゆうこ)――彼女が俺を病院に連れて行った。

 そして、俺の入院生活が始まった。

 優子は毎日お見舞いに来てくれた。

「なあ……俺、病気、治んのかなぁ」

「絶対治るよ! 拳登(けんと)、大丈夫だから!」

 優子はいつでも、落ち込みがちだった俺のことを励ましてくれた。

 でも、病気は悪化していくばかりだった。

 ……きっかけはそう、あの日の喧嘩だったのかもしれない。

「やっほう! 遅くなってごめんね、拳登」

 その日、優子は普段よりも遅い時間にやってきた。走ってきたのか、短くてパーマが軽くかかった茶髪を揺らしながら。

「心配したよ! 昨日はお見舞い来なかったしさぁ……」

 病気のせいもあってか、余計に心配し不安になっていた俺に、優子はそのつり目を丸くして、言った。

「えっ? 私、昨日もお見舞い来たじゃん」

 その言葉が、信じられなかった。俺の記憶には、なかったから。

「嘘だ、来なかったよ!」

「いや、来たってば!」

 半ばヒステリックになった俺に優子はキレて、口論になった。

 ――今思えばあれは、記憶を失う始まりだったのかもしれない。

 それからというもの、俺は、砂時計の砂が落ちるように、少しずつ記憶をなくしていった。

 ついさっき食べた食事のこと。かつての友人のこと。長らく会っていない両親のこと。そしてついには、毎日会いに来てくれていた優子のことまで、忘れてしまった。

「拳登、お見舞いに来たよーっ」

「……!」

 病気のせいもあったのか、見知らぬ人が入ってきた恐ろしさに、怯えた。優子は、そんな俺の異変に気付くのが早かった。

「拳登、どうしたの?」

「――お前は、誰だ」

 優子の表情が、凍りつく。

「誰なんだ……っ」

 怯える俺の声に、優子は、ぼろぼろと泣いた。

「――驚かせてごめんね、拳登……。私は、優子。あなたの……」

 そこで突然、言葉に詰まった。あなたの好きな人、とは言わなかった。愛する人、彼女、とも。その代わりに、優子は。

「……あなたのことを、大切に思っている人」

 俺の混乱を避けるためなのか、視点を変えた言い回しをしてきたんだった。

 その後のある日、俺は自分の名も忘れた。優子に呼ばれても、それが分からなくなったんだ。

「私は、優子。あなたは、拳登」

 毎日毎日、繰り返しそう言ってくれた優しい声と、悲しげな目は、忘れられない。

 その声と目に応えようと、俺は毎日復唱したものだった。

「お前は、優子。俺は、拳登」

 すぐ忘れてしまう頭に、記憶を刻み込もうとした。

 でも、それすらも出来なくなった。

 ある日気が付いたら、俺の精神は追い出され、命の残った身体だけが、ベッドの上に残っていた。ちょうど、今のような感じで、俺は自分を見つめてたんだ。ただ今と違うのは、まだ生きてはいるからか、起きたり眠ったりしたこと。それだけの違いのように思えた。

 記憶の障害や心の不安定さは、やっぱり病気のせいだったらしく、精神だけの俺は全て記憶を取り戻していたし、不安になりすぎることも、歩けないこともなかった。ただ、精神だけの存在を、優子が見れるわけがない。

 何も喋らず、何を考えるわけでもない俺の身体の手を取り、優子は泣いていた。ひたすら目を開けて閉じるを繰り返す俺のことを、ずっと待っていてくれた。俺は何度も身体に戻ろうとした。戻って、泣くなと言ってやりたかった。

 泣くな優子。俺はここにいる。お前のそばにいる。伝えたいことが沢山あるんだ。

 でも、戻ることは出来なかった。

 その状態が、二年続いた。

 そしてある日、不意に目の前が暗くなった。激しく咳き込む声が聞こえた。でもその音すら、だんだん遠ざかっていく。

 ――もうだめだ。

 死を悟った俺の頭に、その言葉が浮かんできて。


 ――さよなら、優子。


 俺は、死んだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ