表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

閉鎖的アポトーシス

作者: あすぱら

解離


ふと考えた。

もしかしたら生きている人間は自分しかいないのではないか。自分以外は所謂哲学ゾンビのような、この世界を廻すパーツに過ぎないのではないかと。

勿論、私は様々な人の感情や価値観を見て、そのどれもが私と異なっているのを知っている。それでもやっぱり私以外が生きているという実感が湧かないのだ。

画面の奥のコメディアンも、ふんぞり返る権力者も、床に臥した老人も、今まさに生きようともがいている病人も、愛してると囁く彼も、隣で語らい笑う級友も、皆が生きているということが実感をもって理解が出来ないのだ。馬鹿げたことであり、愚かな事だとも思う。だがやはりどうしても納得がいかない。

この疑問を解決するにはもしや殺人が効果的かもしれないが、その為に自らの手を血に染めようとは思わない。

だから、この問をただ風の便りとして投げ込んだ。或る人は自分の為だけではなく、生きている人全ての為に憤慨した。或る人はお前は全く人を愛したことが無いのだと吐き捨てた。

私はこれに相槌を打ちながら自分に向いた感情を見て、成程確かに人は生きているのかもしれないと思った。自らにはない考え方に舌鼓も打った。だがやっぱり確信までは至らないのである。なんと傲慢な我が脳髄か。人を人とも思わぬ畜生よ。それならば果たして自分は生きているのか。これは生きてると実感をもって言えるのである。

振り返って私は気づいた。パーツから外れたからこそ、今の私がいるのではないかと。そしていつかこのパーツに戻ることを望んでいるのではないかと。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ